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第一章 恋愛
二
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三村真優はかわいらしい見た目に似合わず、ホラー映画や怖い話が好きだった。そのことにすっかり慣れている他の五人は、 目を瞑ったり、窓の外を眺めたり、菓子を食べたりとそれぞれ好きなことをしながらも、なんとなく彼女の話に耳を傾けていた。
思い出しながら話すからか、あちこち前後してはいたが、彼女の言う「都市伝説」とはこんな内容だった。
軽井沢は戦後発展した有名な別荘地の一つである。今では旧軽井沢と呼ばれる山中に元華族の豪奢な別荘があった。
タキコは別荘の持ち主の一人娘で、当時十八歳だった。
幼い頃から病気がちで特に呼吸器が弱かったこともあり、毎年春から夏にかけて両親と離れてこの別荘で静養することにしていた。
タキコは毎朝別荘の周辺を散歩するのが好きだった。
朝は冷えるので両親の英国土産のフードがついた深紅のローブを羽織っていた。その可憐な姿に「まるで赤ずきんのようだ」と別荘の使用人たちは目を細めるのだった。
ある朝、考え事をしていたタキコはいつのまにか別荘の敷地を出て下の道路を歩いていた。白く立ち込めた霧のため一メートル先も見えない。しかし別荘周辺はタキコにとって勝手知ったる場所だった。すぐに戻れると思った。
タキコは少し遠くへ足を伸ばしてみることにした。振り返るとタキコの別荘はすっかり霧に溶けこみ、見えなくなっている。
若干不安になったタキコの目の前をいきなり猛スピードで何かが飛び出してきた。タキコは反射的に避けたが、反動で山の斜面に身体をぶつけ、そのまま座り込んでしまった。
飛び出してきた赤い三輪自動車は数メートル先で止まると中から誰かが降りてきた。
タキコは美しい娘であったが、まだ恋を知らなかった。
そのとき慌てて彼女に駆け寄ってきた青年は、粗野だが美しい顔立ちをしていた。一目で彼女は青年に魅了された。
相手も同じだったようで、彼は車でタキコを別荘まで送り届けるとまたどこかで会えないかと誘った。
それからタキコは朝の散歩と称して山の中腹にある小さな湖まで足をのばし、そこで青年と逢瀬を重ねた。青年は界隈の別荘に食材等を配達する、いわゆる御用聞きだった。互いに住む世界が違うのはわかっていたが、二人はなおのこと離れがたい気持ちを深めていく。
避暑客たちが続々都会へと戻っていき、夏の休暇は終わろうとしていた。タキコも両親が迎えにくることになっていた。
両親が来る前の晩、タキコは青年を別荘へ誘った。別荘用に雇われていた使用人たちも全て郷里へ戻り、その晩泊まっていたのは実家の使用人である初老の男ただ一人だ。
青年を別荘へ招き入れることが何を意味するか、タキコにもわかっていた。都会に帰れば、ろくに会ったこともない許婚との結婚が控えている。ならば最初は好きな男に抱かれたかった。
夜半を過ぎた頃、使用人には内緒で一人で玄関扉を開けたタキコは青年を出迎えた。
タキコを襲った運命は残酷なものだった。
客は青年だけではなかったのだ。彼の隣に同じ位歳若く、さらに体格の良い男が立っていた。
その男は寝ぼけ眼で様子を見に来た使用人を猟銃で躊躇せずに撃ち殺した。青年は蒼白で動けなくなっているタキコの腕を乱暴に掴むと、無理矢理彼女の部屋へと案内させた。
青年が恐怖と混乱で震えるタキコを陵辱している間、仲間の男は金目の物を赤い三輪自動車に運び込んだ。
はじめから別荘の強盗が目的で自分に近づいてきたのだとタキコが気づいた頃には、もう一人の男が彼女にのしかかってきた。
