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20.正妃ジェナ

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(お城の中って、こんなにも静かなものなのね……)

 国王の居室に立ち入りを許されたのは、ラルドリスと、その従弟であるシーベルのみ。メルは警護の兵が守る扉の近くで、ボルドフと共に謁見が終わるのを待つ。

「すまぬな、息が詰まるだろう」
「えっ、いえ……」

 一瞬なんのことを、と思うが、恐らく城の雰囲気がよくないことを言っているのだ。
 困った顔をしたメルに、ボルドフは哀愁の漂う顔でじっと、居室を見つめた。

「王が病に臥されてから、ずっとこうなのだ。臣下の誰もが、国の先行きを憂い、気持ちを沈ませておる」

 話しかけてくれたことでなんとなく気分は紛れたが、彼とは会ったばかりで話す話題に迷うと、メルはあの扉の向こうで病と闘っている国王――ラルドリスの父について尋ねた。

「モゼウ伯爵……いったい陛下は、どんな御方だったのかお聞きしてよろしいですか?」
「ボルドフで構わんよ、そうさな……」

 すると彼は意外そうに眉を上げ、彼の知る範囲で国王の人物像を話してくれる。

「強い志を持ったお方であったな。彼が生まれた時は、この大陸では一小国にしか過ぎず、権威を持たなかったこの国を大きくしようと、若い頃から必死であった。国を栄えさせれば、周辺国からの無茶な要求や侵略にも対抗できると、寝る間も惜しみ政務に励んでいた」

 どこまでが国王の裁量で、どこからが各領主の裁量にに任せられるのかメルには分からないが、おそらく手を入れようとすれば、そして優秀であればあるほどに、すべきことは無限にあるのだろう。

「よく言っておったよ、『私は王となるべく生まれた。だからこの身を国に捧げるのは、当たり前のことなのだ』と。そういう人物には感化されるものだ。我々もまた、彼を盛り立てようと一丸となって仕事に励むことができだ。あの頃は本当に充実し、城内にも活気が溢れていた……しかし」

 その頃から、ずっと彼を支えてきたのだろうか、ボルドフは目を細め、眉間に皺を重ねた。

「生き急ぎ過ぎたのだな。無理が祟ってしまい、体を壊してしまわれた。ふたりの御子の成長を見届けられぬままに。残念でならぬ……儂は今になって思うのだ。ふたりの御子にあえて継承順位を定めなかったのは、その重責を兄弟で分かち合い、自分のようにならないことを願ってではなかったのかと……」

 そうあるべく生まれたのだと自分で生き方を定め、周りのために命を削って人生を駆け抜けていく。そんなひとりの王の背中がメルの頭にも浮かぶ……。

 その大きな背中はきっと、多くの人々に夢を見せたのだろう。

「――ふぅ。すまない、待たせた」

 扉がカチリと開き、ラルドリスたちが姿を見せた。

 容態が思わしくないのだろうか。彼の表情は、疲れたように青白く沈んでいた。
 彼は旅の間、父親のことをほとんど話さなかった。きっと忙しくて、あまり交流を持った記憶がないのだろう。病に臥す父は、彼の目に一体どう映ったのか。

「どう……でした?」

 わずかなりとも気持ちに寄り添えればと話しかけたメルに、ラルドリスは珍しい苦笑で応える。

「残念ながら、生きているのが不思議なくらいだったよ。少し……後悔している。もっと早く俺が、自分と向き合えていたならば……。父とはちゃんと話してみたかったな。彼がどんな未来を思い描いていたのかを聞かずにいたのが……それを引き継いでやれないとしたら、残念だ」

 友として、悲しむラルドリスを励ましてやりたい、その一心でメルは一生懸命言葉を探し、彼に語り掛ける。

「あなたのお父様は生涯をかけて、一生懸命この国に、多くの希望の種を蒔いてくれたんだと思います。それは多分、ボルドフ様や、近くにいた周りの人々がよく知っているはずです……よね?」
「……む、そうだな。その通りだ。あの方のお姿は忘れようとしても忘れられぬ」

 突然言葉を振られたボルドフも、上手く話しを合わせてくれた。

「なら、きっと大丈夫です。お父様のやりたかったことは皆が覚えていますから。ラルドリス様はこれから、多くの人々と話し、味方を作られる。その過程がきっと、お父様の願いを知る道標になることでしょう」
「そうかもしれないな……」

