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使用人

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「若奥様」 

「ハウンド様…」 

ハウンドはエルマリアに服を差し出す。 

「私の服…よかったわ…捨てられてなかった」 

エルマリアの荷物は近くの客室に置かれていた。 

「若奥様の自室は…」 

「ここは嫌だわ…昨夜を思い出すの。ハウンド様」 

「若奥様、様は不要です」 

「…ハウンド…この邸に居室と寝室が繋がっているところがあるかしら?」 

「…貴賓用客室がそのような作りです」 

エルマリアは微笑み頷く。 

「その部屋を貰える…?いえ…貸して貰えるか侯爵閣下に尋ねるわ」 

「…旦那様は許可を出します…ですが、フローレン侯爵家一族は二階、貴賓用客室は一階です」

 エルマリアは伏し目がちに微笑む。 

「…いいわ…その方があちらも過ごしやすいわ」

 ハウンドはエルマリアが哀れに見えてきた。家格が上の侯爵家に籍を置いたエルマリアは多額の持参金を盾にフローレン侯爵を強く責めることもできたが、それをせずに生家に戻りたいと涙を流す姿は使用人らの間に流れている噂が嘘だったと自身の先入観を反省した。 

「名簿はこちらです」 

「ありがとう。ハウンド、着替えを手伝ってくれる?」 

「は?」 

「私は一人でドレスを着たことがないのよ」 

エルマリアはそう言って寝台から立ち上がりソロモンがかけた上着を脱いでハウンドの前に立つ。 

透けた布が淡い乳首を見せ、ハウンドは目を泳がせる。 

「ハウンド、これはどう脱ぐの?」

 ハウンドは仕方なくエルマリアの体に視線を戻し夜着を結ぶ紐を摘み引っ張る。 

「まあ…ここ?あ…落ちたわ…すごいわ…これは夜着の役割を果たすのかしら?」

 紐を引いただけで裸体になったエルマリアは感心し、床に広がる布を見つめる。 

「若奥様!」

 かたく目蓋を閉じて固まるハウンドの姿にエルマリアは気付き微笑む。 

「ごめんなさい。見苦しいものを見せたわ…でも…着方も脱ぎ方もわからないのよ」

 ハウンドは諦めドレスを持ち膝をつく。 

「私の肩を掴んでください」

 足から入れていくデザインのドレスだった。 

「下着を忘れました…申し訳ありません」

 エルマリアの体を見ないよう謝罪する。 

「あるならいいの。着替えを終えたら、なにか食べるものをもらえる?お腹が空いたわ」 

肩を放されたハウンドはドレスを上げてエルマリアの体を締める。

見ないようにしても視界に入るエルマリアの肌の白さと滑らかさ、盛り上がる乳房に四十を越えるハウンドでも鼓動は速まる。 

「紅茶ももらえる?体が冷えたわ」 

「…使用人を呼んでも?」

 ハウンドが一人で動くと時間がかかる。 

「…待つから…この部屋に入るのはあなただけで…」

 眉尻を下げたエルマリアにハウンドは頷く。 

「美味しい…ありがとう」

 エルマリアは食事のあと紅茶を飲みながら使用人名簿をめくる。上級使用人のページは飛ばし下級使用人の下の下人のページを読み込む。 

「…侯爵閣下は誰を選んでもいいと仰ったわ」 

「はい。フローレン侯爵家に雇われた者であれば誰でも」 

「…私はシモンズ子爵邸で専属の使用人の前では裸も平気なの…男性でも…ね」 

「男性を?」 

「男性と女性を一人ずつ選びたいわ」 

「…少なくはないですか?」

 エルマリアはハウンドの問いに微笑むだけで終わらせた。 

「決めたわ。直接話したいのだけど侯爵閣下に聞いてからのほうがいいかしら?」 

「若奥様の思う通りにするよう言われています」 

「なら、この人とこの人に会うわ」

 エルマリアは指を差してハウンドに見せる。その人選にハウンドは驚きエルマリアを見るが微笑んでいるだけだった。 




「フェリシアを抱いていないだろうな?」 

「父上!順序は守りたい。そんなことはしない」 

「レイモンド、お前の妻はエルマリアだ。昨日陛下の見ている前で誓っただろう!」 

「陛下は!…時期をみて母上から話してもらおうと」 

王孫の立場を利用しようとするレイモンドに再び怒りが増す。 

「なら…エルマリアは生家に戻すか?」 

「いいのですか!?」

 嬉しそうに近づくレイモンドにソロモンは背を向ける。 

「そのあとフローレン侯爵家は破産だ。フェリシアはランド領地へ戻り…アンジェルは陛下が引き取る…お前とジェイコブと私はフランセー侯爵家で居候の身だ」 

