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2話
王様と王子様
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何だかすっきりしない朝。
ケータイの不破了という名前をガン見して、首をかしげた。
芸名みたいに思うのは気のせい?
一字足せばふかわりょう……。
偽名のにおいが……。
思い切れない私はやはり会長に判断してもらおうと、台詞まで考えていた。
『会長、弟さんに似た人を見たんですけど、一緒に行ってもらえませんか?』
ドキドキしながらドアを開けて。
いつも私より早い会長は既にそこにいた。
見るなりあれ? と思った。
久しぶりに眼鏡をかけたお姿だったのだ。
「おはようございます」
「おはよう」
眼鏡に挨拶してるみたいに思わずじーと見つめてしまう。
何故復活?
いちいち反応してる私って中学生か。
いや、反応しない方がどうかしてる。
前とは違う薄いシルバーフレームの眼鏡。よくお似合いで!
メガネフェチでもないのに目覚めてしまいそうじゃないですか。
雰囲気だって違う。
ワントーン明るいスーツだからか。
ライトグレーの三つ揃え。
何となく不機嫌そうに見えるのは気のせいか。
昨日の外回り、ひょっとして長引いちゃったのかな?
言うの忘れて見つめてるもんだから変な顔される。
「何だ? 何か言いたいことがあるのか」
「はっ、あの」
「……言いにくいことか? 君が私に言えないこととは何だろうな」
そんな言い方されると余計言いにくいじゃないー。
『かっこいいっすね♪』なんておちゃらけようものなら睨まれちゃいそう。
――マジでかっこいいんですけど。
前の黒髪眼鏡スタイルとはまた違う。
袖口からちらちら覗く時計はオーデマピゲのピアノの鍵盤のヤツ。
ベーシックなスタイル、ちら見せの個性的な時計。
スタイリストがついてるんじゃないの? と思うほどのキメようだ。
「金の話か? 君は妙に遠慮するからな」
「い、いえ」
お言葉ですが。
赤の他人の部下にカードをぽんと渡すあなたの方がおかしいのですよ。
「私も君に話があるんだが。先に言わせて貰うよ」
ドキ。が、それはただの連絡事項だった。
「1時過ぎ、緑川が来るから何か出してやってくれ。軽食で結構だ」
緑川さん
「君と話がしたいそうだ。髪は結わなくていいよ」
私はロングヘアーなので勤務中は結うなり結ぶなりしてる。来客があるとあらかじめ分かってる日は編み込みお団子ヘアー。低い位置で両サイドにね。
今日はそれするなと?
見てないようで見てるんだなあ
「昼食もそれに合わせてくれ。それまで飲み物以外はいらない」
「はい」
結局言えなかったじゃないー。
食事いらないって、やっぱり昨夜遅くなったのかな。
今晩は会食の予定入ってる。
明日は泊りがけ接待ゴルフ……。
胃に優しげなメニューに変更。
約束時間の少し前。
緑川さんは部屋に入るなり「おお」と声を上げた。
「いいじゃん~。部屋らしくなったなあ。ナル、一家の主っぽいな」
この人限定、随分可愛らしく聞こえる愛称で呼ばれる会長はそれには答えず表情だけ崩してテーブルに着いた。
「市川さん、こんにちは。いつもすみませんね、ご馳走になります」
明るいけれど品のある明るさ。さすがお金持ちのお坊ちゃんよ。
ここに来るのはそういう人ばかりなので本当に助かる。
私は秘書室の人たちにありがたがられてるみたいだけれど、それは私も同じですよ!
あの人たちは、カフェの裏側がどんなだか知らないだろう。
毎日のランチタイムの戦場状態にはじまり、プチパーティや披露宴二次会なんかの貸切も結構多かったが、そういうお客様のまー、わがままなこと!
