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ルーカス

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シャルマイノス王国王都は夜会の夜の襲撃から少しずつ平常を取り戻していった。身近に感じた恐怖も消えたころ貴族家当主らはどう動くべきなのか頭を捻らせ始めた。そして貴族会議の延期に加え高位貴族家だけに知らされたレグルスの謝状は多くいる下位貴族家の不満を増やした。 


「ルーカス」 

「テレンス」

 薄暗い部屋の奥のソファからテレンスがディーター侯爵と共に僕を手招いている。あの襲撃から初めて当主倶楽部に入った僕へ視線が集まる。体の痣はすでに消えている。 

「ディーター侯爵」 

「…ハインス公爵」

 給仕に酒を頼みソファに腰を下ろすと興味を隠さない空色の瞳が僕を見つめる。頬が緩んでしまうのは仕方ない。 

「怪我はなさそうだね」

 上から下まで僕を眺めたテレンスが微笑みながら話す。 

「火砲を撃ち込まれて怪我もないなんて…ルーカス…クレアも無傷?」 

「ああ。彼女に傷はないよ」 

「…火砲に耐える馬車…多くの人が見たから噂はすごいよ。いくら紅眼の王女のためといえハインス公爵家の馬車まで…ってね」

 それは皆が考えることだろうとは僕も考えていた。都合よく対火砲馬車に乗っていた。この平和なシャルマイノス王国で誰も必要と考えない。小公爵はどれだけ…幾通りの未来を予想しているのか。 

「運がよかった…あの馬車でなければ痣などでは済まなかった」 

「うん」

 この場にいる当主らは耳を澄ませて僕らの会話を聞こうとしているだろう。心なしか奏者の奏でる音も小さいような気がする。 

「ハインス公爵」

 テレンスを挟んで座るディーター侯爵が身を乗り出し僕に近づく。 

「…ゾルダーク邸に負傷者はいないと聞いていますが…本当ですか?」 

これも問題の一つだった。小公爵が襲撃のなか馬車に乗り上げ敵を撃っている姿を多くの民が目撃し、火砲を撃ち込まれ賊が襲ったゾルダーク邸に負傷者がいない。それは賊を火銃という認知されていない武器で撃ち殺したからだとすでに事実が出回っている。その上ゾルダーク邸を補修する間、火銃を持つ騎士が路地から見えたことが事実を裏付け火銃の存在を皆に知られた。実際僕はあの日まで知らなかった。一臣下が武器を開発製造し使ったことは大きな問題として挙げられるだろう。 

「はい」 

「あなたは…クレアに会ったと聞いた…羨ましい…」

 …羨ましい…クレアに会いたかったのかな?そんなに姪思いとは知らなかった。 

「クレアは…ゾルダーク邸で健やかに過ごしています」 

「ジュノ…私の手紙は悉く無視をされているのに…なぜハインス公爵は入れる…レオン…なぜだ…」

 ディーター侯爵の呟きに首を傾げるが聞いた名があった。 

「ジュノ?クレアのメイドの?彼女にも会いましたよ」

 ディーター侯爵の険しい眼差しが僕を睨み口を曲げた。 

「ルーカス」

 テレンスが首を振りながらため息を吐いている。 

「テレンス…ディーター侯爵はどうした?クレアに手紙を?僕が渡そうか?」 

「本当ですか!?」

 ディーター侯爵は表情を一変させ声を上げる。そして給仕に声をかけて紙と筆の用意を命じた。僕はここで書くとは思わずディーター侯爵の様子に驚く。そんなにクレアに伝えたいことがあったとは。クレアはディーター侯爵について意地悪だと言っていたが…可愛い姪を前にすると態度を変えてしまうのか? 

「意地悪なことは書かないでください…クレアに嫌われてしまいますよ?」 

この前クレアに会ったばかりだが心配だ。日が傾くまで彼女は僕の腕のなかで眠っていた。寝言で小公爵とテオ君の名を呟くほどだ…不安が伝わった。 

「兄上は放っておいていいんだ、ルーカス」

 用意された紙に真剣な表情で向かうディーター侯爵をちらと見たテレンスが僕に身を寄せる。 

「報せは何も…?」

 テレンスの小さな声は僕の耳近くで発せられ誰にも届いていない。ゾルダークは見張られている可能性が高く小公爵はマルタン公爵に協力を仰いだ。テレンスは事情を知っているだろうな。 

