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クレアとマチルダ
しおりを挟むゾルダーク邸の客室の前には騎士が二名立ち、中のマチルダを監視している。
「お疲れ様、お話がしたいの。入っても?」
騎士は胸に手をあて、私に頭を下げる。
「クレア様。レオン様から許可は得ています」
騎士の開ける扉から部屋の中へ入ると、テオが着るような服を着込んだマチルダ様がソファに座っていた。
「こんにちは、マチルダ様。不便なことはありませんか?」
私は微笑みを向けながらマチルダ様の対面に座る。私の後ろにはソーマが立っている。
「快適な監禁ですよ」
マイラ様のお姉様なのよね…銀髪しか似ていないわ。お父様の言う通りエゼキエル様に似ている。髪も耳が隠れるほどの長さ。
周りでは見ないマチルダをクレアは観察してしまう。
「私の風貌が珍しいですか?」
見すぎてしまったわ。失礼だったかしら。
「申し訳ありません。正直珍しいですわ。……私はこの邸の外にはあまり出ませんの。年頃の令嬢の知り合いは従姉妹だけ。あとは使用人と騎士達が私の日常ですの」
マチルダの紺碧の瞳が少し垂れる。
「あの…十五を前に家出をしたと聞きました。どうやって生きてこられたのですか」
私の質問にマチルダ様は微笑む。
「真似をなさる?」
「ふふふ…どこまで行けるかしら?ソーマ、どう思う?」
後ろを振り向き聞いてみる。見上げるとソーマの顔は笑んでいる。
「門が開きませんよ、クレア様」
「そうよね、私がお願いしても開かないわ」
私はマチルダ様に視線を戻す。
「一歩も出ることができませんわ、ふふ」
「息苦しくはないですか?」
同じことをオリヴィアにも聞かれたことがある。レオンを説得するから買い物に出掛けようとも誘われたけど私は笑顔で首を振ることしかできなかった。どれだけ不安にさせるかわかるもの。
「外を知らないのです。息苦しく感じたことはないですが、少し退屈」
「だから私の話を聞きたいと?」
「はい!教えてくれますか?」
私はそれだけでも嬉しい。話を聞いて想像して、もらった絵を参考に風景を頭に浮かべるだけで楽しい。
「周辺国の辺境と王都を見て回りましたよ。どこの国でも貴族の名を持っても家門の騎士を持てない家が地方には存在します。そういう家は時に傭兵を雇う。期間限定の騎士です。私は男のなりをして傭兵騎士として働きながら金を稼ぎ生きています。だが、シャルマイノスは治安もよく豊かだ。レグルスやアムレの方が傭兵の仕事が多く、中でもアムレは貧富の差が激しい。貴族の移動、商隊の護衛をしてアムレで金を稼ぎ貯めて行きたい場所へ向かう」
マチルダ様の話はとても新鮮で書物で読むよりわかりやすく聞き入ってしまう。
「他国に入国するときに身分を示す物が必要ですよね?どうしましたの?」
頭を掻いたマチルダ様は困った顔になってしまった。聞いてはいけないことだったかしら。
「偽の身分証はチェスターの…父上の執務室に沢山ありましてね、拝借しました。名をマルゴと書き、チェスターの平民と身分を偽って」
物語の主人公が冒険をしているような話だわ。
「危険な状況に遭いましたか?」
見た目が男性のようでも怪我をしたり襲われたりしたんじゃないかしら…主人公はだいたい危ない目に遭うのよ。
「ええ、野生の動物に追われたり、喧嘩好きに絡まれたり、戦えと言われたり。楽しい思い出です」
マチルダ様は嫌な顔もせず話をしてくれる。お茶も用意せずに申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「紅茶も出さずにごめんなさい。茶器の持ち込みは駄目だと言われてしまって」
「はは、気にしないでください。私は貴女の寝室に忍び、貴女が頷けば連れ去っていた。仕方がないですよ」
でもいくら考えても私を連れてこの邸から出ることは不可能だと思うのよね。
「どうやって邸から連れ出しますの?」
「クレア様…」
ソーマの声がいつもより低いわ…聞いては駄目だったかしら。
「貴女の意思を確認後、門番を気絶させて出ようと計画を考えていましたが、すぐさま頓挫した。この邸から抜け出すことも元々不可能なんですね。これ程、警備の…騎士の質が高い家を私は知りません」
「そうですの?」
褒められたように感じて嬉しくなってしまう。
「嬉しそうですね」
「はい。ゾルダークが褒められるのは嬉しいですわ」
「私は学園に通う前に家を出ましたが、貴女も学園には通わないのですか?」
「はい。教師がいますの。ゾルダークの外の常識や他の貴族家のことを学んでいます。今は話術を習得したいのですが…」
「学園に通わないのは貴女の意思ですか?」
本当は通いたい気持ちがある。子の多い年だから学園には令息令嬢が多い。でも私を狙う人や傷つける人がいる場に出ることはレオンやテオに苦労をかけてしまうことになると知っている。それは望まない。
「異色の瞳というだけで狙う人達がいますから…守る側の負担が大きいのです。心配もさせたくないですし…私も、少し怖い」
