13 / 35
12.カルチオラの関
しおりを挟む
もし、上空からその場所を見渡したなら……左右を高い崖に挟まれた山道に延々と続く人々の長い行列が見られただろう。そこでは、隙間を塞ぐように堅固な砦が設けられ、多くの王国兵が通行人と荷物を検めている。
現在、このカルチオラの関では、厳戒態勢が敷かれていた。
通常ならば通行税を支払うだけで素通りできる民間人ですら、詳細な身体検査の上手配書と顔を比べられ、疑わしいものは拘留されて何時間もの取り調べを受けているようだ。
一組一組念入りに調べられているせいか、門の外にまで長い列が伸びる。その中に一つの家族の姿が見受けられた。
若い夫婦、年老いた老人に小さな子供の四人。
徒歩の彼らは、荷物を背負った標準的な旅人に見える。
やがて順番が回ってきて、兵士がその家族に尋ねた。
「あ~……名は? どこからだ?」
「関の近くのオルゴーという村から来ました、ラスディオ一家と申します。私はトルス、こちらは妻のアニス。そっちは父のオイゲンに、息子のロイス。私たちは毎年この時期、関向こうのネシェナという街で行われる祭りに参加するのが恒例となっていまして」
「ふむ。では荷物を検めさせてもらう」
兵士は手近なテーブルに家族の荷物を置かせ、その中を探ってゆく。
あるのは食料品や寝具、着換えなどの一般的な旅支度だ。
「む……これは?」
その中に妙な手触りを感じ、兵士はそれを摘まみ出した。
「こいつは……馬車か?」
「あっ、それは……」
兵士が取り出したのは、小さな木の模型だった。アルクリフ王国の紋章が入った精緻な馬車に、馬の模型も二つ揃っている。まるでそれは、本物のごとくよく再現されていた。
「ほぉ……よく出来ているな。まるで生きているかのようだ」
「し、知り合いに腕のいい木工職人が居まして。息子の宝物なのだ……です」
「ん?」
途中で言葉遣いが妙になったような気がして、兵士はトルスという若い父親をじっと見た。どうも、彼はそわそわと落ち着きがない。
「お前、何だか様子がおかしくないか?」
「ど、どこがでしょう?」
「いや、具体的にはわからんが……」
その兵士は威圧するように目をぎょろつかせるとトルスの周りを回り、微笑んでいた彼の顔にたちまち汗が浮かび出した。
「よく見ればお前、ずいぶん気品のある顔立ちをしておるな。そこいらの村人とは思えぬ。しかも、誰かに似ておるような……」
トルスの視線がより忙しなく、左右上下を往復する。
「そそそそうでしょう! 確かに子供の頃、ここ最近生まれた中で一番の美男だと褒められたことがあったのだっ……いえ、あったのですが! わ、私くらいの者なんてどこにでもおりますとも。は、ははっは……」
「どれ、もっと良く見せてみろ」
「やめてくりゃさい!」
またまたトルスの言葉が怪しくなり、兵士が胡乱な視線で彼の被っていた帽子を取りあげた。
「なにをす……りゅんです! 返してくれ!」
「むう……茶髪に鳶色の瞳か」
だが、やはりその髪はザハール第一王子から手配された第二王子のものとは似つかず、生え際にも不審なところはない。兵士がさらに顔を覗き込もうとしたその時。
「ァアイタタタタタットゥワー……! こ、腰がぁっ、ポッキリいってしまいそうじゃぁッ!!」
大袈裟とも言える勢いで、それまで黙っていた杖突き老人が急に倒れ込み、四つん這いになって大声で騒ぎ始めた。
「な、なんだ! どうした御老体!」
「ら、乱暴に触らんでくれぇ!」
