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在りし日の追憶1
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側に置いた篝火の明かりだけを頼りに弓を引き、遥か遠くに置かれた炎の的に狙いを定めると、私は右手を離した。矢は大きな弧を描き、的に命中しその炎を消した。
「良い射だ。」
「兄上。」
背後から聞こえた兄上の声に、私は残心を解いて振り返った。
「弓の腕前でお前の右に出るものはいないな。この様な月の欠けた夜にも正確に弓を射るとは。」
「兄上にそう言っていただけるなど光栄です。」
「良く励めよ。陰陽師としても、お前は優秀だ。女だからといって遠慮することはない。この世界は実力が全てだ。」
「はい。」
それだけ言うと直ぐに去っていった兄上の背中を見送った。私を陰陽師と呼んでくれるのは兄上だけだ。女の私はどんなに陰陽道を極めても、所詮は巫女にしかなれない。兄上に次ぐ力から、周囲からは姫巫女と呼ばれはしても、女は決して表舞台に出ることはない。このままこの力を使うことなく、やがては嫁入りし、子を成し、生涯を終える。華々しい道を歩む兄上を羨んだこともあったが、今はもう諦めの境地にいた。
弓を片付け、屋敷に入るため庭を歩いていると、ふと「嫌な臭い」がした。それは魔の気配。ここからそう遠く離れてはいない。私は戻した弓を再び手に取ると、裏門を通り敷地を出た。
己の嗅覚を頼りに魔の気配を追うと、やがて木々の生い茂る小道に着いた。禍々しく充満しきった魔の気配が、敵の正確な居場所を隠す。私は矢をつがえ弓を構えると、三日月から注ぐ微かな光だけを頼りに慎重にその小道を進んだ。やがてその小道も行き止まりとなった。辺りに充満していた魔の気配は徐々に薄まり、私はソレを取り逃がした事を悟り、舌打ちした。弓を下ろし、屋敷に戻ろうと振り返ると、ふと目の端に人影を捉えた気がした。
「…なんだ?」
鬱蒼と生い茂る雑草をかき分けると、そこに男が倒れているのが見えた。寝ていても分かるほどの大男。身体には見たこともない黒い鎧を身に纏っていた。気配を消して男を観察していると、私の目はあるものを捉えた。頭から生える二つの尖った獣の耳。
私は矢筒に仕舞った矢に再び手をかけた。すると男は微かに身じろぐと、苦しそうな呻き声をあげ始めた。
「ゔぅ…ぐ、グルルゥ…」
苦しむ男に目を凝らすと、彼の右腕から黒い靄が立ち上がっているのが見えた。それは徐々に男の身体に広がり、その度に男の姿は獣に近づいていった。
「物の怪に取り憑かれたか。」
私は矢を戻し、男に近づいた。今や黒い霧に全身を覆われ、ほぼ猫の姿をした男は私の存在に気がつくと毛を逆立てて威嚇した。
「今楽にしてやる。」
私は男の向かいに座り込むと、弓を傍らに置き、九字を切った。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」
二本の指で空中に描いた四縦五横の格子は淡い光を放ち浮き上がり、私はそれを男にぶつけた。破邪の力に関しては、私は兄上さえをも上回る。式神や結界などは人並みだが、この突出した破邪の力が、私が姫巫女などと呼ばれる所以でもあった。
破邪の印を受け、男は苦し気に唸ったが、その身体を覆っていた黒い靄は見る見るうちに晴れ、男の体も徐々に元の人間の姿に戻っていった。ただ一点を除いては。
「…?耳が戻らないじゃないか。」
男の頭には猫の耳がついたままであった。化け猫かと再び警戒したが、この男から物の怪の気配はしない。どうしようかと逡巡しているうちに、男が目を覚ました。
「う、ん…」
「!!」
「ここ、は…?俺は、通ったのか、ゲートを…」
「?何を言っている。お前は何者だ?その耳は何だ。物の怪の類か?」
