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馬車の中で

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艶のある高級な木目の馬車が広場から離れていく。テオは明らかに不機嫌な顔をして腕を組み立ち、走り去る馬車を睨み見送っている。その隣で肩を弾ませ赤紫の髪を揺らしながらオリヴィアも見送っている。

「クレア…ああ…口づけくらいするかしら…んふ」

テオがオリヴィアに向けて殺気を放っても、当のオリヴィアは気づかない。

「テオ、慣れろ」

こうやって大人になるんだ。

「ゾルダークの騎士も守ってるだろ?」

「そうだぞ。ほら、天幕に入るぞ。騎士を労う」

観覧中、口を閉ざしていたギィが早く行こうと俺とテオの肩に腕を回して連れていく。

「ぶすっとした顔をするな。まったく…ゾルダークにそっくりだな。女が近寄らんぞ」

テオはギィの腕を振りほどき、一人で先に天幕へ向かった。

「ギィ、余計なことを」

「真実だろ。テオは公爵令息だからな。権力に群がる奴らの中から好きなのを選べばいい。父親は喜んで娘を差し出す」

「俺が婚姻してからテオのことは考えるよ。だから放っておいて」

肩から重い腕が離れ、太い指が首もとの釦を外している。

「つまらん対決だったな」

「ははっ期待して戻ったのに。ごめん」

「マルタンの勝利を決めてたんだろ?見習いが全力を出していれば必ず勝てた。全力と言っていたろ?」

「怪我をする恐れを感じたら全力を出すなと加えた…こんな遊びで怪我をされても困る」

「そうだな。一月後が本番だな」

ギィの言う通りだ。怪我をするほどの戦いは一月後に起こるかもしれない。万全の状態でリード辺境へ向かわなくてはならない。なんとなく付け加えた一言だったが…

「しかし…カルヴァ・レグルスは初めて見たが…ハロルドに目が似ていたな」

「ははっ腹の中で何を考えているのかわからないけど…見ているとちょっと絆されたよ。慣れ親しんだものには弱い」

ゾルダーク邸で帰りを待つハロルドを見たら笑ってしまう。

「レオン、ルーカスはなかなかいい男だ」

離れた位置、小さな声で話した内容が聞こえたのか?