「お爺ちゃん、また持病が!? 腰が痛むのね、可哀想に!」
すぐにトルスの妻アニスが背中をさすってやり、困り果てた様子で兵士に訴える。
「連日の冷え込みのせいか、祖父が急に体調を崩しまして。早く街で休ませてあげたいのです。ですから……なるべく速やかに通していただけませんか? 荷物はいくらでも調べていただいて構いませんので、どうか、お願いします……!」
「む……それは不憫であるな。どうだお前たち、なにか不審なものは見つからなかったか?」
「いえ、日用品や子供のおもちゃばかりです。武器なども一切ありません」
「そうか……」
彼らのまとめ役らしい兵士は、最後に手配書と一行の容姿をしっかり見比べる。
「……ラルドリス王子は見事な金髪、赤眼の美青年、シーベル公爵は紺色の髪をした細面の男性。連れは栗色の髪の、背の低い侍女だったはずだな。お前たちも、頭に巻いているものを外せ」
トルス一家はそれぞれ、防寒具として頭に巻き付けていた布を外した。しかし、髪の毛は黒や薄茶ばかり。手配書の内容とはまったく相容れない。
「こんなじじいや子供連れだとは聞いてませんよ?」
「そうだな。一行は確か三人連れ。馬車でこちらに向かっていると伝えられていたし……よし! こいつらは違うだろう。いいぞ、通れ!」
「「あ、ありがとうございます!」」
家族が一斉に頭を下げ、まとめ役の兵士はにこやかに微笑むと、通りすがる子供の頭を撫でてやる。
「足を止めさせて悪かったな。数か月に一度の祭りだ。しっかり楽しんで来るといい」
「ヂュ?」
「ん?」
そこで子供の口から妙な鳴き声が漏れたような気がして、兵士が首を傾げる。
慌てた様子で妻が息子を抱え込み、愛想笑いを浮かべた。
「お、おほほほほ。この子ったら……ちゃんとお礼を言わないと! 失礼しました、む、息子は動物がなによりも好きでして、よく鳴き声を真似して遊んでおりますの。どうか、ご無礼をお許しくださいまし」
「そうなのか……ま、構わんがな。では達者で。よし、次の者――!」
へこへこ頭を下げながら、関の門を潜っていくトルス一家。
どことなく妙な雰囲気の一行に検閲の兵士たちは引っ掛かりを覚えないでもなかったが、特に証拠もなく、そしてまだまだ後ろには順番待ちの列が控えている。
結局彼らはその家族を見送ると、すぐさま次に取り掛かり始めた……。
◇
……それから数時間後。
一行は歩く内に人影もまばらになって来たのを確認すると、関向こうの街道から逸れ、通行人の死角となる岩陰に隠れた。
そして、周りから人の気配が途絶えたのを確認すると、妻アニスがなにかのまじないを呟く。
――ぼふっ!
すると全員の姿が大きな煙に包まれ、間の抜けたような音と共にそこへ別の姿の者たちが現れた。それはもちろん、ラルドリス一行である。
全身小麦粉塗れになった彼らは一斉に、どさどさとその場にへたり込む。
「へくしっ……! いやぁ。なんとか無事に抜けられましたねぇ」
「はぁー……殿下ぁっ、もうちょっと自然にやって下さいよ! なにが、最近生まれた中で一番の美男ですか! この調子乗り! シーベル様があそこで気を聞かせなかったら、絶対突っ込まれて不味いことになってましたって!」
「仕方ないだろ! 芝居なんぞしたことがないんだっ。むしろあれ以上ぼろを出さなかったのを褒めてくれよ! お前こそ、最後兵士に引き留められそうになっただろっ……えほえほっ」
「あれは私のせいじゃありませんもの! も~……」
詰め寄るメルにラルドリスは怒鳴り返しつつ、何度も大きな咳をした。
