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ルーカスとアンダル

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エゼキエル・チェスターは僕との会談の数日後シャルマイノスを発った。当分あの銀髪銀眼には会わないだろう。数日前を思い返している間に小公爵が姿を現した。黒い瞳が僕を見ている。 

「ルーカス様」 

「…小公爵」

 小公爵の従者が離れた位置で立ち止まった。 

「僕とクレアの婚約の裏に火銃があったなんて知らなかった」

 僕の言葉に小公爵は微笑む。 

「陛下に全てを負わせてしまいました」 

「もう譲位してのんびり過ごしたほうがいいんだ」 

実際父上は老けた。 

「終わったんだね」 

「はい。クレアは朝を迎えても起きなかった。寂しい思いをさせてしまった」

 朝を迎えても起きなかった…それだけよく眠れたということだな。女王は死んだのか。クレアを狙う者は消えた。 

「僕はエゼキエル・チェスターに呼び出されてね。話したよ」

 小公爵は頷いた。僕とエゼキエル・チェスターの会談は知っていたようだ。 

「ダンテの存在を知っているのが気になってね」 

「彼は答えましたか?」

 小公爵の表情が変わらないところを見るに予想がついているか知っていると悟る。 

「ああ…ダンテの母親が話したそうだよ」

「ダンテはゾルダークで暮らす。それはエゼキエルにも変えることはできない」

 エゼキエル・チェスターがなにを言おうと跳ね除けることができると言っているんだろうな。 

「いつかクレアに夜の挨拶がしたいと言われたよ。君が許したとも。僕は嘘だと思うが…許したのか?」 

小公爵の微笑みに了承したのかと眉が力む。 

「彼が次にクレアに会うのは数年先だ。それまでに…」 

嫁いでほしい…エゼキエル・チェスターに夜の挨拶などさせない。僕の言葉に小公爵は頷く。そして小公爵に伝えたかったことを口にする。 

「一応…報告しておくが…スノー男爵がハインス公爵邸に滞在している」

 小公爵は戻ったばかりだと思う。ハインス公爵邸に潜ませている密偵も厳戒態勢のゾルダークに報せることは難しかったはずだ。小公爵の雰囲気が少し変わった。無言の小公爵に話を続ける。 

「カイラン様の負傷とゾルダーク邸の襲撃を聞いたらしい…」 

エゼキエル・チェスターとの会談の日、ハインス公爵邸に戻った僕をアンダルが待っていた。突然現れた金髪碧眼にブルーノは追い返すこともできず応接室に入れていた。久しぶりに会う、十年以上は会っていなかったアンダルの訪問は問題を持ち込んだと思わざるを得なかった。応接室にいたアンダルの金髪は随分色褪せ顔も日に焼け窶れた姿に元王子の面影はなく、アンダルも僕を見て碧眼を見開いていた。僕も随分変わったということだ。ジェイドは父上に似た。アンダルと僕は母上に似た…だが年を取り僕らの容姿は違うほうへ向かったようだ。田舎暮らしがアンダルの面差しを変えたかと思った。 

「…簡潔に言うとチャーリー・スノーがゾルダーク邸の話を外部にしたそうだ」

 アンダルはチャーリーにゾルダーク邸の素晴らしさを伝えてしまったと僕に告げた。大きな門に厳かな邸、美しい花園。だがゾルダーク邸の内部を知る者がいてもおかしなことではない。カイラン様と夫人の婚姻式はゾルダーク邸で行われたし門は外からも眺めることができる。庭の広さや邸の様子は多くの人が知る…だが花園が作られたのは小公爵が生まれる前の年だと父上から聞いたことがある。端にあった小屋を撤去し景観を損なうものを排除した花園を見た者は少ない。夫人がゾルダーク邸に入った年から人の出入りが極端になかった。 

「チャーリーは学園の寮で暮らしているが友らと街に遊びに行くこともある。仲良くなった若い平民に話したそうなんだ。兄上から聞いた…四阿のある美しい花園を」

 アンダルは悪気があってチャーリーに話してはいない。赤子の小公爵を見たことや美しい花園と景色、王都の公爵家とはこれほどの大きさなんだと教えた。 

「チャーリーは襲撃を知り不安になったんだろう…ゾルダーク邸のことを興味深く聞いた平民を探したそうなんだ」 

「消えていた」

 小公爵の言葉に頷く。 

「よく話しをした広場にも平民の集まる食堂にも彼を尋ねて回ったそうだが…皆が彼を知らないと答えた」 

「それで男爵に相談した」

 僕は頷く。アンダルは噂で襲撃を知っていたがチャーリーの手紙で王都に向かう決心をしたと僕に告げた。休むことなく馬で駆け、宿の風呂を借りてからハインス公爵邸に来た。 小公爵は無表情から微笑みに変えた。 

