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クレアとルーカス

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綺麗に結い上げていた髪は僕が押し倒し掴んだせいでほつれてしまった。その乱れた姿も情事後のようで幼い彼女との対比に刺激を受け再び昂りそうになる心を落ち着かせる。クレアはソファから起き上がり従者に近づき腕に触れた。

「ノア」

耳を塞いでいた両手を下げ目蓋を上げた従者はクレアの乱れた姿を見ても表情を変えない。

「外で待っている使用人を呼んで」

「はい」

クレアはそれだけ伝え僕の元に戻る。従者は指示に従い扉を少し開き声をかけた。現れたのはブルーノだった。その表情には困惑が現れている。扉の叩く音には気づかなかった。いつからブルーノは扉の前で待っていたのか。あの若い使用人が止めていたんだろうか。

「ルーカス様…」

ブルーノはクレアの乱れた髪をちらと見る。

「クレアは媚薬に気づいた。ゾルダーク公爵と小公爵に異変は?」

「特に何も…ルーカス様の器に塗られていたようです」

ブルーノは一つの茶器で全員に紅茶を注いでいた。茶の中に混入されていたのなら全員に変化がある。僕だけなら…器を用意した者…以外にも僕の座る位置を知っている使用人なら塗ることができる。

「ルーカス様…まさか…」

ソファに座ったままの僕に近づき眉をしかめるブルーノの懸念は理解できる。僕がここでクレアを襲ったように見えても仕方ない。子種の匂いにも気づいただろう。

「彼女は無事だ…傷はない」

彼女の純潔は散らしていない。

「ブルーノさん」

クレアがブルーノを呼ぶ。

「櫛を貸してください」

「メイドを…」

ブルーノは言葉を止める。この状況をメイドに見られるのはよくない。

「私の従者が髪を結えます」

ブルーノの安堵した表情と同じように僕の心にも安堵が広がる。

「僕の着替えも頼む」

「湯はどうしますか?」

「水差しの水で拭う」

トラウザーズの中は吐き出された子種でかなり不快だが湯など頼めない。どんな憶測が出回るかわかったものではない。

「隣の書庫を使う。布を持ってきてくれ。馬車の準備をバトーに命じろ」

執務室からブルーノが出ていく。

「クレア、始末はちゃんとする」

君との婚約を破談にさせるためでも僕の子種を受けるためでもこんなことを許せるわけがない。

「はい。ハインス邸から排除しなければ私は安心して眠れません、ふふふ」

こんな事態になっても君は笑ってくれるのか。

「君以外はいらない。触れない」

「約束」

小指を僕に差し出すクレアの表情は真剣だ。僕は小指を絡めた手を引き寄せ口を落とす。

「約束だ」

君が嫌がることはしない、僕は僕を守る。

「媚薬には耐性を持っているから全て覚えてる。君に伝えた言葉は僕の想いだ…忘れないで」

赤くなる頬を手のひらで包み、紺色の髪に指を伸ばし乱れた髪をほどいていく。留め具を一つ一つ外していくと長い紺色の髪が落ちていく。

「結い上げた姿も綺麗だった」

手櫛で紺色の髪のほつれを直す。手触りのいい髪はこしがあり滑らかで美しく保たれている。

「あ…クレア」

彼女の白い首筋に赤い痕を見つけた。僕が吸い付いてしまった痕だ。

「…?ルーカスなに…?」

赤い痕を見つめ触れているとくすぐったいのか首を傾げて彼女が震える。

「首に…痕を残してしまった」

「今触れているところ?」

「うん」

「目立ちますか?」

「少し」

ゾルダーク公爵と小公爵が不快に思わないだろうか。当分会わせないと言われても仕方がないが…それは避けたい。

「ルーカスが引っ掻いた…?痛みはなかったのに」

「いや…吸ったんだ」

「吸う…ルーカスが……私…手に集中していたから…」

クレアの言葉に思い出し頬が熱くなる。

「うん…我慢できなくて…君に触れた」

「口づけをして吸う?」

「うん。そうすると肌に赤く色が残るんだ」

クレアの瞳が輝く。嬉しそうに微笑み、僕の鼓動を跳ねさせる。

「ふふ、見つからないようにします」

そんなことが可能だろうか?

