スカイブルーの瞳

NoMa

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SCENE 5

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「おれは、大したやつじゃない。今回、初めて雇われた下っ端だよ」
 ケニーは正直に話すことにした。
 話すと言っても、本当に大したことではなかった。
 ハイスクールを追い出されるように卒業した後、レミー通りの酒場で働いていたケニーは、商用で立ち寄ったゴードンに(正確にはゴードンの愛人に)気に入られた。
 それからリトルイタリーにある彼の会社、LGコンサルティングの社長レイフ・フリーマンの運転手として雇われる。レイフはゴードンの甥に当たるらしいが、見た目は全く似てなかった。
 ゴードンは濃い眉に鷲鼻、鋭い目つきで、極めつけに丸めた頭が、まるでマフィアのボスのようだ。実際、初めて会った時、ケニーはそう思っていた。そして今も、表向きは実業家だがマフィアとさして変わらないことをしているのではと思っている。
 一方のレイフは豊かな金髪にモデルのようにスラリとした体躯、整った目鼻立ちの男だ。二人は外見は似ても似つかないが、人を人とも思わないような冷たい眼差しだけは似ていた。
 レイフは一見遊んでいるだけのように見えるが、どこからか人材をヘッドハンティングしてくる力はあった。主に経営不振の飲食店をターゲットにしているようだが、見切りをつけるのは早く、その中で使える従業員がいれば引っこ抜く。店はゴードンが二束三文で買い上げていた。
 正直コンサルティング業がどういうものなのかすら知らないケニーには、レイフが本当に有能なのかわからない。日々運転手をしている中でわかったのはその程度だ。
 そんなケニーの実際の仕事は運転手だけではなく、使い走りのようなものも含まれていた。
 事務は女性が一人雇われていたが、それ以外のレイフの個人的な雑用が、すべてケニーの役目だった。例えば歩いて四、五分のところにある中華のデリバリー店へランチを買いに行くことなどだ。たまに会食の前など靴磨きを頼まれることまであった。
 腹も立つが、バーテンより給料は三倍もいいので我慢している。
 ただ、まさか先日みたいにヤクザまがいのことまで手伝わされるとは思わなかった。自分でも自慢できる人生を送ってきたとは言わないが、流血沙汰は苦手だった。
「そう。あなたはただのレイフの運転手。けど、私のあとをけたよね? そして彼の家へ入っていくのを見た。翌日、彼が突然私との連絡を絶ったことと関係ないとは言わないでしょ?」
 セリーナがしゃべるたび、ピンクのようなオレンジのような、とにかく肌に溶け込んだ色のルージュを塗った唇から、タバコの煙がもれた。
 女優のように完璧な美貌ではない。だが、彼女のスカイブルーの瞳はダイヤモンドのように輝いていた。それを知ってか知らずか、彼女は先程からケニーの目をじっと見つめて話す。
「ああ、全く無関係とは言わないよ。ラリーを知ってるだろう、お父さんの右腕?の。彼に頼まれて……ゲイリーと会った」
「……やっぱりね。私がラリーの顔を知ってるから、今度はあなたを使って彼の家を突きとめたというわけ?」
「だから、俺はラリーに頼まれただけだって言ってるだろ。けど、それはゴードンに頼まれたのと同じだ、俺に断れると思うか?」
「あなただけを責めてるわけじゃないわ。ただ……もう三度目だから、うんざりしてるの」
 三度目。それは父親に恋路を邪魔されたことか、それとも暴力で訴えて相手を怯ませたことか。そこまで突っこんで聞くつもりはなかったが、ケニーは少し彼女に同情しはじめた。
 そんな心情を読まれたのか知らないが、セリーナはうんざりした顔から、急にケニーに向かってにっこり微笑みかけた。
「知ってるとは思うけど……私、パパとは血がつながっていないの」
 ケニーは軽くうなづく。あの日、ラリーから少し聞いていた。
 セリーナの母親はゴードンの二人目の妻で、その地位にいたのもわずか二年ほどだったが、母親との関係が切れてからも継子のセリーナの面倒は学費をはじめ、全てにわたって見ているそうだ。
「あの人は私を離したくないの……私はペットじゃないのに」
「でも、その君を大学までやってくれたのは、父親じゃないのか」
「ははっ」とセリーナの唇からため息のようなかすれた笑い声がもれる。
 一生懸命スレた風を装ってるが、失敗してるな。ケニーは思った。
