キラー・イン・レッド〜惨劇の夜〜

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第三章 真相

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 陽が完全に落ちた。
 壁にかかった時計を見ると、時刻は夜の七時を過ぎている。
 一ヶ屋紀和は、自宅の六畳間に閉じ込められた。
 じつは紀和は去年から学校も行かず、部屋に引きこもっていたのだが、今日は物理的に部屋から出られなくなっていたのである。
 明け方、紀和は何かを叩く音で起こされた。見ると、部屋の薄いドアが揺れている。
 思わず兄を呼んだが、部屋の外で何かを打ちつける音にかき消されてしまった。
 外側からドアに釘を打ちつけて開かないようにされたのだと気づいた時には、すでに遅かった。打ちつける音も消え、人の気配もなくなり、静かになっていた。
 何度か大声をあげて助けを呼んだが、誰も返事をしなかった。
 叔父か叔母が現れないのも変だった。屋敷は広く、叔母夫婦の部屋は玄関口に近い紀和の部屋とかなり離れてはいたが、これだけ声を張り上げれば、聞こえないはずはない。
 しかも彼らはそれぞれ仕事を持っており、毎朝決まった時間に出勤していく。その際、必ず玄関を通るので、気づかれないはずはなかった。
 二人が紀和を閉じ込めたのでない限りは。
 だが紀和はすぐにその考えを否定した。
 兄がすぐに助けに来てくれないのも変だと気づいたからだ。兄の部屋の方が、叔母夫婦の部屋より近い。兄は塾には行ってなかったが、最近は家を空けることが多かった。それでも紀和のために必ず朝食を用意してくれるので、あの時間ならば家にいないはずがない。
 いや、紀和は気づいていた。
 紀和を部屋に閉じ込めたのは、兄だ。
 唯一の通信手段であるスマートフォンが見つからない。部屋の中はかなり散らかっていたが、だからといってあれを失くすなど彼女にとってありえないことだ。一方で部屋の冷房は快適に効いており、見覚えのない水のペットボトルが置かれていた。
 こうなったら窓から外に出ようと磨りガラスの窓に触れて気づいた。レトロと言えば聞こえはいいが、木枠の古くさい窓は立て付けが悪く、普段から開くのに苦労したが、今回はそういう次元ではなかった。窓のレールには透明な何かが塗られ、すでに乾いて固くなっていた。おそらく接着剤の類だろう。
 これらは全て部屋の内側で行われたものだ。つまり紀和が眠っている間に忍びこみ、やったのである。そんなことが出来るのは、兄以外考えられないのだ。
 ネット環境など逃避するものを奪われた紀和は、閉じ込められて半日、この家のことについて考えざるをえなかった。兄の様子もたしかにおかしかったが、自分や叔母夫婦も含め、この家に暮らす者は皆、まともではないことに薄々気づいていた。
 この古い日本家屋はもともと祖父母の家で、築七十年以上らしい。たしか戦後まもなく建てられたと聞く。祖父母が亡くなってからは、叔母夫婦のものになった。
 高台にある敷地には、広い庭に池もあった。屋敷は平屋だが、何部屋あるのかわからないくらい広かった。傾斜した土地に建てられたためか、家の中で高低差がある。廊下は曲がりくねり、数段の階段を下りて別棟へ進むという感じだった。この家に来たばかりの頃は、子供だった紀和はよく迷った。
 今いる彼女の部屋は玄関のすぐそばにあるのだが、北側のせいか陽射しがほとんど差し込まず、常にジメジメしていた。そういう意味では住み心地はよくないのだが、彼女が安心していられるのも、またこの部屋だけだった。
 紀和は引きこもってから、叔母夫婦の関係に気づいた。