 足を止めじっと考えたラルドリスは、景気づけるように自分の頬をぴしゃりと叩き、先程より清々しい表情で前を向く。切り替えが早いのは、彼のいいところだ。

「沈んでいる暇がもったいないな、俺もそれが知りたい……。よし、ボルドフ! 母の元へ案内を頼む! 俺の帰還を知らせ、安心させてやりたいからな」
「ならば、こちらへ。今のあなたの姿を見ればお母上もお喜びになられましょう」

 足取りが軽くなったラルドリスを見て口元を綻ばせるメルに、後ろに控えていたシーベルが礼を言った。

「ふふ、さすがはメル殿。もはやラルドリス様の扱いではあなたに敵いませんな」
「む……人を猛獣使いみたいに言うの、やめてくれません?」
「お前ら、なにをこそこそやってるんだか。特にメル、お前も母上に紹介するんだからちゃんとしろよ」
「私もですかっ――!?」

 ラルドリスがいきなりそんなことを言うものだから、他愛のない軽口が悲鳴にとって代わる。その恥ずかしがる姿が妙に笑いを誘い、これから難題に向かう一行の肩を大いに軽くした。





 正妃が捕らえられている貴人専用の牢は、王城の北側に突き立つ高い尖塔にある。その最上階の、鉄格子に出入り口をを遮られた広い部屋の奥で……。

 無事に過ごしている母の姿を目にして、ラルドリスは駆けていった。

「母上……!」
「ラルドリス!? ……戻って来てくれたのですか」

 正妃ジェナはラルドリスに似た髪と目の色をした、とても美しい女性だ。眉を下げ、控えめに笑むその顔立ちからは、穏やかな性質が感じられる。彼女は座っていた椅子から立ち上がると格子の奥から手を伸ばし、息子の頬を撫でた。

「ごめんなさいね。こういったことにならないよう、あなたを遠ざけようとしたのだけれど……」
「いいえ! あなたが謝ることなど一切ない! 悪いのは、罪をでっちあげ、あなたに着せたあいつらだっ! ボルドフ、母上をここから出してやることは出来ないのか!?」

 悔し気に格子を握りしめたラルドリスに、帯同していたボルドフは首を振る。

「申し訳ありませんが、御命令だとしても聞くことはできませぬ。いかに偽の罪である可能性があったとしても、正式に司法にて下された判断です。覆すには、それなりの証拠と手順が必要となるでしょう」
「姉上、御不自由をおかけして申し訳ありません」

 彼女の年の離れた弟であるシーベルも、済まなそうに頭を下げた。

「シーベル……私のことはいいの。でもね、手紙にも書いたでしょう? できれば、この子を二度とこの城へ戻さないでほしかったのだけど……?」
「重ね重ねお詫びいたします」

 自らが原因とは言え、強く望みを伝えていたのだろう。ジェナの悲しそうな目がシーベルを見つめ、ラルドリスが彼を庇った。

「いいや、責めないでやってください。ここに来たのはすべて俺の意思です。母上に産み育ててもらった恩を返し、ザハールとティーラを罰する。そして、俺はこの国を継ぎます! 他ならぬ自分自身でそうすると決めたのです」
「ラルドリス……。強い目を、するようになったのね。陛下と少しだけ似て来たわ」

 ジェナは痛ましそうにラルドリスを見つめた。

「こんな風に産んでしまったのは私だから、あなたには出来れば自由な選択を選ばせてあげたかったの。陛下は……ターロフ様は辛そうなのに、いつも無理をして笑っていたから。私には倒れてしまうまで、あの方の本当の姿を、弱い部分見せて貰うことが出来なかった。あの方だって、王としてではなく……ただひとりの人間として悲しみや喜びを打ち明けたい時だってあったはずなのに。あなたにはそんな風になって欲しくはないの」

 ジェナはラルドリスが玉座を継ごうとすることを、あまりよく思っていないようだ。
 しかし、彼は懸命に母に自分の気持ちを伝えた。

「母上……ほんの短い旅だったけれど、俺は城にたどり着くまでに、連れて来てくれた彼らに多くの経験をさせてもらったんです。世の中の人たちがなにを想い、どういうことをして、どれだけ日々を懸命に生きているのか。ここで行われている政務が、多くの人々のためにある、どれだけ大切で誇らしい仕事なのかを」
(ラルドリス様……)

 少し下がったところでそれを見つめながらメルは、脇目も振らず真剣に息子の言葉を聞く、母の姿を見ていた。
 きっと彼女はラルドリスの幸せだけを願い、この何事も自由にはままならない宮廷で来る日も来る日もどうすればいいかを悩んだのではないか。もしかしたら,王弟の娘として彼女自身も、長く城に囚われ自由を望んだ時期があったのかもしれない。

