キラー・イン・レッド〜惨劇の夜〜

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第一章 恋愛

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「大丈夫?」
 その声に四谷恵美里よつや えみりは、新幹線の窓へ無意識に預けていた頭を上げて五十嵐紗希いがらし さきを見た。
 心配そうな紗希のまなざしに気づくと、あわてて首を振る。
「そう? なんだか顔色悪く見えるけど」
 少し疑うように見つめる紗希の顔色は反対にとても健康的に見えた。
 八月に入ってから会ってなかったが、うっすら日焼けしたようだ。ベリーショートの髪も染めたように色が抜けている。大学へ進学するから夏休み中ずっと塾通いだと聞いていた。
 ただ、紗希は恵美里と違って男女ともに友人が多かった。だから知らないうちに遊びにも行ったのかもしれない。べつに誘って欲しかったわけではないが、そのくせ気にしている自分が恵美里は嫌になった。
「平気。前の晩、少し眠れなかっただけ」
 無理に笑ってみた。同時に口紅くらい塗ってくればよかったと思う。
 プチプラだがファンデやチークなど一通り持っていたが、恵美里は普段からほとんど化粧をしなかった。今回も旅行なのにいつもの色付きリップくらいしか持ってきていない。
 一方の紗希もあまりメイクはしない方だ。ただそれは顔立ちがはっきりしすぎているかららしい。舞台役者みたいになったから諦めたと紗希は言うが、それは彼女にメイクのスキルがないだけでプロが施せばきっとモデルみたいに美しく仕上がるはずと恵美里は思う。自分ののっぺりした典型的な日本人顔と比べて、つくづく羨ましかった。
「大丈夫か? 酔ったんじゃないの?」
 紗希と背中合わせの席から二階堂勇斗にかいどう ゆうとが立ち上がると、一八〇センチの上背を折り曲げるようにして恵美里の顔をのぞきこんできた。
 勇斗の肌は紗希より日に焼けていた。たしか夏休み中に合宿免許を取りに行くと聞いていたのを恵美里は思い出す。
「本当に何でもないってば。具合も悪くない。そういえば、勇斗は免許取れたの?」
「あ、うん。なんとかね」
「そっか。おめでとう!お祝いしないとね」
「やだ、なんで黙ってたの? 今晩はお祝いだね」紗希も手を叩く。
「いや……そんな自慢するもんでもないし」
 勇斗は二人の反応に照れたのか顔を隠すように短めの前髪をかき混ぜた。背と同じく大きな手だった。
 目が細いせいか、眼光が鋭く見える。初対面では怒っているのかと誤解されやすかった。だから大きめの口でゆっくり話し始めると強面の印象がすごく和らぐ。本当は大らかな性格なのだ。
「なんかさ、顔色あんまり良くないのはホントだし。無理するなよ?」
 ふたたび自分に矛先が向いたので、恵美里は驚いた。わずかに彼女の顔へ勇斗の手が伸びてきた気がしたが、寸前で引っ込んだ。どうかしたのかと恵美里が見る前に勇斗は自分の席に戻ってしまった。
「なに、何、どうかしたの? 恵美里」
 その勇斗と向かい合わせの席から三村真優みむら まゆが問いかけてきた。
 渋谷のヘアサロンでライトブラウンにカラーリングされたばかりの真優の髪はツヤツヤに輝いている。デジタルパーマをかけた毛先が、彼女が動く度に肩の上で揺れた。
 うっかり日焼けなどしたことはないだろう透き通る白い肌にアイライナーでしっかり縁取られたつぶらな瞳。豊かな胸と対照的にくびれた腰といい、真優を見ると子供の頃友だちが持っていたバービー人形を恵美里は思い出す。
「ううん、少し寝不足なだけ。ごめんね、心配させて」
 背中合わせに座る六郷秀人ろくごう しゅうじの頭越しから顔をのぞかせると恵美里は答えた。
「駅に着いたらスーパーで買出しをするけど、恵美里は休んでればいいよ」
 秀人の向かいの一ヶ屋晶いちがや あきらがそう言って恵美里を見た。
 彼と目が合ったが、恵美里は逃げるように背を向けるとシートに腰を落とした。変わらぬ優しいまなざしに胃の辺りがキリキリと痛む。
 晶とは夏休みに入ってから一度も会ってなかった。彼も大学を受験組だし、毎日塾通いだったのだろう。色白のきれいな肌は休み前と全く変わらなかった。ただ艷やかな黒髪は眉が見える程度には短く切ったようだ。
 どこか高貴な感じのする見た目どおり、悠然と座っている。真っ白なシャツにダークグリーンのストレッチパンツというシンプルな服装でも、まるでファッション誌の一ページのように決まって見えた。座面に背を預けてはいても膝から下は長い脚を投げ出すことなく、自分側に引っ込めていた。前の秀人を気遣ってのことだろう。そういうところは彼らしく、好きだった。
 ほんの一瞬見た彼の姿が写真のように恵美里の目に焼きついていた。
「四谷、よければ席代わるよ?」
 秀人が立ち上がると恵美里に声をかけた。恵美里も腰をわずかに浮かせて彼を見上げる。
 左手はシルバーフレームの眼鏡に触れていた。鼻の付け根があまりないためか眼鏡がずれるのを直す動作は、もはや秀人にとって無意識らしい。
 恵美里は秀人の善意をわかってはいたが、ここまでの皆とのやり取りで返事をするのが少し億劫になってきていた。そこを笑顔で答える。
「ありがとう。でも秀人くんの席、進行方向と逆だよね? かえって酔っちゃいそうだから……遠慮しとく。ごめんね」
「そうか。僕は平気だけど。誰かさんがずっと喋ってるせいか、気が散ってね」
 秀人は真優の方を一瞬見た。
「えぇ? 誰かさんって、もしかして私? ひどいなぁ~、秀人くん」
 真優がツヤツヤに光るピンクの唇を尖らせて言っているのが、見えなくても恵美里にはわかった。加えて彼女の横で晶が軽く笑ったことも。恵美里は目を伏せ、わからないように小さくため息を吐いた。