 両親がいた頃にも母の実家であるこの家には何度か行ったことはあるのだが、その頃は叔母夫婦を気のいい人たちだとしか思わなかった。幼い子供だったから無理もなかった。彼らもほんの数時間滞在するだけの紀和たちには愛想がよかったのだろう。
 叔母の裕美ゆみにも、叔父のさとしにも、じつはそれぞれ愛人がいた。そのことを互いに了承している感じだった。完全な仮面夫婦である。
 ただ、紀和は驚かなかった。自分の両親も似たようなものだったからだ。
 父が女と駆け落ちし、母は精神のバランスを崩して入院。兄と紀和は、母の実家である一ヶ屋家に引き取られた。紀和が六歳のときだ。当初は祖父も一緒に暮らしていたが、兄が中学へ上がる前に病気で亡くなった。
 祖父が亡くなったとたん、叔母夫婦は紀和たちに正体を現しはじめた。
 もともと仕事で家にいることがあまりない夫婦ではあったが、紀和たちはさらに放置された。言ってしまえば金銭的に面倒を見ているだけだった。後見人と変わらない。いや、それも母の遺産を適切に使っているのかという意味でいえば、怪しかった。
 一方の兄は中学生から食事など、ほとんどの家事をこなしていた。叔母夫婦は表面的に礼を言うだけだ。
「こんなに広い家だし、二人とも働いているんだから、人でも雇えばいいのに」
 と不満を洩らす紀和を兄は笑って嗜めた。
「お金がないみたいだよ。事業があまりうまくいってないらしいから。ぼくらはどうすることも出来ない。屋根の下で寝れて、食べるものがあるだけでも良しとしないと」
 そんな兄の言いかたに紀和は不安をおぼえた。
 兄の晶は紀和にとって全てだ。
 紀和は生まれた時から、母はともかく、父の愛情を一切感じたことがなかった。
 父は家と外で態度が全く違う人間だった。そして母を蔑ろにしていた。母に向かって「つまらない女だな」「辛気臭い顔しやがって」などと吐き捨てたのを紀和も目にしている。
 そんな夫のどこがいいのか紀和には全く理解できなかったが、父が四谷有里子といなくなった後、母の言動は少しずつおかしくなっていったらしい。兄が叔母に頼んだのか、母は市内の精神科病棟に入院した。
 五年後、母は戻って来たが、物言わぬ姿となっていた。自殺だったと聞いても、紀和は何も感じなかった。
 入院する一年ほど前から、紀和は見えていないかのように母に無視されていた。
 六歳の子供にとって親は全てである。存在を無視されることほど辛いものはなかった。病気だったとはいえ、紀和は母の態度に深く傷つき、恨みを募らせた。そんな母親に何か感じろという方が無理があった。父も母も紀和を棄てたのだ。
 こうして紀和には必然的に兄しかいなくなった。兄は幼い頃から紀和をかわいがってくれたが、彼は彼で母のことで傷ついているようだった。昔の快活さは消え失せ、ほとんど笑わなくなった。
 だが、母が亡くなってから、兄は変わった。
 中三の夏休み、兄にとって何かがあった。
 今思えば四谷恵美里に再会したのだとわかるが、その頃の紀和には、受験生らしく勉強に打ちこみ始めただけにしか映らなかった。 
 ただ高校へ進学してからも、さらに兄は紀和に構ってくれなくなった。部活動を始めたのもあるのだろうが、帰宅も遅くなり、外出も増えた。叔母夫婦ともくだけた会話を交わしているのには、驚いた。
 そんな兄の変化についていけず、棄てられたと感じた紀和は、中学へ入学してからだんだん学校へ行けなくなり、ついには部屋にこもるようになった。そんな紀和を兄は怒ることなく、「無理に行かなくていいよ」と言うだけだった。こうして不登校になり、一年が経っていた。

 今年の四月、ゴールデンウィーク前に四谷恵美里が訪ねてきた。
 その日、兄がふたたび学校をさぼっていることを知った。朝、いつものように家を出たのを紀和も見ている。しかし恵美里の話では酷い風邪を引いて数日休んでいることになっていた。紀和はとりあえず話を合わせて「兄は今病院に行っていて、いない」と答えた気がする。