「本当に二人だけか?」

聞こえていたらしい。なんて聴力してる。

「二人だけだよ。使用人にね…騎士団にはまだ入れていない。多分…これからハインス騎士団は募集をかける」

若いのを行かせるか…長くクレアを守れる。

「まったく…お前も過保護だぞ」

それは仕方ない。

「知ってる」



ハインスの騎士とゾルダークの騎士の守る馬車が街道を進む。

「予定を変えてしまったね。驚いた?」

窓から外を眺めていた黒と空色の瞳が僕に向けられる。

「いいえ」

「小公爵に許しを貰えてよかった…忙しくてゆっくり話せなかったから。ドレス…とても似合ってる。綺麗だよ」

向かいに座るクレアの頬が染まる。

「ありがとうございます。この宝石…私の瞳」

クレアはドレスに散らしたブルーダイヤモンドに触れ撫でる。

「うん。ハインス領の山から採れてね…磨かれた石を見たとき君を想った。隣に座ってもいい?」

「はい」

揺れる馬車の中を動き彼女の隣に腰を下ろす。膝に置かれた手に触れると握ってくれる。

「ハインス騎士団は情けなかったね」

「いいえ。皆さん一生懸命に戦っていました。武具を身につけて戦う姿は初めてで…楽しみました」

小さな手だ…この手が白い毛を優しく撫でる姿が好きだ。

「ルーカス様もお疲れ様でした。早くに広場に入っていたと聞きました」

「うん。観客に提供する飲食物の検査とか店主と打ち合わせがあったからね…チェスター前国王陛下はゾルダーク邸に滞在するの?」

「はい…父の代から…よく知っていて…時折遊びに」

小公爵から真実を話していいと言われたんだろう。父とはハンク・ゾルダーク。年代は近い。以前に本人が知り合いだと言っていたな。

「とても大きな人だ」

「ふふふ…そうなんです。昔、小さな私を布で縛って一緒に馬にも乗って」

それは随分親しいんだな。馬…ゾルダーク領なら広いから馬にも乗れる。

「ははっ可愛いだろうね。今は?馬に乗れる?」

首を振った。紺色の髪が揺れる。

「一緒に乗ろう…支えるよ」

「はい」

いつか君を腕に抱いて馬に乗ろう。僕を見上げる黒と空色の瞳が垂れて微笑む。繋がった手を持ち上げ、甲に口を落とす。色を足す頬が愛おしい。

「クレア…」

繋がっていない手で赤い頬を包む。望んでもいいだろうか。嫌と言われたら止めよう。

「口づけをしてもいい?」

黒と空色が見開かれ、頬は赤みをさらに増した。それでも見つめて答えを待つ。クレアは小さく頷いてくれた。馬車の揺れじゃない…多分。僕は恥ずかしいが口づけをしたことがない。上手い口づけを知らないけど君と口を合わせたい。僕から視線を離さない異色の瞳が薄暗くても輝いて見える。吸い込まれるような黒の瞳には空色が走り神秘的だ。高鳴り忙しい胸の音が君に届かないといい。小さな赤い唇と軽く合わせる。その時馬車の揺れが強く、彼女の唇を押してしまった。驚いたのか包んでいる頬が跳ねた。指先に触れる髪を撫でながら唇を離す。指と指で紺色の髪を挟み感触を味わう。こんなに近くで君を見たことはなかった。黒と空色が潤んで美しい。

「好きだよ…ずっと」

そう…僕は君を想っていた。あの出来事から十年、暇など作らず寝る間も惜しみ学んだ。その十年は君のためじゃなく自分のための十年だった。十の年の君に会えたとき、胸に湧いた欲と願い。君を手に入れると決心した…この黒と空色を僕だけのものに。ゾルダークよりも僕を選んだと小公爵から聞いたときの喜びは大きい。黒と空色の瞳から滴が落ちた。怖かったろうか、本当は嫌だったろうか。それでも放さない。濡れた頬に口を落とす。濡れた唇を舐めると涙の味がした。

「顔が真っ赤だ」

こんな顔をさせるのは僕だけだ。

「もう一度…」

捕まえていた小さな顔を固定して口を合わせる。柔らかく震える唇が愛おしい。この小さな口の中に舌を入れることができるのはいつだろう。唇を離し、クレアの額と僕の額を合わせる。

「嫌だった?」

涙の意味を知っても僕の心は止めることはできない。もし嫌だったと言われたら…一月は我慢する。そしてまた尋ねよう。

「お…驚いただけ」

「二人だけのとき、またしていい?」

クレアが頷くと額が擦れる。可愛い彼女に頬が緩む。馬車が速度を落とした。

「ありがとう…嬉しいよ。はぁ…もう着いてしまうね。まだこうしていたい。君と二人だけで」

甘えたことを言う僕の頬にクレアの手のひらが触れる。黒と空色は垂れて僕を見ている。

「またゾルダーク邸で会える日を楽しみにしています…ボーマは離しておきます…だから…二人だけ」

「うん」

君が僕を突き放さないでくれてよかった。近くにこうしているだけで幸せを感じる。僕は目蓋を閉じ、この瞬間を頭に刻む。ハインス邸に帰っても寂しくないよう、君の温もりを覚えていたい。その時、僕の唇に柔らかいものが当たった。それは直ぐに離れた。瞳を開けると微笑むクレアがまだいてくれる。

「してくれたの?」

「ふふふ…内緒」

連れて帰りたい。これは僕が理性を崩したって君は文句を言えない!駄目だ…耐えろ…耐えることには慣れている…我慢する。



「え?ルーカスが?」

広場から王宮に戻った俺に侍従が報せる。
なんだ?クレアを馬車に連れ込んで俺より早く帰ったルーカスがなぜ王宮の俺の執務室にいるんだよ。扉の前に立つドウェインに向かい、扉を指差し、いるの?と確めると頷いた。

「先ほど」

ドウェインの言葉に頷き、執務室に入るとソファに座り頭を抱えるルーカスがいた。俺は急いで扉を閉める。
まさか…ルーカス…我慢できずに…クレアを!

「ルーカス!お前…お前…」

足早にルーカスの前に立ち金髪を見下ろす。

「父上…彼女は…クレアは…はぁ…」

なんだよぉ!破談になるようなことするなよなあ!頼むよぉルーカス!いや…一度くらいなら俺が頭を下げて…許してもらうしかない!

「だから、外で欲を発散しろって言ったろ!ルーカス!俺は…俺は…絶対破談にはさせない!」

金髪をかきあげ、顔を上げたルーカスが怖い。凄い睨んで俺を見上げている。なんだよ…なんだよ…ルーカスが悪いんだろ…なんだよ!立つなよ!俺を見下ろすなよ!

「外で欲…?何言ってる?」

怖…こわ…凄い怒ってる?何よ!なんだよ!声が低いぞ…

「父上…クレアは可愛いです…」

はあ!?何言ってる!!な!?頬を赤らめてよ!にやけてよ!さっきまで怒ってたじゃないか!

「ルーカス!クレアが可愛いことは知ってるんだよ!意味不明だぞ!……何したんだよ…馬車で二人きりで!お前…何したんだよ!」

ルーカスは手のひらで顔を拭いながら天井を見上げる。

「ふ…内緒です」

何しに来たんだよ!ルーカスが壊れた!

「ドウェイン!!つまみ出せぇ!」


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