 彼女が恵まれているのは着ている上等のワンピースや傍らに置いたブランド物のショルダーバッグ、足もとの最新のスニーカーが表している。
 比較するつもりはないが、どうしてもティタの顔が浮かぶ。
 ティタの表情は悪ぶってというものではない。生まれた時からの環境のせいで、まるで澱のように「暗さ」が纏いついていた。底辺から這い上がる気力もなく、小金を貯めて芝居を観に行くくらいしか楽しみがない。
 自分は今、どちらを向いてるのだろうか。
 セリーナのような「輝き」とともにいることは可能なのか。
 その澄みきった青空に自分は手を伸ばしてもいいのだろうか。
「あなたって、見た目によらず真面目なのね」
 そんなことを考えていたので、セリーナの言葉に驚く。
「おれが? 真面目だって?」
 笑い出しそうになったケニーの前で、セリーナはいきなり立ち上がるとテーブルの向こう側から身を乗り出し、彼にキスをした。柔らかい感触と一緒にコーヒーと花のような匂いがした。
「私は……見た目によらず中身は真っ黒なの」
 セリーナは唇を離す瞬間、囁くように言った。
 ケニーは思わず身を引いたが、外灯に惹きつけられた蛾のように、そのスカイブルーの瞳から目を離すことはできなかった。
 セリーナに溺れるのは、あっという間だった。
 互いに自宅で会うという下手は打たなかった。ケニーはともかく、セリーナは携帯を見られることがあると言って、彼女が古風な逢引き方法を考えた。
 あのドーナツ店だ。初めて話をしたテーブルの隣に従業員用の出入り口と公衆電話がある。その電話機の裏側のわずかな隙間、そこにセリーナが会う場所を書いたメモを挟み込む。仕事が終わったケニーがメモを見て、会いに行くという具合だ。
 行く度にメモが挟まっているわけではなかったが、ケニーはそれも含めて楽しんだ。こんな純情めいた期待をするのは、中学生の時以来だ。
 彼女が指定する場所は、ケニーが予想もしないようなところだった。メトロポリタン美術館やMoMAなどケニーは二十三年の生涯で一度も行ったことがない。
 正直美術品や絵画などにケニーは何の感動も覚えなかったが、横で嬉々として説明するセリーナの声はとても心地よかった。
「君は本当に芸術が好きなんだね」
「ええ。本当は……キュレーターになりたかったの」
「無知で悪いけど……キュレーターって?」
「アーティストと観覧者の橋渡し的な役割と言えばいいのかしら? ほかにも仕事はあるけど、展覧会を企画したり?」
「大学を卒業したら、その道に?」
 尋ねてからケニーは気づいた。彼女は「なりたかった」とすでに過去にしているではないか。
「ううん。私、これでも経済を専攻してるの。……パパの会社に入ることになると思う」
「そこまで彼に付き従う必要があるのか? 卒業したら好きに生きていけばいいだろう」
 そうは言ったが、ケニーも彼女がそう出来ないことに薄々わかりはじめていた。
 数日前、モーテルの部屋で初めてセリーナを抱いたケニーは「それ」を見た。
 彼女の裸は想像通りどこもかしこも真っ白で美しかったが、一箇所だけ、忌まわしい呪いの文字が刻まれていた。
 彼女のしなやかな脚の付け根、つまり彼女と寝ようとしている男しか見ることがない内股に、紫色のイタリックの飾り文字で
『おまえはおれのもの』
 と刺青が入れられていた。
 それを見たとき、ケニーはすべてを悟り、一瞬手が止まった。
 ラリーがゲイリーを叩きのめした時に感じた異様な「何か」は当たっていたのだ。
 ゴードンはセリーナを継子としてではなく、自分の女として見ていた。
 あれは、自分の女へ手を出した男への制裁だった。
「……私が怖い?」
 セリーナはそういう男の反応を何度か見ているのだろう。何かを諦めたような目をこちらに向けた。
「ゲイリーはこれを見たの?」
 ケニーの質問にセリーナはヒステリックに笑い出した。
「あははっ……見てないわ。というか、見られたくなかったから、暗いままがいいって言ったの。その前の彼氏には見られたけど、パパのことは知らないから、柄の悪い元彼に入れられたって言ったら信じたわ」
 それをケニーにはあえて隠すことなく見せたことに、腹を殴られたような重い衝撃を感じた。
 セリーナは問うているのだ。
 それでも私を抱くか、今ここで尻尾を巻いて逃げるか。
「……帰ってもいいのよ。今さら純情ぶるつもりはないし」
(馬鹿なのか、おまえは。ゲイリーが反吐を吐くほど叩きのめされたのを見ただろう?)