にわか保育士となってギャン泣きのおこちゃまのお世話したり、明らかに浮いてるおっさんが暴れだしたり、カラオケボックスの店員と化したり、色んなことがあったな。
薄給でそれを強いられるのだから体調だって崩しますって。
それに比べればここは天国だ。
ご主人様はかっこいいし、何でも食べてくれるし、お客様はそのご主人様厳選のvipしかやって来ないし。何故か貧相なものほど喜ばれるという変な舌持ちだし。
予算はこれまた某アニメの4次元ポケットかっつーほどザルだし。
来客メニューは、野菜とチキンをのせた薄~いフラットブレッドに付け合せは豆腐と豆のディップ。マスタードをきかせたあっさりめのソースをかけて。海藻と人参のスープ。手づくりハニージンジャーエール。チキンはヨーグルトでやわらかく仕上げた。
「ますますいい感じになったな。ナルの趣味だろ、これ」
「……ラナに会ったんだよ」
「ラナ? ラナ・ジーンか」
「ああ。EHDのMDだそうだ」
「へえ~。今東京に?」
「そこのホテルの改装をするらしい」
「ほ~。それでここも?」
「ふ、そういう話になってたよ。エレベーターで話しただけなんだが」
「出世したなあ」
「いや、そうとも言えんらしい。福岡と、大阪も回って、その後大口が入っていない。フリーの方が楽だったと嘆いていた」
「どこも厳しいなあ」
NYでバリバリ働いてたんだろな。
しかし聞けば聞くほどザルだなあ、会長、大丈夫なのかな?
言い方からして会社の経費じゃないっぽいが……。
緑川さんは食後一服した後キッチンを見せてくれと言ってきた。
「ひょひょ~。いいじゃん、いいじゃん、新婚さんのキッチンだねえ」
「くす。そう見えますか? 緑川さん、願望があるんじゃないですか」
「いやぁ、逆にこういうの見せられて願望が生まれるんだよ」
カウンターと窓際にずらっと並んだハーブ類のポットや花を挿したグラスをにこにこしながら見て回る。それって学校の先生みたいですよ?
「順調に育ってるって感じだねえ。ナルにもやっと春が来たんだな」
うん? キッチンはそうですわ。お金かけてもらってる。
「まだまだ置けるね。何でも言って買ってもらいなよ」
「まさかー。一応会社ですよ、ここ」
「いいんだよ。ナルは甘えて欲しいのさ」
そういうのはお嫁さんになる人に言って。
今の所会長は結婚する気ないみたいだけど。
あれ程かっこいいのにもったいない話ではある。
「色々あったもんなあ。ナルにこそ幸せになって欲しいよ、オレは!」
意味深に窓の外を見つめる緑川さんを見てふと思った。
この人、もしかして、高広くんのこと知ってる?
もしそうなら。
会長よりこの人の方が言いやすいわ。
「あ、あの……」
「ん?」
「緑川さんて、会長の弟さん、ご存知なんですか?」
「高広か? うん、知ってるよ」
やっぱり!
「それで今、どこにいるかわからないって……」
「ああ、そうだね。残念だけど。ナルが話したのかな」
「はい」
「君には結構話してるんだね。もしかして、そのきっかけになった事件のことも?」
私は頷いた。
「そっか」
緑川さんは穏やかに微笑んだ。
「それで、写真見せてもらって、よく似た人見たんですよね、新宿で」
「え?」
「その、歌舞伎町なんですけど。ホストさんなの……」
声が小さくなる。
「香苗ちゃん!」
緑川さんはいきなり呼び名を変え、私の両肩をがしっと掴んだ。
「君は何ていい人なんだ! そこまで考えてくれてるのか、ナルのこと。オレは感動した!」
目がうるうるしてない?
駅でぶつかっただけなんですけど。
店に会いに行きはしましたが。
吉永さんに半分払ってもらって。
「いいんだよ、君はそこまでしなくても! 親父さんが手を尽くしてる筈だ」
「でも……よく似てたんで」
「オレも何度か高広っぽいヤツ東京で見かけたよ」
「えっ、そうなんですか」
「ああ。ナルは王様タイプだが高広はモロ王子様キャラだからな。似たヤツはホストにいそうだね」
王様!? そうね、帝タイプね。
「でもなあ、顔はいいが、ナルより変わってるかもしれないな。九条兄弟は何から何まで正反対でさ。クールなナルに対して高広は全くの自由人。明るくてとっ ちらかった性格だよ。おふくろさんにそっくりらしい。スーツ着るのが大嫌いで女に全然興味ないんだ。あ、だからといってゲイの類じゃないよ。かっこいいん だが、女を寄せ付けないオーラを放ってるんだ」
違うのかな?