「スノー男爵には気にするなと伝えてください」 

小公爵の言う通りだ。アンダルがなにを思おうと謝ろうとゾルダーク邸に火砲は撃ち込まれ花園は破壊された。 

「一つの謎が解けた。火砲は真っ直ぐ花園を狙うように向けられていました。塀を壊して侵入するなら邸へ最短距離、見晴らしがいい場所。侵入後、百を越える破落戸が散開すればどうにかできると想像できる。実際は散開すらできなかったが」 

「…すまない。ゾルダーク公爵のことも心配している」

 アンダルとカイラン様は幼馴染みと言える仲だ。世間には意識が戻らぬと流布してはいるがすでに矢傷も塞がっているとクレアから聞いた。それを知ってはいてもアンダルには言えずただ頷くことしかできなかったが。 

「スノー男爵が兄に会いたいと願っても俺は許可を与えない」

 強い眼差しが僕に伝える。小公爵は気にするなと言ったが花園を破壊されたことに憤っている。エイヴァ王女を狙ったヘルナン公爵の密偵がこの襲撃前からシャルマイノスに入り探っていたんだろう。 

「父上は昨日、目覚めました。スノー男爵令息が気に病んでも事は起こった。そして彼が話をしなくても火砲はゾルダーク邸に撃たれていた」 

「そうだね」 

「辺境の急襲からゾルダークを探っていたんでしょう。スノー男爵令息に接触するなど相手は慎重に動いていると理解できます。ですがもうヘルナンもおしまいです」 

「…そうか」 

ヘルナン公爵を処罰できる物を手に入れたのか。 

「クレアによく食べるよう言ってくれ」

 黒い瞳が少し垂れて微笑む。 

「昨日は食べ過ぎて…くく…久しぶりに笑顔の妹が見れた。エイヴァが貴方の膝に乗ったと話してくれました」 

「ああ…はは…」

 あれは幸せな時だった。クレアと子を持ったらああして過ごすのかもしれないと想像してしまった。 

「邸へ帰るんだろう?」 

「…牢へ向かいます」

 フランク・グリーンデルに会うのかと察する。牢は方向が違う。僕が待っていると知ってここまで来てくれたのか。 

「小公爵、戻ったばかりだと…無理はせずに休んでくれ」

 小公爵が倒れでもしたらクレアが泣いてしまうだろう。 



邸に戻った僕はアンダルが庭にいると聞き着替えをせずに向かう。珍しく風が強い夕暮れの庭にアンダルが立っている。 

「兄上」 

僕の声が届いていないのかアンダルは振り返らない。少しうつ向いて池を見ているように見える。使用人が庭に置かれた燭台を灯し始めている姿が視界に入った。 

「兄上、暗くなる」

 動かないアンダルの肩を掴むとシャツが冷たかった。いつから外にいたんだろうか。 

「ルーカス」 

「どうした?」

 細い肩から手を放す。碧眼は池を見つめたまま動いていない。 

「僕とお前は似ていると思っていたけど随分…環境の違いか」 

「…僕は近衛の鍛練に混ざったり…今も剣を振るってる」

 僕の体は鍛え厚くなった。アンダルは乾いているように細い。 

「…ジェイドは元気にしているのか?」 

「父上のような国王となるべく奮闘してるよ。今回の襲撃で休む暇なく働いている」 

「そうか…そうか…ジェイド…が国王か…」 

「ああ…父上も年をとった。休ませてあげたい」 

「僕は…阿呆だと理解している」

 話の変わりかたにアンダルを見つめると碧眼から雫が落ち風に流され消えた。 

「…今は違う…だろ?」

 だから大人しく男爵領にいる。目立たず静かに過ごしている。 

「ああ…僕に子ができないのは秘薬を使われたからなんだ」 

視線を池に戻し揺れる水面を見つめる。アンダルの言葉の意味は理解できたし納得もしている。不穏な種を無闇に撒けない。あの女を選んだ時点で決められたことなんだろう。 

「驚かないんだな」

 僕の沈黙をアンダルはそう捉えたようだ。 

「僕らは王族だ…生きているだけで責任を持つ」

 発言一つ行動一つ、種一滴…無責任なことはできない。 

「ああ…そうだ。過去をやり直したい」

 アンダルの言葉には重みがあった。過去の行いを悔いているんだと言っている。今が幸せではないと僕に告白した。だが、アンダルが過去を変えては僕の今が失くなる。そんなことは言えないが。 