「そうかもしれないけれど……私にはあなたの身体の方がずっと大事だわ。なにも楯突かずとも、国政は兄君のザハール殿と、その周りの方々に任せればいいのではないの?」
「奴は元々、どこにいようと俺の命を狙うつもりだったようですよ。幾度もここまでに殺されかけることになりましたから」
「なんですって……!?」
「母上!」

 衝撃的な報告に正妃は青い顔をしてへたり込む。その彼女にラルドリスは隙間から手を伸ばした。

「大丈夫です。信用できる仲間……シーベルやボルドフ、それに……あいつが俺の身を守ってくれましたから。メル、こっちへ」
「えぁ!? えと、その……」

 急にラルドリスが振り向いて自分を示したので、たちまち挙動不審になったメルは、ぱたぱたと体の前で手を振った。そんな彼女をラルドリスは手招きし、王妃の元へ呼び寄せた。

「こいつは、メル・クロニア。フラーゲン領近辺にあるナセラ森に住んでいる……なんと、魔女なんです」
「魔女……様? こんなお若くて、可愛らしいお嬢さんが?」

「ご、御尊顔を拝謁でき、誠に光栄です……。ふ、普段はもっとそれっぽくしているのですが……。ええと、それでは――」

 今の彼女は登城するにあたり、フラーゲン邸で使用されている侍女の姿をしているから、そうとは見えないだろう。メルは自分が魔女であるという証明のため、魔法を使って見せることにした。

 とはいえ、メルの使う魔法は自然物以外には効果が低い。加工された木材や石床、鉄などはあまり自由に操ることができない。殺伐とした牢の中で命を宿すものは――。

「そうだ、そちらの花瓶に刺さった蘭の蕾を、ひとつ頂けますか?」
「これかしら? こんなものをどうするの?」

 正妃から鉄柵ごしにそれを受け取り両手で捧げると、メルは胸の中でまじないを唱える。

(『花の精よ……我が魔力を受け取り、世にも艶やかな姿をここに顕すがいい』)

 目を閉じたメルの手が淡く静かに輝き、光がゆっくりと茎の下方から伝ってゆく。
 やがて、それが蕾に達すると、見事な大輪の白蘭が花開いた。

「まあ、なんて素敵な一輪。まるで、内側から輝いているようだわ!」
「魔力を分け与えましたから、そのまま一月は元気でいると思いますよ。さあ、どうぞ」
「ありがとう……」

 ジェナはその花を嬉しそうに花瓶に戻すと、興味深そうにメルを見た。

「魔法を使う方には、私も初めて出会ったわ」
「ね、凄いでしょう? それだけではなく、こいつは俺の友人一号なんです! こう見えて中々頭もよく、勇気もあって、なにより信用できる自慢の友達だ。今回の旅で得た一番の収穫ですね」
「こう見えてっていうのは、どうなんですか? なんかひっかかるんですけど……」
「褒めてるのに揚げ足取るなよな」
「あらあら、本当に仲がいいのね」

 母親の前だというのについつい咎め合うふたりに、ジェナは嬉しそうにくすくすと笑う。そうしていると、貴婦人よりぐっと少女めいた印象になる。
 メルはなんだか女っ気のない自分が恥ずかしくなった。

「す、すみません。ご子息に無礼な口を聞きまして」
「いいんだよ、俺が許可したんだから。母上、こいつにも協力してもらって、絶対にあなたの潔白を証明しますから、出られるのを待っていてください」
「わ、私が居る間は、ラルドリス様に無理をさせないよう見張ってますから、ご安心を」

 そんな事を二人が言うと、ジェナはどこか安心した表情でメルを見つめた。

「まったく、この子は言い出したら聞かないんだから。でもよかったわ、この子が頼れる人を見つけてくれて。ありがとう、メルさん」
「いいえ、とんでもございません。それに私たちだけじゃなく、彼はきっとみるみるうちに、たくさんの人に囲まれるようになると思いますよ。楽しみにしていてください」
「ええ、信じているわ。私の代わりに、ラルドリスのことを……お願いね」

 ジェナの手が鉄柵の隙間からすっと伸び、メルの手を挟んだ。監禁生活で痩せてしまった、か細い手ではあったけれど……確かにそこからは、息子を想う強さと優しさが、同時に流れ込んでくるような気がした。
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