 ここに至るまであえて考えないようにしていたのかもしれない、ケニーは思った。
 最初にこの青い空のような瞳に見据えられた時から。
 逃げられはしないのがわかっていたのかもしれない。
「……泣くなよ」
「泣いてなんかないわよ」
 たしかにケニーの身体の下で彼を見つめ返すセリーナは平然としていた。
 瞳も潤んでもなかった。
 だがケニーはセリーナの小さな顔を包み込むように触れると、訊いた。
「おれにどうして欲しい? ただ、抱くだけでいいの?」
 青い瞳から一粒、綺麗な涙がこぼれた瞬間、セリーナの顔が大きく歪んだ。
「……私を連れ去って。どこでもいいから」
 子供のように泣きじゃくるセリーナの涙を拭うようにケニーは彼女を抱いた。
 いつものように自分の欲望を優先した抱き方ではなかった。そんなことは初めてだった。
 初めて女に『愛おしい』と感じていた。
 本当に彼女となら、どこへでも行けるのではないか。そんな希望を抱いてしまったのも初めてだ。
 その二日後、バズからあの話が持ちこまれた。
 なぜ疑いもしなかったのか。


 偽物の宝石ビジューがついたサンダル。深紅のネイルを塗った爪先に無意識に力が入っていた。肉食獣のような筋肉質の脚の線。褐色の肌。
(ティタか?)
 こんな視点は初めてだ。
 今までのような自分が主観の夢ではなく、外側から、透明人間のように彼女を見ている。
 そしてティタもすがめた目で一点を見据えていた。
 夕暮れ迫るリトルイタリー。人ごみの中、彼女は彼の背中をじっと見つめていた。
(おれ?)
 ティタはドーナツショップへ入っていくケニーを遠くから見つめるだけだった。
(なぜ、声をかけてこない?)
 ケニーが奥の席に座り、コーヒーとタバコを嗜む間、ティタは店の入り口の歩道にじっと立っていた。やがてケニーがそばの公衆電話の隙間からメモを抜き出し、ポケットに入れる。そして会計を済ませると店を出た。ケニーは事務所のあるビルに戻り、やがて自分のCRVで地下駐車場から出ていった。
 そこまで確認したティタも去っていった。
(これは……別の日か?)
 場面が変わるように一度暗転して、現れた光景ではティタはドーナツ店の中にいた。服装もさっきとは違う。そこへセリーナが入ってくる。セリーナはソーダを頼み、それを飲みながら、テーブルの上で何かを書きつけていた。やがて席を立つと折り畳んだメモを公衆電話の隙間に挟んだ。セリーナが行ってしまうと、ティタは席を離れて電話に近づく。メモを取り出して中を確認するとまた元に戻した。
(メモを見ていた? なぜ?)
 ふたたび場面が変わり、ビーチに遊園地。ケニーには覚えがあった。
コニーアイアランドだ。以前、セリーナと待ち合わせた。二人で子供みたいにローラーコースターに乗った。アイスを食べ合った。
 それを今、第三者の視線で見ている。そう、ティタだ。
 ティタは人混みの中で一定の距離をとって、ケニーたちを見ていた。
(おれたちを尾けていたのか?)
 ティタの榛色はしばみいろの瞳はただ、ケニーたちを映しているだけだったが、なぜかゾッとした。
(なんなんだ? なんのためにおれたちを見ている?)
 ティタの真紅の唇が何事かを呟き、動いた。
『誰?』
 また暗転し、場面が変わった。ドーナツ店だ。
 席に座り、メモを書きつけているセリーナの前で、青い顔をしてうずくまる女。
『ちょっと? 大丈夫?』
『……びょういん』女の手がセリーナの手首を掴む。
『え?』
『お腹痛い。お願い……病院まで一緒に行ってくれる?』
 顔を上げた女はティタだった。
(ティタ⁈ どういうつもりだ?)
『……ごめんね。店員呼んでくる』
 困惑したセリーナが席を外した瞬間、ティタはセリーナのバッグを持って、すぐそばのトイレへ入った。トイレの個室の中で、バッグの中を漁ると、財布の中から学生証を取り出した。それを自分の携帯で撮影すると、個室のドアを叩かれた。
『ちょっと? 大丈夫なの? 救急車呼ぶ?』
 セリーナの声だ。ティタはセリーナのバッグをトイレの水洗タンクの上に押し込むと、ドアを開けた。
『……大丈夫。よくなりました。ご親切にありがとう』
 唖然としているセリーナと店員を残して、ティタは店を出て行った。
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