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31.やっと……

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 それから、瞬く間にひと月ほどの時間が過ぎた。
 王城の中庭で、青い空の元早春の気配を運ぶ風が、メルの髪を弄ぶ。
 まだ肌寒くはあるが、陽射しは温かく、メルはしばしそれを背中に受け、じんわりとした温かさを楽しんでいた。

「行っておいで」
「チュイ!」

 傷が治り元気になったチタを放してやると、彼は木々の隙間に消えてゆく。やはり人馴れしているといっても、自然の中が彼の居場所なのだ。

 それを見送るメルの背中を、名前を呼ぶ短い声が叩いた。

「メル」
「ラルドリス様」

 顔を上げると、肩が触れ合うほどの隣に並び、覗き込むようにしてきたラルドリスと目が合う。

「済まなかったな。あれから忙しくて、十分に相手もしてやれなくて」
「いえ、私は嬉しいですよ。ラルドリス様が臣下の方と楽しそうに話しているのを見れて」
「……本当に、すまん」
「やだな、別に嫌味とかじゃなくて、本心です」

 なんだかどうも無理をしたような笑い方になってしまうメルを、ラルドリスは抱き締め、背中を撫でてくれた。

「大丈夫か?」
「ええ……」

 こうして彼がメルを心配するのは、ティーラの件があったからだ。

 あの後、彼女はザハールとの企てを洗いざらい話し……これは自分個人の裁量でやったことで、実家に関しては関係ないと主張した。

 王族に対しての愚挙を重く見られたことにより、事件は優先的に処理され終身刑という判決が下った。本来死罪判決がふさわしいところを、ジェナやラルドリスが内々に収めるよう働きかけたのだ。

 だがマーティル侯爵家についてはそのままではすまされるわけにもいかず、所領の一部を国へ返還させるという処分が下ったその数日後。

 ティーラは獄中で冷たくなった状態で発見された。
 どうやら、小さな髪留めに細工をしていたらしく、そこに隠した毒薬を口に含み命を断ったらしかった。傍らには【自分の遺体は野にでも打ち捨て、決して侯爵家に返さぬようお願いしたい】と一筆が添えられ、死に顔は安らかだったという。

 ラルドリスの恩情でその遺体は王城の一角にある墓地に埋葬された。メルは埋葬の時だけそれに立ち会い、以後は一度も寄れていない。なんとなく姉がそれを望まない気がしたから。気持ちが落ち着けば花を供えたいとも思うが、それが、いつになるかはわからない。
 
「ならばなにも言うまいな……。さて、少し座って話でもしないか?」
「いいですけど、改まってなんです?」

 ラルドリスは一角にある木製のベンチを指差す。
 メルは素直に従い、彼の隣に腰掛けた。

「ザハールは、ティーラが死んだことを聞いて、愕然としていたよ。今回の事件を主導していたこともあり、身分を剥奪されて僻地へと送られ、長く労役に就かされるのだそうだ。魔術師も一緒にな」
「……いつか彼らは、本当のことを話し合える時が来るんでしょうか」
「わからないな、それは……」

 他にも、彼に加担していたベルナール公爵他数名が税金の横領など罪を自白した。彼らは身分の剥奪や資産の没収を受け、それらは被害に遭った民たちに順次返還されるとのこと。

 それぞれが優先するもののために戦い、訪れた結末。しかしそこからもまた物語は続いていくのだ、生きている限り。

「ここからが、正念場だな」

 ラルドリスは両手を上に伸ばし、体をほぐす。
 ひと山は越えたものの、これからまた彼は終わらない戦場へと踏み出さねばならない。近隣国との関係や、自然災害、疫病……尽きない問題から多くの人の幸せを守る為に、この国の顔として矢面に立ち続けることを決めたのだから。

 しかし彼に後悔や憂いはなさそうで安心していると、その顔がこちらを急に向く。

「と、いうことで、メル……改めてお前に問おう。俺と共に、この国を繁栄させる手助けをしてくれないか。これからも」

 ラルドリスははメルの手を掴み、生き生きとしたまなざしで頼み込んできた。
 ぐっと顔と顔が近付き、間近に迫った鮮やかな朱の目に耐え切れず、ついメルは言葉を濁す。

「でも、私は一介の魔女でしかありません。こんな場所に残るには不相応ですよ」
「なにを言っている。今回の事件の一番の功労者はお前だ。魔術師を倒して俺の命を守り抜き、ザハールたちの罪を認めさせた。国としても、然るべき場にて相応の褒賞を与えるべしという声が大きく上がっている。それにな……」
「私別に、お礼なんて……」
「ちゃんと伝わってないな。ああもう……まどろっこしい、聞いてくれ……!」