「…夫人は…相変わらず?」

 頭がおかしいのかと僕は聞いている。 

「ああ…体を起こすことも億劫だと一日寝台で過ごしている」 

「そう…か」 

「ジェイドが…国王…?あんな奴が!奴をシャルマイノスの頂点に置く!?はは!」

 アンダルの変わりように驚き視線を向けると険しい碧眼が僕を見ていた。眉間のしわと目尻のしわ、ジェイドよりも老けたようなアンダルと見つめ合う。 

「僕に嘘を吐いた…ジェイドのせいで僕は…ミカ…エラを誤解した…ジェイドが嫉妬から…僕を…許せない…いつまでも許せない!くそ!くそ!!」

 かつて穏やかだったアンダルはいなくなったように声を上げて汚い言葉を吐き地面を踏みつけている。 

「…ジェイド兄上が嘘…」 

「ああ…ミカエラは奔放で男を誘うような…と」 

そんな話は聞いたことがなかった。アンダルからもジェイドからも。だが、それをアンダル自身が勝手に憶測したと理解する。その嘘を誰か一人にでも相談していれば疑うような…悪戯に近い囁きだ。 

「兄上…人には重大な岐路がある。僕にもあった。兄上の岐路はそこだったんだな」 

「ああ…そうだ…こんな…未来だと知っていれば…嘘だと騙されたと…ジェイドを信用していなければ!…僕の今は…」 

アンダルは僕を見つめ微笑んだ。 

「リリアン夫人と話した方がいい」

 かつては愛した人だ。全てを捨てて選んだんじゃないか。そっちで幸せを探すしかない。 

「…話せる相手じゃない。言葉が…通じていない…会話が成り立たない…僕はもう話したくない」 

アンダル夫妻は最悪な関係までいってしまったようだ。 

「はぁ…」 

僕は風で乱れる髪をかきあげる。僕のため息は風で消されアンダルには届いていない。 

「ゾルダーク公爵…カイラン様の意識は戻った。回復すると聞いたよ。兄上が心配していたチャーリーのことだけど小公爵に伝えた」 

兄上はこんなに小さかったろうか。少し頭を下げればつむじが見えそうだ。 

「気にしなくていいと言われたよ。チャーリーが話した平民の男のことは…もう忘れるよう言っていい」

 少し突き放したような言い方になったろうか?アンダルの碧眼に悲しみが見える。 

「…父上は…僕らを甘やかしたと思う」

 アンダルは父上の話に碧眼を潤ませる。 

「兄上、夫人を消したいなら毒をあげるよ」 

なぜ驚くんだろうか?愛してもいない邪魔な妻なら消してしまえばいいと思うのは当然だろ。 

「殺…せと?」 

「ああ」 

「そんな…」 

迷うなら駄目だ。 

「僕の言葉は忘れていい」

 僕はアンダルの肩に触れ叩く。 

「簡単に…殺すなど言うな」 

「ははっ」 

笑ってしまった。ついこの前、僕は襲撃のなかにいたんだけどな。数多の死体を目にして漂う血を嗅いでしまってからおかしくなったか?愛する人が寝台から起きず会話も成り立たなくなる…か… 

「ルーカス…?」 

クレアがそうなっても愛する。 

「兄上、愛とは醜いものだ…がとても愛しく胸を熱くさせ幸せと喜びをくれる。僕は彼女がどうなろうと愛してる」 

「カイランの娘の事か?」 

「ああ」 

「政略じゃ…」 

「ははっ違うよ。十六も年の離れた少女に申し込んだんだ…ふ…僕は彼女のためなら人も殺せる」

 実際世話になったメイド長を殺せと命じた。 

「兄上、殺すことに恐怖を感じるなら現状維持だ」 

兄上は殺される恐怖…いや、愛する人を奪われる恐怖を味わっていない。僕はあの暗い馬車のなかでクレアを奪われないために瞬きさえもできなかった。今でも脳裏に焼き付いた砕けた馬車窓が見える。 

「ジェイド…は国王を務めようと頑張っているよ」 

愛するということは覚悟が必要なんだ。平民に語られた純愛は愛とは言えない物語だったんだな。アンダルが一番母上に似たか。 

「恨みがあるなら伝える」

 僕は強い風の吹く庭でアンダルの唇を読む。小さな悪意で転落したアンダル。僕の碧眼は憐れみを隠せているだろうか。






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