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15歳
王女の涙3
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「…何をしているんだ、兄上は…正気か?他国の王女を何の証拠もなく責め立てるなど。そもそもオディリア嬢は兄上の婚約者じゃないか。それなのに…」
「きっと私に何か至らないところがあったのですわ。あの時、苛めの現場を見つけた時、直ぐさま止めればよかったのだわ。なのに、私ったら自業自得だと、止めもしなかったの。そういうところがアダルヘルム様の気に触ったのね。」
「いいえ、オディリア様は何も悪くはありませんわ。あれは完全に殿下の早とちり。次期王として、頂けないくらいに。」
「全くもってローゼリアの言う通りだ。オディリア嬢、兄上に代わり深く謝罪する。不快な思いをさせてしまって、本当に申し訳なかった。」
クローヴィスはそう言うと、深く頭を下げた。王族が謝罪するということは滅多にない。彼らが頭を下げれば、それ即ちアレンタール王国が非を認めたことになるからだ。それを知った上で、クローヴィスは頭を下げた。アダルヘルムの振る舞いは、それ程までに愚かであったと彼は判断したのだ。
「頭をお上げください、クローヴィス様。あなたに謝られる事なんてありませんわ。この事を祖国に報告するつもりもありません。」
「オディリア嬢…しかしそれではあなたの名誉に関わる。」
「あの場に人が大勢いた訳でもありませんし、私は気にしておりませんわ。」
オディリアはそう言って微笑んだが、クローヴィスには彼女が心の中で泣いているように思えてならなかった。単身この国に渡り、知り合いも少なく、週末は厳しい王妃教育。そんな過酷な環境下で、しかしオディリアは弱音一つ吐くこともせず懸命に頑張っているのを、クローヴィスは知っていた。義務的に共に昼食を食べにやってくるアダルヘルムなどよりは遥かに彼女の事を見てきた。アダルヘルムを見つめるオディリアの目に、確かな情愛が籠っているのも、ソフィアとの噂に心を痛めていることもクローヴィスは知っていた。にも関わらずアダルヘルムはそんなオディリアを置いて、最近は昼食さえも来ない日が増え、ソフィアとかいうふざけた令嬢と愛を育んでいるという。婚約者を蔑ろにし他の女にうつつを抜かすなど、同じ王族として、許しがたい愚行だった。
そして最近、オディリア王女がソフィアに嫉妬して他の令嬢をけしかけ、彼女を虐げているという根も葉もない噂が学園内で広まりつつあった。当事者であり、かつ友人の少ないオディリアとローゼリアの耳には未だ入ってはいないようだが、アダルヘルムは恐らくその噂を鵜呑みにし、初めからオディリアを疑っていたのだろう。人の噂など当てにならないと、常にパウロスに裏を取らせていた以前のアダルヘルムの姿は、今はもう見る影もない。
「オディリア嬢…僕はいつでもあなたの味方でいると誓おう。あなたが隣国の王女だから言っている訳ではない。オディリア嬢は僕の大切な友人なんだ。」
「もちろん私もオディリア様の味方ですわ。オディリア様に非がないのに敵になるも何もありませんけれども。何か悩みがあればいつでも私達に相談してくださいね。一人この国に来て、心細い事も多くありましょう。」
「クローヴィス様、ローゼリア様…あ、ありがとうございます…ありがとう、私…」
オディリアの目から涙が一粒流れ落ちた。それを皮切りに、ポロポロと止めどなく流れる涙を制御する事もできず、オディリアは静かに泣き続けた。郷愁の念に耐え、過酷な王妃教育に耐え、アダルヘルムからの仕打ちに耐え、オディリアの心は人知れず磨り減っていった。しかし彼女の次期王妃という立場が、他人に弱音を吐くという事を許さなかった。その張り詰めた緊張の糸が、今この瞬間、プチリと切れてしまった。
ローゼリアとクローヴィスは、そんな彼女に声をかける事なくただ側に寄り添った。
ーーーーーーーーー
「…情けない姿をお見せしてしまいましたわね。」
泣き続ける事数十分、オディリアの涙はやっと止まり、彼女自身も人前で泣いているという事実に羞恥心を感じるまでには落ち着いてきた。
「とんでもないですわ。人間、辛い時は素直に泣かなくてはいずれ病んでしまいますもの。たまには発散するべきですわよ。」
「ふふ。ありがとうございます。あなた達みたいな掛け替えのない友人が出来ただけでも、この国に来て良かったと思えますわ。」
「光栄ですわ。…目が赤くなってしまいましたわね。」