「ああ…無事を願うしかない」

 神妙な顔のテレンスの空色の瞳が僕を見つめる。なにが目的で襲撃されたのかテレンスと話したことはない。だがマルタン公爵の領地視察は小公爵の協力のためだ。テレンスなら理由を聞かされているか察している。 

「あの子達は…とても強い…とてもね…特別な子達だ」

 テレンスの言葉にだいたいのことを知ると理解する。はっきりと言葉にしなくても、厳しく険しいあの人の子は強いと言っているように僕は感じた。 

「ああ…」

 僕はテレンスの持つ硝子の器に自身の器をあてて音を出し強い酒を口に含む。 

「テレンス」

 ディーター侯爵の低い声に視線を動かすと細めた茶の瞳が僕らを見ていた。 

「…そんなに近くで話すから男色を疑われるんだぞ…」

 僕の性癖は未だ貴族らのなかでは歪んでいるようだ。 

「兄上、僕は気にしたことないんだ。言いたい奴には言わせておく。気にするなんてちっちゃい器ってこと」

 テレンスの言葉を無視したディーター侯爵は封筒に手紙を入れ簡単に蝋で封をした。 

「ハインス公爵…これを」

 渡された封筒には小さく『J』と書いてある。首を傾げ裏を見ると『D』と送り主の頭文字があった。僕はテレンスを見る。 

「そういうこと」

 テレンスの呆れた顔に僕はディーター侯爵に視線を移すが顔を背けている。クレアへの手紙ではなくメイドのジュノ宛てだとようやく理解した。 

「えっと…渡していいのか…僕の判断では…」

 まさかディーター侯爵がメイドのジュノと通じておかしなことをしようとしているとは思わないが迷ってしまう。 

「クレアに渡して」 

テレンスは茶の髪をかきながら呟いた。 

「…わかった」

 クレアなら事情を知るのかと理解する。ディーター侯爵はまだ体を傾けたまま顔を見せない。



 クレアは荒らされた花園を見ないよう邸の中を歩きブランコのある場所へ向かう。 

「嬉しい?エイヴァ」

 手を繋ぐ幼子にクレアは尋ねる。塀の補修が終わるまで邸の中に閉じこめていた幼子はブランコに乗れると聞きクレアの手を振りながら進んでいる。 

「うん!」 

「ふふ…離れちゃ駄目よ」

 クレアはまだ整っていない花園をエイヴァとダンテに見せたくなかった。自身も見たくなかった。精鋭の騎士が少ないゾルダーク邸に外の職人を入れないことで子飼いの庭師が総動員で動いている。あの花園を再現するのは手間がかかる。手配した花が運ばれ植えられているだろうとクレアは愛する花園を想い二人を想う。 