あの人、すごい人気あった。
にこにこして、慣れていたし。スーツも着てたな。お水系だけど。
「会長も女性を近づけない感じですよね?」
「ああ、今はね。昔はそれなりにいたよ。ていうか、仕事できてあの外見だからさ、人が寄ってこないわけないんだ」
「そうですか」
「あくまでも昔の話だよ。ナルはあの通り典型的なAB型で中々理解されなくてさ。気を回しすぎて逆に冷たく取られちゃうんだ。それでもめるの、しょっちゅうね。オレは免疫あるからどうってことないけど」
「免疫?」
「石を投げればABに当たるような家で育ったからね」
「それは珍しいですね。一番少ないんじゃないですか?」
「そう中々複雑な家庭なんだよー。ナルもね、根はいいやつなんだよ。やっとそこを理解してくれる子に出会ったんだな。オレは嬉しい! 自分のことよりも嬉しいぞ!」
またがしっと肩をつかまれる。
「ああ、成明、苦労した甲斐があったなあ。やべえ、マジで涙出てきた」
肩震わせ……。
私はそっと離れて常備している蒸しタオルを差し出した。
「はい。ご自慢の眼鏡が汚れちゃいますよ」
「気が利くなあ。ありがと」
緑川さんは眼鏡を外し顔を拭う。
「いい匂いがする」
「香りを忍ばせているんですよ。お店では当たり前のことです」
「そっかー。ああ、いいなあ、オレも結婚したくなってきちゃった! 婚活パーティ申し込んでみようか」
あらあら飛躍しますね。
「取り乱しちゃってすまん。オレはナルの歴代の彼女見てきてるから感慨もひとしおなんだ」
歴代って。そんなに?
ひょっとして、アメリカ時代=会長のモテ期?
「あー、さっぱりした。香苗ちゃん、今後もナルのことよろしく頼みますわ。香苗ちゃんの支えが何より力になると思うから」
「はいはい」
そんなんじゃないんだけどなー。
何言っても無駄か。
「ありがとうございました。弟さんのお話と会長のモテ話」
「あ、誤解与えちゃったかな? 過去は過去だよ。ナルはオンナオンナしたタイプはダメなんだ。オレははっきりわかったよ! 遠慮なんかしてないで思いっきり甘えてやってくれ。それが言いたかったんだ!」
オイ、褒めてるのかけなしてるのかわからないぞ~。
悪かったな~、女女してなくって……。
来客去った後、お片づけをしてると妙な気分になる。
いつの間にかふんふん口ずさんでいる自分に気付いて。
お嫁さんみたい……。
はっとして止める。
黙って書斎で作業してる旦那様。
な役の会長はやっぱりどこかいつもと違う。
思いきって聞いてみた。
「会長、体調がすぐれませんか?」
「? 何故」
「今晩も会食ですよね。明日はゴルフで朝早いし」
「ああ、昨夜の話か。予定外だったからね。君にそう見えるのなら私はもう年だということだな」
「そんな」
そういう言い方されると気になるわ~。
「眼鏡をされているの久しぶりですよね」
「これか。目がちかちかするんだ。今日は天気が良すぎる」
遮光レンズ?