「まあ、どうしましょう。これでは人前に出れませんわ。」
「お任せください、オディリア様。カスパー、出てきなさい。」
「はいお嬢様。」
ローゼリアが扉の向こうに声をかけると、間髪入れずカスパーが入室した。オディリアは彼の存在に目を見開き、クローヴィスは頰を引きつらせた。
「まあ、いつの間に?」
「今に始まった事ではないが、何故毎度居場所が分かるんだ…。本当に規格外だな、ローゼリアの侍従は。」
「ふふ、うちの侍従は特別仕様ですのよ。それよりカスパー、オディリア様にアレを用意して差し上げて。」
「畏まりました。」
カスパーはローゼリアが使ったティーポットから茶葉を取り出し、それをガーゼに包むと冷却魔法を使った。そして冷たくなったガーゼをオディリアの元に持っていくと、それを差し出した。
「これを目元に置いて暫くすればその腫れも収まりましょう。」
「へえ、そうなのね。初めて聞くわ。」
「カスパーは何でも知っていますのよ。」
ローゼリアは自慢げに微笑んだ。そして彼女ははちらりとクローヴィスの方を見ると、その意味を汲み取った彼はそっと席を立った。
「女性の身支度に男の僕が同席するのは無粋だろう。僕は先に教室に戻る事にするよ。ローゼリア達は次の授業までここで休んでいるといい。」
「お気遣いありがとうございます、クローヴィス様。それにこんなに個人的な事に付き合わせてしまって申し訳ありませんわ。」
「気にすることはない。兄上がしでかした事だからな、こちらこそ申し訳なかった。とにかく今は、兄上の事は忘れてゆっくり休んでくれ。今週末の王妃教育も休みにするよう母上に伝えておくから。」
「ありがとうございます。」
クローヴィスはオディリアの頭にそっと手をやると、慰めるように優しく撫でた。
「赤くなった目元も良いが、やはりオディリア嬢のその琥珀色の瞳が一番映えるのは何時もの笑顔だな。早く元気になる事を祈っている。」
「は、はい…」
クローヴィスはそう言いふっと微笑むと、オディリアに背を向け部屋を出た。残されたオディリア達は何も言えずそれを見送ったが、クローヴィスの姿が見えなくなるとオディリアがそっと呟いた。
「た、たらしですわ…」
「そうですわねえ…」
オディリアは頬を染めたままクローヴィスが出て行った扉を見つめた。アダルヘルムのあの冷たい眼光が頭から離れず暗い影を落としていた彼女の心は、いつのまにかすっかり晴れ渡っていた。
「きっと私に何か至らないところがあったのですわ。あの時、苛めの現場を見つけた時、直ぐさま止めればよかったのだわ。なのに、私ったら自業自得だと、止めもしなかったの。そういうところがアダルヘルム様の気に触ったのね。」
「いいえ、オディリア様は何も悪くはありませんわ。あれは完全に殿下の早とちり。次期王として、頂けないくらいに。」
「全くもってローゼリアの言う通りだ。オディリア嬢、兄上に代わり深く謝罪する。不快な思いをさせてしまって、本当に申し訳なかった。」
クローヴィスはそう言うと、深く頭を下げた。王族が謝罪するということは滅多にない。彼らが頭を下げれば、それ即ちアレンタール王国が非を認めたことになるからだ。それを知った上で、クローヴィスは頭を下げた。アダルヘルムの振る舞いは、それ程までに愚かであったと彼は判断したのだ。
「頭をお上げください、クローヴィス様。あなたに謝られる事なんてありませんわ。この事を祖国に報告するつもりもありません。」
「オディリア嬢…しかしそれではあなたの名誉に関わる。」
「あの場に人が大勢いた訳でもありませんし、私は気にしておりませんわ。」
オディリアはそう言って微笑んだが、クローヴィスには彼女が心の中で泣いているように思えてならなかった。単身この国に渡り、知り合いも少なく、週末は厳しい王妃教育。そんな過酷な環境下で、しかしオディリアは弱音一つ吐くこともせず懸命に頑張っているのを、クローヴィスは知っていた。義務的に共に昼食を食べにやってくるアダルヘルムなどよりは遥かに彼女の事を見てきた。アダルヘルムを見つめるオディリアの目に、確かな情愛が籠っているのも、ソフィアとの噂に心を痛めていることもクローヴィスは知っていた。にも関わらずアダルヘルムはそんなオディリアを置いて、最近は昼食さえも来ない日が増え、ソフィアとかいうふざけた令嬢と愛を育んでいるという。婚約者を蔑ろにし他の女にうつつを抜かすなど、同じ王族として、許しがたい愚行だった。