「三人で乗る!」 

「いいわ。ノアに押してもらう?」

 エイヴァの無邪気な声に微笑み尋ねる。

「うん!」

 クレアはノアに振り返り微笑む。優しい面差しのノアは頷く。 

「…最近レヴを見ないわ」

 クレア達の後ろを歩くのはノアとボーマだけだった。クレアはノアに居場所を知るのかと視線を送る。 

「ギデオン様の自室に」 

「そう…レヴも寂しいのね…」

 レヴの爪痕だらけだった扉はレオン達が旅立つ前に交換された。握りを回すものから下ろすだけのものにした扉は出入りがしやすくなった。 

「クレア様」

 ノアの後ろからハロルドが足早に駆けクレアを呼んだ。レオンらの戻りには早すぎるがまさかと胸を高鳴らせる。 

「ハインス公爵がいらっしゃいました」 

「ルーカス?ふふ、ハロルド…誤解しちゃうわ。そうね、ブランコに案内して」

 頷き踵を返したハロルドの背から視線を戻し歩みを進めるクレアの手が引かれる。 

「ハインスこうしゃく?」 

「ええ…会いに来てくれたの…」 

「ハインスこうしゃくもいっしょにブランコのる?わたしとティをひざにのせてくれる?」 

クレアはその様子を想像し微笑む。片足ずつ幼子を乗せるルーカスは困り顔をするのかと考えてしまう。 

「ふふふ、楽しそうね」 

クレアとエイヴァ、ダンテが待つブランコにルーカスが現れる。

 「クレア」 

「ルーカス」

 クレアはルーカスが近づくまでブランコの近くに立ち待っていた。碧眼はブランコに座る幼子に移る。 

「エイヴァ王女、ダンテ。こんにちは」 

「こんにちは、ハインスこうしゃく」

 エイヴァは体を捻りルーカスを見つめ挨拶をする。ダンテは見つめるだけだった。 

「ルーカス、約束してなかったわ。なにかあった?」 

クレアは首を傾げて尋ねる。ルーカスの腕のなかで眠った逢瀬の日からそんなに日は経っていない。 

「いや、ああ…頼まれたことがあって」 

「ハインスこうしゃく!ブランコにのる?」

 エイヴァはブランコの座面を叩き座るよう促す。 

「ふふふ、座ってルーカス。エイヴァとダンテが膝に乗りたいらしいの」

 ルーカスはクレアに近づき流れる紺色の髪を一房掴み口を落とす。 

「落とさないように気を付けるよ」

 クレアは微笑み屈んだルーカスの金髪に指を這わす。 

「傷…消えたわ…よかった」 

「深くなかった」

 ルーカスはクレアの手を取りブランコに向かう。ブランコには幼子が並んで座っている。ルーカスが二人の前にしゃがみ腕を広げるとエイヴァが先にルーカスの体にしがみつきダンテが同じように反対側に抱きつく。ルーカスは立ち上がりブランコに腰を下ろす。幼子の体勢を変え腕を回して落ちないよう固定する。 

「クレア、おいで」

 端に座ったルーカスは空いた座面をちらと見てクレアを呼んだ。 

「ふふふ、傾いてる」

 クレアはそう言いながらブランコに座る。陽射しは木が遮ってくれているが穏やかに届く温かみを感じていたクレアの服をダンテが引っ張りルーカスに凭れさせた。幼子を支える逞しいルーカスの腕に頭を預けたクレアは近くに見える黒い瞳に微笑む。 

「ふふ、落ちないようにね、ダンテ」

 クレアはダンテの柔らかい銀色の頭を撫でる。 

「ノアーおしてー」

 エイヴァの元気な声に近くに侍っていたノアが動きブランコを押すと緩やかに揺れる。

「頼まれたこと?」

 クレアはルーカスの言葉を思い出し尋ねる。

「うん。ディーター侯爵が…えと…手紙を…」

 言いにくそうにしているルーカスにクレアは察する。 

「ふふ、持っているの?」 

「…うん…胸に入ってる」

 見下ろす碧眼がエイヴァが座っている方へ向かう。 

「エイヴァ、ルーカスのジャケットのなかに手紙があるの。取れる?」

 クレアの頼みごとにエイヴァは微笑み体を捻りルーカスの懐に手を入れた。うごめく小さな手にルーカスは笑う。 

「はは…くすぐったいな…」 

「みつけた!クレア!」

 ルーカスの懐から手紙を取り出したエイヴァは得意そうに掲げクレアに渡す。 

「ありがとう。ふふふ…恋文ね…」 

「恋文なのか…」 

クレアの呟きをルーカスが拾う。 

「よんで」

 エイヴァは大きな紅眼を輝かせクレアを見つめる。クレアは微笑み蝋を割った。ルーカスは止めるべきか悩んだが口を閉じることに決めた。クレアはルーカスの腕に凭れながら折られた紙を広げる。 

「…ジュノ……心からお前に会いたい。俺はマルタン公爵に聞いたとき頭が真っ白になった。本当に真っ白になるもんだと感動すらした。無事な姿のお前に会いたくて何度も手紙を送ったが許可が下りない…下りないなんてもんじゃない…手紙がそのまま送り返された…非常事態なのは理解しているが…あんまりだ……俺にこんな仕打ちをするとは酷いだろ…ふふふ…伯父様ったら…」

 手紙を読んでいたクレアは思わず笑ってしまう。 

「あふ…クレアつづき…」

 エイヴァがルーカスの体に凭れあくびをする。 

「クレア…人の手紙を読むなど悪い子だ…ふふ、ジュノに俺がどれだけ心配したのか伝えてくれ…ついでに会えるよう頼んでくれ…可愛い俺の姪よ……小さくても可愛いぞ…ふふ…余計なことを書くところが伯父様らしいわ…」

 クレアは紙を折り畳む。

「クレア」

 ルーカスの小さな声がクレアの名を呼んだ。碧眼は優しく垂れて異色の瞳を見つめている。その視線が動き亜麻色の頭に向かった。クレアはその後を追う。 

「ふふ…伯父様の恋文が寝物語?ルーカス…このまま」 

「うん」

 木漏れ日の包むブランコの優しさにクレアは一時の幸せを感じる。小さな手が紺色の頭を撫でる感覚にダンテの慰めを感じ愛しさも沸く。 

「ルーカス…会いに来てくれた…嬉しい」




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