ゴルフ用のかな。
何だか辛そう。
辛そうだけどそれが素敵に見えてしまう私って……。
素敵な眼鏡姿。
そんな理由じゃなきゃ毎日でも見たい。
それから水城さんが上がってきたりして時間は過ぎた。
終業間際、何か飲み物をと言われて、微炭酸のミネラルウォーターにはちみつをたらしライムを搾って氷浮かべて持って行った。
それを2杯飲み干して、
「飲み過ぎたかな」
額に手を当てはあー、と短く息を吐かれる。
「ドクターにお薬頂いてきましょうか?」
私は言った。飲んですぐ効くわけじゃないけど。
「いや、いいよ。もう出なきゃならん。ついでに寄っていこう」
「じゃ、連絡入れときますね。先生お帰りになってたらいけないんで」
医務室につないで。
「珍しいですね。会長がそんな飲み方されるなんて。どちらのお店に行かれたんですか?」
「君とは行けない店だ」
一体どんな店だー。
ドキドキして、ドアの手前で足が止まってしまった。「い、行ってらっしゃいませ」そこでお見送り。医務室までついて行くつもりだったのに……。
昨夜の接待ってどんなの?
ヤダ妄想しちゃう……。
うとうとして目が覚めたら朝だった。
シャワー浴びようと小さな部屋の玄関入ってすぐの場所にあるシャワールームに入る。
この部屋に決めた一番の理由がココだ。
文字通りシャワールームでバスタブはない。
不動産屋さんで間取り見せてもらった時は想像できなかったが、『現場ご覧になると決定率高いんですよ。女性の方は特にね』なんて言われ、実際その通りになった。
とにかく可愛いの!
壁と床が白いタイルになるだけでこんなに素敵なの? って驚いた。
モデルルームにありそうなシンプルさ。
トイレも洗面台もゴージャスな仕様じゃない。シャワーヘッドは固定式のプールにあるヤツみたいに素っ気無いのにそれが逆にいい雰囲気をかもし出して。
廊下に面した壁に小さな換気扇がついていて使った後回しておけば水滴が消えからっとしてるの。タイルだけはちょっと高級なのかな。つるつるした陶器製のヤツじゃない。担当のお兄さんも『アレと違ってすぐ乾きますよ』って言ってた。よくある丸い浴室灯もかわゆく見える。
仕上がりにマスクしていい匂いが部屋に立ち込める。
狭い部屋ってこういうの早いよね。
いい気分でごろごろしてるとあの派手な伊勢丹バッグに目が留まった。
何だかちょこんと立っててかわゆく見えたのでパシャとカメラに納める。
それをブログに使った。
前撮っていたバッグの画像と並べて『before→after』とタイトルつけて。
『こんにちは!東京は桜もうちょいですね。実はお気に入りのバッグがかわいそうな目に遭っちゃいました。今お直しに出しています。伊勢丹袋は深い意味はありませんが、その時の間に合わせです』
後で近所の桜の木でも探して撮って載せるか、なんて思いながら。
途中まで下書きしておいて、昨日のコメント返しに回った。
『スープ、体によさそう。どうやって作るんですか?』
はい、レシピを載せちゃう。
チキンをゆでたスープを使ったお手軽メニューだ。
『仕上げにオリーブオイルたらして。体にはいいと思いますよ』
書いてて思い出した。
会長、無事にゴルフしてるのかな。
不況とかいいつつゴルフ接待って健在なんだなって知った。
月に2回はゴルフってあるような。ひどいときは週末全部とか。
会長は何だかゴルフは好きっぽい。釣りはそうでもなさそう。
何をしようと自由だけどさ、健康に気をつけてくださいね。
会長あってこそのこの生活なんですから――…。
近所を散歩した。
地元の公園は桜が5分咲き、というところか。
適当に写メる。
のんびりした商店街。
ちらほらオサレな店も散らばってて。
その中の一軒で、ちょいと気が早いが籠バッグを買った。マルシェ型っていうのかな。イタリア製で、ブラックと金のコーティングされてて、もち手はチェーン。リボンもついてる。通勤にも使えそうだ。
バッグが戻ってくるまで、しばらくこれで代用しよう。
もうあったかいから、いいよね……。
ケータイの不破了という名前をガン見して、首をかしげた。
芸名みたいに思うのは気のせい?
一字足せばふかわりょう……。
偽名のにおいが……。
思い切れない私はやはり会長に判断してもらおうと、台詞まで考えていた。
『会長、弟さんに似た人を見たんですけど、一緒に行ってもらえませんか?』
ドキドキしながらドアを開けて。
いつも私より早い会長は既にそこにいた。
見るなりあれ? と思った。
久しぶりに眼鏡をかけたお姿だったのだ。
「おはようございます」
「おはよう」
眼鏡に挨拶してるみたいに思わずじーと見つめてしまう。
何故復活?