強がりながらも大汗をかいている彼にため息をつき、メルは自分の服をはたいた後、ハンカチでその顔をそっと拭いてやる。
ラルドリスはこそばゆそうにそれを受け入れ、言われずとも世話を焼いてしまった自分にシーベルが生暖かい視線を向けてきたので、メルはたちまち目付きをとんがらせた。
「シーベル様、なにかおかしなことでも?」
「いやぁ、ずいぶん仲良くなられたことで、微笑ましいなと。侍女姿もすっかり板についてきましたし……おおっとそれよりこれ、ご苦労様でした。メル殿の作戦がばっちりはまりましたね」
メルの怒りのオーラがぐあっと増したのを見てシーベルはとっとと話題を切り替える。
彼が示したようにそれぞれの身体から、役目を負えた粉が風に流され、光の粒子となって消えていく。関を突破するに当たって三人と一匹に施した変装。それに役立ったのはもちろん、メルの変化の魔法だ。それにはべネアからもらった小麦粉が役に立った。
若夫婦役を自分とラルドリスが務め、トラブルがあった時の誤魔化し役に知恵の回るシーベル、そして人数を誤魔化すためにリスのチタまでも頭数に入れた。
その甲斐あってか……なんとか兵士には見破られずに済んだものの、メルとしてはいつバレないか気が気ではなかった。ちなみにあの模型だって、今まで乗っていた馬車をメルが魔法で一時的に変化させたものである。もしラルドリスを狙っている魔術師が関に詰めていたなら見破られる恐れもあったが、運よくそれは免れ、関所抜けは見事成功した。
「チチッ!」
「はいはい。あなたも役に立ってくれてありがとうね」
貢献を主張するようにチタが肩に登ったので、メルはクルミを与え労ってやる。最後だけは危うかったが、彼はメルの言いつけ通り大人しくしておいてくれた。さすが相棒、ただのリスでは無いのである。
もしゃもしゃと動くチタの頬袋を興味深そうにラルドリスが突く中、懸念されていた関越えを果たしたシーベルの表情は明るかった。
「さあ、これでようやく道が開けました。後は王都に乗り込んでどうするか、といったところですが。とりあえずは一旦、ルシェナの街で小休止しましょう」
「少しでも早く……と言いたいところだが、何か考えがあるのだな?」
「色々と段取りが必要なのですよ。ですからお時間をいただきたく」
「わかった」
さして動揺もみせず、けろっとした態度で今後の道行きを示すシーベルに、いつもなら食って掛かるせっかちラルドリスも聞き分けよく頷く。王都が近付き、失敗の許されない状況に緊張しているのがわかる。
そのまましばし休息を取ると一行は立ち上がり、再び変装して旅人たちに混じり移動を開始する。
襲撃を退けつつの大変な行軍ではあったけれど、これで王都までの道筋で一番の難関も越えられた。後は慎重に身を隠しつつ、城へと向かうのみだ。
「メル」
「はい?」
「お前が居てくれて助かった。ありがとう」
「えっ!? あ、はい」
飾り気のないまっすぐな感謝が不意打ちして、メルは戸惑う。
そういえば、思い出した――少し前彼はメルに、自分に仕えないかと聞いてくれたのだ。
しかしそれ以後、そのことについてはなにも触れないし、聞き出す機会もなかった。
(だからなんなの……冗談に決まってる。私は、なにを考えて……)
仮に本気だと言われたところで、メルはナセラ森の魔女なのだ。祖母の後を継ぎ、あの森で暮らす。そう決めているのは自分なのに。
一方で、ラルドリスが自分の存在を傍に求めてくれたことを嬉しく感じているのは一体なぜ……?
