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種部屋出身
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昭和の体育会
昔から柔道をやっていました。というか、田舎で出来るスポーツが剣道か柔道だっただけですが。
中学まだは体も人より大きくかったことで勝ててましたので推薦で他県の高校に入りましたがこれで人生狂いました。
上下関係も緩い田舎と違って、一学年上の方は神様状態でしたが、入学当初それに馴染めず反抗してた事でキッチリ型にはめられ上下関係を教え込まれました。
寮の部屋、教室内、移動教室、便所全てを他の部員に監視されてまともに1人になれる時間がなくて、そうすると抜く時間もないのです。一年は先輩にセンズリしたいです!と申告して、許可が出た時だけ射精できました。自分は入部以来一度も許可が出ませんでした。見せ物として人前でセンズリさせられましたが、溜まった性欲の前には羞恥心なんて吹っ飛ぶので見られたり馬鹿にされても萎える事はありません。
自分への教育は厳しく、寮内では消灯時間を過ぎても直立不動で立たされたり1時間ぶっ通しの腕立て伏せや腹筋千回終わるまで寝れないなど無茶をやらされ1週間で反抗心は一切なくなりました。部活では監督コーチから立てなくなるまで追い込まれるのは普通でしたから、そこから千回も出来ません。それに姿勢が悪いや最後まで上がってないなどクレームの嵐で自分は腹筋が10回もまともに出来ないクズだと言われ続けました。
そして先輩方はそこからが本番です。当時175.80くらいでしたが子ども用の白ブリーフ1枚しか履くことは許されず、洗うのにも許可が必要で一年の頃は洗う事が出来ず、クラスでも臭いからと居場所がなくなっていき、徐々にメンタルが追い込まれました。チンコ芸などを容赦なく教えられ、先輩方が休み時間に教室に来てチンコ芸の確認をすると言っては教室で裸になって声張り上げて芸を披露させて頂いていたので、県大会前にはもうクラスでも柔道部でも最下層の扱いになっていました。
先輩の指示でればどこでも勃起を晒してシコってましたので、授業中にシコリだす自分は先生方からも嫌われてました。当然先輩の指示などとは言えませんから、男しかいないクラスでしたが変態認定を誰からもされてました。相手されないどころか罪を捏造され自分が金玉を蹴り上げられるのを見て笑ってたくらいです。
更に、部員は部活で指導をされると自分にしゃぶさせるという罰ゲームが新たに生まれました。指導とは出来が良くない内容が続いた時にされる事で教えてもらう事ではないのです。ですから3年の方でも監督から「指導が必要だな」と言われる事はありました。
年頃の男にとっては男に舐められるという事は最大の屈辱ですから、その屈辱を糧に頑張るというのです。
(しゃぶる方が屈辱だと思うのですが、もはや自分は男として考えられてすらなかったのです。)
最初こそ罰ゲームでしたが、男子高校生ですので毎日でもしゃぶらせたい抜きたいという猛者は沢山いました。
監督に三年の方が話をつけて寮の部屋変えがありました。自分は4人部屋から2人部屋にうつりました。理由は部屋で好き勝手処理させるためで、もう1人は同期の1年が交代で見張るためです。掃除をしようと窓を開けた事が脱走しようとしたと言われたため監視がついたのです。でも、全裸でしたし他県で地理もわからず金もなく、山に囲まれた学校から脱走しようとなどするはずも無いのですが。
それからは寮にいる時は縛った金玉に鉄アレイ、カリに鈴を付けられ所在確認が行われてました。使う時に邪魔なら外し、終わったら自分で付けさせられます。先輩のチェックが入った時に付けてないと監視係が怒られるので即座に付けられるように殴られながら日々過ごしてました。
1ヶ月もしないうちに普通に処理として使われるようになり、練習後、寝起きに多く使われましたので、最初は種を飲み過ぎて腹を下す事もありましたが、そのうち慣れてしまいました。寮は全裸、二足歩行禁止、指示されてない時に話す事も禁止、射精したら練習参加不可でした。練習には参加しないとクビになり退学になるため必死に我慢したのですが、数回擦られたら漏らす程溜まり切ってました。
ケツを使われる様になるとそもそも練習にも出れなくなってしまいましたが。
ケツは夏休みにに来られたOBの方にガッツリ仕込まれ、一晩で掘られたら種を漏らすまでに成り果てました。(この方々からは柔道部では処理に使われる事もあるけど、1年のうちだけだからと言われました。そして監督も1年の頃は処理させられてたとも。微かな希望を抱きました。)
ケツを使えるのは先輩とレギュラー陣でしてたが、3年生の許可さえ取れれば1年でも使えましたし、自分の部屋で監視する役目の1年は他の人が使ってない間なら好きに使える事になってました。散々掘られましたし、口に出された精子を一晩中飲まずに口に入れておけと言われてしまえば寝れなくなるのは確定です。朝飲んでしまっていた時には便所で寝るハメになった事があるので必死に耐えてました。3年になっても立場が変わる事などありえないため、新1年に監視管理されるのですが、この時の一年は容赦なく、授業と授業の合間に呼びつけられてトイレで壁際に押し込まれながら喉を掘られ顔に掛けられてチャイムで教室に帰らされました。激しく腰を打ちつけるので後頭部はたんこぶだらけです。
次の休み時間まで顔を拭くのは当然禁止ですし、昼休みの間中トイレで使われ続けて精子と小便で腹一杯になるなんて事もザラでした。
結局3年の最後で先生方から、こんな奴を卒業させられない、となり退学になりました。そのせいで日雇いとかガテン、掃除のバイトを掛け持ちしては呼び出されて巻き上げられる生活が続いています。
