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第二章「涼花と戸部家の人々」
【戸部千沙】
しおりを挟む 司法解剖がすべて終わって、蓮音の遺体が遺族の元に戻されたのは、おおよそ一週間後となった。事件から約十日がすぎた今日、蓮音の葬儀が彼の実家がある銚子市のセレモニーホールで行われた。
涼花は友人・知人として参列だったので、遺族の列から一歩離れた場所で式を見守っていた。
会場には、多くの焼香者の姿があった。故人を偲ぶべく集まったのは、家族や親族だけではない。高校、大学時代の友人や、父親の会社の関係者も多くいるようだった。
蓮音の父親である入沢祥吾の職業は小説家だ。ベストセラー作家ではあるがそれは副業で、本業は千葉県銚子市の隣町にあるIT企業の役員でもあった。焼香客が多いのは、そのせいでもあるだろう。
涼花は父親の顔も名前も知ってはいたが、話をしたことはほとんどない。蓮音の父親は、家の外にあまり出ない人だったし、学校行事に顔を出すこともなかったから。
「黙祷してください」
司会者の指示に従い、参列者たちは一斉に瞼を閉ざす。涼花もそれにならった。
涼花は、蓮音の遺体と対面したときのことを思い出した。検視官による検死が終わり、遺体安置所から火葬場へと運ばれた蓮音。死に化粧が施された彼の顔は、不気味なくらい綺麗に保たれていた。まるで眠っているようにしか見えなかった。胸に手を当てれば、今にも心音が再開しそうな感じがしたくらいだ。
だが、それはありえないことだ。
「蓮音……」
黙祷を終えると、涼花は故人の名前を口にして、静かに涙を流した。
入沢祥吾が声を上げて泣いていた。一方で彼の傍らに立っている龍人はというと、無言で弟の遺影を見つめていた。
入沢祥吾が涙する姿を、涼花は違和感を抱きながら見ていた。彼が愛していたのは、どちらかと言えば龍人の側だとそう思ってきたから。彼が蓮音の死でここまで泣くのは意外だった。天秤が、必ずどちらかに傾くように、決して蔑ろにしているつもりはなかったとしても、親の目がどちらかに向いてしまうのはよくあることなのだと、兄と自分を比較して苦悩している蓮音を見ながら涼花はそう感じてきた。
それは、勘違いだったのだろうか。一人っ子の涼花には、いま一つ理解できないことだった。
葬儀が終わった。会場のエントランスホールに蓮音の親族や友人たちが集まって、彼の死を偲んで談笑していた。
涼花はその輪には加わらず、少し離れた場所で祭壇に飾られた遺影をぼんやりと眺めていた。
いけない、こうしてはいられない。哀悼を心の隅に押しやって涼花は思う。
刑事としての職務を果たさなければならない。職業柄やむを得ないが、嫌なものだな。目当ての人物を探し求めた。
やがてその人物、戸部千沙の姿を見つけて声をかける。
「戸部千沙さんですね?」
涼花の声に、千沙は顔を上げた。二人のやりとりに気付いたのか、傍らにいた千歳も振り返る。
戸部千沙は、千歳と四つ歳の離れた妹だ。千歳と比べると口数が少なく引っ込み思案だが、千歳と同じく華のある少女だった。艶やかなセミロングの黒髪に、人形のような白い肌。長いまつ毛と二重瞼の目は、いかにも女の子といった風貌だ。千歳と似ているが、どこか対照的ですらある。千歳がクールビューティーなら、千沙はキュートなタイプだろうか。
涼花が最後に千沙を見たのは、彼女が中学二年のとき。あれから六年もの月日が、千沙を千歳に負けず劣らずの美少女に成長させていた。
涼花は千歳に軽く会釈してから千沙の側へと歩み寄る。喪服を身に着けているせいもあってか、千沙の表情はどこか暗く感じられた。
「どちらさまでしょう?」
急に名前を呼んだせいか、千沙が警戒心を引き上げたのが、表情からも伝わってきた。
「お姉さんの友人だった、水津涼花といいます。昔、何度か顔を合わせたことがあるはずですが」
「水津涼花さん?」
千沙は突然現れた涼花に動揺している様子だったが、ふと、何かに気付いたように涼花の顔をじっと見つめた。
「ああ……水津さん? 思い出しました。姉から、何度か名前は聞いておりました」
「思い出していただけましたか、良かったです」
千歳が耳打ちをすると、千沙は涼花の身元を完全に理解したようだった。それでも、自分に用があるとは思えないのか、怪訝そうに眉を寄せた。
「それで? 刑事さんが私になんの用ですか? 私は蓮音さんとはなんの関係もありませんよ?」
「その蓮音さんのことについてお聞きしたいんです。これから、少しだけお時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」
「時間……」