「どうした?」
「なんでもありません」
次々浮かぶ困惑のせいで、返す笑顔が多少歪なものになってしまったかもしれなかった。自分で自分が分からなくなったメルは答えを求める衝動に対し、口の中でひたすら否定を繰り返す。
(ダメダメ、ダメ……。理由を聞きたいなんて……思っちゃダメだ。この人とは住む世界が、違うんだから……)
逸る胸を抑えるには、いずれ顔も見られなくなる彼との差をしっかりと自分に言い聞かせるしかない。
心につけてやれる薬なんて、魔女のメルとて知らないのだから。
現在、このカルチオラの関では、厳戒態勢が敷かれていた。
通常ならば通行税を支払うだけで素通りできる民間人ですら、詳細な身体検査の上手配書と顔を比べられ、疑わしいものは拘留されて何時間もの取り調べを受けているようだ。
一組一組念入りに調べられているせいか、門の外にまで長い列が伸びる。その中に一つの家族の姿が見受けられた。
若い夫婦、年老いた老人に小さな子供の四人。
徒歩の彼らは、荷物を背負った標準的な旅人に見える。
やがて順番が回ってきて、兵士がその家族に尋ねた。
「あ~……名は? どこからだ?」
「関の近くのオルゴーという村から来ました、ラスディオ一家と申します。私はトルス、こちらは妻のアニス。そっちは父のオイゲンに、息子のロイス。私たちは毎年この時期、関向こうのネシェナという街で行われる祭りに参加するのが恒例となっていまして」
「ふむ。では荷物を検めさせてもらう」
兵士は手近なテーブルに家族の荷物を置かせ、その中を探ってゆく。
あるのは食料品や寝具、着換えなどの一般的な旅支度だ。
「む……これは?」
その中に妙な手触りを感じ、兵士はそれを摘まみ出した。
「こいつは……馬車か?」
「あっ、それは……」
兵士が取り出したのは、小さな木の模型だった。アルクリフ王国の紋章が入った精緻な馬車に、馬の模型も二つ揃っている。まるでそれは、本物のごとくよく再現されていた。
「ほぉ……よく出来ているな。まるで生きているかのようだ」
「し、知り合いに腕のいい木工職人が居まして。息子の宝物なのだ……です」
「ん?」
途中で言葉遣いが妙になったような気がして、兵士はトルスという若い父親をじっと見た。どうも、彼はそわそわと落ち着きがない。
「お前、何だか様子がおかしくないか?」
「ど、どこがでしょう?」
「いや、具体的にはわからんが……」
その兵士は威圧するように目をぎょろつかせるとトルスの周りを回り、微笑んでいた彼の顔にたちまち汗が浮かび出した。
「よく見ればお前、ずいぶん気品のある顔立ちをしておるな。そこいらの村人とは思えぬ。しかも、誰かに似ておるような……」
トルスの視線がより忙しなく、左右上下を往復する。
「そそそそうでしょう! 確かに子供の頃、ここ最近生まれた中で一番の美男だと褒められたことがあったのだっ……いえ、あったのですが! わ、私くらいの者なんてどこにでもおりますとも。は、ははっは……」
「どれ、もっと良く見せてみろ」
「やめてくりゃさい!」
またまたトルスの言葉が怪しくなり、兵士が胡乱な視線で彼の被っていた帽子を取りあげた。
「なにをす……りゅんです! 返してくれ!」
「むう……茶髪に鳶色の瞳か」
だが、やはりその髪はザハール第一王子から手配された第二王子のものとは似つかず、生え際にも不審なところはない。兵士がさらに顔を覗き込もうとしたその時。
「ァアイタタタタタットゥワー……! こ、腰がぁっ、ポッキリいってしまいそうじゃぁッ!!」
大袈裟とも言える勢いで、それまで黙っていた杖突き老人が急に倒れ込み、四つん這いになって大声で騒ぎ始めた。
「な、なんだ! どうした御老体!」
「ら、乱暴に触らんでくれぇ!」
「お爺ちゃん、また持病が!? 腰が痛むのね、可哀想に!」
すぐにトルスの妻アニスが背中をさすってやり、困り果てた様子で兵士に訴える。
「連日の冷え込みのせいか、祖父が急に体調を崩しまして。早く街で休ませてあげたいのです。ですから……なるべく速やかに通していただけませんか? 荷物はいくらでも調べていただいて構いませんので、どうか、お願いします……!」
「む……それは不憫であるな。どうだお前たち、なにか不審なものは見つからなかったか?」
「いえ、日用品や子供のおもちゃばかりです。武器なども一切ありません」
「そうか……」
彼らのまとめ役らしい兵士は、最後に手配書と一行の容姿をしっかり見比べる。