するとタキコは呼吸困難を起こして、死んでしまった。
死に顔をさすがに直視できなかったのか、青年は部屋にあった彼女の赤いローブを遺体にかけてから別荘を出ていった。
そして現在――この別荘地で淫らな行為にふける若い男女は、赤いローブ姿のタキコの怨霊に斧で斬り殺されるという……
「それがオノタキコさんの伝説」
真優が話を締めくくると、彼女の向かいに座る勇斗が顔をしかめた。
「酷い話だな。それで終わり? しかも男たちは祟られないの? 一番悪いのはそいつらじゃないか」
「真面目に返すなよ、二階堂。都市伝説なんて作り話だ。何の因果もない若者が殺されるのはホラー映画じゃ常套句だろ」
隣の秀人が半ば呆れた顔で勇斗に言う。そんな二人の会話に晶が「ははは」と乾いた笑いを被せた。
「私は笑えなかった、真優。女性がそんな目に遭うの、作り話でも聞いてていい気持ちじゃないし」
紗希がシート越しに真優の方へ身を乗り出すと眉根を寄せて言った。それに対し、真優はいたずらが見つかった子供のように軽く舌を出して謝る。
「そっか、ごめん。でもネットに書いてある通りなんだもん~」
「まあ、たしかにちょっと趣味悪いかな、真優。でも時間つぶしにはなったかな。ほら、ちょうど駅に着く。みんな降りるから仕度して」
晶の声で、皆、頭上の棚から各々の旅行カバンを下ろしはじめた。
そんななか恵美里は、無意識だが膝に乗せた自分の鞄を両腕できつく抱きしめていた。
頭の中で、あの日のことが鮮烈に思い出される。
傷ついたような、晶の表情。追い縋る言葉。あの日、晶を拒絶したのは、決して彼が嫌だったからではない。
思い出したのだ。彼女が昔見たことが、どういう状況だったのかはっきりわかったからだ。
そして自分たちが今まで通り付き合うことは出来ないと思った。
初恋に裏切られ、酷い目に遭ったタキコの話を恵美里は作り話と聞き流せなかった。
もちろん晶は恵美里を酷い目にあわせてなどない。ただ、彼は恵美里に隠していたのだ、大切なことを。
思い出しながら話すからか、あちこち前後してはいたが、彼女の言う「都市伝説」とはこんな内容だった。
軽井沢は戦後発展した有名な別荘地の一つである。今では旧軽井沢と呼ばれる山中に元華族の豪奢な別荘があった。
タキコは別荘の持ち主の一人娘で、当時十八歳だった。
幼い頃から病気がちで特に呼吸器が弱かったこともあり、毎年春から夏にかけて両親と離れてこの別荘で静養することにしていた。
タキコは毎朝別荘の周辺を散歩するのが好きだった。
朝は冷えるので両親の英国土産のフードがついた深紅のローブを羽織っていた。その可憐な姿に「まるで赤ずきんのようだ」と別荘の使用人たちは目を細めるのだった。
ある朝、考え事をしていたタキコはいつのまにか別荘の敷地を出て下の道路を歩いていた。白く立ち込めた霧のため一メートル先も見えない。しかし別荘周辺はタキコにとって勝手知ったる場所だった。すぐに戻れると思った。
タキコは少し遠くへ足を伸ばしてみることにした。振り返るとタキコの別荘はすっかり霧に溶けこみ、見えなくなっている。
若干不安になったタキコの目の前をいきなり猛スピードで何かが飛び出してきた。タキコは反射的に避けたが、反動で山の斜面に身体をぶつけ、そのまま座り込んでしまった。
飛び出してきた赤い三輪自動車は数メートル先で止まると中から誰かが降りてきた。
タキコは美しい娘であったが、まだ恋を知らなかった。
そのとき慌てて彼女に駆け寄ってきた青年は、粗野だが美しい顔立ちをしていた。一目で彼女は青年に魅了された。
相手も同じだったようで、彼は車でタキコを別荘まで送り届けるとまたどこかで会えないかと誘った。