私の存在のせいで知らない人が今も苦しみ死んでいる。それは私のせいではないけど心は重くなる。なんとも思わないことはない。だからレオンはチェスターの伝染病が広がらないように動いている。私が辛く思わないように。私の犠牲が増えないように…
「クレア嬢」
「…はい」
「貴女のせいではない。愚か者のせいだ」
「兄達もお父様もそう言ってくれます。事実そうです。でも…もう止めてと叫びたくなる…異色の瞳は取るからって」
「クレア様」
「ごめんなさいソーマ。ほんの少し思うだけよ。夢に出たの…顔のない人達がお前のせいだと責める…レオにもテオにも言えない。心配するから…二人が眠る私を寝台横で夢から守ろうとするかもしれないでしょう?」
私は頬の涙を手で払いうつむく。アムレの話を聞いた晩から夢に魘され、起きる度にボーマが私の頬の涙を舐めている。テオには寝言が聞こえているかもしれない。眉間にしわが増えていた。
「マチルダ様、今の話は秘密にしてくださいね。ソーマも!報告しないで」
振り向いて見上げるソーマの顔は困っていた。報告するつもりかもしれない。
「約束してソーマ」
「クレア様、それはできかねます」
「もう!気持ちを話したいときがあるのよ?心配させたくないから二人に言わないのに」
「わかりました。事態が終息するまで私から報告はしません」
「ありがとうソーマ」
レオンは今、アダム王太子に会いに出かけている。落ち着かなくてこうしてマチルダ様の元へ来てしまった。心配はいらないと言われても無理よ。
「クレア嬢、一目見て私は女には見えないでしょう?幼い頃から着飾ることよりも剣を持ちたかった。長い髪も鬱陶しく切りたかった。王女の立場でいると他の貴族令嬢と交流を持たなくてはならなかったので全て堪えましたが、ある日、王宮の茶会で令嬢らに言われたのです。王子が生まれなければ私が王配を取り国を動かす。沢山の素敵な令息から申し込まれる、羨ましい、それに見合う女性になるのでしょうね…と。その瞳には妬みが混じり、笑んでいてもわかるほど、気分の悪い感情が私には届いた。言葉を顔に出さなくても感じる人の悪感情は私を随分病ませた。エゼキエルが生まれ、チェスター王国から解放された年から騎士団の鍛練に参加し、身を鍛え出すと水を得たように体も心も逞しくなった。母は嘆いたが父は面白がっていた。表に出ずひたすら鍛えた。性に合ってる…そういうことだと思うと吹っ切れた。王族の責を捨てデビュー前に姿を消すことを決め、城を出たことに悔いはないが…母は…何も告げず別れた母は涙を流したかもしれないと、亡くなったと聞いてから考えるようになった。私は私の周りの人らの気持ちなど微塵も考えなかった。貴女は違う。この狭い籠の中で退屈と好奇心を共存させ堪えている。家族のために外に出たいと願いを口にせずに。私のできなかったことだ」
マチルダ様の思いが伝わる。私の暗く沈む心を紛らわすために、聞いてもいない過去の話をしてくれる。
「長い話をしてしまったが…貴女から悲しみの感情が伝わった。冷酷などと言って申し訳なかった。平気なふりをしていたんだと理解したよ」
「私は笑顔でいないと…兄達が心配します…ちゃんと泣きますよ。特にテオの、双子の兄には甘えてしまう。ゾルダークの者は皆が私を甘やかす…その気持ちは嬉しい」
優しい人らに囲まれたゾルダークは私を臆病にする。夜会はレオとテオがいるから怖いことはなかったけど…嫁いだらどうなるのかわからない。だから、ルーカス様の申し込みの返事ができていない。
「あの、お聞きしたいことがありまして…身上書をもらって…その方とダンスを踊ったんですの…ゾルダークのためにもその方に嫁ごうと思っています」
こんな話をされてマチルダ様は困るかもしれないけど、相談できる女性が周りにはいないのよね。オリヴィアに話したらからかわれそうだもの。
「…十五になられたのなら婚約者を決めることはおかしくはないが、私に何を聞きたいのです?」
「その方は三十を越えていまして…私と話して楽しまれているか不安です。大人な方ですから…ちゃんと話したことがありませんの」
初めて二人だけで話したのはダンスをするときだったけど会話って…何を話せばいいのかわからないわ。
「……その方は貴女に優しい?」
「はい。とても…優しい方です」
マチルダ様は頬を指で掻いている。困らせたかしら…
「貴女の好きなことを話せばいい。家に籠る貴女は書物を読むだろう?好きな書物の話をしてみては?」
「楽しんでくれるかしら…私、話術が上手くないんです。引きこもってますから。ボーマ…白い狼と話すのは簡単ですが」
「クレア様、会う約束をしてから悩まれては?」
後ろから聞こえる声にソーマの存在を思いだし恥ずかしくなる。両手で顔を隠してしまう。
「ソーマ、報告しないで…この事態が落ち着いたらレオンに聞くから…お願い」
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