愛玩石

稲葉夏雲

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11話

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 その世界の停止から二分程経った。
 僕はようやく落ち着いてきて、その差し出された服を、着た。

 彼女はそれをじっと見ていた。

 着て僕が立ち上がると、彼女は、

「帰りましょうか」

 と、言った。

 多分、声からして女性なのだろう。何だか声が枯れているというか、ハスキーと言うか、そんな声だが、確かにその声は女性独特の空気感を持っていた。
 続けて、

「大丈夫です。僕は何もしません。ていうか、あなたに勝手に怯えられても困っちゃいます」

 どうやら喋り出したら普通に喋るようだ。そして女性であるらしいのに一人称が「僕」な事にちょっと時代を感じてしまった。
 でも僕は彼女が別に物々しい態度でも、口調でもなかったから幾らか気が楽になった。まあ、完全に気が楽になった訳では無いが。

「あ、ああ。というか、あなたは誰なんですか」
「うーん、まあ、散歩途中の人間です」

「散歩?」
「まあ、そのへんは帰ってから聞いて下さいよ。」

 そう言って彼女はえーっと、と言いながらまたも袖の中に手を入れてがさごそ漁り始めた。

「はい、どうぞ」

 袖の中から出したのは、僕のメッセンジャーバックだった。
 かなり、困惑してしまった。確かにそのバッグが無ければお金も無いし、帰る手段はないから助かったのだが——なんで持ってるんだ?
 と、いうかそもそも帰ってから聞いて下さいって、どうやら僕を家に送り届けるだけじゃなさそうだ。

「あの——なんで僕の私物持ってるんですか?」

 彼女は難しい顔をした。でもすぐに僕の目を見て、

「まあ、どうでもいいじゃないですか」

 と、言った。

 全然どうでもよくない。僕はまずそこが分からなければ完全に気を許すことができない。

「ほら、行きましょ」

 そう言って、彼女は僕の腕をいきなり掴んで無理やり歩を進ませた。いや、引きづられた。

            ◉

 電車の中で、彼女はずっと黙り込み、下を向いて俯いていた——という訳では、全く無かった。もっとも彼女の外見が電車内での過ごし方をそう連想させるが、その予想は裏切られた。

 彼女は僕が彼女の分の切符と僕の分の切符を買って電車に乗り込むや否や、そのだぼだぼな袖からスマートフォンを取り出していじくりだした。

 もっとも全く笑わず、無言でネットニュースを見ているが、ときたま僕に「このニュース見ましたか?」と言ってきたり、いかにも怪しげなネットニュースの広告のサイトに飛んでそのサイトを僕に教えてきたりと、よくわからない行動をしていた。

 本当に何一つ掴みどころのない人だ。
 そもそも、流れでこの人に従って電車に乗ってしまったけれど未だになぜ自分がこんな正体不明の、しかも自分の私物をなぜか持っている人に気を許しかけているのか一切分からない。

 というか、この人は僕が山を降りて来たとき、から降りて来たのだ。つまり、彼女があの、忌まわしい儀式の関係者である可能性もある。

 儀式。

 そうだ、儀式だ。僕はあの狂った溜池と白装束に気を取られていた。僕はあそこで、猫守柳を見たのだ。見つけたのだ。
 彼女は、あの後どうなったんだ? 今となっては知る由もない、というか、あそこに戻りたくもない。

 でも、柳がどうなったかは大きな問題だ。しかも、彼女は僕の顔を見て、そして短刀を横の白装束に投げたのだ。あれには何か意味があったのだろうか。

 いや、ただ彼女がたまたまこちらを向いただけかも知れない。僕のことを思ってやったことではないのかも知れない。

 そうしてまた、自己嫌悪に陥る。

 僕は偶然会っただけの柳に、儀式中の、彼女の行動に僕を助けてくれたという事を見出して、僕はよりを戻そうと企んでいるのかもしれない。僕の知らない、僕の部分がそう思っているのかもしれない。
 僕はあんな儀式を見たあとでも、そんな事を考えている。

 彼女が無いと駄目なのかも知らない。柳がいないと——

「だいじょうぶ? 顔色悪いよ。まあ、あんな事されちゃ、しょうがないか」

 彼女は何の前触れもなく、前振りもせずにそう言った。

 今なんと言った? あんな事されちゃ? つまり、知っているのか?

「……知ってるんです?」
「ええ」

 飄々と、彼女は正面向いて、僕に顔を向けずにそう言った。
 やはり関係者だった。
 僕は酷く後悔した。これでは相手の思うつぼだ。しかし、私物を差し出されたあの状況で、他に逃げ道があっただろうか。いや、あった。私物をかっさらって逃げればよかったのだ。なぜ僕はあそこで動かなかったのか、足を動かさなかったのか、甚だ疑問だった。

 彼女はまた黙った。次はスマホを見るのを止め、座った姿勢のまま、膝からぶら下げるように持っていた古めかしいトランクを膝の上に上げた。
 いかにも軽い物を持ち上げるような動作だった。大きさだけ大きくて、見た目だけ豪華で、質量はない、ハリボテなのだろうか。

 何駅か駅を越え、あと自宅の最寄駅までもう少し、という所でいきなり彼女は、

「うん、君の家の近くでちょっと用事があるから、付き合ってね」

 と、言った。

 さっき帰ってから聞いてよ、などと言っていたことから僕の家まで付いてくるんだろうなとは薄々分かっていたが、やはり具体的に言われると怖い。しかも理由は——いや、分かる。考えられる理由は一つしかない。それは彼女があの狂った儀式の関係者であって、僕を連れ戻そうとしている、という可能性だ。

 でも、僕はそこまで考えて少し不思議になった。
 もし、彼女があの儀式の関係者で、僕を連れ戻そうというのなら、なぜ家に僕を送り届けたのか——電車賃は僕負担だが——。

 分からないが故に、怖かった。

『次は越流、越流です』

 アナウンスが、流れた。

 またも、運転手がアナウンスしているであろう声には疲労が滲んでいた。

 そうして電車が止まり、扉が開いた。開いた扉からはひんやりとした、涼しい空気が流れ込む。

「さあ、降りましょう」

 と、彼女は言って、立ち上がった。

 僕も続けて立ち上がる。
 僕は彼女について行った。
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