そして最近、オディリア王女がソフィアに嫉妬して他の令嬢をけしかけ、彼女を虐げているという根も葉もない噂が学園内で広まりつつあった。当事者であり、かつ友人の少ないオディリアとローゼリアの耳には未だ入ってはいないようだが、アダルヘルムは恐らくその噂を鵜呑みにし、初めからオディリアを疑っていたのだろう。人の噂など当てにならないと、常にパウロスに裏を取らせていた以前のアダルヘルムの姿は、今はもう見る影もない。
「オディリア嬢…僕はいつでもあなたの味方でいると誓おう。あなたが隣国の王女だから言っている訳ではない。オディリア嬢は僕の大切な友人なんだ。」
「もちろん私もオディリア様の味方ですわ。オディリア様に非がないのに敵になるも何もありませんけれども。何か悩みがあればいつでも私達に相談してくださいね。一人この国に来て、心細い事も多くありましょう。」
「クローヴィス様、ローゼリア様…あ、ありがとうございます…ありがとう、私…」
オディリアの目から涙が一粒流れ落ちた。それを皮切りに、ポロポロと止めどなく流れる涙を制御する事もできず、オディリアは静かに泣き続けた。郷愁の念に耐え、過酷な王妃教育に耐え、アダルヘルムからの仕打ちに耐え、オディリアの心は人知れず磨り減っていった。しかし彼女の次期王妃という立場が、他人に弱音を吐くという事を許さなかった。その張り詰めた緊張の糸が、今この瞬間、プチリと切れてしまった。
ローゼリアとクローヴィスは、そんな彼女に声をかける事なくただ側に寄り添った。
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「…情けない姿をお見せしてしまいましたわね。」
泣き続ける事数十分、オディリアの涙はやっと止まり、彼女自身も人前で泣いているという事実に羞恥心を感じるまでには落ち着いてきた。
「とんでもないですわ。人間、辛い時は素直に泣かなくてはいずれ病んでしまいますもの。たまには発散するべきですわよ。」
「ふふ。ありがとうございます。あなた達みたいな掛け替えのない友人が出来ただけでも、この国に来て良かったと思えますわ。」
「光栄ですわ。…目が赤くなってしまいましたわね。」
「まあ、どうしましょう。これでは人前に出れませんわ。」
「お任せください、オディリア様。カスパー、出てきなさい。」
「はいお嬢様。」
ローゼリアが扉の向こうに声をかけると、間髪入れずカスパーが入室した。オディリアは彼の存在に目を見開き、クローヴィスは頰を引きつらせた。
「まあ、いつの間に?」
「今に始まった事ではないが、何故毎度居場所が分かるんだ…。本当に規格外だな、ローゼリアの侍従は。」
「ふふ、うちの侍従は特別仕様ですのよ。それよりカスパー、オディリア様にアレを用意して差し上げて。」
「畏まりました。」
カスパーはローゼリアが使ったティーポットから茶葉を取り出し、それをガーゼに包むと冷却魔法を使った。そして冷たくなったガーゼをオディリアの元に持っていくと、それを差し出した。
「これを目元に置いて暫くすればその腫れも収まりましょう。」
「へえ、そうなのね。初めて聞くわ。」
「カスパーは何でも知っていますのよ。」
ローゼリアは自慢げに微笑んだ。そして彼女ははちらりとクローヴィスの方を見ると、その意味を汲み取った彼はそっと席を立った。
「女性の身支度に男の僕が同席するのは無粋だろう。僕は先に教室に戻る事にするよ。ローゼリア達は次の授業までここで休んでいるといい。」
「お気遣いありがとうございます、クローヴィス様。それにこんなに個人的な事に付き合わせてしまって申し訳ありませんわ。」
「気にすることはない。兄上がしでかした事だからな、こちらこそ申し訳なかった。とにかく今は、兄上の事は忘れてゆっくり休んでくれ。今週末の王妃教育も休みにするよう母上に伝えておくから。」
「ありがとうございます。」
クローヴィスはオディリアの頭にそっと手をやると、慰めるように優しく撫でた。
「赤くなった目元も良いが、やはりオディリア嬢のその琥珀色の瞳が一番映えるのは何時もの笑顔だな。早く元気になる事を祈っている。」
「は、はい…」
クローヴィスはそう言いふっと微笑むと、オディリアに背を向け部屋を出た。残されたオディリア達は何も言えずそれを見送ったが、クローヴィスの姿が見えなくなるとオディリアがそっと呟いた。
「た、たらしですわ…」
「そうですわねえ…」
オディリアは頬を染めたままクローヴィスが出て行った扉を見つめた。アダルヘルムのあの冷たい眼光が頭から離れず暗い影を落としていた彼女の心は、いつのまにかすっかり晴れ渡っていた。
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