いちいち反応してる私って中学生か。
いや、反応しない方がどうかしてる。
前とは違う薄いシルバーフレームの眼鏡。よくお似合いで!
メガネフェチでもないのに目覚めてしまいそうじゃないですか。
雰囲気だって違う。
ワントーン明るいスーツだからか。
ライトグレーの三つ揃え。
何となく不機嫌そうに見えるのは気のせいか。
昨日の外回り、ひょっとして長引いちゃったのかな?
言うの忘れて見つめてるもんだから変な顔される。
「何だ? 何か言いたいことがあるのか」
「はっ、あの」
「……言いにくいことか? 君が私に言えないこととは何だろうな」
そんな言い方されると余計言いにくいじゃないー。
『かっこいいっすね♪』なんておちゃらけようものなら睨まれちゃいそう。
――マジでかっこいいんですけど。
前の黒髪眼鏡スタイルとはまた違う。
袖口からちらちら覗く時計はオーデマピゲのピアノの鍵盤のヤツ。
ベーシックなスタイル、ちら見せの個性的な時計。
スタイリストがついてるんじゃないの? と思うほどのキメようだ。
「金の話か? 君は妙に遠慮するからな」
「い、いえ」
お言葉ですが。
赤の他人の部下にカードをぽんと渡すあなたの方がおかしいのですよ。
「私も君に話があるんだが。先に言わせて貰うよ」
ドキ。が、それはただの連絡事項だった。
「1時過ぎ、緑川が来るから何か出してやってくれ。軽食で結構だ」
緑川さん
「君と話がしたいそうだ。髪は結わなくていいよ」
私はロングヘアーなので勤務中は結うなり結ぶなりしてる。来客があるとあらかじめ分かってる日は編み込みお団子ヘアー。低い位置で両サイドにね。
今日はそれするなと?
見てないようで見てるんだなあ
「昼食もそれに合わせてくれ。それまで飲み物以外はいらない」
「はい」
結局言えなかったじゃないー。
食事いらないって、やっぱり昨夜遅くなったのかな。
今晩は会食の予定入ってる。
明日は泊りがけ接待ゴルフ……。
胃に優しげなメニューに変更。
約束時間の少し前。
緑川さんは部屋に入るなり「おお」と声を上げた。
「いいじゃん~。部屋らしくなったなあ。ナル、一家の主っぽいな」
この人限定、随分可愛らしく聞こえる愛称で呼ばれる会長はそれには答えず表情だけ崩してテーブルに着いた。
「市川さん、こんにちは。いつもすみませんね、ご馳走になります」
明るいけれど品のある明るさ。さすがお金持ちのお坊ちゃんよ。
ここに来るのはそういう人ばかりなので本当に助かる。
私は秘書室の人たちにありがたがられてるみたいだけれど、それは私も同じですよ!
あの人たちは、カフェの裏側がどんなだか知らないだろう。
毎日のランチタイムの戦場状態にはじまり、プチパーティや披露宴二次会なんかの貸切も結構多かったが、そういうお客様のまー、わがままなこと!
にわか保育士となってギャン泣きのおこちゃまのお世話したり、明らかに浮いてるおっさんが暴れだしたり、カラオケボックスの店員と化したり、色んなことがあったな。
薄給でそれを強いられるのだから体調だって崩しますって。
それに比べればここは天国だ。
ご主人様はかっこいいし、何でも食べてくれるし、お客様はそのご主人様厳選のvipしかやって来ないし。何故か貧相なものほど喜ばれるという変な舌持ちだし。
予算はこれまた某アニメの4次元ポケットかっつーほどザルだし。
来客メニューは、野菜とチキンをのせた薄~いフラットブレッドに付け合せは豆腐と豆のディップ。マスタードをきかせたあっさりめのソースをかけて。海藻と人参のスープ。手づくりハニージンジャーエール。チキンはヨーグルトでやわらかく仕上げた。
「ますますいい感じになったな。ナルの趣味だろ、これ」
「……ラナに会ったんだよ」
「ラナ? ラナ・ジーンか」
「ああ。EHDのMDだそうだ」
「へえ~。今東京に?」
「そこのホテルの改装をするらしい」
「ほ~。それでここも?」
「ふ、そういう話になってたよ。エレベーターで話しただけなんだが」
「出世したなあ」
「いや、そうとも言えんらしい。福岡と、大阪も回って、その後大口が入っていない。フリーの方が楽だったと嘆いていた」
「どこも厳しいなあ」
NYでバリバリ働いてたんだろな。
しかし聞けば聞くほどザルだなあ、会長、大丈夫なのかな?