「……ラルドリス王子は見事な金髪、赤眼の美青年、シーベル公爵は紺色の髪をした細面の男性。連れは栗色の髪の、背の低い侍女だったはずだな。お前たちも、頭に巻いているものを外せ」
トルス一家はそれぞれ、防寒具として頭に巻き付けていた布を外した。しかし、髪の毛は黒や薄茶ばかり。手配書の内容とはまったく相容れない。
「こんなじじいや子供連れだとは聞いてませんよ?」
「そうだな。一行は確か三人連れ。馬車でこちらに向かっていると伝えられていたし……よし! こいつらは違うだろう。いいぞ、通れ!」
「「あ、ありがとうございます!」」
家族が一斉に頭を下げ、まとめ役の兵士はにこやかに微笑むと、通りすがる子供の頭を撫でてやる。
「足を止めさせて悪かったな。数か月に一度の祭りだ。しっかり楽しんで来るといい」
「ヂュ?」
「ん?」
そこで子供の口から妙な鳴き声が漏れたような気がして、兵士が首を傾げる。
慌てた様子で妻が息子を抱え込み、愛想笑いを浮かべた。
「お、おほほほほ。この子ったら……ちゃんとお礼を言わないと! 失礼しました、む、息子は動物がなによりも好きでして、よく鳴き声を真似して遊んでおりますの。どうか、ご無礼をお許しくださいまし」
「そうなのか……ま、構わんがな。では達者で。よし、次の者――!」
へこへこ頭を下げながら、関の門を潜っていくトルス一家。
どことなく妙な雰囲気の一行に検閲の兵士たちは引っ掛かりを覚えないでもなかったが、特に証拠もなく、そしてまだまだ後ろには順番待ちの列が控えている。
結局彼らはその家族を見送ると、すぐさま次に取り掛かり始めた……。
◇
……それから数時間後。
一行は歩く内に人影もまばらになって来たのを確認すると、関向こうの街道から逸れ、通行人の死角となる岩陰に隠れた。
そして、周りから人の気配が途絶えたのを確認すると、妻アニスがなにかのまじないを呟く。
――ぼふっ!
すると全員の姿が大きな煙に包まれ、間の抜けたような音と共にそこへ別の姿の者たちが現れた。それはもちろん、ラルドリス一行である。
全身小麦粉塗れになった彼らは一斉に、どさどさとその場にへたり込む。
「へくしっ……! いやぁ。なんとか無事に抜けられましたねぇ」
「はぁー……殿下ぁっ、もうちょっと自然にやって下さいよ! なにが、最近生まれた中で一番の美男ですか! この調子乗り! シーベル様があそこで気を聞かせなかったら、絶対突っ込まれて不味いことになってましたって!」
「仕方ないだろ! 芝居なんぞしたことがないんだっ。むしろあれ以上ぼろを出さなかったのを褒めてくれよ! お前こそ、最後兵士に引き留められそうになっただろっ……えほえほっ」
「あれは私のせいじゃありませんもの! も~……」
詰め寄るメルにラルドリスは怒鳴り返しつつ、何度も大きな咳をした。
強がりながらも大汗をかいている彼にため息をつき、メルは自分の服をはたいた後、ハンカチでその顔をそっと拭いてやる。
ラルドリスはこそばゆそうにそれを受け入れ、言われずとも世話を焼いてしまった自分にシーベルが生暖かい視線を向けてきたので、メルはたちまち目付きをとんがらせた。
「シーベル様、なにかおかしなことでも?」
「いやぁ、ずいぶん仲良くなられたことで、微笑ましいなと。侍女姿もすっかり板についてきましたし……おおっとそれよりこれ、ご苦労様でした。メル殿の作戦がばっちりはまりましたね」
メルの怒りのオーラがぐあっと増したのを見てシーベルはとっとと話題を切り替える。
彼が示したようにそれぞれの身体から、役目を負えた粉が風に流され、光の粒子となって消えていく。関を突破するに当たって三人と一匹に施した変装。それに役立ったのはもちろん、メルの変化の魔法だ。それにはべネアからもらった小麦粉が役に立った。
若夫婦役を自分とラルドリスが務め、トラブルがあった時の誤魔化し役に知恵の回るシーベル、そして人数を誤魔化すためにリスのチタまでも頭数に入れた。
その甲斐あってか……なんとか兵士には見破られずに済んだものの、メルとしてはいつバレないか気が気ではなかった。ちなみにあの模型だって、今まで乗っていた馬車をメルが魔法で一時的に変化させたものである。もしラルドリスを狙っている魔術師が関に詰めていたなら見破られる恐れもあったが、運よくそれは免れ、関所抜けは見事成功した。
「チチッ!」
「はいはい。あなたも役に立ってくれてありがとうね」