そう言って視線をしばし彷徨わせ、それから隣の姉に視線を留めた。私は別に構わないわよ、という風に、千歳は頷いた。
「いいんじゃない。私も少し寄りたいところがあるし」
「わかりました」
千沙はしぶしぶといった体で頷く。涼花はほっと胸を撫でおろした。千沙からは、できればこのタイミングで話を聞いておきたかった。
「ではこちらへ」
涼花と千沙は二人で式場をあとにした。
セレモニーホールから少し離れた場所にある喫茶店へと移動すると、奥まった場所にあるテーブル席に腰を落ち着けた。店内には年配の客が数人いるだけで空いていた。
二人の注文したものがテーブルに並ぶ。涼花は軽く喉を潤してから本題に入った。
「蓮音さんとは最近お会いになりましたか?」
涼花の質問に、ええと、と考える仕草を千沙がした。
「去年一度会っています。引越しをする際に、アパートの部屋探しを手伝ってもらったもので」
「ということは、もしかして現在は千葉市に住んでおられる?」
これは涼花の予想通りだった。だからこそ、彼女に話を聞きにきたのだ。
「はい。二年前から、千葉市にある四年制大学の文学部に通っているもので」
「なるほど。将来はライターか何かを志望しておられるとか?」
「そうですね。趣味で少々物書きをしているもので」
「わかりました。蓮音さんと会ったのは、そのときが最後ですか?」
「だと思いますが。そんなに細かくは覚えていないです。あの――」
「はい?」
「刑事さんがこうして動いているということは、蓮音さんの死因は、事故や自殺ではないということですよね?」
どうしたものかな、と涼花は小さく吐息をついた。情報を出し惜しみしていては、良い証言は引き出せないだろうな。
絶対に口外しないでくださいね、と前置きをしてから、亜ヒ酸による中毒死であることと、蓮音が飲んでいたワインのグラスから、毒が検出されたことを涼花は伝えた。
「亜ヒ酸? 昔、何かの事件で使われたことがある毒ですよね? どうして、そんなものが」
「ご存じでしたか。そうです、その毒です」
千沙は両手で口元を覆った。その視線はテーブルの上をさまよっている。
「毒が出た。だから他殺だ、と決めつけているわけではありません。自殺である可能性ももちろんあるので、そこを確定させるために、蓮音さんのことをよく知っている方からいろいろお話を聞いて回っています」
「私、蓮音さんのことはよく知りませんよ? あまりお力になれないとは思いますが」
「最後にお会いしたとき、蓮音さんはどんな様子でしたか? 何かいつもと変わったところはありませんでしたか?」
涼花の質問に、千沙は言葉を選ぶように顎に手をやり、目を伏せる。
「特に変わった様子はなかったと思います」
蓮音は常に自然体で、特定の誰かに媚びるような態度を取ることはいっさいなかった。基本的に誠実な人だったと思いますと千沙は語った。それは、涼花が思っている彼の像と合致しているので、特に異論を挟む余地はない。
「もし、彼が何か悩み事を抱えていたのだとしたら、気付いてあげられなかったことを少し悔しく思います」
千沙の目に涙が滲んだ。彼女はそれを手の甲で拭う。涼花は質問を変えた。
「龍人さんとは、最近お会いになられましたか?」
千沙の眉がぴくりと動いた気がした。考え込むように、長くも短くもない間が開いた。
「蓮音さんが亡くなった週に一度会っています。何曜日だったかな? 停電があった日ですよ」
「停電があった日。ということは二十八日ですね。どういった用事があって、部屋を訊ねたのですか?」
七月二十八日に、龍人の部屋に若い女性の来客があったことが、森岡らの聞き込みで判明していた。龍人本人からの聴取で、それが千沙だったと裏が取れている。矛盾点はなかった。
「届け物があるので、持って行ってほしいと姉に頼まれていたもので。中身は見ていません」
「そうですか。わかりました」
届け物の中身は千歳の部屋に置いてあった夏物の衣類だ。こちらも龍人から裏が取れているので証言に食い違いはない。
「もしかして、私を疑っているのですか? 身内になるかもしれなかった人を、殺す理由なんて私にはありません」
千沙は、涼花から向けられる疑いの眼差しを敏感に感じ取ったようだ。その目は、まるで犯人を見るかのようだ。
「それはわかっています。現時点ではこれといった手がかりがないものですから、失礼を承知でいろいろお訊ねしているところなんですよ。……失礼ついでに質問をさせてください。先々週……蓮音さんが亡くなられた週の木曜から土曜日までの夜を、どのように過ごしていたか教えてくださると、助かるのですが」
「アリバイですか」
「形式上の質問です。気にしないでください」
