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ガブリエル旅立ち
しおりを挟むマントを被った大柄な体に荷物を背負い、ゾルダーク邸の正面扉の前で日の出に照らされる紺色を見下ろすガブリエルは赤子だったレオンを思い出す。
「熱冷ましの薬は多めに入っているけど誰にでも渡しちゃ駄目だ。熱が出る前に飲んでも効かないからね。用法と用量は確認してよ。書状は?保存食も持った?」
「ああ、子供じゃないんだ。お前より旅をしている」
もう会えないかもしれない長い付き合いのレオンの紺色の頭を撫でる。こうされるのが好きなのは知っている。血の繋がった子より共に過ごしたような気がする。レオンはゾルダークよりも表情が豊かで懐に入れたものには甘くなる。
「アダムに会うのか?」
「そうだね、動く前に動いてやろうかと思ってる」
そんなときに頼りになる俺がいなくて困らないだろうか…
「すまんな…守れん」
「気にしないで、ギィの育てた騎士が守る。弟が無事ならいいね」
ゾルダークの息子のくせにこんなに優しく育った。俺は好かれてるな…
「レディントに第一王女かニックを置くようにするから…ギィはゾルダークに埋まるんだろ?戻るつもりで向かって」
「ははっ小さい嫁の場所は空だもんな、そこに埋めればいい」
若干嫌そうな顔をするのはなぜだ…?空ならいいだろう。
「ギィ、まずはニックが同行してレディント辺境へ向かうから」
「ああ、ベンへの言伝て…頼んだぞ」
「ベンジャミン様は王宮からの報せを聞いたらギィに会いに来るよ。そのときに伝える」
「感謝する」
ガブリエルは銀色の瞳を垂らして微笑んだ。日が出たばかりの早朝の冷たい空気の中を、レオンから離れ馬に乗り、ニックと共に駆け出した。
「レオン様、冷えます。中に入りましょう」
ハロルドの言葉に頷きホールへ入る。
「シーヴァ様もそろそろ出立か」
「ガイルは王宮に向かいました」
レオンは執務室に戻り、ソファに体を沈める。背凭れに頭を預け天井を見つめる。
「シーヴァ様の報告ではアダムは飲んだ…シーヴァ様は気づいたかな?あれが二つ目だと…まぁいい。第一王女は大人しいんだな?」
「はい。逃げ出す様子はないようです」
「許すわけにはいかない。報いは受けなくては…」
「少し休まれては?」
ハロルドは一睡もしていないレオンの体を心配する。
「俺は若いんだ。三晩眠らなくても平気だよ。ハロルドは休めよ?」
「ちゃんと休ませてもらっています」
レオンはハロルドの返答を背に受けながらマチルダのいる客室へ向かうと告げる。まだ早い朝だが寝ている様子がないと報告を聞いている。部屋の扉の前には騎士が二名立っていた。レオンの登場に扉を軽く叩き返事を聞かずに開ける。レオンはハロルドを伴い、部屋に入った。
「寝てないのか?」
ソファに座るマチルダに問う。
「私をどうする?」
「許さないよ」
レオンの答えに頷くマチルダは、だろうなと諦めていた。
「だが、貴女には働いてもらいたい。ギィがチェスターに発った。ゾルダークの者を共に行かせたが必要なときに連絡役をしてもらう。レディント辺境まで死ぬ気で駆ければ三日で着ける貴女はまだ殺さないよ」
「逃げるとは思わないのか?」
レオンの黒い瞳は笑んだ。背筋が震える笑みだった。
「逃げたら死ぬ。貴女には毒を与える。解毒薬のために死ぬ気で戻るだろう?一応聞くけど孕んではいないよね?」
「女は捨ててる。孕んではいないが…」
いたらどうすると聞いても毒を与えると少年の顔には描いてあった。
「孕んだ女性に毒を与える実験は貴重だからね、どうなるか知りたかっただけだ。貴女はしっかり体を休めて。いつでも発てるようにね。遮光の布を引いて寝ろ」
マチルダの頷きを黒い瞳が捉え、そのまま部屋を出ていった。
王宮に早馬が着いたのは、ドイルがゾルダーク邸で元第一王女と会った次の日の昼を過ぎた頃だった。国王の執務室にはジェイドが呼ばれ、ドイルから渡された報せを碧眼を見開いて読んでいる。
「だから!騎士団の編成をしていたのか!?父上!なぜ早馬よりも早く知っているんだ!」
ジェイドの大きな声に耳を手で塞ぎため息を吐いたドイルは口を閉じたことを確認して教える。
「俺は国王だぞ。なんでも知ってるんだ」
「父上!ゾルダークは何を企んでる!?」
ドイルは耳から手を放し問いかける。
「ん?ゾルダークって言った?」
頷くジェイドに忍んで遊びに行っていたことを知られていたかとドイルは悟る。
「ゾルダークの騎士が早馬より速く報せを持ってきたんだ。レディント辺境伯が境を閉ざしたってな。それを教えてくれたんだよ。同盟国の国境を閉ざしたんだぞ?ただ事じゃない…王国騎士団を送ることは定石だろ?」
「早馬よりも速く着く騎士がいることに疑問を持ってくれ!父上!」
「そろそろ五月蝿いよ。声を落とせ阿呆」
真剣な顔のドイルにジェイドは止まる。
「報せを読んだろ?伝染病だ。シャルマイノスに入れるわけにはいかない。騎士団には攻撃の許可を出す、だが物資を送る準備もする。ジェイド、物資はお前が担当な。俺はもう年なんだよ…ああ…離宮に戻りたいよぉ」
そう言われるとジェイドは何も言えない。譲位をしてもいい年は過ぎた。だが、ジェイドはしてくれとは言わない。ドイルの治世はあまりに国を豊かにした。自分の代ではどうなるかと不安が常に横にいる。
「ジェイド…冷静になってくれなきゃなんにも話せない。だからお前は器が小さいんだ。臣下の過分な力を恐れず便乗しろ。王族だからと傲るな。金髪碧眼より優秀な者はいるんだ。妬むな、羨むな、無駄な矜持など捨てろ。ああ…王族なんてあげちゃいたいよな…ほんと…動かしてるのは誰だよ…」
「何を…父上…何を言い出す」
ジェイドの顔色は悪くなっている。ここまで投げやりなドイルを初めて見る。
「俺はハンクのおかげで名君と言われた。ゾルダークが背中を支えてくれていたんだ。お前だって見てきたんだからわかるだろ」
「そんなことはっ…」
「だからさ、上手く立ち回れよ。ゾルダークが先に知ったからなんだよ。忍んで遊びに行った俺を褒めろ。前にも言っただろ?ハンクが俺に何を望んだよ?ゾルダークはそこらの貴族の求めるものとは違うんだ。権力が欲しければ密約振ってクレアをジョセフの相手にしろって言うだろ?あいつが俺に頼んだことはクレアを守ってくれだ…なんて…孫想いなんだ。俺を信じてよぉハンク…」
「公爵はもういない。今はカイランが当主だ。あいつに頼るとは…しっくりこない」
ドイルはジェイドの言い方に吹き出した。
「ぶっ…ははは、酷いことを言うな。あれでも頑張ってる。しっくり…くくく…はぁジェイド…頭を柔らかくしろ。揉んで揉んで広い視野を持て」
ドイルはいつかジェイドにゾルダークの話を教えてやりたかった。長いレオンの生の助けにジェイドがなってくれるなら、少しは安心する。真実を知っても密約の存在がある限りジェイドが面倒を起こすとは思わないが、頭の固いままでは十六のレオンが真の当主だと受け入れないかもしれない。
「さあ、物流が止まった。輸入を生業にしている家が騒ぎ出す。それでも境は越えさせないと伝えなきゃならないから貴族らに書状を書くぞ。数が多いだろ?手伝って貰え。俺はこの書状を早馬に託さなきゃならない」
「早馬が報せた書状の返答がなぜもう手にあるんだ!」
国王の印を捺された書状を振るドイルにジェイドはどうしていいかわからなくなる。境を閉ざした事実だけでは書けない返答をすでに書き終えている意味を考える。
「俺って名君だからさ…仕事が早いよな」
日の出前にガブリエルに持たせる書状は渡した。ドイルが気になることは、今朝早くにシャルマイノス王宮を出立したレグルス王だった。伝染病の話をした途端、ゾルダーク邸に向かった。ドイルには話せない、曖昧だが疑うようなものがあるのだと悟った。忙しくて聞きたくても聞きに行けない。ゾルダークがどうなっているのか気になるが、ドイルは辺境に送る騎士団の編成の最終決定をするため執務に戻る。
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