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7.王国兵の追跡①

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(なんだろう、あったかい……。それに……いい、香り――)

 食事の後、明け方から動いていたため、一行は馬車内で少し仮眠を取っていた。
 太陽が真上を行き過ぎた頃、毛布にくるまり穏やかな寝息を立てていたメルの意識が、次第にぼんやりと覚醒してくる。

 遠くで馬の嘶きが聞こえ、誰かが扉を開けていく音がした。おそらく、異常に気付いたシーベルが外に様子でも見に行ったのだろう。

(これ……なんだっけ)

 それにしても心地よい。身体は柔らかいなにかに包まれ、指先が、温かくもしっとりしたものに触れている。ゆっくりと上にずらしてゆくと、それは少しでこぼことした部分に突き当たり、細い糸のようなものが指に絡んだ。

 とても安らいだ気分のまま、メルはその正体を確かめようと目をうっすら開き……。目に入ってくるのは美しい金の髪と乳白色の人肌、長い睫毛。と、そこで――。

「……っきゃあああああああぁ~っ!」

 メルはただただ肺の中の空気を全力で解き放った。

「――――っ? いっ、いきなりなんだっ、心臓が縮み上がったぞ!」
「そ、それは、こっちの台詞です! ふざけないで!」
「うがっ!」

 馬車の長椅子の上で密着していた誰かの身体を床に突き落とすと、ドスンという音がした。混乱のあまりメルは目を白黒させる。

 それも当然……たった今まで彼女を抱き締めていたのは、ラルドリスその人だったのだ。彼は下で腰を強く打ち付けたのか、手でさすりながらメルの方に強い眼差しを向ける。

「お、お前……俺の安らかな眠りを妨げるとは。こんな旅の間でなければ慰謝料でも払ってもらうところだっ! 説明しろ、一体なぜこんな暴力を……!」
「説明するのはそっちでしょ! どうしてあなたまでこっちにいるんです!」

 仮眠を取る前は、確かにラルドリスとは別の場所で眠ったはず。なのに目を覚ますと彼は寝床に潜り込んでいて……。顔を真っ赤にさせながらメルは衣服の胸元をかき抱く。

 一方、ラルドリスは憎らしいほど落ち着いていて、思いついたようにぽんと膝を打った。

「……ああ、安心しろ、そんなつもりは毛頭ない」
「なら、どうして……!」

「決まってるだろ。肌寒かったから暖を取ろうと思った。それだけだ」
「は……?」

 着衣から彼の付けている香水の甘い香りを感じ、熱くてどうにかなりそうだったメルの頭は……その発言で急速に冷まされた。

「こんな薄い毛布で寝て風邪でも引いたら、今後に差し支える。だからお前の寝床に身を寄せていた。それ以外の思惑などあるものか」

 床に落ちた毛布を再度寒そうに羽織るとしれっとラルドリスはのたまい……ぱくぱくと何度も口を開け閉めしていたメルは数秒後、なんとか状況を呑み込む。

「つまり……なんですか。あなたは私を抱き枕代わりにして、快眠したかっただけだと」
「当たり前だろう。誰がこんな場所で不埒な行いに臨もうなどとするものか。そのくらいの常識は弁えている」
(弁えてないっ……!)

 確かに着衣はそのままで、なにかされた様子はない。だがしかし、だ。

 やはり彼は世間知らずの王子様なのであると再認識し、メルは油断すると横面に飛んでいきそうになる手のひらを掴んだまま、あらんかぎり声を低~く抑えて言った。

「ラルドリス様……?」
「お、おぉ……なんだ」

 メルの醸し出した有無を言わさぬ剣幕に、さすがのラルドリスもたじろぐ。
 そこにメルは、しっかりと今後の要求を突き付けてやった。

「二度と、許可なく、女人の寝床に入って来たりなさいませんよう。次同じことをすれば……いくらあなた様とて、正当防衛させていただきます。魔女の力で」
「ま、魔女の力で……何をする?」

 いやに協調された魔女という部分にラルドリスはごくりと喉を鳴らし、メルは静かに口角を吊り上げた。

「痛いのとつらいのと苦しいの、どれがいいか。そのくらいは選ばせてあげますけど?」
「……わ、わかった。もうしない。この通りだ」

 メルの不気味な笑顔が効いたのか、ラルドリスはようやく自分の非を認めうなだれた。
 そこへ扉が開き、戻ってきたシーベルが顔を出す。

「おや、痴話喧嘩は終わりましたかね」
「……シーベル様?」

 いつも通りの朗らかな口調で声を掛けてきた彼は、笑顔のまま送られたメルの視線になにかを感じたのか、両手を小さく上げた。

「っとっと、失言失言。いや~すみません。お若いふたりですから、もしや先日の旅の合間にそういう関係にでも、と思いまして。ははは、メル殿はお可愛らしいですからな~」

 どうやらこの男、ラルドリスの行動に気付いていながら見過ごしたようである。

 シーベルのとってつけたような誉め言葉に誤魔化されまいと、メルは冷たい睨みを効かせたが、どうやらこの騒ぎはここまでにしなければならないようだった。

 急に、シーベルの表情が真剣なものに変わったからだ。

「おふたりともすみませんが、出立の用意を。少し嫌な気配がしています」
「気配って……」
「……追手か?」

 いがみ合うのを止め、ふたりは来た道の方を振り返るが、後部の窓から見える景色は今までと変わりない平穏そのもの。しかしシーベルは遠くを見つめ、彼らしくなく眉根を寄せる。

「どうでしょうね。私が過敏になっているだけかもしれませんが、万が一ということもありえます。急ぎの旅でもありますし、夜まで時間はある。よく眠れたのなら先に進みましょう。では、馬を動かしますよ」
「わかった」

 その言葉に「寝覚めは散々だったけどな」と付け加えたラルドリスはどっかりと右側の長椅子前方に腰掛け、メルは彼から対角線に離れた左側後方の席に腰を落ち着ける。

(む~~~~~~っ……)

 その不満そうな言い方に収まりかけた怒りが沸点を突破したメルは、チタと素早く目配せを交わすと、両手ですくい上げるように彼の身体を放つ。

「チタ、自然の怒りを見せてやって!」
「ヂュアァァァァッ!!」

 チタはモモンガのように彼の顔にビタンと張り付くと、彼の身体中を走り回りながら、バリバリと引っ掻いた。

「うわぁぁぁぁぁぁっ、ちょ、これは自然じゃなくて、お前の個人的な怒りだろ! ああっ、服の中に入るんじゃないっ! おいメル、もうしない! しないからこいつにやめさせ……ひゃぁぁぁぁぁ!」

 情けない声を上げ、のたうち回るラルドリスを見ながら、メルは腕を組み冷ややかな視線でしばらく見つめ続けた。彼には魔女の機嫌を損なうとどうなるか、今後の為にも存分に思い知ってもらおう。
 
 たとえ王子様であろうがなんであろうが、乙女の純情を弄ぶ者には制裁あるのみなのだと。
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