殺意の二重奏

木立 花音

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第四章「語られた、犯行動機」

【妊娠三ヶ月】

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 涼花が千歳の家を訪れるのは、二週間ぶりのことだった。玄関脇の呼び鈴を押すと、顔を出したのは龍人だ。とはいえ、涼花にとってこれはまったく意外なことではない。
「忙しいところ悪いね。いつからこっちに?」
「お盆休みの最中だよ。この時期は引っ越しが少ないから、費用を抑えられるんだ」
「へえ、そんなこと、考えたこともなかった」
 今日、涼花が会いたいと思っていたのは千歳ではなく龍人だった。そこで彼に電話で連絡を取った際、それまで滞在していたマンションを出て、千歳の家に戻っていることを聞いたのだ。
 龍人は涼花をリビングに通した。ソファに腰を下ろすと、千歳が声をかけてくる。「何か飲む?」と。
「いや、すぐ帰るからお構いなく」
「遠慮しなくてもいいのに。……コーヒーでいいかしら?」
「ごめん、じゃあ、お言葉に甘えて」
 キッチンに向かう千歳の背中に、龍人が声を投げる。
「俺の分も頼む。涼花はミルクと砂糖、両方入れるよな? 甘いものが好きだったから」
「そんなこと、よく覚えてるね」
「そんなに短い付き合いでもないだろう?」
「まあ、そうだったね」
 千歳は手際よく三人分のコーヒーを淹れ、涼花にカップを渡した。千歳は龍人の隣に腰を下ろす。
「いただきます」
 部屋の様子は以前とほとんど変わらない。変わった点といえば、隅に観葉植物が置かれたのと、書棚の本が少し増えたくらいだろうか。千歳の今日の服装は、白のサマーニットにベージュのロングスカート。彼女は素材がいいのでどんな服も似合うんだよな、と涼花は思う。
「片付いているように見えるだろ?」
 部屋を見渡して、龍人が微苦笑した。
「いや、十分綺麗だと思うよ」
「ところが、奥の部屋はまだ段ボールだらけだ。荷解きが全部終わっていないんだよ」
「そうなの?」
「そう。綺麗に見えるのはここだけなのよ」
 千歳が苦笑しながら奥の部屋に視線を流す。
 涼花の提案により冷蔵庫の中身を調べたのは先日の話。その直後、龍人は引っ越しの手続きを進めたのだろう。思えば、タイミングとしてはギリギリだった。
「いや、本当に申し訳なかったよ。長いこと足止めしてしまったみたいで」
 涼花が言うと、千歳は柔らかい笑みを浮かべる。
「それこそ気にしないで。涼花のせいじゃないんだから」
 その笑みに、涼花は少し安堵した。蓮音と千歳の密会の噂を耳にしたばかりなので、二人の間に軋轢がないか心配だったのだ。
 コーヒーに口を付けながら、龍人が真剣な声で切り出す。
「それで? 今日はどうして家に? わざわざ訪ねてきたってことは、捜査に何か進展があったからなんだろう?」
「ああ、うん。進展とは、ちょっと違うかもしれないんだけれど」
 龍人の瞳が訝しんだ。涼花の真意を探ろうとしているみたいだ。
「千沙さんが書いた小説の原稿が、ここにあるんじゃないかと思って来たの。千沙さんに訊いたら、原稿は今も龍人に預けたままだから、そちらから受け取ってくれと言われたもので」
 アマチュア、プロを問わず、作家にとって原稿は大事なものだ。それこそ、大事な我が子のようなもの。原稿の取り扱いには慎重を期すだろうし、易々と他者に預けるなどもってのほかだ。
 そう思っていただけに、千沙が原稿を回収していなかったのが意外だった。大元のデータが本命なので、批評さえ受け取ってしまえば改稿前の原稿にさして用はない、ということだろうか。
 それはそれで理解できるが……。
「千沙の原稿、持っているの? ……そう言えば一年くらい前に、千沙が原稿を入沢先生に見てもらえることになったと、話してたっけ」
「ああ」
 龍人の顔に困惑が滲んだ。その微妙な反応に、涼花は不安を覚える。原稿、ないのかな。二度の引っ越しで、紛失させた可能性もある。
 落ち着きなく手を組み替えている涼花を他所に、「ちょっと待っててくれ」と龍人が立ち上がり、リビングを出ていく。涼花と千歳だけがリビングに残されて、まるで濃い霧が立ち込めるように、重苦しい沈黙が部屋を包んだ。
