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デイビッド

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 あかね色の髪に藍色の瞳の女の子、ぷっくり膨れたほっぺにツンと真っ赤な唇。活発で素直な、それそれは――食べちゃいたいくらいに――可愛い女の子。

 物心が付く頃にはもう、デイビッドはマリエルが好きだった。
 デイビッドは子爵家バークレイ家の長男として生まれた。
 遅くに生まれた夫婦の唯一の子として大切に育てられ、大抵の我が儘は許されるくらいは溺愛されて育った彼は、この時も欲しいものを手に入れた。
 ただし、父親のバークレイ卿は甘いだけの男ではなく、「マリエルと結婚したい」と三歳のデイビッドが言い出した頃から九年も待たした上に「そんなんじゃマリエルと結婚出来ないぞ」とそれを餌にして息子を教育した。

 そんな父も鬼ではなかったので約束を守り、親友のダーリング卿と話し合い、マリエルとの婚約を結んでくれた。
 十二歳の時である。
 ただその婚約が、デイビッドが強く望んだものであることは秘密となった。表向きにはお互いの家の利害関係で結ばれたかりそめの婚約と説明された。

「なんでなの?」
 デイビッドが尋ねると父は言った。
「お前達が結婚しなかった時、それぞれ結婚する相手の人がそれを聞いて嫌な思いをするだろう。婚約破棄なんて特に女性側にはデメリットだからな。まあお前は普通にしていればいい。元々仲が良かったから親同士が決めたってな」

 つまりはデイビッドがマリエルと結婚出来なかった時用の言い訳らしい。
 非常に不愉快だった。
『そんなことがあるわけないじゃないか』
 デイビッドは内心でそう思ったが、それが条件である以上、少年はそれに従うしかない。


 貴族の婚約や結婚は貴族院に届け出ねばならない。
 貴族院ではこれらの届けを承認の後に貴族なら誰でも閲覧出来る形で公開している。
『仮の』婚約だったので、マリエルとデイビッドの婚約は特に祝いの席は設けられずひっそり結ばれたが、いずれ知られることになるのは必然だった。
 その日はついに来て、貴族学校でクラスメイトの少年達にからかわれた。

 デイビッドは前々からの計画通り、その言葉を、口にした。

 マリエルはクラスじゃ一番の美人だ。
「あいつは女じゃない」なんて言う奴もいるが、本気じゃないのは皆知っている。
 そんな高嶺の花のマリエルと婚約したデイビッドは大した勝利者だった。
 十二歳の男子の世界では、ここは少しばかり謙遜してみせるところだった。
 そう、数学のテストで百点を取った時に、「僕すごいだろう」なんて言うのは適切じゃない。「今回はたまたまだよ」と言うのが上手く立ち回るということだ。
 本当はマリエルが大好きなことも今は秘密だった。後でこっそりとマリエルに打ち明ける。もっとデートを重ねて親密になってマリエルが自分のことを大好きになってくれたら――。
 そんな欲深な野望を胸に、デイビッドは言った。
「親同士が勝手に決めた婚約さ。僕があいつのことを好きってわけじゃない」

 その一言が、彼の運命を変えてしまうなんてまったく知らずに。





 ***

 十年経って真相を聞いたマリエルは実に意外そうな顔をした。
「私、クラスでモテなかったと思うけど」
 デイビッドは言い返す。
「何言っているの?マリエルはモテた。一番じゃないかも知れないけど、三番以内には入ってた」
「そうなの?でも私、剣術も父に習ってたし、おてんばで…」
「バーナビーに聞いてもいいよ。確かに運動で負けたのをとやかく言う奴もいたけど、マリエルは顔はクラスで一番綺麗だし、それに……あの……」
 とデイビッドは急にモジモジし出す。
「……とにかく人気だったんだ」
 デイビッドは誤魔化そうとした。
「ちゃんと言ってくれないと気持ち悪いわよ」
「……怒らないで聞いて欲しい」
「ええ」
「マリエルは、当時クラスで一番、胸が大きかった」
「えっ?」
 とマリエルは頬を赤らめ、デイビッドの視線がどこにあるか気付くと胸を腕で隠した。
「見ないでよ!」

 檻の中で人に聞かれたくない話をしたい時は、衝立の向こうのベッドに腰掛けて並んで話すしかない。
 デイビッドは真っ直ぐマリエルの胸を見ている。
 デイビッドの言うようにマリエルは胸は大きい方だ。クラスで一番だったかは覚えていないが、今でも騎士業には邪魔なくらい胸に肉が付いている。
 マリエルはデイビッドから距離を取ろうとしたが、デイビッドはずいっとマリエルに体を寄せた。
「見たいものは見るよ。狼は我慢なんかしないって、マリエルも言っただろう」
「そりゃあ、言ったけど……」
「じゃあいいだろう?俺達結婚決まったみたいなものだし……」

 結婚。
 その一言に頬を赤らめ、マリエルはふと気付く。
「デイビッドって本当は『俺』なのね」
「うん」
「でもずっと『僕』って言ってた……」
「『僕』は、母から幼い頃に貴族らしい話し方って矯正されたんだ。母の親族はそういうのにうるさい人が多くてね。それに、貴族っぽい方がマリエルには好感触だったからマリエルの前ではそうしてた」
 デイビッドは堂々とあの貴公子らしい態度はマリエル向けの作り物だと告白した。
 マリエルの前では猫を被っていただけらしい。

「あの、ついでだから聞くけど……」
「何?」
「ずっと悪いと思ってたのよ、あなた、私が騎士学校に行くって言い出したからあなたも騎士学校に行くことになったでしょう?本当は文官志望だったのに。私があなたの人生を変えてしまったじゃないかと思って……」

 フェンリル化したのも、マリエルのせいなのでは?
 全部が全部、マリエルのせいではない。それはマリエルも分かっている。だが、切っ掛けを作ったのは間違いなく、マリエルだ。
 罪悪感が、マリエルの中から澱のように消えない。

 デイビッドは静かに首を横に振ってそれを否定した。
「マリエル、俺だってバークレイ家の男だよ。母が反対したところで騎士にはなった。貴族出の騎士は武芸そのものより作戦立案や用兵を学ぶ必要がある。勉強していたのは文官志望だったからじゃないよ。ダーリング卿も父だってそうだからね」
「兄も?」
 体を動かす以外にまったく興味がないみたいに見えるが、兄に用兵なんて出来るのだろうか?
「ああみえてかなり優秀みたいだよ。ムードメーカーで勘がいいんだって。自分で兵を引っ張っていくのも一つのやり方だよ。だからさ」
 デイビッドはマリエルを抱きしめた。
「君のせいなんかじゃない」

「泣かないで」
 そう言われて、マリエルは自分が泣いていたのに気付く。
「デイビッド」
「マリエルに泣かれるとどうしていいのか変わらなくなる。悲しみで心がいっぱいになる」
 デイビッドはマリエルの涙を舐めとった。

 頭が良くて負けん気は強く、プライドも高いのがデイビッドだ。要するに臆病でずる賢い。
 しかし騎士の父に薫陶を受け、思いやりがあり、心優しく、勇敢なのも彼である。
 デイビッド少年の母が案じたように、デイビッドは戦場で命を落としかけて、フェンリルとなった。
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