「!その、姿…やはりここは、異界なのか。」
「?お前、頭は大丈夫か?」
男は訳の分からない事ばかり呟いていた。男をよく見てみると、この辺では見かけないような彫りの深い顔立ちをしており、何より目立っていたのは月明かりを反射する金色の瞳だった。物の怪の中にも知能を持ち、人に化け人間社会に紛れる者もいる。この男もそうかもしれない。私は再び警戒を強めた。
「お前、この辺りの者ではないな。どこから来た。その耳、物の怪か?」
「…俺はエルネスト王国の守護騎士が一人、クロードウィッグ=ボルツマン。この世界に獣人はいないのか?猫獣人の持つ一般的な耳だと思うが。」
「じゅうじん…獣の混じった種族という事か?やはり物の怪ではないか。くろーどう、うぃ、長いからクロで良いな。クロ、お前は人間の領域に何をしに来た?」
「クロ…。俺は穢れを追って異界へと続くゲートを渡ってきた。こことは異なる世界の住人だ。物の怪とか言うものではない。れっきとした人間だ。」
「穢れとはなんだ?」
「穢れとは人の欲望から生まれるものだ。人に取り憑き、その者の欲望を糧に成長する。穢れを放置すれば人間の脅威となる。その前に倒さなくてはならない。」
「ふむ…。こちらでいう魔の物のことか?お前、破邪の力があるのか?」
「ハジャの力と言うのは分からないが、穢れを無に帰す浄化の力ならある。」
「ふうん…。」
男、クロは嘘をついているようには見えなかった。クロから物の怪特有の臭いは感じない。彼の言っていることが事実だとすれば、ここ平安京は新たな魔の物の脅威にさらされていると言うことだ。
兄上に報告するべきか。
屋敷にはどんな物の怪も弾く強力な結界が張り巡らされている。この男が人を騙す物の怪であったとしたら、屋敷に足を踏み入れること叶わないだろう。
何より兄上が好きそうな話だ。私はニヤリと笑うと、男に問うた。
「異界の武士よ。知らぬ土地で右も左も分からぬまま一人穢れを追うか、我ら安倍家に助力を請うか。好きな方を選べ。」
「…先程穢れの汚染を浄化したのはあなただろう。是非もない。」
そして私は男を連れ屋敷に戻った。
「良い射だ。」
「兄上。」
背後から聞こえた兄上の声に、私は残心を解いて振り返った。
「弓の腕前でお前の右に出るものはいないな。この様な月の欠けた夜にも正確に弓を射るとは。」
「兄上にそう言っていただけるなど光栄です。」
「良く励めよ。陰陽師としても、お前は優秀だ。女だからといって遠慮することはない。この世界は実力が全てだ。」
「はい。」
それだけ言うと直ぐに去っていった兄上の背中を見送った。私を陰陽師と呼んでくれるのは兄上だけだ。女の私はどんなに陰陽道を極めても、所詮は巫女にしかなれない。兄上に次ぐ力から、周囲からは姫巫女と呼ばれはしても、女は決して表舞台に出ることはない。このままこの力を使うことなく、やがては嫁入りし、子を成し、生涯を終える。華々しい道を歩む兄上を羨んだこともあったが、今はもう諦めの境地にいた。
弓を片付け、屋敷に入るため庭を歩いていると、ふと「嫌な臭い」がした。それは魔の気配。ここからそう遠く離れてはいない。私は戻した弓を再び手に取ると、裏門を通り敷地を出た。
己の嗅覚を頼りに魔の気配を追うと、やがて木々の生い茂る小道に着いた。禍々しく充満しきった魔の気配が、敵の正確な居場所を隠す。私は矢をつがえ弓を構えると、三日月から注ぐ微かな光だけを頼りに慎重にその小道を進んだ。やがてその小道も行き止まりとなった。辺りに充満していた魔の気配は徐々に薄まり、私はソレを取り逃がした事を悟り、舌打ちした。弓を下ろし、屋敷に戻ろうと振り返ると、ふと目の端に人影を捉えた気がした。
「…なんだ?」
鬱蒼と生い茂る雑草をかき分けると、そこに男が倒れているのが見えた。寝ていても分かるほどの大男。身体には見たこともない黒い鎧を身に纏っていた。気配を消して男を観察していると、私の目はあるものを捉えた。頭から生える二つの尖った獣の耳。
