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マチルダ

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「こちらです」

レディント辺境騎士団の騎士に案内され、木が生い茂る場所を分け行くと大きい扉が現れた。

「向こう側に握りはありません。シャルマイノス側から出るための扉です」

騎士が握りを回すと隙間が現れ扉の向こうには森が広がる。

「お気をつけて」

騎士に頷き、馬の手綱を引いて久しぶりのチェスターに入った。余計な雑念は追い払い馬に乗り上げ駆ける。離れた場所には豪華な天幕が張られているのが見えたが、港を目指し、人を避けて港の近くにある離宮に向かう。休憩を挟みながら城下に入るまで三日を要した。遠くに見える大きな城を見るのは何年ぶりかとマチルダは思う。

鍛え始めて身体が大きくなった頃、父に言われた言葉の意味を理解したのは随分遅かった。
『やはりお前は俺の子だな』ドレスが似合わず男物のシャツとトラウザーズを着込んで鍛える私を見て放った言葉は、私がエゼキエルの言う一の父上の種からできたと言う意味だった。あの頃は首を傾げただけだったが、このなりと他人の感情の察知能力を認めたときには腑に落ちた。貴族世界はどこも似か寄り、相手への蔑みや妬み僻みに嫌みを微笑みに隠しながら遠回しに吐き、纏う雰囲気との対比に少女の私はかなりやられた。近衛の鍛練所でも同じ思いを味わった。男も階級に支配され、実力が低くとも家の名で上官になり、欲を部下にぶつけて発散させる場に出くわしたこともあった。身分を偽った私にその欲を向ける男が現れ、家出を決心した。城を見ていると鮮明に思い出す。

頭を振り口を覆った布を縛り直し、海へと向かう。空は茜色に染まり始めた。暗闇を駆ければ半日で着く。
マチルダが港街に近づくにつれ、騎士の姿が多く見られるようになった。民家に食料を運ぶ騎士が見えるだけで住民の姿はなく、口を覆った騎士が家から布に包まれた遺体を運ぶ様子まで駆けながら見た。チェスター王国騎士団の衣装を着ているマチルダは止められることもなく離宮へ駆けた。暗闇が多いとの予想は外れ、そこかしこで燃やされる遺体の炎が街を照らし、駆けることに集中できたマチルダが馬から下りたのは日の出が現れる頃だった。静まる離宮の鉄柵を登り、人気の少ない廊下を歩いて、当たりをつけた部屋を確認しながらガブリエルを探した。一際大きな扉の向こうを窺うと気配を感じて静かに扉を開け中へと入る。薄暗い室内の蝋燭は燃えつき、大きな寝台の上には大柄な銀髪が二人横たわっていた。足音を忍ばせ寝台を覗くと、荒い呼吸を繰り返すガブリエルと静かに眠るギデオンがいた。

「父上」

「お前…マチルダか。へぇ生きてたんだな」

ガブリエルの隣で寝ていたと思っていたギデオンが銀眼を開きマチルダを見つめていた。

「ゾルダークの熱冷ましが効きましたか?」

「ああ、だが効果が切れると熱が上がる。ガブは持ってきた熱冷ましを離宮の者と俺に飲ませた。薬、持ってきたんだろ?ガブに飲ませろ。熱冷ましがなくなったんだ、昨日俺が飲んで終わった…ガブは飲んでねぇ」

