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【前日譚】都筑家の事情
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香港と深圳の間にある父の居城は洋風建築の古城で、前の持ち主が相当こだわって建てたのだろう、床や柱の大理石は欧州の特注品、あるいは本物の城で使われていたものを取り寄せた本格仕様だ。
ここだけイギリス統治時代に戻ったのかと思わせんばかりに景観がガラッと変わる。
庭園も整えられ、芝生の広場はヘリ発着場も兼ねている。
「よく来たな、まあ、入りなさい」
外見もだが中に入ると中世の城に迷い込んだような錯覚に陥る。勿論父の趣味ではない。
ベルサイユやシェーンブルグ宮殿よりも以前の、華美な装飾のないとても優雅で古い暖炉も家具も古いままきれいに保たれ空気の匂いも決して埃めいた重苦しさはない。
それは父が清潔好き(すぎる)だからだ。
「お父さん、もてなしはいいですよ。見せたいものとは何です」
「まあ、そう急くな。一呼吸置かんか」
広間の長いテーブルの椅子に座らされる。
これも優美な曲線の模様を多用したアンティークな調度品だ。
湿度の多い香港でこの状態で残っているのはすごい。
出されたのは香港式飲茶だ。
小さなセイロの点心に白ワインを合わせる。
…不気味な。
何を見せられるんだろう。
先に見せるととても食べるどころではなくなるから
腹を満たしておけという意味か。
対象物が何であれ、そうに違いない。覚悟しておくに越したことはない。
意外とおいしかった白ワインにほっとさせられ、別の棟に案内された。
どこの国式か…周りを木々で囲まれ怪しげな尖塔である。
ギィイ…鉄の留め金がはめられた古い木の扉だ。
ここへは初めて入る気がする。
「こんな城ありましたかね」
「古いから何をするにも便利でね」
…どうやらここが父の実験棟か。内部は古い木の椅子や家具もあるが、真新しいステンレスや新建材の物体がほとんどだ。何かの装置に見える。
「いつ見せようか考えていたのだがね。或いはお前の誕生日あたりにと思ってみたが、きっかけがつかめなくて」
父は一度その何に使うのかよくわからない設備の奥へと引っ込んだ。
そこに椅子はあるものの座る気にならなくて立っていると、
父はガラガラと半月型のカプセル的なものを乗せられたキャスター付きの台座を押してきた。
「何ですか、これは」
目の前に置かれ、視線を落とすと同時に目を見開いた。
「お、とう…さ…」
半月型…巨大なかまぼこ型のカプセル…ちょうど人一人入れるサイズの、金属と何かでできたそれに透明の小窓がついていてそこに若い女性の顔が…あった。
「…お前に、と思ってな。まどかというんだ」
「え…」
失語状態。
今、なんと。
「私の、ここの最新テクノロジーを駆使して作った最高傑作だ。
お前の嫁にどうだろう 」
は?
作った…?
「つ、つくる…?」
「作ったのだよ。勿論一からではないぞ。私の隠し子でもない」
と言って高らかに笑い声をあげる。
天井が高く、金属やら石やらそこら中に反射して響いた。
「おとうさん…」
もっと説明がないとさっぱりわからない。
だが…これ以上聞きたくない。
「私の最高傑作はお前だよ。それはゆるぎない。それが、お前の代で止まってしまうのは何とも忍び難い」
「え?」
「残したいんだよ、お前の血を継ぐ子供をな」
いやだから結婚しないとは一言も言ってないのだが?
子供にしたって…欲しくないと言った覚えはない。
それでなぜこんなものがここにあるんだ。
「悪くはないだろう、若くて賢くて風貌もよい」
父はそう言ってカプセルのふたを開けた。
またもや驚。
「お、お父さん、せめて服を着せてください!!」
それはまだ少女のかたちをしていた。少女の体つき。肩までの髪、目を閉じているが確かに利発そうな、整った顔立ちをしている。
「ははは…。そうだな、うっかりしていた。しかしここは私ひとりの秘密のラボだ。女っ気がなくてな」
「ええ!?…つくったってどういうことです? これを!?」
「だから遺伝子をつなぐものだよ。お前の遺伝子の適正に合わせた配偶者。…そして子供を産むには若い方がいいだろう?」
「どういうことです? 適性?」
「…この国にはな、無数の身元不明者が存在するのだよ。多くが家族からも国からも見捨てられた存在だ。ごくわずかが生き残り街に混ざり住んでいる。…まどかはそういう孤児の集合体だ」
「しゅ、集合…?」
「見るも無残な形で医療センターに運ばれてきたそうだ。そのままだと息絶えていた。だが、遺伝子的には素晴らしいよくできた個体だった」
「い、意味が分かりません…」
「それ以上は察しろ。私もすべての行程を話すつもりはない」
再び無声。
それでは⦅これ⦆は…。
「改造人間!?」
口を突いて出た言葉がそれだった。
「はっは、改造人間とはお前も古風な言い方をするな」
父は笑うがこっちはそれどころじゃない。
そうは言っても他に何といえばいい?
死にかけていた女の子を蘇らせた…? なんて言うんだ?
