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15歳

公爵令嬢の涙

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カトリーナ=テールマン公爵令嬢。テールマン公爵家当主の長女であり、アダルヘルムの側室最有力候補である。
前当主であった祖父は出世欲が強く、新属性説で権威が地に落ちた公爵家を何とか盛り返そうと、アダルヘルムと歳の近い孫のカトリーナを王家に差し出した。魔力の高い令嬢を常に求めている王家はそれを受け、カトリーナを側室候補とした。その頃既に、正妃の座は埋まっていたからだ。そしてそれ以来、彼女はアダルヘルムの側室となる為だけに生きてきた。


ーーーーーーーーー


ローゼリア達が去って行った後、廊下の一角ではカトリーナが目に涙を溜めたまま、俯き続けていた。取り巻きのマリーは、そんな彼女を気遣わしげに見つめていた。

「カトリーナ様…大丈夫ですか?具合が悪い様でしたら、医務室に行かれますか?」
「…ふふ。ふふふ。ああ、可笑しいわ。」

マリーに声を掛けられ、カトリーナは顔を上げた。彼女の目には依然涙が溜まっていたが、その顔には笑うのを必死でこらえている様な、歪な表情を浮かべていた。

「カトリーナ様…?」
「ねえ、マリーあなたも見たでしょう、アダルヘルム殿下のあの情けない姿…。私あんな人のために全ての時間を費やしていたの…?」
「ど、どうされたのですか?カトリーナ様…」
「どうしたもこうしたも…オディリア王女殿下へのあの態度。殿下ったら、全ての黒幕はオディリア王女殿下だと信じて疑わない様子でしたでしょう。あの様な根も葉もない噂を信じて、他国の王女、ましてや自分の婚約者を責め立てるなんて…殿下が、あの様な方だとは思わなかったわ。私が今まで見てきた殿下は、一体どこに行ってしまったというの?」
「カトリーナ様…」

歪な笑みを浮かべていたカトリーナの頬には、いつのまにか次々と大粒の涙が流れていた。人前で決して弱味を見せないカトリーナのその姿に、マリーは目を見開いた。

「馬鹿らしい。ああ馬鹿らしいわね。私の人生、全て無駄でしたのよ。きっと私は側室候補からは外される。殿下の怒りを買ったとの理由でね。でもせいせいするわ。あんな馬鹿な人と人生を共にするなんて、考えられないもの。」

マリーは焦った。このような事、他人に聞かれでもしたら不敬罪に問われかねない。どこか人気のない所に彼女を連れて行かねば。とめどなく話し続けるカトリーナに、マリーはそっと話しかけた。

「カ、カトリーナ様。随分と顔色が悪うございますわ。どこかで休まれた方がよろしいのでは…?」
「…そうね。なんだか頭が痛いわ。次の授業はお休みするわ。」
「お供いたしますね。」
「ありがとう、マリー…」

カトリーナを無事誘導できたことにホッとしながら、マリーは彼女を連れ、廊下を歩き出した。
勝気なカトリーナは、常であれば取り巻きに弱味を見せるなどありえない事だったが、今日ばかりは誰かに話を聞いてもらいたかった。何せ彼女はたった今、恋に破れたばかりなのだから。
ふらつくカトリーナを支えながら、マリーは医務室へと向かった。医務室には上位貴族用に個室が用意されている。マリーは教師に適当に事情を伝えると、その個室でカトリーナを休ませた。一息ついて少し落ち着いた様子のカトリーナは、ポツリポツリと自身の恋心を語った。

「…初恋だったのよ。6歳の時、初めて会った時から。お祖父様に、私は殿下の側室になるのだと言い聞かされ続けて、会う前から意識はしていたわ。実際に会ってみて、物語の王子様の様な雰囲気の彼に、幼い私は一瞬で恋に落ちたの。
教養を磨き、彼の隣に立つのに相応しくある様に努力は怠らなかったわ。例え正妃にはなれなくても、殿下のお心が私に向かなくても、私は構わなかった。だって殿下は誰にも心を開かない。皆平等に、無関心なんだもの。」
「カトリーナ様…」

カトリーナは自嘲気味に笑った。

「オディリア王女殿下が殿下と寄り添う姿を見ても、何とも思わなかった。あの方は王族とは思えぬほどに穏やか。そんな純粋な彼女と、殿下を支えて行こうって思えたの。
でも、あの女は駄目。あの女を見ると、自分の心の奥からどす黒いものが渦巻くのを感じるの。殿下の寵愛を一身に受ける平民上がりの下位令嬢。その座に胡座をかき、殿下に相応しくなる努力すらしない。なのに、殿下の目は常に彼女を見ているの。彼女に夢中になってどんどん評判を落としていく殿下を見ていられなかったわ。だから私が何とかしなきゃって、あの女に貴族の常識を教え込もうと努力した。でも結局、それはなんの役にも立たなかったのね。殿下はあの様に女に溺れ、堕落してしまった。貴族の常識すら抜け出てしまった様に見えるわ。それがあの女のせいだとするのなら、あれは恐ろしい女よ。」

そこでカトリーナは顔を上げ、マリーを真っ直ぐ見つめた。

「もうあの二人に関わるのは止めるわ。私の手には余るもの。あなたには無理矢理付き合わせて、悪かったわね。あなたも元は穏やかな性格だもの。嫉妬に狂った私に付いて行くのも大変だったでしょう?」
「そんな、カトリーナ様、私は…」
「あなたが私に付き従うのはリーネスト子爵家がテールマン公爵家の傘下にあるから。でも、そんなに無理してまで私の取り巻きでいる必要なんてないのよ。あなたが私の下にいなくたって、それを家同士の問題に持ち込んだりはしないわ。」
「カトリーナ様…。私があなたに付き従うのは、家同士の力関係の問題ではありません。一年生の時、内気で周りと馴染めなかった私に、初めて声をかけてくれたのはカトリーナ様、あなたです。王族に次ぐ地位にありながら、私の様な下位貴族の者にも気を配るそのお姿を、私は敬愛しているのです。どうか、今後も私をお側に置いてくださいませんか?」
「マリー…ありがとう、高慢で陰険な令嬢の代表みたいな存在の私を、お世辞抜きでそんなに褒めてくれるのはあなただけよ。でも、私取り巻きはもういらないって決めたの。」
「カトリーナ様…」
「お友達になってちょうだい、マリー。実は私、友達なんて一人もいないのよ。あなたと同じね。」
「カトリーナ様…勿論ですわ!一生、友人としてお側にいさせてください!」
「ふふ、嬉しいわ、マリー。これからもよろしくね。それに今後は、私が足を踏み外したら、きちんと教えてちょうだい。私を止めてくれる存在が、必要だと思うの。」
「お任せください。カトリーナ様が道を踏み外さぬ様、僭越ながら私が全力でご協力してみせます!」
「ありがとう、頼りにしてるわ。」

カトリーナはここ最近で一番の笑みを浮かべた。その笑顔は、勝気な令嬢などではなく、可愛らしい少女のものであった。
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