殺意の二重奏

木立 花音

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第五章「持たざるものたち」

【指紋がどれくらいの期間残るかご存知でしょうか?(1)】

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 龍人が自首してから七日が経った。涼花は千葉駅近くの国立大学構内にいた。
 この場所で、ある人物と待ち合わせをしていた。ここは全国でも志願者数が際立って多い大学で、約一万三千人の学生が学ぶ。広大な敷地面積ゆえに、曖昧な場所指定ではすれ違う恐れがあった。そのため、涼花は構内の図書館を待ち合わせ場所に選んだ。  
 彼女は本棚から適当に本を手に取り、窓際の席で読みながらその人物を待つ。
 窓の外の景色は徐々に暗さを増していた。とはいえ季節はまだ九月。日が完全に落ちるには、もう少し時間があるだろう。  
 図書館の扉が静かに開く。現れた人物は辺りを見回して、涼花に気付くと歩み寄ってきた。そして、涼花の前で立ち止まり深々とお辞儀をする。  
「お久しぶりです、涼花さん」  
 待ち合わせの相手は戸部千沙だった。彼女は顔を上げ、白い歯を見せて微笑んだ。  
「急に呼び出してごめんなさいね」  
「いえ、大丈夫です。単位の取得には余裕がありますし、時間ならたっぷりありますから」  
 千沙は自嘲気味にそう言って、かすかに笑った。  
「それは良かった。まあ、できるだけ手短に済ませますね」  
「はい、お願いします」  
 千沙は小さく頷き、近くの椅子に腰を下ろした。  
「今日は、入沢龍人さんのことをお聞きしたくて伺いました」
「龍人さんのことですか? 彼との関係はもう終わっています。私より姉に聞いたほうが詳しくわかるんじゃないかと思うんですが」
「そうかもしれません。ですが、あなたと龍人さんの関係については、やはりあなたに聞くしかないのです」  
「どういう意味ですか?」  
 千沙の黒くて丸い瞳が、涼花の顔を鋭く捉えた。  
「千沙さんが龍人と最後に会ったのは、蓮音が亡くなる数日前の七月二十八日ですよね? それで間違いありませんか?」  
「はい、間違いありません」  
「本当ですか? 事件のショックや混乱で記憶が曖昧になっていて、実は間違っているということはないですか? 七月二十八日以降、本当に龍人の部屋を訪れていないんですか?」  
 涼花は千沙の瞳をじっと見つめ、言葉に力を込めた。「本当に」という言葉は、まるで重いいかりが海底に沈むような、揺るぎない重みを帯びていた。
「どうしてそんなことを聞くんですか? 間違いないと言っているのに、何度も確認する意味があるんですか?」  
 千沙の声には苛立ちが滲んでいた。
「もしその通りなら、それでいいんです。でも、もし違っていた場合、話が大きく変わってくる。だからこそ、慎重に答えてほしいんです」  
 千沙は口を噤んだ。警察がどこまでつかんでいるのか、ここですべてを話すのが賢明か、彼女が内心で葛藤しているのを涼花は感じ取った。  
「はい。七月二十八日が最後です。間違いないと思います」  
「間違いないんですね?」  
「はい」  
「わかりました」  
 涼花は一拍置き、千沙の反応を慎重に窺った。  
「では、質問を変えます。二日後の七月三十日、ひどい雨が降ったのを覚えていますか? それこそ、バケツをひっくり返したような夕立でしたが」  
 千沙はしばらく考え込んだ。視線が揺れて逸らされる。動揺している――涼花はそう確信した。
「そう言えば、雨が降った日があったような……。あまりよく覚えていませんが」  
「本当に覚えていませんか? その日、龍人の部屋に行ったのではないかと思うのですが。ドラッグストアで購入したワインとロックアイスを持って」  
「どうしてそう思うんですか?」  
「龍人の部屋のドライヤーから、女性のものと思われる髪の毛が採取されています。浴室からも同じ髪の毛が見つかりました」  
「それが私の髪の毛だと?」  
 姉の髪の毛ではないのですか? と千沙が返すと、涼花はきっぱり否定した。  
「それはありません」  
「どうしてですか?」  
「確かに、自然に抜けた髪の毛に含まれるDNAはごくわずかで、検査には使えません。DNA鑑定には毛根が残った髪の毛が必要ですが、それにはある程度力を入れて引き抜く必要があります。ドライヤーに残された髪の毛では、個人を特定するのは難しい」
「なら」
 ですが、と涼花は続けた。
「性別や年齢、健康状態といった大まかな情報はわかります。千歳の髪の毛ではないか? 私たちもそう考えました。そこで、千歳と龍人に髪の毛を提供してもらい、観察したんです。科学的な分析をしなくても、色や表面の状態でかなり見分けがつきます。結果、二人の髪の毛はどちらも一致しませんでした。では、誰の髪の毛なのか? 今のところわかっているのは、若くて健康な女性のものだろうということだけです」
「確かに、彼の部屋には何度も行きました。そのときに落ちた髪の毛が残っていたのかもしれません」  
 涼花は「なるほど」と一応納得したように頷いた。
「そうですね。いつ落ちた髪の毛かは特定できません。でも、状況から見て、七月三十日に落ちたものではないかと私は考えています。もう一度聞きます。千沙さん、七月三十日にドラッグストアで買い物しましたよね? ワインとロックアイスを買うために」
「……どうしてそう思うんですか? 何か根拠があるんですか?」
「龍人はワインを自分で買ったと言いました。でも、部屋の状況を見れば、彼が何かを隠しているのは明らかです。私は最初から、ワインを買ったのは別の人だと疑っていました。そこで、周辺の防犯カメラを調べたところ、龍人のマンション近くのドラッグストアで、七月三十日にあなたが氷とワインを買っている姿が映っていました。あなたは買った物を持ち、激しい雨の中、彼のマンションへ向かった。濡れた体を乾かすためにシャワーとドライヤーを借りて、『ワインに氷を入れると美味しいよ』と彼に伝えた。そうじゃないですか? そのドラッグストアは、龍人が証拠として出したワインのレシートの発行店と一致しています」
 ワインに氷を入れる話を、涼花は龍人から聞いた。同じことを千沙も知っていて、『彼』に吹き込んだのではないかと、涼花は疑っていた。
「……その通りです」  
 千沙は観念したように言った。  
「私はその日、確かに龍人さんの部屋に行きました。でも、それだけです。私が彼を殺したわけじゃありません」  
「どうして最初から本当のことを話してくれなかったんですか?」  
「疑われるのが嫌だったからです。事件の二日前に部屋に行っていたと話したら、私が犯人にされてしまうかもしれないと思ったんです」  
「そんなことはありません。私たちはすべての情報を慎重に精査し、客観的に捜査を進めます。確実な証拠がなければ、誰も容疑者として扱いません。……本当のことを話していただけますね?」
 涼花の再度の問いに、千沙は困惑気味に頷いた。
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