悪女じゃないと駄目ですか?~銀血の王弟殿下は悪女をお望みです~

林優子

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10.アルバートの誤算

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 ラキシスにとってリディアとヘンリーは因縁の相手だ。
 ヘンリーは幾分気まずげだが、リディアの方はそうではなかった。
 リディアは事実無根の悪評をばらまいて陥れた相手、ラキシスに対し恥じ入る気持ちは一片も持ち合わせていないようだ。
 実に楽しそうに震えるラキシスを見つめている。

 だが、その時。
「ラキシス嬢」
 ラキシスは力強く抱き締められた。
「……アルバート殿下……」
 見上げるとアルバートが心配そうにこちらを見つめている。
「やはり、さきほど私のせいで怪我をしていたか?」
「は?」
 あまりに意外な問いかけにラキシスは淑女らしからぬ声を上げた。
 気を取り直して取り繕う。
「い、いえ、大丈夫です」
「しかし……」
「本当に何でもありませんわ」
 確かにちょっと押されて体勢を崩したが、すぐにそんなラキシスを抱きとめたのはアルバートだ。
 もちろん怪我などしていない。

「ではどうして?ああ、そうか」
 眉をひそめたアルバートはラキシスの頬にそっと手を添えた。
「少し日に当たりすぎたか?あなたは牛乳の膜のように白く破けそうな肌だから」
『牛乳の膜?』
 アルバートの口からは時々良く分からない例えが飛び出す。

「ラキシス嬢、多分、殿下はラキシス嬢のお肌が白くて薄いとおっしゃっておいでです」
 と部下がこっそり教えてくれた。
「さ、左様ですか……」
 田舎育ちのラキシスの肌はそれほど白くはない。
 リディア公爵令嬢の方が遙かに日焼けに気遣っているだろう。
 では何故かと考えると、ラキシスは最近流行りの頬紅をほんの少ししか付けていない。
 最近は頬紅を丸く鮮やかに盛るのが流行りなのだが、アルバートは色白かどうか頬紅の濃さで判断しているようだ。
 そして肌の丈夫さ加減も頬の赤みや化粧の厚さで判断しているようだ。

「殿下、ご心配なく。私は大丈夫ですわ」
「だが……」
「ありがとうございます。お気遣い、嬉しく存じます」
 ラキシスは微笑んで礼を言った。
 不思議ともう王太子達のことは怖くない。

 その王太子達は毒気を抜かれた様子でこちらを見ている。

「今日はもう帰るとしよう。あなたが倒れてしまったら大変だ」
「はい、殿下」
 ラキシスは素直に頷く。
 こんなところに長居したくないのはラキシスも同意だ。


「では、王太子殿下、御前失礼致します」
 とアルバートはさっさと帰ろうとする。
「ま、待て」
 と王太子が二人を止める。
「まだ話は終わってないぞ、叔父上」
「そうでしたか、それは殿下、失礼しました。それではそのお話とは?どうかお聞かせください」
 アルバートは至極真面目に問いかけた。
 だが王太子はからかい目的なので、あらたまって話すことは実際には何もない。
「そ、それは……」
 とつまる。

 ふと、彼は、アルバートが肩を抱くラキシスに目をとめる。
「随分と彼女をご寵愛のようだね。いずれ紹介してもらいたいな、叔父上」
 アルバートはその瞬間、ピクリと体を震わせた。
「いいえ、彼女と私は何の関係もありません」

 アルバートは硬い表情でそう言い放った。





 ***

『まずいことになった』
 とアルバートは嘆息を吐く。
『ラキシス嬢が王太子に目を付けられてしまった』

「そんな女性はいません」
 と部下達は散々忠告したが、アルバートは自分の理想の結婚相手は見つかると信じていた。
 アルバートの父母は社交界は魑魅魍魎蠢くところで、男も女も計算高く常に己の得になるように動いている。重々気を付けろとアルバートに教えた。
 しかし言い換えれば、相手にも利益があれば取引が出来るとアルバートは考えた。
 それはアルバートの願望でもあった。
 そうでないとアルバートは結婚出来ない。

 だが、二週間の間、毎日のように夜会や茶会に出かけたアルバートは理想の結婚相手を見つけることが出来ずにいた。
 おまけに王太子にラキシスが目を付けられた。
「……まずいことになった」
 アルバートは頭を抱えた。
 屋敷に戻るとアルバートは部下達に命じた。
「ラキシス嬢の周囲を離れるな。徹底的に守れ」

「あの……アルバート殿下……」
 この場にはラキシスもいる。
 ラキシスは急に言葉を荒げ自分との関係を否定したアルバートの真意が知りたい。
 自分が彼の機嫌を損ねたのではと気に病んでいる。

 そんなラキシスにアルバートは痛恨の表情で言った。
「すまない、ラキシス嬢。そなたと王太子を関わらせるつもりはなかったのだ。許してくれ」
「いいえ、そんなことは……」
 確かにあの瞬間は怖かったが、今は王太子のことなど些事に過ぎない。
「私こそ、上手く振る舞えなくて……」
「いや、そんなことはない。あなたは十分過ぎるほど私に尽くしてくれた。私は妻になる人とパーティー会場で劇的に出会い、恋に落ちるつもりだったが、そんな悠長なことは言ってられん。軍部の諜報を使い、条件に合う女性を探すつもりだ。ラキシス嬢、今まで世話になった」
 そう言って、アルバートはラキシスに頭を下げた。

 アルバートは恋愛に過剰な期待がある。
 アルバートにも軍部を中心に味方はいる。
 だがアルバートは彼らが用意する整えられた見合いでなく、運命的な恋の始まりを夢見ていた。
『今となってはそれだけが私の求めるものだったが……』
 それが死ぬるアルバートが望むただ一つのものだった。
 ほんのわずかでも良い、自らの生きていた証を残したいと彼は願った。

「アルバート殿下……」
「ここに居る五人から一人選んで早々に結婚するといい。しばらく領地に引っ込んでおれば、王太子達もいずれ飽きるだろう」
「そんな……」
 ラキシスは五人の男達をおずおず見上げる。

 五人の男達はいずれも気の良い好青年だが、個人的な付き合いはほぼないに等しい。
 ラキシスは戸惑った。

「アルバート殿下、よろしいでしょうか」
 屋敷の執事がやってきたのはその時だ。
「なにごとか?」
「クレマン卿がお越しです。何でもぜひ殿下にお話したいことがあるそうです」
 彼の言葉にラキシスは大きく瞳を見開いた。
「お兄様が?」
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