それからタキコは朝の散歩と称して山の中腹にある小さな湖まで足をのばし、そこで青年と逢瀬を重ねた。青年は界隈の別荘に食材等を配達する、いわゆる御用聞きだった。互いに住む世界が違うのはわかっていたが、二人はなおのこと離れがたい気持ちを深めていく。
避暑客たちが続々都会へと戻っていき、夏の休暇は終わろうとしていた。タキコも両親が迎えにくることになっていた。
両親が来る前の晩、タキコは青年を別荘へ誘った。別荘用に雇われていた使用人たちも全て郷里へ戻り、その晩泊まっていたのは実家の使用人である初老の男ただ一人だ。
青年を別荘へ招き入れることが何を意味するか、タキコにもわかっていた。都会に帰れば、ろくに会ったこともない許婚との結婚が控えている。ならば最初は好きな男に抱かれたかった。
夜半を過ぎた頃、使用人には内緒で一人で玄関扉を開けたタキコは青年を出迎えた。
タキコを襲った運命は残酷なものだった。
客は青年だけではなかったのだ。彼の隣に同じ位歳若く、さらに体格の良い男が立っていた。
その男は寝ぼけ眼で様子を見に来た使用人を猟銃で躊躇せずに撃ち殺した。青年は蒼白で動けなくなっているタキコの腕を乱暴に掴むと、無理矢理彼女の部屋へと案内させた。
青年が恐怖と混乱で震えるタキコを陵辱している間、仲間の男は金目の物を赤い三輪自動車に運び込んだ。
はじめから別荘の強盗が目的で自分に近づいてきたのだとタキコが気づいた頃には、もう一人の男が彼女にのしかかってきた。
するとタキコは呼吸困難を起こして、死んでしまった。
死に顔をさすがに直視できなかったのか、青年は部屋にあった彼女の赤いローブを遺体にかけてから別荘を出ていった。
そして現在――この別荘地で淫らな行為にふける若い男女は、赤いローブ姿のタキコの怨霊に斧で斬り殺されるという……
「それがオノタキコさんの伝説」
真優が話を締めくくると、彼女の向かいに座る勇斗が顔をしかめた。
「酷い話だな。それで終わり? しかも男たちは祟られないの? 一番悪いのはそいつらじゃないか」
「真面目に返すなよ、二階堂。都市伝説なんて作り話だ。何の因果もない若者が殺されるのはホラー映画じゃ常套句だろ」
隣の秀人が半ば呆れた顔で勇斗に言う。そんな二人の会話に晶が「ははは」と乾いた笑いを被せた。
「私は笑えなかった、真優。女性がそんな目に遭うの、作り話でも聞いてていい気持ちじゃないし」
紗希がシート越しに真優の方へ身を乗り出すと眉根を寄せて言った。それに対し、真優はいたずらが見つかった子供のように軽く舌を出して謝る。
「そっか、ごめん。でもネットに書いてある通りなんだもん~」
「まあ、たしかにちょっと趣味悪いかな、真優。でも時間つぶしにはなったかな。ほら、ちょうど駅に着く。みんな降りるから仕度して」
晶の声で、皆、頭上の棚から各々の旅行カバンを下ろしはじめた。
そんななか恵美里は、無意識だが膝に乗せた自分の鞄を両腕できつく抱きしめていた。
頭の中で、あの日のことが鮮烈に思い出される。
傷ついたような、晶の表情。追い縋る言葉。あの日、晶を拒絶したのは、決して彼が嫌だったからではない。
思い出したのだ。彼女が昔見たことが、どういう状況だったのかはっきりわかったからだ。
そして自分たちが今まで通り付き合うことは出来ないと思った。
初恋に裏切られ、酷い目に遭ったタキコの話を恵美里は作り話と聞き流せなかった。
もちろん晶は恵美里を酷い目にあわせてなどない。ただ、彼は恵美里に隠していたのだ、大切なことを。
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