 元々が自分のけじめを付けるためにここまで付いてきただけなのだ。
 あまりぴんと来なくて気のない返事を返すメルに……ラルドリスはチラチラと周りに人影のないことを確認すると、咳払いして呼吸を整え、はっきりと言った。

「頼む!! 一緒になって、ずっと傍で俺を支えてくれ!」
「えぇぇ――――――!?」

 思いもしない言葉にあげた悲鳴が空を突き抜けてゆく。メルは慌てて声を潜めた。

「な、なにを馬鹿な……! ひどい冗談はやめてください!」

 すぐさま訂正を求めるが、ラルドリスはまったく引きそうにない。捧げ持つように握ったメルの手を離さず、一瞬たりとも目線を逸らさなかった。

「からかうならもうちょっとうまくやってる! 何度でも言うぞ、俺はお前に惚れたんだ。決して、お前が特別な力を持っているからとかじゃなくな。誰も見向きもしなかった俺にたくさんのことを教え、ここまで導いて守ってくれた……そんな女性を、好きになってなにがおかしい。今度は俺が傍に居てお前を守りたいんだ。お前を、ずっと笑顔でいさせてやりたい……」

 情熱的な告白に、メルの顔がみるみる赤くなる。だが、彼女はその手を自分の方に引き戻すと……突き放すようにラルドリスを睨みつける。

「一度冷静になって考えてみてください……! 私はもう侯爵家の娘でもなんでもないんです。そんな人間があなたのような人とどうやって結ばれるんです!」
「そんなものどうとでもしてやるさ! 王族の権力を舐めるなよ、シーベルだってボルドフだって、母上もきっと協力してくれる! それともなにか、お前は俺のことが……嫌いなのか?」
「……そんなわけ、ないじゃないですか」

 耳の垂れた犬のようにしょんぼりしたラルドリスの姿がなんとも庇護欲をそそり、メルは不敬だと思いつつもその頭を撫で、抱き締めた。

 絹糸の様に滑る金の髪が指の間をさらさらと流れる。一度触れてしまうと……胸の中が、今まで感じたことのない愛おしさで溢れてしまう。

「大好きですよ、ラルドリス様。あなたのその真っ直ぐなところが……。私は、本当は疑いの強い人間なんです。でも、あなたのことは不思議と信じられた。最初からこの人に力を貸してあげたいとそう、思えたんです」
「ずるいよお前は……。そういうところをおくびにも出さないくせ、いつもけなげにこっちを気遣って。お前がひとり寂しく森に帰るところなんて、見たくない。ずっと俺の傍にいろ」
「ぁ……」

 気付けば、ラルドリスの唇がメルのものを塞いでいた。

 それは互いに生まれて初めてなのか、上手なものではなかったけれど――温かく柔らかい感触と同時に、互いを想う感情が流れ込み、混ざり合う。掴まれた手からも同じリズムの脈動が伝わり、まるで不可分の存在になれたかのような安らぎが、体を支配する……。

 静かに唇を離した後も、ふたりは満ち足りた気持でずっと、身体を離さずにいた。
 木立の陰が伸びてゆくのを眺めながら、ラルドリスはメルの耳元で呟く。

「離れて欲しくないんだよ、大事な人は。お前、一言も言ってくれなかったな。寂しいんだって……」

「…………どうして分かったんですか」
「道中、時折ぽっかり穴が空いたような目で、どこかを見つめていたな。御祖母殿のことを、思い出していたんだろう?」

 祖母を亡くした事実を、本当は受け止められていなかったこと。
 どうしてか涙を流し、悼むこともできなくて。悲しみと向き合わず月日に任せ、忘れ去ることを選ぼうとした。そんなこと、できるはずがないのに。

 だが今は、その存在がいつでも、傍らにいると知ることができた。
 その事実はメルにとって嬉しくもあり、同時に触れ合うことのできないつらさを、より大きく膨れ上がらせた。
 祖母に、会いたい――。

「代わりには決してなれないけど、俺がいる。安心して素直な気持ちをぶつけろ。お前がどうなろうと、すべて受け止めてやる」
「っ……うぅ――」

 それは、メルの目から、口から、形にならない想いとして溢れてくる。
 無意識に堪えようとしてしまうメルの身体をラルドリスの力強い腕が掴む。それは教えてくれた。もう、押し隠す必要なんてないのだと……。

「うぅぅ……あぁぁぁぁっ! おばあちゃぁん……。私……なんにもしてあげられなかった! 大好きだったのに、もう二度とっ、会え、ない……!」
「…………」

 ひとりではずっとできなかったことが、やっとできた。
 まるで赤子の様に泣きわめくメルを、ラルドリスは黙って抱え、守ってくれている。

 日が翳り、空気が冷たくなっても……彼はずっとそこにいてくれた。
 その温もりが、どうして人が繋がりを求めずにはいられないかを、メルに教えてくれた気がした。
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