「なんの冗談…」

 振り返らないソロモンにレイモンドは言葉を失う。 

「そんなに…?」 

「恥ずかしいがそうだ。アンジェルの贅沢と…ランド男爵家の負債を肩代わりした…もう…誤魔化しきれないくらい追い詰められている」 

「父上…」

 レイモンドは膝の力が抜けよろめきソファに座る。 

「お前が好き勝手にフェリシアに贈った宝石やドレスはどれほどだろうな…」 

「鉱山の!鉱山から石さえ出れば」 

「ああ…出資金全額を支払うのがシモンズ子爵だがエルマリアは一晩裸のような格好で過ごしベルは振り子を壊され鳴らず、水差しも空…そんな待遇を受けた…意味が理解できるか!?レイモンド!なぜ!使用人がそんなことをした!?エルマリアはフローレンの名を持つ一族に入ったのにそんな扱いだぞ!」

 ソロモンは振り返り、座り込むレイモンドを見下ろす。 

「俺はなにも…」 

「なにも言っていないのに使用人が勝手にエルマリアを冷遇するのか?使用人の前でなにを話した!?」

 レイモンドは答えられなかった。数多くいる使用人の前でエルマリアに対しての文句と不満、フェリシアへ想いを伝えた。使用人は主の願いを勝手に解釈し叶えた。 

「そんなことをするとは」 

「家格が下の令嬢と見下したか?フェリシアのほうが下だがな。私は後悔している…あの娘を預かったこと…ランド領地に置いておけばよかった」 

「それは!父上…それは駄目です。ランド領地はフェリシアに辛い過去しかない」 

「そんなことは知っている!私の親友の領地だ!フェリシアは親友の残した子だ!」 

後見人となったソロモンはフェリシアの願うままに首都のフローレン侯爵家に住まわせた。 

「フェリシアも成長した…ランド領地で叔父家族と暮らせばいい」 

「それは駄目だ!」 

「レイモンド…まだ言うか?」 

「だっ…」 

レイモンドは言葉を呑み込む。フェリシアとの約束が頭を過り口を閉ざす。 

「なぜ…その叔父が作った負債をフローレンが?」 

「…そういう契約をしていたんだ…フェリシアにランド男爵家を継がせる…正確にはフェリシアの夫だが…ランド領地は水害の被害が多大でな…フェリシアの代で返済の苦労をなくすために金が必要だった」

 はじめて聞く話にレイモンドはなにも言えなくなる。 

「鉱山は他から出資者を集めていたのでは?」 

「集めたさ…だが…不確かで…渋る者が多くてな。フローレンは金を出さないんだぞ?シモンズ子爵は全額を支払う、そして収入は折半だ…全額だぞ?鉱山の採掘費を全額…」

 道具から人件費までシモンズ子爵家が払う。金が底をついているフローレン侯爵家にとって掴むしかなかった申し出。 

「お前のせいで全て終わりだ、レイモンド。アンジェルに言うな…怒りの矛先をエルマリアに向ける。私の命令に背くとはな…育て方を間違えた…いや…フェリシアを引き取った時点で間違いを起こしていた」 

「…フェリシアをランド領地へ送らないでください。俺が今からシモンズ子爵令嬢に頭を下げて来ます」

 レイモンドが立ち上がろうとするとソロモンが近づき険しく見つめ、座る息子の前に立つ。 

「エルマリアはひどく傷ついている…使用人の言葉と所業…そしてお前の嘘に。よくなにも知らないエルマリアに幸せになろうと言えたな?その残酷さはどこからきている?私の息子はこんなことをできる人間だったと知ったとき悲しくなった…レイモンド…エルマリアはそこらの平民ではない…軽んじてはいけない相手だった」 

「ですから!謝りに」 

「お前に会いたくないと言っている。暗い部屋でお前を待ちながら廊下から聞こえる声に…初夜に夫が女の部屋にいると聞いてみろ…お前ならどう感じる?」

 レイモンドはなにも言えなくなった。 

「エルマリアはフローレンを信用できなくなった…シモンズに戻りたいと…侯爵家にいたくないと言った!子爵家のほうがいいとな!だが…戻したら出資の話は消え…」

 鉱山はシモンズ子爵家に権利が渡る…とソロモンは心のなかで呟き、契約書の一文を思い返す。 

『エルマリアの待遇は良く、傷をつけるな。家格が下だろうと相応の理由もなく冷遇をした事実が発覚したら鉱山はシモンズ子爵家に渡る』 

「もう…フローレン侯爵家は終わってしまう…お前のせいでな」 

「俺に心を殺せと?フェリシアへの愛を消せと?」 

「無理ならはじめからそう言え、阿呆…」



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