「私にも教えてください」

「え?吸う…吸い方?」

「はい」

駄目だ。僕は今子種臭いし、また昂ってしまう。

「つ…次の機会に…ね」

「はい」



「ノア」

「はい」

ルーカスは執務室の隣にある書庫で体を拭い着替えている。部屋には扉の近くに若い使用人が侍り、ノアはソファに座る私の髪に櫛を入れ結い上げるため指を動かしている。

「ありがとう」

私の無茶な指示をなんの疑いも持たずに動いてくれた。ノアはレオに報告をする。私が黙っていてと願ってもそれは聞いてくれない。このことをレオに話せば…ノアは怒られるわ。止めなかったことを怒る。あれは口づけ以上のことだと私だって理解してる。男性の陰茎に服の上からでも触れるなんて婚約者の距離を越えているとわかっていてもルーカスの変化に疑問を抱いて最悪なことを想像したら…自分を止められなかった。少し赤みを持った頬に汗ばむ体、速まる鼓動、そしてコートの釦を止めた。ゾルダーク公爵邸の図書室で読んだ毒の中の媚薬の発症に似ていた。少しの疑いも違和感も逃してはならない。ハインス邸に残ることを二人に止められなくてよかった。媚薬を飲んだルーカスを残して離れることを心が拒否した。

「私も一緒に怒られるわ」

耳を塞いでと命じてもノアは音を捉えていたはず。

「ブルーノさんは彼が止めたのね?」

あのとき執務室から出されていた使用人に視線を移す。

「はい。少し待てとルーカス様の指示と伝えていました」

ちゃんと聞こえていたのね。恥ずかしいわ。私は離れて立つ若い使用人を見つめる。

「ありがとう、ロイ」

聞こえないとわかっていても小さく伝えると軽く頷いた。ブルーノさんの下働きのような仕事を始めたと聞いていた。邪魔な令嬢も丁寧に下がらせてもいた。

「ノア…私は守られているわ」

「はい」

レオが私のために力を尽くしてくれている。信用の置ける乳兄弟をハインス邸に潜ませてまで私を守るレオ。

「ノア、私と共にハインス邸に入ってくれる?」

「はい」

考える間もなく答えてくれる。

「ありがとう」

ルーカスに尋ねてはいないけどノアとボーマだけなら許してくれるわよね。

「目立つ?」

ルーカスが触れていた首筋に指差し尋ねる。

「少し」

「そう…ノアはこっちに立って歩いてね。見られないように動くわ。できるかしら?」

疲れたと言って自室に直行して白粉で隠す。そうしましょう。

「できました」

「ありがとう。髪飾りは?」

「ソファに落ちていたものは拾って差しました」

ノアの返事に頷く。

「ノアは器用ね」

そのとき書庫の扉が開いてルーカスとブルーノさんが戻ってきた。

「クレア」

「ルーカス」

足早に近づくルーカスは私の前に跪き碧眼を垂らして見上げる。

「乱れた髪も綺麗だった」

ルーカスの言葉に笑ってしまう。

「ふふふ、本当?」

「うん…ありがとう。僕のことを考えてくれて…」

考えているわ。ルーカスを想うと胸が苦しいの。会いたくなるの。貴方の側に寄る令嬢が嫌なの。これが恋なの?愛なの…?

「寝室の鍵は閉めてください」

貴方を守る人がハインス邸に多いといいわ。ルーカスが誰かに触れられたら…触れたら…私はどうなるのかしら。

「うん。騎士を立たせる」

自邸で扉の前に騎士を立たせる?ふふ、警戒して損はないわ。私を見上げる碧眼を見つめ顔を落として口を合わせる。

「ク…クレア」

執務室に二人きりではなかったことを思い出す。

「ごめんなさい」

「いや…謝ることじゃない。ブルーノも使用人の彼も見ていないよ」

それは嘘よ。ブルーノさんの驚く顔が視界に映ったもの。

「ふふ」

「送るよ」

ルーカスは立ち上がり私に手を伸ばす。大きな手を掴みソファから立ち上がる。手をルーカスの腕に添えて扉に向かう。

「クレア」

執務室を出る前にルーカスが立ち止まり私を見下ろす。

「小公爵は気づく」

ルーカスの言葉に頷く。ノアが詳しく報告はするけどレオは私が予定を変えたことを怪しんでいるはず。

「君の唇が…赤いし…」

「ふふ、ルーカスに会うといつも赤くなるから…」

「ははっそうだね。でも…君が怒られることは僕の本意じゃない。僕のせいだから…ゾルダーク邸に着いたら僕から説明するよ」

私は自分のために行動したわ。誰かの思惑が起こしたことだけど、ルーカスは私が残らなくても無事だったかもしれない。私よりも大人だもの、対処はできた…私は余計なことをしたのかしら。

「ルーカス…私…出すぎた真似をしてしまったのかしら。貴方の邸で私の思いを通してしまったわ」

今更ながら自分の行動が間違っていたのかと不安になる。あのとき私が漆黒の馬車に乗ってルーカスから離れたら寝室に籠るつもりだったのかもしれない。騎士を立たせていれば令嬢は入れないもの…でも信頼する使用人が裏切るなら……私…やりすぎたかしら。手のひらに硬く熱いルーカスの陰茎の感触が思い出される。頬が熱い。視界が揺れる。

「クレア…皆、目を閉じろ」

ルーカスの手が私の頬を包む。

「君の思うようにしていいんだ。僕は君の気持ちが嬉しかった。僕は…君の従者にさえ嫉妬をする。君に僕だけを見て欲しい…帰したくない」

ルーカスは体を屈めて私の唇に触れる。触れるだけの口づけは少し物足りない。






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