言い方からして会社の経費じゃないっぽいが……。
緑川さんは食後一服した後キッチンを見せてくれと言ってきた。
「ひょひょ~。いいじゃん、いいじゃん、新婚さんのキッチンだねえ」
「くす。そう見えますか? 緑川さん、願望があるんじゃないですか」
「いやぁ、逆にこういうの見せられて願望が生まれるんだよ」
カウンターと窓際にずらっと並んだハーブ類のポットや花を挿したグラスをにこにこしながら見て回る。それって学校の先生みたいですよ?
「順調に育ってるって感じだねえ。ナルにもやっと春が来たんだな」
うん? キッチンはそうですわ。お金かけてもらってる。
「まだまだ置けるね。何でも言って買ってもらいなよ」
「まさかー。一応会社ですよ、ここ」
「いいんだよ。ナルは甘えて欲しいのさ」
そういうのはお嫁さんになる人に言って。
今の所会長は結婚する気ないみたいだけど。
あれ程かっこいいのにもったいない話ではある。
「色々あったもんなあ。ナルにこそ幸せになって欲しいよ、オレは!」
意味深に窓の外を見つめる緑川さんを見てふと思った。
この人、もしかして、高広くんのこと知ってる?
もしそうなら。
会長よりこの人の方が言いやすいわ。
「あ、あの……」
「ん?」
「緑川さんて、会長の弟さん、ご存知なんですか?」
「高広か? うん、知ってるよ」
やっぱり!
「それで今、どこにいるかわからないって……」
「ああ、そうだね。残念だけど。ナルが話したのかな」
「はい」
「君には結構話してるんだね。もしかして、そのきっかけになった事件のことも?」
私は頷いた。
「そっか」
緑川さんは穏やかに微笑んだ。
「それで、写真見せてもらって、よく似た人見たんですよね、新宿で」
「え?」
「その、歌舞伎町なんですけど。ホストさんなの……」
声が小さくなる。
「香苗ちゃん!」
緑川さんはいきなり呼び名を変え、私の両肩をがしっと掴んだ。
「君は何ていい人なんだ! そこまで考えてくれてるのか、ナルのこと。オレは感動した!」
目がうるうるしてない?
駅でぶつかっただけなんですけど。
店に会いに行きはしましたが。
吉永さんに半分払ってもらって。
「いいんだよ、君はそこまでしなくても! 親父さんが手を尽くしてる筈だ」
「でも……よく似てたんで」
「オレも何度か高広っぽいヤツ東京で見かけたよ」
「えっ、そうなんですか」
「ああ。ナルは王様タイプだが高広はモロ王子様キャラだからな。似たヤツはホストにいそうだね」
王様!? そうね、帝タイプね。
「でもなあ、顔はいいが、ナルより変わってるかもしれないな。九条兄弟は何から何まで正反対でさ。クールなナルに対して高広は全くの自由人。明るくてとっ ちらかった性格だよ。おふくろさんにそっくりらしい。スーツ着るのが大嫌いで女に全然興味ないんだ。あ、だからといってゲイの類じゃないよ。かっこいいん だが、女を寄せ付けないオーラを放ってるんだ」
違うのかな?