 高校三年生の最後の夏休み。六人は長野県の軽井沢へ向かう列車の中にいた。これから二泊三日、晶の親が所有する別荘で過ごす。
 話が出たのは学期末試験が終わって夏休みに入る数日前のことだった。
 放課後に晶がほかの五人を学校近くのファミレスへ呼びだした。彼が自分から招集するのはかなり珍しいことだった。そのせいかはわからないが、ほぼ時間通りに全員が集まった。
 夏休み最後の週、別荘へ遊びに行かないかというのが晶の提案だった。
「受験生ったって、三日位は空けられるだろ? みんな一緒に遊べるのも……これで最後かもしれないしさ」
 たしかに晶の言う通りだった。夏休みが明ければ次の休暇は年末年始だし、そこは当然追い込み時期となる。願掛けに初詣くらいは行くかもしれないが、それも全員揃うかわからない。
 勇斗と秀人はさっそく誘いに乗った。秀人は塾の予定などの調整が必要だったが、勇斗は就職のため免許を取りに行く以外は特に予定はないらしい。紗希も受験組だが行くのは問題ないと答えた。
 最初から行く気満々な様子の真優は、恵美里以外が全員行けるとわかると「恵美里は? 無理そう?」とテーブル越しに上目遣いで聞いてきた。
 恵美里は今でも真優に直接声をかけられると身構えてしまうところがあった。だが晶と彼女が一緒に行くとなると、自分も行けないものかと考え始めた。今現在、自分から晶を避けているのに我ながら勝手なものだと思う。
 とりあえず恵美里は「無理かも」と答えた。
 金銭的な理由だった。父子家庭の恵美里の家は、あまり余裕があるとは言えなかった。晶が「電車賃だけあれば大丈夫だよ」と言ったが、新幹線だけだとしても往復で一万円以上かかる。
 すると紗希から「お父さんに聞くだけ聞いてみれば?」と言われた。「私も恵美里と一緒に行きたいし」そこまで言われると恵美里の心はさらに揺れる。何より自分以外のみんなが行くのは寂しかった。
 そこで恵美里がダメもとで話を切り出すと意外にも父親の恵介けいすけは承諾した。卒業後は就職する予定の娘に「このぐらいしかできないから」と旅費として五万円もくれた。これだけ貰えれば皆と同じく食費を負担することも出来る。恵美里は安堵した。一方で恵美里は一緒に行く友だちが半分は男子だということは内緒にしていた。そんなことを言おうものなら恵介は必ず反対するからだ。