 二人は学生時代からそこまで親密ではなかった。千歳は社交的で明るいが、どこか影があった。無理に笑っているような。人付き合いは広くて浅く、気に入った相手に依存する傾向があった。そのせいか、華やかな見た目に反して協調性に欠けている。それでも、その癖のある性格が、『個性』として周囲に受け入れられていた。千歳の依存先が龍人だったから。蓮音が、千歳しか見ていなかったから。理由はさまざまあったが、とにかく涼花は千歳とそりが合わなかった。
 それでも二人は友人でいられたのだから不思議だ。
 それはひとえに、龍人の存在があったからに他ならない。
 千歳はどこか毅に似ている、と涼花は思う。だから私は毅を好きになったのか? 自分にないものを彼が持っていたから、逆に。
「ねえ」涼花が沈黙を破る。
「なに?」千歳が答える。
「蓮音がいなくなって、寂しくなったよね」
「蓮音さん……?」
 彼女はどこか上の空で、自分の左手をじっと見ている。
 なに、その反応?
 涼花が眉をひそめたとき、龍人が茶封筒を手に戻ってきた。
「これだよ」
 涼花が受け取った封筒には、百枚以上の紙の束が入っていた。確認すると、それは確かに小説の原稿だった。
「間違いないみたい。ありがとう」
「そうか、なら良かった。俺が預かっていた原稿はそれで全部だ。それにしてもどうしてまた?」
 千沙の小説が事件とどう関係するのかと、彼は不思議がっているようだった。どう説明すべきかと涼花は悩む。
「捜査に進展があったんじゃないか――とさっき龍人は言ったけれど、むしろ逆なの。捜査が進んでいないものだから、千沙さんの人となりも知りたいと思ったまでだよ。彼女は第一発見者だし」
「ふうん」と龍人は頷いた。
 納得した風ではないが、一応理解はしたのだろう。あの日、千沙が現場にいた事実を隠していたため、後ろめたさがあるいはあるのかもしれない。
「なんでも疑ってかかるのが、刑事の仕事なのよ。嫌になるよね」
「まあな。刑事はそういう仕事だろうからね」
 少し世間話をし、「じゃあ、私はこれで」と涼花は席を立つ。
「原稿が手に入って良かった。今日は忙しいところありがとう」
「お役に立てて何よりだよ」と龍人が答える。
 涼花を見送ろうと腰を上げた千歳が、「ごめん」と口元を抑え、キッチンへ向かう。嘔吐しているようだ。龍人が側にいって優しく背中を撫で、涼花も駆け寄って背中をさする。
「ごめん……」と千歳がかすれた声で言う。
「少し横になった方がいい。布団を敷いてくる」
 龍人が寝室へと消える。
「ごめんなさい……」
 千歳は顔色が悪く、呼吸も不安手になっている。
「大丈夫? 急に具合が悪くなったの?」
 涼花の声に、千歳は小さく頷いた。
「そっか。じゃあ、しばらく寝室で横になっていたほうがいいよ」
 龍人に付き添われ、千歳はリビングを出ていく。涼花は帰ろうかと一瞬思うが、千歳の容体が気になり、十分だけ待つことにする。
 ソファに座り、原稿の入った封筒を眺める。この小説が事件解決の糸口になるかはわからないが、少なくとも千沙の過去を知るきっかけにはなるだろう。
 そろそろ十分になろうかというタイミングで、龍人がリビングに戻ってくる。
「涼花、もう帰る?」
「うん。千歳の体調も良くなさそうだし」
「そうだな。申し訳ない」
 玄関に向かいながら、涼花は問う。
「千歳は大丈夫そう?」
「ああ。今は寝ているよ」
「もしかして、千歳どこか良くないの?」
 迷った末に意を決して問うと、ああ、と龍人は笑って見せた。
「そういうわけじゃない。実は、千歳、妊娠してるんだ。それでつわりがひどくてさ」
「妊娠? 本当に?」
「ああ。三ヶ月を少し過ぎたところだ」
 涼花は佐藤の発言を思い出した。
 ――戸部千歳ですが、どうやら不妊治療を受けていたらしいです。
 不妊治療が必要だったなら、千歳は妊娠できないことで悩んでいたはずだ。佐藤によると、治療は比較的早く終わったようだから、問題は龍人の側にあったのかもしれない――そう話していた。
 なのに、三ヶ月? 何かおかしい。
 千歳のお腹の子の父親は本当に龍人なのか。疑念が頭をよぎり、涼花は慌てて首を振る。不妊治療が成功しただけかもしれないじゃないか。
「涼花、どうした?」
 玄関で立ち尽くす涼花を、龍人が不思議そうに見つめる。
「ううん、なんでもないよ。千歳に、身体に気をつけてって伝えて。もし私にできることがあれば、なんでも言ってね」
「わかった。ありがとう」
 龍人と別れ、エレベーターに乗り込む。本来なら「おめでとう」と祝福すべき場面なのに、なぜか素直に喜べない自分に、涼花は戸惑っていた。

   * * *
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