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ゾルダーク

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 シャルマイノス王宮の王国騎士団鍛練所の近くに併設された射撃場に火銃を放つ音が響く。その音は近づくにつれ大きくなり簡素な装いの金髪が火銃を構える姿を見つける。 

「陛下」

  放ち終えたジェイドが僕の声を拾い、侍従に火銃を渡す。 

「来たか」

  藁を巻いて作った的に貼られた布にはいくつも穴がある。ずいぶん熱心に撃ったようでジェイドは肩を軽く回しながら僕に近づく。 

「気に入ったようですね」

  的に視線を向けたまま呟く。 

「ああ。なかなか面白い。狩りをする暇はないが火銃は気に入った。構えていると無心になれる…狙い…引き金…残心……ゾルダークの騎士が教えてくれた。当たると気分がいいしな」 

 僕は上機嫌なジェイドの鼻に乗る眼鏡をつまみ取り、懐からハンカチを取り出して鏡面を拭う。 

「…似合いますよ」

  汚れを落とした眼鏡を差し出すと口角を上げながら受け取り耳に掛けた。 

「そうか?世辞はよせ…ゾルダーク公爵が持つには稚拙な刺繍だな」

  ジェイドは目敏くハンカチの刺繍を見たようだ。 

「エイヴァが刺してくれたのです」 

「ははっ、稚拙と言ったことは秘密にな」 

 ジェイドは声を上げて笑い、僕の肩を叩いた。 

「娘離れができずにハインス邸に乗り込んだって?」 

「乗り…人聞きの悪い…エイヴァが行きたいと駄々を捏ねたので私が付き添った…それだけです」 

「カイラン、婚姻式のお前を見た者はそう思わないぞ」 

「誰がどう思おうと私は気にしません」 

「まあいい」

  微笑むジェイドの横顔を視界に入れながら城へ向かい共に歩く。 

「マルタン公爵の提案を受けるのですか?」 

 ジェイドの雰囲気がわずかに変わった。 

「ジョセフが行くと言った」

  レオンからジョセフ王太子の想いを聞いて驚いた。 

「ゾルダークはマルタンの味方…だろ?」 

「そうですね」

  ここでマルタン公爵に刃向かう理由がない。なにか言いたいのは侯爵家の当主たちだ。 

「俺は留学をしなかった…父上もな…ジョセフは次期国王だ…未だ不安定なレグルスへ行かせることに不安がないとは言えない」

  力を持っていたヘルナン公爵家の裏切りと滅門にレグルス王国の貴族家は混乱した。ヘルナン派の貴族家は迷走したろう。今は別の有力家門に取り入ろうと必死に動いているだろう。 

「ジョセフ殿下の身は安全です」

「ああ。レグルス王家も貴族家もシャルマイノスに対して逆恨みなど持っていないだろうが…」

  人の心はわからない…誰が何を考え、何に憎しみを向けるのか… 

「ジョセフ殿下に傷でも負わせたら火砲と火銃…ゾルダークの騎士がレグルスを血で染めます」

  僕の言葉に驚いた顔を隠さず凝視するジェイドの目元にはしわが増えていた。それを見ながらお互い老けたなと思う。 

「…カイラン…なにかあったのか?」 

 ジェイドはずいぶん僕に心を許しているように思う。僕を案ずるような眼差しに偽りは感じない。 

「なにも」

  そう言っても信じられないというように碧眼が険しくなった。アンダルと面差しは似ていなくても碧眼の色は同じで遠く離れた友を想う。 

「…娘が嫁いで…少し荒んでしまった」 

「ふ…いい年の男が…」

  柔らかい表情になったジェイドに尋ねてみたい。今なら僕にもわかるほど動揺して答えてくれそうだ。

  ゾルダークの秘密を知っているのか?僕は飾りの当主と知っているのか?あの子達は僕の異母弟妹と知っているのか?父上とキャスリンのことを知っているのか?…と。
  だが、僕自身…口にした途端に発狂しそうで怖い。 

「レグルスの…視察団の様子はどうでした?」 

「ん…不審な者はいない。向こうでもかなり精査したようだが」 

「なにかあれば困るのはレグルス…気を緩めずにいましょう」 

「ああ…スノー男爵領に送る令嬢と話した」 

「…そうですか」

  若く聡明な女性だと聞いている。 

「…やり取りはしているのか?」

  アンダルと…と尋ねているんだろうな。 

「はい」 

「歩行訓練を始めたと聞いた」

  ジェイドの配下もスノー男爵邸に入っている。 

「面倒だから消してしまいたいがな…あれでも弟の妻だ」 

「スノー男爵のことに陛下が気を揉むことはありません。私が…愚痴を読んでいますから」 

「ああ」 





「ごほっ…ごほ…ふぅ…アン…アンダル」 

「奥様」 

「オル…ガ…体が…動かない…息が…苦し…」 

「庭に出すぎです…風邪を拗らせたと……医師が言っていました」 

「アン…ルは…?」 

「領内で馬車事故が…対応に一晩かかるだろうと」 

「…アンダ…ル…アンダル」

  リリアンの弱々しい声は扉を隔てた場所にいる僕のもとへ、かすかに届いた。 外はすでに夜に入り、田舎のせいか雑音が少ない。オルガと呼ばれたメイドの足音を聞き、扉が閉まったことを確認してもメイドが階下に下りるまで気配を消して待つ。 握りを回すと蝶番の音がかすかに鳴ったが階下には届かない程度でそのまま足を進め、蝋燭が照らす寝台に近づく。

