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タイムリミット
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『IMG帝塚代表 都筑智則』
高所得者を匂わす肩書き。この顔……。
ふーん。でも私はそんなものにときめく年頃をとっくに過ぎちゃってるけどね。友人よ、あんたはこういう男を求めていたのではないかい?
「まあ、それはご丁寧に。すみません、私、九鬼と申します。ああ、もちろん本当の名前です。インテリアデザインをやっております」
「そうですか。九鬼さん……」
名刺……。持ってきてないわ。財布に昔のがあったかも。男をあさる目的も仕事をゲットするつもりもないのだから。この人が隣にいるせいなのか鬱陶しいフリートークのやり取りを逃れることが出来そうだ。誰も寄ってこない。
「そろそろいいかな。出ませんか」
彼が囁いた。
「え?」
「出るんですよ。確か、この時間内に『成立』すれば出て行ってよかったはずですよ」
「ええ?」
そうだったかしら。成立って。何か変な人。でもまあここを出られればいい、その点では目的が一致してるわ。
私は彼と一緒に部屋を出た。今度はスーッとエレベーターに乗ることが出来、無事ロビーへと降りた。もちろんその間にリボンは外して。バッグの財布の中から、しおれた名刺を差し出して。
「九鬼塔子さん……」
彼はなぜか私の名前を呟いた。毎度のことながら聞きたくないフルネーム。強そうでしょう?
「あの、すみません。助かりました」
フロントの前にさしかかり、私は先に帰ろうと挨拶をした。
「いいえ。こちらこそ。あの、九鬼さん、よかったらこれからご一緒しませんか?」
「え?」
一緒? 帰るのではなくて? 私はぽかんと口を開けた。
「一応参加される名目で来られたのでしょう? お急ぎではないのでは?」
まあ、そうなんですけど。……だからと言ってあなたとご一緒する理由もないわ。
「ええ。ですが、少々疲れてしまって。うふふ、もう『若く』はありませんので。大変申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」
若く、を心持ち強調する私。ホントかわいくない。仕方ないわよ、『性分』なんだから。あそこにいた女子たちとは違うの。いい男よりも何よりも、今はこの靴、このヒラヒラした格好から開放されたいの!
「あの、では、送らせてください。ご自宅まで」
「え? 結構ですわ。大丈夫です。一人で帰れますっ」
つんっと私はそっぽを向いて出口に向かおうとした。だけど……。運悪く、というか、カーペットに足をとられて、バランスを失った。
「きゃっ」
ぐきっとかかとが飛び出して転びそうになる。
「九鬼さん」
「わっ」
もう一度声を上げる私。彼がとっさに……。私の腕を引き寄せたからだ。
「大丈夫ですか?」
うわっ……。一瞬抱きしめられた格好になって胸がドキンと鳴った。がっしりした肩、広い胸。細そうに見えてたくましいのね、この人。――じゃなくって、ちょっと放して、ヒールに躓いたくらいで。……いや? あれ、変。躓いた右足のヒールがぶらぶらしている。
「あー、やだー、この靴っ」
ちらっとかかとを上げて覗き込むと無残にもヒールが根元から折れていた。どういうことよ、コレ。こんなに軟弱に出来てたの?……ああ、もしかして湿気てたのかもしれないわ、クローゼットから取り出すの苦労したし!
「やだ、もう。あんまり履いてないのに……」
高かったのに……。思わずぼやきが出ると言うもの。
「大丈夫? 歩けますか?」
彼も覗き込んで事態に気付いた。
「……これじゃ歩けないですね。人を呼びましょう。ああ、君」
そしてすぐにボーイを呼ぶ……。
「えっ?」
私は慌ててそれをとめた。本当にホテルの従業員がこっち来るじゃないの。あーん、みっともなっ。いかに履きなれてないかバレバレじゃない。……大体このカーペット、ふかふかすぎるのよっ。
「あ、あの、構いませんから。帰れますっ。タクシーに乗っちゃえば平気ですっ」
「危ないですよ。捻挫しちゃいます。代わりの靴を用意させましょう」
そんなサービスありましたっけ?
有無も言わさず、その人はしゃしゃっと私をソファに座らせ、彼が言ったとおりにホテルマンは新しい靴を持ってきた……。靴売り場の店員さんのごとく要領を得て。
「あ、あの……」
ちょっとコレ、ブランドものじゃないの。と目を丸くしてるところに「はい、どうぞ」と言われ、おそるおそる自分の足をそこの靴に乗せる私。ぴったし。何でサイズわかるの? 何なのよ、この展開。何て言ったらいいの?
「……どうしましょう、私。お、お支払いしなくては。カードで大丈夫ですか」
彼はクッと笑って、またまたスマートにこう言う。
「いいんですよ、そんなことは。それより大丈夫ですか? ひねってしまいませんでした?」
ええ? 何がいいの? 何、この人。ホント、返答に困るのよ!
「へ、平気です、ホラ!」
私はぱっと立ち上がり、すぐによろめきそうになる。捻挫はしてないだろうが少しは痛い。
「ほら、あまり動かないほうがいいですよ。送っていきますから」
「いいえ、いいえ! 結構です」
この人マジでこの靴買っちゃったの? いつよ? ああ、ダメだ、このペース……。
私はとにかくこの場を逃げ出したかった。
「ごめんなさい、都筑さん、でしたわね? お返しは必ずいたします――」
「九鬼さん」
よく考えればそこまで拒絶する理由なんてないのだけれども……。ダーッと私は全力疾走でドアに走っていき、タクシーに飛び乗った。
ドキドキだった。
「やだ、もうっ。ナニよ、ヘンな人――」
高所得者を匂わす肩書き。この顔……。
ふーん。でも私はそんなものにときめく年頃をとっくに過ぎちゃってるけどね。友人よ、あんたはこういう男を求めていたのではないかい?