あの人、すごい人気あった。
にこにこして、慣れていたし。スーツも着てたな。お水系だけど。
「会長も女性を近づけない感じですよね?」
「ああ、今はね。昔はそれなりにいたよ。ていうか、仕事できてあの外見だからさ、人が寄ってこないわけないんだ」
「そうですか」
「あくまでも昔の話だよ。ナルはあの通り典型的なAB型で中々理解されなくてさ。気を回しすぎて逆に冷たく取られちゃうんだ。それでもめるの、しょっちゅうね。オレは免疫あるからどうってことないけど」
「免疫?」
「石を投げればABに当たるような家で育ったからね」
「それは珍しいですね。一番少ないんじゃないですか?」
「そう中々複雑な家庭なんだよー。ナルもね、根はいいやつなんだよ。やっとそこを理解してくれる子に出会ったんだな。オレは嬉しい! 自分のことよりも嬉しいぞ!」
またがしっと肩をつかまれる。
「ああ、成明、苦労した甲斐があったなあ。やべえ、マジで涙出てきた」
肩震わせ……。
私はそっと離れて常備している蒸しタオルを差し出した。
「はい。ご自慢の眼鏡が汚れちゃいますよ」
「気が利くなあ。ありがと」
緑川さんは眼鏡を外し顔を拭う。
「いい匂いがする」
「香りを忍ばせているんですよ。お店では当たり前のことです」
「そっかー。ああ、いいなあ、オレも結婚したくなってきちゃった! 婚活パーティ申し込んでみようか」
あらあら飛躍しますね。
「取り乱しちゃってすまん。オレはナルの歴代の彼女見てきてるから感慨もひとしおなんだ」
歴代って。そんなに?
ひょっとして、アメリカ時代=会長のモテ期?
「あー、さっぱりした。香苗ちゃん、今後もナルのことよろしく頼みますわ。香苗ちゃんの支えが何より力になると思うから」
「はいはい」
そんなんじゃないんだけどなー。
何言っても無駄か。
「ありがとうございました。弟さんのお話と会長のモテ話」
「あ、誤解与えちゃったかな? 過去は過去だよ。ナルはオンナオンナしたタイプはダメなんだ。オレははっきりわかったよ! 遠慮なんかしてないで思いっきり甘えてやってくれ。それが言いたかったんだ!」
オイ、褒めてるのかけなしてるのかわからないぞ~。
悪かったな~、女女してなくって……。
来客去った後、お片づけをしてると妙な気分になる。
いつの間にかふんふん口ずさんでいる自分に気付いて。
お嫁さんみたい……。
はっとして止める。
黙って書斎で作業してる旦那様。
な役の会長はやっぱりどこかいつもと違う。
思いきって聞いてみた。
「会長、体調がすぐれませんか?」
「? 何故」
「今晩も会食ですよね。明日はゴルフで朝早いし」
「ああ、昨夜の話か。予定外だったからね。君にそう見えるのなら私はもう年だということだな」
「そんな」
そういう言い方されると気になるわ~。
「眼鏡をされているの久しぶりですよね」
「これか。目がちかちかするんだ。今日は天気が良すぎる」
遮光レンズ?
ゴルフ用のかな。
何だか辛そう。
辛そうだけどそれが素敵に見えてしまう私って……。
素敵な眼鏡姿。
そんな理由じゃなきゃ毎日でも見たい。
それから水城さんが上がってきたりして時間は過ぎた。
終業間際、何か飲み物をと言われて、微炭酸のミネラルウォーターにはちみつをたらしライムを搾って氷浮かべて持って行った。
それを2杯飲み干して、
「飲み過ぎたかな」
額に手を当てはあー、と短く息を吐かれる。
「ドクターにお薬頂いてきましょうか?」
私は言った。飲んですぐ効くわけじゃないけど。
「いや、いいよ。もう出なきゃならん。ついでに寄っていこう」
「じゃ、連絡入れときますね。先生お帰りになってたらいけないんで」
医務室につないで。
「珍しいですね。会長がそんな飲み方されるなんて。どちらのお店に行かれたんですか?」
「君とは行けない店だ」
一体どんな店だー。
ドキドキして、ドアの手前で足が止まってしまった。「い、行ってらっしゃいませ」そこでお見送り。医務室までついて行くつもりだったのに……。
昨夜の接待ってどんなの?