  赤みがかった金毛は汗と汚れで輝きは失いシーツに広がり、窶れた頬のせいかずいぶん老けて見える。 荒い呼吸と上下する胸を見つめ、首筋に手の甲をあてる。風邪を拗らせたとは思えないほど体温が低い。リリアンの出す呼気は死の匂いを漂わせているのか、嗅いだことのない匂いが鼻につく。あと三日ともたないだろう。 

「ア…ン…ダル…?」

  目蓋も開けられないのか緑の瞳を見せないまま名を呼ぶ。 首筋から離した手をハンカチで拭う。 

「リリアン」 

「アン…ダル」 

「違う。カイランだ」

  眉間にしわが寄り、睫毛が震えて緑の瞳が現れさまよう。 

「カイ…ラ…?」 

「ああ…久しぶりだな」

  閉じそうになる目蓋を震わせながら緑の瞳が僕を見つけた。 

「…カイラン…ゆ…め?」 

「夢かもな」

  スノー男爵領と王都は離れすぎて情報が届くのに時がかかる。間者の報告ではなくこの目で経過を確かめたかった。 

「たす…け…かぜ……へんなの…」 

「風邪じゃない。毒だ」

  リリアンは僕の言葉を理解したのか頬を震わせ、色を失くした唇を開いたり閉じたりしている。 

「オル…ガ」 

「いや…僕の指示だ」

  飲ませたのはオルガと…アンダルだ。だが、二人とも毒と知らずに飲ませたから罪はない。 

「カ…イ…やめ…たすけ…」 

「リリアン…出過ぎた真似をしてくれたな。書物を出すなど…夢を見るからだ」

  緑の瞳から涙が流れ枕に吸われていく。 

「あの男は馬車に轢かれた」

  僕は罪のない男の死を望んだ。 

「リリアン…震えがひどい…僕が怖いのか?」

  視線を動かすことなくリリアンを見つめる。自分の頭が冷えていく感覚がする。 

「ハインス公爵邸に行きたいなどと…口にしたお前が悪い」

  クレアがいるハインス邸にリリアンが押し掛ける未来など、わずかでも可能性があるなら消し去る。 

「クレアの人生の邪魔は許さない…視界にも…入るな」

  父様と僕を呼ぶ声が聞こえる。可愛らしい声で紺色の髪を揺らして空色の瞳で僕を見上げる愛しいクレア。

「アン…ダ…ル…たす…けて…」 

「アンダルは領主の仕事をしている。今夜は帰らない」

  馬車事故…荷馬車が横転して男を巻き込んだ。 

「ひどい現場だったよ…速度を上げすぎたんだ…そこへ酔った男が飛び出した」

  全てゾルダークの騎士が手配した。アンダルは死んだ男の懐から書きかけの書物を見つけるだろうか… 

 汚臭が漂い、リリアンが失禁したと悟る。それでも緑の瞳を見下ろし続ける。 

「ひ…ひ…たす…」 

「君が存在していなければと」

  何度、考えたろうか。

  涙に濡れた枕を引き抜きリリアンの顔を覆い押さえる。 暴れることもできずに死を受け入れた…ように感じたのは衰弱しきって抵抗できないからだろう。自ら手を下さずとも勝手に死ぬことは説明されたが、僕は怒りを抑えられなかった。 

「マリア・ターナーと共に飲んだワインは美味しかったろう?」

  レオンがアダムに与えた毒を使った。薬湯を止めたリリアンは警戒してか水ばかり飲むとスノー男爵領にいる医師から情報を得て料理番に指示を出した。一の毒を半月ほど食事に入れて飲ませ、二の毒は…なんでもよかったが、誰にも疑念を抱かせないためにマリア・ターナーに持たせた。

  いつの間にかリリアンの呼吸が止まっていた。覆っていた枕を持ち上げ、涙で濡れた面を確めもとに戻し、開いた口と瞳を閉ざして少し乱れた掛け布を整える。

  かつて恋をした女を殺したことになにも感情が湧かない。邪魔が消えたなと思うだけだ…僕は…冷酷になったろうか…弟たちと同じ…深淵をリリアンは見ただろうか…キャスリン…僕はクレアを守る…不快な思いは僅かであれさせない…あの子は小さくて君にとてもよく似ているんだ。愛しているんだ。本当に…本当に愛しているんだ。





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