私は矢筒に仕舞った矢に再び手をかけた。すると男は微かに身じろぐと、苦しそうな呻き声をあげ始めた。
「ゔぅ…ぐ、グルルゥ…」
苦しむ男に目を凝らすと、彼の右腕から黒い靄が立ち上がっているのが見えた。それは徐々に男の身体に広がり、その度に男の姿は獣に近づいていった。
「物の怪に取り憑かれたか。」
私は矢を戻し、男に近づいた。今や黒い霧に全身を覆われ、ほぼ猫の姿をした男は私の存在に気がつくと毛を逆立てて威嚇した。
「今楽にしてやる。」
私は男の向かいに座り込むと、弓を傍らに置き、九字を切った。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」
二本の指で空中に描いた四縦五横の格子は淡い光を放ち浮き上がり、私はそれを男にぶつけた。破邪の力に関しては、私は兄上さえをも上回る。式神や結界などは人並みだが、この突出した破邪の力が、私が姫巫女などと呼ばれる所以でもあった。
破邪の印を受け、男は苦し気に唸ったが、その身体を覆っていた黒い靄は見る見るうちに晴れ、男の体も徐々に元の人間の姿に戻っていった。ただ一点を除いては。
「…?耳が戻らないじゃないか。」
男の頭には猫の耳がついたままであった。化け猫かと再び警戒したが、この男から物の怪の気配はしない。どうしようかと逡巡しているうちに、男が目を覚ました。
「う、ん…」
「!!」
「ここ、は…?俺は、通ったのか、ゲートを…」
「?何を言っている。お前は何者だ?その耳は何だ。物の怪の類か?」
「!その、姿…やはりここは、異界なのか。」
「?お前、頭は大丈夫か?」
男は訳の分からない事ばかり呟いていた。男をよく見てみると、この辺では見かけないような彫りの深い顔立ちをしており、何より目立っていたのは月明かりを反射する金色の瞳だった。物の怪の中にも知能を持ち、人に化け人間社会に紛れる者もいる。この男もそうかもしれない。私は再び警戒を強めた。
「お前、この辺りの者ではないな。どこから来た。その耳、物の怪か?」
「…俺はエルネスト王国の守護騎士が一人、クロードウィッグ=ボルツマン。この世界に獣人はいないのか?猫獣人の持つ一般的な耳だと思うが。」
「じゅうじん…獣の混じった種族という事か?やはり物の怪ではないか。くろーどう、うぃ、長いからクロで良いな。クロ、お前は人間の領域に何をしに来た?」
「クロ…。俺は穢れを追って異界へと続くゲートを渡ってきた。こことは異なる世界の住人だ。物の怪とか言うものではない。れっきとした人間だ。」
「穢れとはなんだ?」
「穢れとは人の欲望から生まれるものだ。人に取り憑き、その者の欲望を糧に成長する。穢れを放置すれば人間の脅威となる。その前に倒さなくてはならない。」
「ふむ…。こちらでいう魔の物のことか?お前、破邪の力があるのか?」
「ハジャの力と言うのは分からないが、穢れを無に帰す浄化の力ならある。」
「ふうん…。」
男、クロは嘘をついているようには見えなかった。クロから物の怪特有の臭いは感じない。彼の言っていることが事実だとすれば、ここ平安京は新たな魔の物の脅威にさらされていると言うことだ。
兄上に報告するべきか。
屋敷にはどんな物の怪も弾く強力な結界が張り巡らされている。この男が人を騙す物の怪であったとしたら、屋敷に足を踏み入れること叶わないだろう。
何より兄上が好きそうな話だ。私はニヤリと笑うと、男に問うた。
「異界の武士よ。知らぬ土地で右も左も分からぬまま一人穢れを追うか、我ら安倍家に助力を請うか。好きな方を選べ。」
「…先程穢れの汚染を浄化したのはあなただろう。是非もない。」
そして私は男を連れ屋敷に戻った。
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