 こうして現在、新幹線の車窓を高速で流れる景色を恵美里はぼんやり眺めていた。
「あとでちゃんと教えてよね」
 隣の席の紗希が恵美里に耳打ちした。
「何を?」
「とぼけないで。晶と何かあったんでしょ? ケンカでもしたの?」
 紗希が気づいていないわけなかった。わかっていたはずなのに恵美里はすぐに返事出来なかった。
 何から話せばいいのかわからなかったからだ。

 恵美里と晶は二年生の夏からつきあっていた。
 夏休み明けに晶が「付き合うことになった」と告げても周囲は特に驚くこともなかった。「そうなると思ってた」という反応だった。どうやら二人の間にはわかりやすい空気が醸し出されていたらしい。
 なのに張本人の恵美里だけはなかなか実感が持てなかった。地味な自分が、クラスで、いや学年で一、二を争うような美男子の晶に好かれているとは思ってもみなかったのだ。
 それでも二人は半年ほど順調につきあっていたが、今年の五月、あることがきっかけで距離を置いていた。ただ二人はそれをほかの四人に伝えていなかった。
 だからひさびさに会った今日、恵美里が向かい合わせにしたボックス席の方ではなくて二人席に紗希と並んで座ることを選んだ時、周囲は一瞬驚いた様子だったが、特に何も聞いてこなかった。何より晶が何も言わなかったからだ。
 四人を気遣わせてしまったことに恵美里は若干の心苦しさを感じないでもなかったが、それでも旅行じたいは素直に嬉しかった。
 彼らとは二年生で同じクラスになった時からの恵美里の友人だった。三年生でクラスが分かれてからも試験勉強をしたり、帰りに遊びに行ったりと何かと集まっていた。
 晶は子供の頃の幼馴染だが、高校で偶然再会した。勇斗とは一年生のときから同じクラスだ。二人はともにバスケ部で、そのマネージャーだった紗希とも自然と話すようになった。紗希は今では恵美里の一番の親友だ。
 秀人とは二年生で一緒にクラス委員をやったことから親しくなった。秀才のイメージで実際成績も良かったが、話してみると興味の幅が広くて面白いことがわかり、恵美里を通して紗希たちとも仲良くなった感じだ。
 そして真優だが、彼女は恵美里にとっては複雑な相手だった。
 真優は一年生の時に晶と同じクラスで、二人はつきあっていた。二年生になる前には別れたらしい。短い期間の交際でお互い何のわだかまりもないと言うが、真優は今でも晶に親密な態度をとっていた。それは恵美里と晶がつきあいだしてからも変わらなかった。晶は「気にするな」と言うが無理な話で、正直恵美里はすごく嫌だった。
 ただ、今の恵美里は真優が晶の隣でベタベタしていようと、どうこう言う資格はないと思った。自分から晶に「距離を置きたい」と言ったのだから。
 
「恵美里? 聞いてる?」
 紗希の声に恵美里はわれにかえった。
「うん。……後で話すよ」
 もともと紗希には話すつもりだった。
 恵美里と晶が微妙な関係なのを紗希はだいぶ前から気づいているのだろう。ただ全てを話すことは無理だった。恵美里と晶の間にあった真実はとても重く、彼女自身いまだに受け止めきれていないのである。
「ねえ。軽井沢と言えば、こんな都市伝説があるんだ」
 ボックス席の方から真優の声が聞こえてきた。
「都市伝説?」と晶の問い返す声に真優が答える。
「そう、聞いたことある? タキコさんの話」
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