 その日のことを、紀和は怒りのあまり、よく覚えていない。
 まさか八年ぶりに有里子の娘に会うとは思わなかったからだ。しかも兄と付き合っているなどと。そんなこと到底受け入れられなかった。
 兄が両親のことをどう話したのか知らないが、恵美里は母親のことを何も知らないらしく、それどころか紀和と再会できたことを喜んだ。
 胸がひどくむかつき、気づけば紀和は恵美里に全てぶちまけていた。
 有里子と和之は駆け落ちし、それが原因で裕紀は精神を病み、あげく自殺したことを。
 恵美里は当然ショックを受け、足取りもおぼつかない様子で帰っていった。これで兄と彼女の仲は終わる。それで良かった。二人が付き合うなど許せない。許されないことだった。
 ところが数週間後、兄が恵美里を家に連れてきたのだ。
 その日、紀和は今のように自分の部屋にいた。知ってか知らずか、玄関で兄が恵美里に「紀和は中学校から帰っていない」と話しているのが聞こえてきた。
 紀和はしばらくすると部屋を出て、兄の部屋へ向かった。
 この家に引き取られた当初、兄の部屋も紀和の隣にあったが、高校入学を期に家の中心にある居間の近くに移った。その部屋には鍵を取り付け、自分がいない時は常に鍵をかけているようだった。
 紀和は悪いことだという自覚もなく、ドアに耳をつけて二人の会話を盗み聞いた。
 恵美里が兄にプレゼントを渡していたので、紀和は今日が彼の誕生日なのを思い出した。忘れていたことを恥じ入っていると、すぐにそれより聞くに堪えないやりとりが耳に入ってきて、紀和は震えあがった。
 兄は恵美里に愛を囁き、彼女を抱こうとしていた。
 立ち去ろうと思ったが、紀和はその場から動けなかった。打ちひしがれた紀和の目から涙が溢れた直後、恵美里が強く拒絶する声が聞こえた。
 恵美里は紀和から聞いた事実を無視できなかったようだ。恵美里が部屋から出ようとするのを感じて紀和はあわてて自室へ戻ったが、二人が別れたのは後日の兄の様子からわかった。
 それから八月の今日まで。兄の態度はおかしかった。
 表面上は何ら今までと変わりはない。叔父や叔母は気づきもしないだろう。
 ただ紀和にはわかった。
 表情が二つしかないのだ。笑顔か無表情のどちらかしか。
 そして時折、学校へ行くフリをして、どこかへ出かけるようになった。叔父たちの前では一度登校するのだが、二人が通勤でいなくなった後、戻ってくる。そして自室で何らかの支度をすると、ふたたび出て行くのだ。どこに行っているのか紀和には見当もつかなかった。
 兄は何かを計画していた。
 それが何なのかまではわからなかったが、その決行が今日だったのだ。
 まず紀和が考えたのは「家出」だった。
 だが落ち着いて考えるとそんな必要はなかった。家を出たければ、もうすぐ大学へ進学するのだから、その時でもいいだろう。
 何より、紀和を物理的に閉じ込めたのだ。部屋から出さないように。
 自分に見られたくないことをしようとしていたのではないか。
 あれからずっと叔母たちの気配を感じられないことも、紀和の不安を煽っていた。
 もしかしたら叔母たちも紀和のように閉じ込められているのかもしれない。あるいは――
 考えてもわからなかった。答えは部屋の外にしかない。
 そして、もう限界でもあった。トイレにも行きたかったし、このままでは誰も助けにこないだろうと薄々感じていた。
 紀和は雑然とした部屋の中から、小学生の頃使っていた習字道具を捜し出した。石製の重いすずりを上掛けで包むと、窓の磨りガラスに打ちつけた。
 三十分後、一ヶ屋紀和は叔父と叔母の遺体を発見する。
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