貢献を主張するようにチタが肩に登ったので、メルはクルミを与え労ってやる。最後だけは危うかったが、彼はメルの言いつけ通り大人しくしておいてくれた。さすが相棒、ただのリスでは無いのである。
もしゃもしゃと動くチタの頬袋を興味深そうにラルドリスが突く中、懸念されていた関越えを果たしたシーベルの表情は明るかった。
「さあ、これでようやく道が開けました。後は王都に乗り込んでどうするか、といったところですが。とりあえずは一旦、ルシェナの街で小休止しましょう」
「少しでも早く……と言いたいところだが、何か考えがあるのだな?」
「色々と段取りが必要なのですよ。ですからお時間をいただきたく」
「わかった」
さして動揺もみせず、けろっとした態度で今後の道行きを示すシーベルに、いつもなら食って掛かるせっかちラルドリスも聞き分けよく頷く。王都が近付き、失敗の許されない状況に緊張しているのがわかる。
そのまましばし休息を取ると一行は立ち上がり、再び変装して旅人たちに混じり移動を開始する。
襲撃を退けつつの大変な行軍ではあったけれど、これで王都までの道筋で一番の難関も越えられた。後は慎重に身を隠しつつ、城へと向かうのみだ。
「メル」
「はい?」
「お前が居てくれて助かった。ありがとう」
「えっ!? あ、はい」
飾り気のないまっすぐな感謝が不意打ちして、メルは戸惑う。
そういえば、思い出した――少し前彼はメルに、自分に仕えないかと聞いてくれたのだ。
しかしそれ以後、そのことについてはなにも触れないし、聞き出す機会もなかった。
(だからなんなの……冗談に決まってる。私は、なにを考えて……)
仮に本気だと言われたところで、メルはナセラ森の魔女なのだ。祖母の後を継ぎ、あの森で暮らす。そう決めているのは自分なのに。
一方で、ラルドリスが自分の存在を傍に求めてくれたことを嬉しく感じているのは一体なぜ……?
「どうした?」
「なんでもありません」
次々浮かぶ困惑のせいで、返す笑顔が多少歪なものになってしまったかもしれなかった。自分で自分が分からなくなったメルは答えを求める衝動に対し、口の中でひたすら否定を繰り返す。
(ダメダメ、ダメ……。理由を聞きたいなんて……思っちゃダメだ。この人とは住む世界が、違うんだから……)
逸る胸を抑えるには、いずれ顔も見られなくなる彼との差をしっかりと自分に言い聞かせるしかない。
心につけてやれる薬なんて、魔女のメルとて知らないのだから。
1
お気に入りに追加
156
あなたにおすすめの小説
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが
マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって?
まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ?
※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。
※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。
婚約者が実は私を嫌っていたので、全て忘れる事にしました
Kouei
恋愛
私セイシェル・メルハーフェンは、
あこがれていたルパート・プレトリア伯爵令息と婚約できて幸せだった。
ルパート様も私に歩み寄ろうとして下さっている。
けれど私は聞いてしまった。ルパート様の本音を。
『我慢するしかない』
『彼女といると疲れる』
私はルパート様に嫌われていたの?
本当は厭わしく思っていたの?
だから私は決めました。
あなたを忘れようと…
※この作品は、他投稿サイトにも公開しています。
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
死んで巻き戻りましたが、婚約者の王太子が追いかけて来ます。
拓海のり
恋愛
侯爵令嬢のアリゼは夜会の時に血を吐いて死んだ。しかし、朝起きると時間が巻き戻っていた。二度目は自分に冷たかった婚約者の王太子フランソワや、王太子にべったりだった侯爵令嬢ジャニーヌのいない隣国に留学したが──。
一万字ちょいの短編です。他サイトにも投稿しています。
残酷表現がありますのでR15にいたしました。タイトル変更しました。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる