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ゾルダーク邸

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「おかえりなさい、お父様」

「ただいま、クレア。どうしたんだ?この絵は?ホールが画廊みたいに…」

貴族院から戻ったカイランは壁に立て掛けられた数多の絵画に目を見張る。

「父上、レオンが待ってる」

テオの言葉に頷き、羽織っていたコートをトニーに渡しながら足早に去っていく。

「レオンは捨てるのかしら?」

「お前が貰ったんだろ。好きにしろ」

ホールには二人しかいない。テオはクレアに気づかれないよう人払いをしていた。

「綺麗ね…これが海?船…」

空や海、馬や牛、城や森、田畑などの風景画が並んだ壁を見つめるクレアにテオが問う。

「母上に言いたかったのか」

クレアは絵画を見たまま答える。

「そうかも」

紺色の頭を見下ろしているテオは手触りのいい髪を摘む。

「逝かないでほしいと言いたかったよな」

「エゼキエル様が私の代わりに言うから感情的になったの。声に出したことがなかった…話術を学び始めるのが遅かったわ」

「来い」

振り向いたクレアはテオの胸に顔を埋める。落ち着く匂いを吸い込み、服に涙を吸わせる。

「父上も母様も大好きよ…でもまだ一緒にいたかったわ。思い出が溢れるの…叫びだしたくなるの。会いたいの」

「そうだな。会いに行くか?レオが忙しいなら俺と二人で向かえばいい。ボーマも喜ぶ」

「随分行ってないわね…ボーマは兎やリスを食べるんじゃない?」

名を呼ばれたボーマはクレアの肩に前足を乗せて後ろ足で立つ。

「重い…ボーマ…潰れちゃう…ふふふ温かいわ」

クレアの全ての体重を預けても揺るがないテオの胸に頬を擦り付け涙を拭う。

「テオ、学園を休むの?」

「今も試験と騎士科の鍛練に顔を出してるだけだ」

ゾルダーク公爵家の名を使い、学園には融通を利かせている。
子供が増えた年が、未来を考える後押しをして学園は形態を大きく変えた。貴族籍を抜けて働く道を選べるように、令息は学びたい学科を専攻し、複数選ぶことも可能にした。
社交を好まないゾルダークでも貴族家の家族構成や質を自身の目で見極めるため学園に通うことに決めたレオンは、騎士科の鍛練に参加し後継科の授業は受けず試験のみを受けると学園に話し頷かせた。それは予備のテオも同じだった。

「ボーマ、どけ」

テオの言葉に四つ足で立ち、二人の周りをくるくる歩く狼にクレアは微笑む。

「ゾルダーク領に行きたいのよ」

「狼の言葉がわかるのか?」

「そんな顔してるわ」

「狼の顔だぞ」

歩き回ることを止めて二人を見上げる赤い瞳をテオは見下ろす。

「行きたいわよね、ボーマ」

「変わらないぞ」

「……私は引きこもっているからボーマとよく話すの」

「それは一人言だ」

テオは抱き締める腕に力を込めて紺色の頭に顎を置き、狼と会話をするクレアを想像して頬が緩む。





レグルス王のゾルダーク訪問から二日後、緊急召集された高位貴族は王宮に集まり、レグルス王の願いを聞いた。集ったのは王族を筆頭に公爵家と侯爵家、伯爵家。五侯爵家と十伯爵家はゾルダーク公爵家嫡男との婚約を見据え、第二夫人を迎えるなどして同時期に子を儲け、当然その中から選ばれると思っていた家。未来の王太子妃の座は他国の王女に奪われた。ゾルダーク公爵家レオンはその王太子妃の座を狙っていた家からも矛先が向き、身上書の数は夥しい。

「貴族院がこんなに荒れたのは参席するようになって初めてだ。聞かせたかったよ、レオン。お前の人気ぶりは凄い。身上書の数は知っていたけど、実際当主らの声を聞いたら…辟易したよ」

「通ったんでしょ?」

対面のソファに座ったカイランに問う。

「ゾルダークが前向きなんだ。三公爵は異論を出さなかったし、医学園の話に医師家門が食いついた。国内の医学校よりも高等で専門的に長く学べるとシーヴァ様の話を聞いてシャルマイノスの医学の発展を止めるのかと声を上げた」

「問題なく?」

「…一つ確約を取られた」

執務室のソファに座りカイランの話を聞いていたレオンの眼差しが鋭くなる。

「第二夫人を娶れって?」

「そうだが、一年子ができなければ第二夫人を娶る」

「必死だな。それは想定内だよ。王女は病弱の体だ…ってシーヴァ様は話した?」

「ああ、それでも医学の先をいくレグルスからシャルマイノスに移すほど身が心配だと、涙を溜めながら当主らに話していたよ。凄い姿だった…いい年の男らが見惚れていた。わざとだな」

「わかりました。お疲れ様です、父上」

「ああ。細かい誓約は王太子に任せた…レオン、気を付けろ。お前を諦めていない家もありそうだ。王女と婚姻するまで十年はある。既成事実を作ってしまえばどうにかなると浅はかな者は考える」

「外で飲む物には一層気を付けます」

「うん。そうだ、ホールの絵画はなんだ?数が多い。買ったのか?」

「贈り物だよ。気にしないで着替えて、父上」

昼前に始まった貴族院は日が傾き出した頃まで続いた。高位貴族の必死が伝わるレオンは部屋から出ていくカイランの背を見てから立ち上がり窓辺へ近づき、暮れだした庭を眺める。

「一年か、せめて二年欲しかったな。第二夫人なんて入れたら面倒が増えるだけだが、シーヴァ様はそれには特に思いはないだろうな…自分が後宮を持っているんだから。一年で孕ませるか…」

ハロルドは温くなった果実水を下げ、冷たいものに替える。

「同じ年頃の令嬢は嘆いていますね。数年後には婚姻適齢期ですから待つこともできない。王女の年齢を考えると今から子作りする家も出そうですね」

「子が増えるのか?優秀な貴族令嬢も医師や教師、商人になれるように国は考えるべきだ」

令嬢らの必死な視線を受けてきたレオンは常々そう考えていた。現にレグルスの医学園には貴族令嬢がいると聞く。

「平民でさえ女性医師がいる。意識を変えてほしいもんだね…陛下がそろそろ忍んでくる。話すか」

「数多い子爵、男爵家に高位貴族の令嬢が嫁いでも居心地が悪いでしょうね…お互い」

「ハロルド、婚姻したい相手はいたのか?」

レオンを補佐するために働くハロルドにそんな暇はないと知っているがたまの休みに出かけていることは把握してある。

「私の理想は高くて出会えませんでした。ゾルダークの名で高級娼館で癒されてますから。ご存じでしょうに」

「ははっ知ってる。若くないんだから無理はするな」

「かしこまりました。ソーマさんは楽しそうに家具の冊子を眺めていましたよ」

レオンはソファに座り冷たい果実水を飲み込む。

「クレアは大きくなったからな。王女を育てればいい…」


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