「まあ、それはご丁寧に。すみません、私、九鬼と申します。ああ、もちろん本当の名前です。インテリアデザインをやっております」
「そうですか。九鬼さん……」
名刺……。持ってきてないわ。財布に昔のがあったかも。男をあさる目的も仕事をゲットするつもりもないのだから。この人が隣にいるせいなのか鬱陶しいフリートークのやり取りを逃れることが出来そうだ。誰も寄ってこない。
「そろそろいいかな。出ませんか」
彼が囁いた。
「え?」
「出るんですよ。確か、この時間内に『成立』すれば出て行ってよかったはずですよ」
「ええ?」
そうだったかしら。成立って。何か変な人。でもまあここを出られればいい、その点では目的が一致してるわ。
私は彼と一緒に部屋を出た。今度はスーッとエレベーターに乗ることが出来、無事ロビーへと降りた。もちろんその間にリボンは外して。バッグの財布の中から、しおれた名刺を差し出して。
「九鬼塔子さん……」
彼はなぜか私の名前を呟いた。毎度のことながら聞きたくないフルネーム。強そうでしょう?
「あの、すみません。助かりました」
フロントの前にさしかかり、私は先に帰ろうと挨拶をした。
「いいえ。こちらこそ。あの、九鬼さん、よかったらこれからご一緒しませんか?」
「え?」
一緒? 帰るのではなくて? 私はぽかんと口を開けた。
「一応参加される名目で来られたのでしょう? お急ぎではないのでは?」
まあ、そうなんですけど。……だからと言ってあなたとご一緒する理由もないわ。
「ええ。ですが、少々疲れてしまって。うふふ、もう『若く』はありませんので。大変申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」
若く、を心持ち強調する私。ホントかわいくない。仕方ないわよ、『性分』なんだから。あそこにいた女子たちとは違うの。いい男よりも何よりも、今はこの靴、このヒラヒラした格好から開放されたいの!
「あの、では、送らせてください。ご自宅まで」
「え? 結構ですわ。大丈夫です。一人で帰れますっ」
つんっと私はそっぽを向いて出口に向かおうとした。だけど……。運悪く、というか、カーペットに足をとられて、バランスを失った。
「きゃっ」
ぐきっとかかとが飛び出して転びそうになる。
「九鬼さん」
「わっ」
もう一度声を上げる私。彼がとっさに……。私の腕を引き寄せたからだ。
「大丈夫ですか?」
うわっ……。一瞬抱きしめられた格好になって胸がドキンと鳴った。がっしりした肩、広い胸。細そうに見えてたくましいのね、この人。――じゃなくって、ちょっと放して、ヒールに躓いたくらいで。……いや? あれ、変。躓いた右足のヒールがぶらぶらしている。
「あー、やだー、この靴っ」
ちらっとかかとを上げて覗き込むと無残にもヒールが根元から折れていた。どういうことよ、コレ。こんなに軟弱に出来てたの?……ああ、もしかして湿気てたのかもしれないわ、クローゼットから取り出すの苦労したし!
「やだ、もう。あんまり履いてないのに……」
高かったのに……。思わずぼやきが出ると言うもの。
「大丈夫? 歩けますか?」
彼も覗き込んで事態に気付いた。
「……これじゃ歩けないですね。人を呼びましょう。ああ、君」
そしてすぐにボーイを呼ぶ……。
「えっ?」
私は慌ててそれをとめた。本当にホテルの従業員がこっち来るじゃないの。あーん、みっともなっ。いかに履きなれてないかバレバレじゃない。……大体このカーペット、ふかふかすぎるのよっ。
「あ、あの、構いませんから。帰れますっ。タクシーに乗っちゃえば平気ですっ」
「危ないですよ。捻挫しちゃいます。代わりの靴を用意させましょう」
そんなサービスありましたっけ?
有無も言わさず、その人はしゃしゃっと私をソファに座らせ、彼が言ったとおりにホテルマンは新しい靴を持ってきた……。靴売り場の店員さんのごとく要領を得て。
「あ、あの……」
ちょっとコレ、ブランドものじゃないの。と目を丸くしてるところに「はい、どうぞ」と言われ、おそるおそる自分の足をそこの靴に乗せる私。ぴったし。何でサイズわかるの? 何なのよ、この展開。何て言ったらいいの?
「……どうしましょう、私。お、お支払いしなくては。カードで大丈夫ですか」
彼はクッと笑って、またまたスマートにこう言う。
「いいんですよ、そんなことは。それより大丈夫ですか? ひねってしまいませんでした?」
ええ? 何がいいの? 何、この人。ホント、返答に困るのよ!
「へ、平気です、ホラ!」
私はぱっと立ち上がり、すぐによろめきそうになる。捻挫はしてないだろうが少しは痛い。
「ほら、あまり動かないほうがいいですよ。送っていきますから」
「いいえ、いいえ! 結構です」
この人マジでこの靴買っちゃったの? いつよ? ああ、ダメだ、このペース……。
私はとにかくこの場を逃げ出したかった。
「ごめんなさい、都筑さん、でしたわね? お返しは必ずいたします――」
「九鬼さん」
よく考えればそこまで拒絶する理由なんてないのだけれども……。ダーッと私は全力疾走でドアに走っていき、タクシーに飛び乗った。
ドキドキだった。
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