マチルダは頷き、荷物を下ろして薬を取り出す。

「父上、飲めますか?父上、薬を持ってきました」

赤い顔を振り口を固く結んだガブリエルは魘されている。

「父上」

「…や、やめ…ろ…レオン…その酒を…捨てるな…」

「馬鹿やろう、ガブ!起きろ!」

ギデオンが掛け布の中でガブリエルを蹴った。

「あ…?」

薄く銀眼が現れ彷徨い、覗くマチルダを見つける。

「父上」

「マチルダ…?」

「頭を少し上げますよ。口を開けて放ります」

高い熱に朦朧となっているガブリエルは言われるがまま口を開けて丸薬を含んだ。マチルダは水筒を直接咥えさせ水を流し入れる。

「ごっほぉ!」

「父上、飲めましたか?」

噎せたガブリエルの頭を寝台に置き、ギデオンにも同じように飲ませる。

「半日で効果が現れるそうです」

マチルダは上着を脱ぎ寝台の脇に置いてある椅子にかける。

「もう一人の父上、話せますか?」

「ああ、マチルダ…瞳を見せろ」

マチルダはギデオンの側に立ち、覗き込んだ。ギデオンの顔には紫の斑が現れている。

「はは…セーラの瞳だ。マチルダ、セーラはお前を案じていた。会えたら伝えろと言われた言葉がある」

マチルダの胸は重くなる。

「そんな顔すんな……好きに生きろだとさ。お前がいるうちにそう言ってあげたかったと悔いてた…お前は早々に消えたからな、仕方ねぇと俺が慰めた。ああ…眠い…寝るぞ」

目蓋を閉じて眠りに落ちたギデオンには涙を流すマチルダが見えていたかはわからない。

「…母上」

「マ…マチ…ルダ…水…喉に…詰まっ…ぐ…」

ガブリエルの苦しそうな声に拳で頬を拭い、水筒を持って口に含ませる。

「はぁはぁ…マチルダ…乱暴な…奴だ、ギデオンに飲ませたか…?」

「はい。今眠りました」

目蓋を閉ざしたままのガブリエルは小さな声で話す。

「離宮にいる者に…薬を配れ…モルトがどこかで寝ている…」

懐かしい名に頬が緩む。

「モルトは年寄り…だ…早く」

「わかりました。モルトに先に飲ませますが、偽物の可能性も捨てていません。父上に効いたら花火を打ち上げエゼキエルに報せねば。それから民に配れる…父上?」

ガブリエルの返事はなく眠りに落ちたようだった。マチルダは机の上にある水差しを持ち上げる。中身のない状態に離宮の使用人は罹患したと予想する。部屋を出るとふらふらと歩く若い女の使用人がいた。

「無理をするな」

マチルダは女の体を支える。

「…誰…?騎士団の?」

マチルダのトラウザーズは騎士団の物だった。ゾルダーク邸を発つとき渡された荷物の中に入れられたチェスター王国騎士団の衣装は、レディント辺境を渡ってから着替えた。

「ああ、熱がある。寝ていなさい。ガブリエル様の様子は私が見る。モルトの部屋を教えてくれるか?」

使用人の指差す方へ向かい扉を開けて寝台に眠るモルトを見つける。

「モルト、久しいな。モルト。髪は黒いがマチルダだ」

マチルダの声に反応したモルトは薄く目を開くがすぐに閉じた。ギデオンと同じように紫の斑が顔に現れたモルトの体を起こし支え、口をこじ開け丸薬を放り水筒を含ませ水を流し込む。噎せないように軽く背中を叩き飲み込んだことを確認してから濡れた口許を拭い寝かせる。

「マ…チル……さ…」

「モルト、父上の側にいてくれたんだな。感謝する…この離宮は静かだ、使用人は家に帰したのか?」

薄く開いた瞳が瞬いた。それを返事と取り、寝台脇にある水差しを持って部屋から出る。料理場を探し、甕の中にある少ない水を鍋に入れ湯にするため竈に火を入れる。井戸の水を汲もうと外に出ると、すでに日が高くなり明るい太陽が海を照らして光り輝く。幾度か井戸と料理場を往き来して甕を水で満たし、洗濯でも始めるかと考えていたマチルダの耳に外から声が聞こえた。

「誰かいるか!?」

マチルダはエゼキエルに渡された紋章入りのハンカチを懐から取り出し腕に巻く。閉ざされた門の外には数人の王国騎士団の騎士がいた。

「なんだ!」

罹患している可能性を考え、離れた場所から声をかける。

「こちらで働く者が飲んだ熱冷ましが一時効いた!まだあるか!?」

その言葉を聞いてマチルダは事態を理解した。ガブリエルの渡した熱冷ましが使用人に効き、家に帰した者が話したと察した。

「悪いがない!」

「お前は何者だ!?」

「エゼキエル国王陛下に頼まれて離宮に来た」

マチルダは距離を縮め腕の紋章を指差し見せる。

「何故離宮の熱冷ましが効いた?本当は隠しているのか?」

この状況ではそう勘繰っても仕方がなかった。港街は極限状態だった。

「私は今朝離宮に着いた。中の者は皆が罹患している。前王陛下も危ない…」

マチルダの言葉に騎士は驚く。伝染病が蔓延る地に今朝着いたと言う神妙な顔に嘘を見つけられない騎士は落胆する。

「熱冷ましはたまたま離宮にあったらしい。シャルマイノスの強い熱冷ましがあったんだ。全て罹患した使用人と前王に渡った。効くかはわからなくてな。効いても一時だったろう?」

騎士は悔しそうに頷いた。その姿に昔、同じ鍛練をした近衛とは違う雰囲気をマチルダは感じた。民を案じ一縷の望みを持って訪ねたと伝わった。

「君は?顔が赤い…辛いだろう?」

「俺達は鍛えている。辛くとも動かねば…弱い者から倒れ苦しんでる…王宮の食料庫を開放したんだ…配らなくては民はもたない」

「暴動は?」

「そんな元気が民には無い…貴方はよくここまで…」

正気の沙汰ではない。マチルダも港街から逃げ出す人達に逆らい辿り着いた。

「夕に火の花を打ち上げる。三発確認したら来てくれるか?」

「どうした?前王陛下の死の報せか?」

「いや…望みだ。夕まで耐えてくれ」


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