ヤダ妄想しちゃう……。
うとうとして目が覚めたら朝だった。
シャワー浴びようと小さな部屋の玄関入ってすぐの場所にあるシャワールームに入る。
この部屋に決めた一番の理由がココだ。
文字通りシャワールームでバスタブはない。
不動産屋さんで間取り見せてもらった時は想像できなかったが、『現場ご覧になると決定率高いんですよ。女性の方は特にね』なんて言われ、実際その通りになった。
とにかく可愛いの!
壁と床が白いタイルになるだけでこんなに素敵なの? って驚いた。
モデルルームにありそうなシンプルさ。
トイレも洗面台もゴージャスな仕様じゃない。シャワーヘッドは固定式のプールにあるヤツみたいに素っ気無いのにそれが逆にいい雰囲気をかもし出して。
廊下に面した壁に小さな換気扇がついていて使った後回しておけば水滴が消えからっとしてるの。タイルだけはちょっと高級なのかな。つるつるした陶器製のヤツじゃない。担当のお兄さんも『アレと違ってすぐ乾きますよ』って言ってた。よくある丸い浴室灯もかわゆく見える。
仕上がりにマスクしていい匂いが部屋に立ち込める。
狭い部屋ってこういうの早いよね。
いい気分でごろごろしてるとあの派手な伊勢丹バッグに目が留まった。
何だかちょこんと立っててかわゆく見えたのでパシャとカメラに納める。
それをブログに使った。
前撮っていたバッグの画像と並べて『before→after』とタイトルつけて。
『こんにちは!東京は桜もうちょいですね。実はお気に入りのバッグがかわいそうな目に遭っちゃいました。今お直しに出しています。伊勢丹袋は深い意味はありませんが、その時の間に合わせです』
後で近所の桜の木でも探して撮って載せるか、なんて思いながら。
途中まで下書きしておいて、昨日のコメント返しに回った。
『スープ、体によさそう。どうやって作るんですか?』
はい、レシピを載せちゃう。
チキンをゆでたスープを使ったお手軽メニューだ。
『仕上げにオリーブオイルたらして。体にはいいと思いますよ』
書いてて思い出した。
会長、無事にゴルフしてるのかな。
不況とかいいつつゴルフ接待って健在なんだなって知った。
月に2回はゴルフってあるような。ひどいときは週末全部とか。
会長は何だかゴルフは好きっぽい。釣りはそうでもなさそう。
何をしようと自由だけどさ、健康に気をつけてくださいね。
会長あってこそのこの生活なんですから――…。
近所を散歩した。
地元の公園は桜が5分咲き、というところか。
適当に写メる。
のんびりした商店街。
ちらほらオサレな店も散らばってて。
その中の一軒で、ちょいと気が早いが籠バッグを買った。マルシェ型っていうのかな。イタリア製で、ブラックと金のコーティングされてて、もち手はチェーン。リボンもついてる。通勤にも使えそうだ。
バッグが戻ってくるまで、しばらくこれで代用しよう。
もうあったかいから、いいよね……。
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しかも、高級ホテルなどを世界展開する日本有数の大企業「晴月グループ」の御曹司だったなんて…
ウエディングプランナーとして働く私と、一緒に仕事をしている仲間達との関係、そして、家族の絆…
様々な人間関係の中で進んでいく新しい展開は、毎日何が起こってるのかわからないくらい目まぐるしくて。
『僕達の再会は…本当の奇跡だ。里桜ちゃんとの出会いを僕は大切にしたいと思ってる』
「憧れ」のままの存在だったはずの先生との再会。
気づけば「千隼先生」に偽装恋愛の相手を頼まれて…
ねえ、この出会いに何か意味はあるの?
本当に…「奇跡」なの?
それとも…
晴月グループ
LUNA BLUホテル東京ベイ 経営企画部長
晴月 千隼(はづき ちはや) 30歳
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LUNA BLUホテル東京ベイ
ウエディングプランナー
優木 里桜(ゆうき りお) 25歳
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