「そんなに残したいですか、遺伝子」
「お前は残したいと思わないのか」
「いいえ。今はじめてそういう欲求があるのだと知りました」
「遺伝子…正確に言うと妻のな」
「お母さんの?」
「私は玲子と結婚してお前という宝を授かった。それは妻が素晴らしい女性だという証でもある。残念ながら道をたがえてしまったが、残したいんだよ、彼女の痕跡を、お前とともに、家系ともども」
「それは…お母さんの実家の人間が聞けば喜ぶでしょうね」
父は少し意外な顔を見せて小さく頷いた。
「優れた遺伝子を残しつないでいきたいと思うのは、人間の欲望だろう。本能だ。
……そうだろう?」
ここだけイギリス統治時代に戻ったのかと思わせんばかりに景観がガラッと変わる。
庭園も整えられ、芝生の広場はヘリ発着場も兼ねている。
「よく来たな、まあ、入りなさい」
外見もだが中に入ると中世の城に迷い込んだような錯覚に陥る。勿論父の趣味ではない。
ベルサイユやシェーンブルグ宮殿よりも以前の、華美な装飾のないとても優雅で古い暖炉も家具も古いままきれいに保たれ空気の匂いも決して埃めいた重苦しさはない。
それは父が清潔好き(すぎる)だからだ。
「お父さん、もてなしはいいですよ。見せたいものとは何です」
「まあ、そう急くな。一呼吸置かんか」
広間の長いテーブルの椅子に座らされる。
これも優美な曲線の模様を多用したアンティークな調度品だ。
湿度の多い香港でこの状態で残っているのはすごい。
出されたのは香港式飲茶だ。
小さなセイロの点心に白ワインを合わせる。
…不気味な。
何を見せられるんだろう。
先に見せるととても食べるどころではなくなるから
腹を満たしておけという意味か。
対象物が何であれ、そうに違いない。覚悟しておくに越したことはない。
意外とおいしかった白ワインにほっとさせられ、別の棟に案内された。
どこの国式か…周りを木々で囲まれ怪しげな尖塔である。
ギィイ…鉄の留め金がはめられた古い木の扉だ。
ここへは初めて入る気がする。
「こんな城ありましたかね」
「古いから何をするにも便利でね」
…どうやらここが父の実験棟か。内部は古い木の椅子や家具もあるが、真新しいステンレスや新建材の物体がほとんどだ。何かの装置に見える。
「いつ見せようか考えていたのだがね。或いはお前の誕生日あたりにと思ってみたが、きっかけがつかめなくて」
父は一度その何に使うのかよくわからない設備の奥へと引っ込んだ。
そこに椅子はあるものの座る気にならなくて立っていると、
父はガラガラと半月型のカプセル的なものを乗せられたキャスター付きの台座を押してきた。
「何ですか、これは」
目の前に置かれ、視線を落とすと同時に目を見開いた。
「お、とう…さ…」
半月型…巨大なかまぼこ型のカプセル…ちょうど人一人入れるサイズの、金属と何かでできたそれに透明の小窓がついていてそこに若い女性の顔が…あった。
「…お前に、と思ってな。まどかというんだ」
「え…」
失語状態。
今、なんと。
「私の、ここの最新テクノロジーを駆使して作った最高傑作だ。
お前の嫁にどうだろう 」
は?
作った…?
「つ、つくる…?」
「作ったのだよ。勿論一からではないぞ。私の隠し子でもない」
と言って高らかに笑い声をあげる。
天井が高く、金属やら石やらそこら中に反射して響いた。
「おとうさん…」
もっと説明がないとさっぱりわからない。
だが…これ以上聞きたくない。
「私の最高傑作はお前だよ。それはゆるぎない。それが、お前の代で止まってしまうのは何とも忍び難い」
「え?」
「残したいんだよ、お前の血を継ぐ子供をな」
いやだから結婚しないとは一言も言ってないのだが?
子供にしたって…欲しくないと言った覚えはない。
それでなぜこんなものがここにあるんだ。
「悪くはないだろう、若くて賢くて風貌もよい」
父はそう言ってカプセルのふたを開けた。
またもや驚。
「お、お父さん、せめて服を着せてください!!」
それはまだ少女のかたちをしていた。少女の体つき。肩までの髪、目を閉じているが確かに利発そうな、整った顔立ちをしている。
「ははは…。そうだな、うっかりしていた。しかしここは私ひとりの秘密のラボだ。女っ気がなくてな」
「ええ!?…つくったってどういうことです? これを!?」
「だから遺伝子をつなぐものだよ。お前の遺伝子の適正に合わせた配偶者。…そして子供を産むには若い方がいいだろう?」
「どういうことです? 適性?」
「…この国にはな、無数の身元不明者が存在するのだよ。多くが家族からも国からも見捨てられた存在だ。ごくわずかが生き残り街に混ざり住んでいる。…まどかはそういう孤児の集合体だ」
「しゅ、集合…?」
「見るも無残な形で医療センターに運ばれてきたそうだ。そのままだと息絶えていた。だが、遺伝子的には素晴らしいよくできた個体だった」
「い、意味が分かりません…」
「それ以上は察しろ。私もすべての行程を話すつもりはない」
再び無声。
それでは⦅これ⦆は…。
「改造人間!?」
口を突いて出た言葉がそれだった。
「はっは、改造人間とはお前も古風な言い方をするな」
父は笑うがこっちはそれどころじゃない。
そうは言っても他に何といえばいい?
死にかけていた女の子を蘇らせた…? なんて言うんだ?
「そんなに残したいですか、遺伝子」
「お前は残したいと思わないのか」
「いいえ。今はじめてそういう欲求があるのだと知りました」
「遺伝子…正確に言うと妻のな」
「お母さんの?」
「私は玲子と結婚してお前という宝を授かった。それは妻が素晴らしい女性だという証でもある。残念ながら道をたがえてしまったが、残したいんだよ、彼女の痕跡を、お前とともに、家系ともども」
「それは…お母さんの実家の人間が聞けば喜ぶでしょうね」
父は少し意外な顔を見せて小さく頷いた。
「優れた遺伝子を残しつないでいきたいと思うのは、人間の欲望だろう。本能だ。
……そうだろう?」
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