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しおりを挟む無紋の馬車に乗りゾルダーク邸に向かっている。ゾルダークは貴族家に珍しく夜会を開かない。歴代当主が揃って夜会を嫌い、王宮の夜会だけ参加するのが常だった。始まりの夜会も婚約をした小公爵が参加するだけだったのに、前回の始まりの夜会には公爵がマルタンに顔を出し社交界には噂が飛び交った。後継が早々に生まれ、孫の存在が公爵の心を癒した、ゾルダークは王家嫌いのマルタンに寄るのかなどと。僕が相対したのは心を癒された祖父ではない、恐ろしさは変わらない公爵だ。険しさなんて増していた。それでも僕が悪い。嘘などついていない公爵を責め王族の権威で下がらせようとした。父上は金髪碧眼を美しくないと言う。王宮でも学園でも傅かれてきた。当たり前の日常が、あの日崩れた。僕のせいで王宮の仕事を失くした従者と一族らは何も言わず去ったと家庭教師が教えてくれた。恨みを言わずただ去った。物心ついたときから側に侍っていた僕の従者…近衛は変わりやすいが従者は彼一人だった。一族諸ともならば彼は辛い立場にいるはず、仕えた愚かな王子のせいで…ハインス公爵家の正式な後継と披露されてから従者を呼び戻すことも考えたが…やめた。無言で彼は去った。僕はいつか会えたとき頭を下げて謝る。
王宮の使用人には極力頼らない生活を二月過ごしていると落ち込んだ僕に手を差し出す者も出たけど礼を伝えて下がらせた。甘やかされてはいけない。王族だからと簡単に許されてはいけない。公爵に謝るのは僕の自己満足だと理解している。それでも父上に謝ってもらって終いになどできない。それでは僕は成長できない。殴られるならそれでもいい。許されなくてもそれでいい、受け入れる。
馬車がゾルダーク邸の門を通る。正面扉の前には微笑む老執事が立っていた。
「ルーカス様、ようこそいらっしゃいました」
「出迎えありがとう、公爵は忙しいのに悪かったね」
「お待ちしております」
僕は執事の後ろをついていく。ホールや廊下は公爵の元へ行くまで誰一人会わなかった。執事が扉を叩くと中から公爵の声が聞こえた。開いた扉から中へ進む。公爵の執務室なんだろう、部屋は広く、対のソファが中心にあり、隅の窓辺には一人用の上等なソファが置いてある。壁近くにある執務机の向こうから椅子に座った公爵が僕を見ている。執事が座るよう促しているが公爵の近くへ向かい頭を下げる。ただ無言で頭を下げる。公爵の望むハインスの実権は渡せない。長い間頭を下げていた、声をかけられることもない。それでも瞳を閉じて下げていた。
「ルーカス」
「はい」
頭を下げたまま答える。
「ジェイドを越えろ」
兄上を越える…兄上よりも強くなれと言いたいのか?王太子よりも?頭を上げる許可は聞こえない。僕は頭を下げたまま考える。
「ハインスの力を強くするために学べ、王が逆らえないほど強くなれ」
なぜそんな話をする?謀反を考えているのか…違う、公爵はそんなこと言ってはいない。
「お前は弱い、全てを学び、そして近衛に勝てるほど鍛えろ」
近衛に勝てるほど?公爵は僕に何を望む…
「十年待つ、お前が俺の望み通り成長したなら許そう。努力を惜しまぬと誓うならジャニスを格上に嫁がせることも許す」
「ジャニスの許しは要りません」
ジャニスは償わなければならない。殺されていないことを感謝すべきなんだ。十年、僕が努力を惜しまず学び強くなれば許しを得られる。それは僕を導くことになる、それでいいのか?罰にはならない。
「誓います」
「頭を上げろ」
公爵の声に頭を上げると目の前に黒い大きな体が立っていた。いつの間に…音がしなかった…
「ハインスを学べ、暇など作るなよ。学園など通わんでいい、お前が二十六になったらここにこい」
公爵を見上げ黒い瞳を見つめる。
「はい」
「ドイルに渡せ」
公爵の差し出した手紙を受け取る。
「ルーカス、強くなれ。王を黙らせるほどな」