それでも野郎の臭いかぐと勃起しちまうのは躾の成果でもあり自分の本性なのだと思います。
昔から柔道をやっていました。というか、田舎で出来るスポーツが剣道か柔道だっただけですが。
中学まだは体も人より大きくかったことで勝ててましたので推薦で他県の高校に入りましたがこれで人生狂いました。
上下関係も緩い田舎と違って、一学年上の方は神様状態でしたが、入学当初それに馴染めず反抗してた事でキッチリ型にはめられ上下関係を教え込まれました。
寮の部屋、教室内、移動教室、便所全てを他の部員に監視されてまともに1人になれる時間がなくて、そうすると抜く時間もないのです。一年は先輩にセンズリしたいです!と申告して、許可が出た時だけ射精できました。自分は入部以来一度も許可が出ませんでした。見せ物として人前でセンズリさせられましたが、溜まった性欲の前には羞恥心なんて吹っ飛ぶので見られたり馬鹿にされても萎える事はありません。
自分への教育は厳しく、寮内では消灯時間を過ぎても直立不動で立たされたり1時間ぶっ通しの腕立て伏せや腹筋千回終わるまで寝れないなど無茶をやらされ1週間で反抗心は一切なくなりました。部活では監督コーチから立てなくなるまで追い込まれるのは普通でしたから、そこから千回も出来ません。それに姿勢が悪いや最後まで上がってないなどクレームの嵐で自分は腹筋が10回もまともに出来ないクズだと言われ続けました。
そして先輩方はそこからが本番です。当時175.80くらいでしたが子ども用の白ブリーフ1枚しか履くことは許されず、洗うのにも許可が必要で一年の頃は洗う事が出来ず、クラスでも臭いからと居場所がなくなっていき、徐々にメンタルが追い込まれました。チンコ芸などを容赦なく教えられ、先輩方が休み時間に教室に来てチンコ芸の確認をすると言っては教室で裸になって声張り上げて芸を披露させて頂いていたので、県大会前にはもうクラスでも柔道部でも最下層の扱いになっていました。
先輩の指示でればどこでも勃起を晒してシコってましたので、授業中にシコリだす自分は先生方からも嫌われてました。当然先輩の指示などとは言えませんから、男しかいないクラスでしたが変態認定を誰からもされてました。相手されないどころか罪を捏造され自分が金玉を蹴り上げられるのを見て笑ってたくらいです。
更に、部員は部活で指導をされると自分にしゃぶさせるという罰ゲームが新たに生まれました。指導とは出来が良くない内容が続いた時にされる事で教えてもらう事ではないのです。ですから3年の方でも監督から「指導が必要だな」と言われる事はありました。
年頃の男にとっては男に舐められるという事は最大の屈辱ですから、その屈辱を糧に頑張るというのです。
(しゃぶる方が屈辱だと思うのですが、もはや自分は男として考えられてすらなかったのです。)
最初こそ罰ゲームでしたが、男子高校生ですので毎日でもしゃぶらせたい抜きたいという猛者は沢山いました。
監督に三年の方が話をつけて寮の部屋変えがありました。自分は4人部屋から2人部屋にうつりました。理由は部屋で好き勝手処理させるためで、もう1人は同期の1年が交代で見張るためです。掃除をしようと窓を開けた事が脱走しようとしたと言われたため監視がついたのです。でも、全裸でしたし他県で地理もわからず金もなく、山に囲まれた学校から脱走しようとなどするはずも無いのですが。
それからは寮にいる時は縛った金玉に鉄アレイ、カリに鈴を付けられ所在確認が行われてました。使う時に邪魔なら外し、終わったら自分で付けさせられます。先輩のチェックが入った時に付けてないと監視係が怒られるので即座に付けられるように殴られながら日々過ごしてました。
1ヶ月もしないうちに普通に処理として使われるようになり、練習後、寝起きに多く使われましたので、最初は種を飲み過ぎて腹を下す事もありましたが、そのうち慣れてしまいました。寮は全裸、二足歩行禁止、指示されてない時に話す事も禁止、射精したら練習参加不可でした。練習には参加しないとクビになり退学になるため必死に我慢したのですが、数回擦られたら漏らす程溜まり切ってました。
ケツを使われる様になるとそもそも練習にも出れなくなってしまいましたが。
ケツは夏休みにに来られたOBの方にガッツリ仕込まれ、一晩で掘られたら種を漏らすまでに成り果てました。(この方々からは柔道部では処理に使われる事もあるけど、1年のうちだけだからと言われました。そして監督も1年の頃は処理させられてたとも。微かな希望を抱きました。)
ケツを使えるのは先輩とレギュラー陣でしてたが、3年生の許可さえ取れれば1年でも使えましたし、自分の部屋で監視する役目の1年は他の人が使ってない間なら好きに使える事になってました。散々掘られましたし、口に出された精子を一晩中飲まずに口に入れておけと言われてしまえば寝れなくなるのは確定です。朝飲んでしまっていた時には便所で寝るハメになった事があるので必死に耐えてました。3年になっても立場が変わる事などありえないため、新1年に監視管理されるのですが、この時の一年は容赦なく、授業と授業の合間に呼びつけられてトイレで壁際に押し込まれながら喉を掘られ顔に掛けられてチャイムで教室に帰らされました。激しく腰を打ちつけるので後頭部はたんこぶだらけです。
次の休み時間まで顔を拭くのは当然禁止ですし、昼休みの間中トイレで使われ続けて精子と小便で腹一杯になるなんて事もザラでした。
結局3年の最後で先生方から、こんな奴を卒業させられない、となり退学になりました。そのせいで日雇いとかガテン、掃除のバイトを掛け持ちしては呼び出されて巻き上げられる生活が続いています。
それでも野郎の臭いかぐと勃起しちまうのは躾の成果でもあり自分の本性なのだと思います。
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