「公爵のように…」
「ああ」
なぜ…僕が弱いほうがゾルダークにとって都合がいいだろ。公爵の考えがわからない。この手紙には何が書かれているんだ…
王宮の国王の執務室で公爵から任された手紙を懐に入れ、父上の訪れを待つ。
「ルーカス、おかえり。殴られてないな」
「父上、公爵に会わせていただき感謝します」
「で?許してくれたか?」
僕は父上の碧眼を見つめる。許してくれるのは十年後、僕の努力次第だ。ならばまだ許されてはいない。僕は首を振る。
「公爵から預かりました」
懐から手紙を出して父上に渡す。父上は眉間にしわを寄せて受け取り、僕の目の前で蝋を割って紙を広げる。
「ええぇ…十年…て」
僕に言ったことを父上に説明するために書いたのか?違う…それなら僕が伝えればいいんだ。この手紙は僕が着く前には書き終えていたはず。僕の答えを聞く前から書けるわけない…
「これが罰なのか?意味がわからん……まさか…ルーカス、公爵になんて言われた?」
父上の真剣な顔は珍しい。秘密にすることではないだろう。
「十年、学び努力をしろと」
「それだけか?」
要約するとそれだけだ。兄上を越せの意味がよくわからないから伝えていいのかわからない。父上ならばわかるのか?
「兄上を越える強さを持てと」
目の前に立つ父上は碧眼を見開き口を開けて止まった。
「ハ、ハンク…まさか…」
変な顔の父上に堪らず問いかける。
「公爵はなんと?」
「…十年お前の婚約を決めるな、だよ」
婚約…まだハインスの養子に入っていないから誰も候補に上げてはいないが…僕は一つの答えに思い当たり父上を見る。
「父上…まさか…」
「ああ、マルタンでは血が濃い。お前ならあの子を守れる地位にいるか…」
ゾルダークには珍しく女児が誕生した。高位貴族は近年ゾルダークに合わせて出産が続くと聞く。そこから選ばず、ハインス公爵になる僕に孫を嫁がせる?年が離れている…いや、まだわからない。公爵がそう言ってはいない。確かではない。でも…
「ルーカス、ハンクの意図はわからない。それでもお前に伝えた十年と俺に伝えた十年の意味からはそう取れる。…まだ知られてはいないがいつか国中が知ることになる…」
なんだ?国中が知ることになるとは…父上は何を言う…
「ゾルダークで生まれた女児はクレアだ、黒い瞳と空色の瞳を持つ。あれは他国の王族まで欲しがる」
なっ!色違いの瞳…
「父上は見たのですか?」
「ああ、この前な。美しいよ、あれは美しい」
でも…ゾルダークの容貌を受け継いでいたら…
「ルーカス、ゾルダークの要素は色だけだ。面差しは夫人に似ている」
あの小柄な夫人に…それは喜ばしいことだが、ますます欲しがる者が…公爵は孫のために僕に強くなれと…いや、余計なことは考えるな。
「父上、十年です。家庭教師を増やしてください。体を鍛えたい、近衛の訓練所に通う許可をください」
「そんな暇ないだろ。学園はどうする」
「学園には通いません。学ぶことはないのです」
通って令息らと交流している暇はない。優秀な教師から学んだ三月のほうが有益だった。
「ルーカス、ハンクの思惑がクレアならお前、大変だよ?」
「父上、女児は十年に関係ないのです。僕は兄上を支えるためにハインス公爵になります、でも僕が強くなれば国も支えられる」
「ああ…そうだな。がんばれ」
父上は何処かを遠くを見つめ動かなくなってしまった。
ハンク…ジェイドの子には嫁がせないって言ったよね…ルーカスは王族だよ…ジャニスが嫁いでから、本格的にハインスへの養子を貴族院で議論するけど、ルーカスからフォンを取り上げるか…言いそうだなぁ提案するだろうなぁ…ルーカスが挫折したらどうなる。別の案は考えているか。王族の血を引く公爵。フォンがついたままより、国を捨てやすいよな。巻き込んでくれるじゃないか。十年か…お前の命の期限じゃないだろうな。
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