涼花の言葉を額面通りには受け取れないらしく、口をへの字にして千沙はスケジュール帳を開いた。
木曜日は家でゆっくりしていた。金曜の夜は映画を観ていた。一人で観たので証明はできないが、映画のチケットは財布をひっくり返すようにして探した結果出てきた。そのあと、友人とレストランで外食。日中は大学にいるので調べればわかるはず、とのことだった。
「ああ、最後にもう一つだけ」
千沙が席を立ちかけたタイミングで、涼花は一番聞きたかったことを訊ねた。
「龍人さんと最後に会ったのは、七月二十八日で間違いないですか?」
「……間違いないです」
回答まで、少し間があった。
「そうですか。ありがとうございました」
* * *
千沙が喫茶店を出て歩き始めると、タイミングを見計らったようにスマホが着信のメロディを奏でた。
千沙が電話に出ると、着信の主は龍人だった。
「もしもし」
『涼花がいろいろ訊ねていったようだけど、どんなことを聞かれたの?』
「最近、蓮音さんと会っていたかって。あとはアリバイを聞かれたわ」
『それだけ?』
「うん、それだけ。他には何も聞かれていないけれど」
『ならいい』
電話の向こうの龍人の声が、安堵したものになる。
「千沙は、嘘をつかなくていい。本当のことをただそのまま証言していればそれでいいんだ」
『わかりました』
どこか釈然としない思いはあった。けれど千沙には、それ以外の選択肢はなかった。
* * *
涼花は友人・知人として参列だったので、遺族の列から一歩離れた場所で式を見守っていた。
会場には、多くの焼香者の姿があった。故人を偲ぶべく集まったのは、家族や親族だけではない。高校、大学時代の友人や、父親の会社の関係者も多くいるようだった。
蓮音の父親である入沢祥吾の職業は小説家だ。ベストセラー作家ではあるがそれは副業で、本業は千葉県銚子市の隣町にあるIT企業の役員でもあった。焼香客が多いのは、そのせいでもあるだろう。
涼花は父親の顔も名前も知ってはいたが、話をしたことはほとんどない。蓮音の父親は、家の外にあまり出ない人だったし、学校行事に顔を出すこともなかったから。
「黙祷してください」
司会者の指示に従い、参列者たちは一斉に瞼を閉ざす。涼花もそれにならった。
涼花は、蓮音の遺体と対面したときのことを思い出した。検視官による検死が終わり、遺体安置所から火葬場へと運ばれた蓮音。死に化粧が施された彼の顔は、不気味なくらい綺麗に保たれていた。まるで眠っているようにしか見えなかった。胸に手を当てれば、今にも心音が再開しそうな感じがしたくらいだ。
だが、それはありえないことだ。
「蓮音……」
黙祷を終えると、涼花は故人の名前を口にして、静かに涙を流した。
入沢祥吾が声を上げて泣いていた。一方で彼の傍らに立っている龍人はというと、無言で弟の遺影を見つめていた。
入沢祥吾が涙する姿を、涼花は違和感を抱きながら見ていた。彼が愛していたのは、どちらかと言えば龍人の側だとそう思ってきたから。彼が蓮音の死でここまで泣くのは意外だった。天秤が、必ずどちらかに傾くように、決して蔑ろにしているつもりはなかったとしても、親の目がどちらかに向いてしまうのはよくあることなのだと、兄と自分を比較して苦悩している蓮音を見ながら涼花はそう感じてきた。
それは、勘違いだったのだろうか。一人っ子の涼花には、いま一つ理解できないことだった。
葬儀が終わった。会場のエントランスホールに蓮音の親族や友人たちが集まって、彼の死を偲んで談笑していた。
涼花はその輪には加わらず、少し離れた場所で祭壇に飾られた遺影をぼんやりと眺めていた。
いけない、こうしてはいられない。哀悼を心の隅に押しやって涼花は思う。
刑事としての職務を果たさなければならない。職業柄やむを得ないが、嫌なものだな。目当ての人物を探し求めた。
やがてその人物、戸部千沙の姿を見つけて声をかける。
「戸部千沙さんですね?」
涼花の声に、千沙は顔を上げた。二人のやりとりに気付いたのか、傍らにいた千歳も振り返る。
戸部千沙は、千歳と四つ歳の離れた妹だ。千歳と比べると口数が少なく引っ込み思案だが、千歳と同じく華のある少女だった。艶やかなセミロングの黒髪に、人形のような白い肌。長いまつ毛と二重瞼の目は、いかにも女の子といった風貌だ。千歳と似ているが、どこか対照的ですらある。千歳がクールビューティーなら、千沙はキュートなタイプだろうか。
涼花が最後に千沙を見たのは、彼女が中学二年のとき。あれから六年もの月日が、千沙を千歳に負けず劣らずの美少女に成長させていた。
涼花は千歳に軽く会釈してから千沙の側へと歩み寄る。喪服を身に着けているせいもあってか、千沙の表情はどこか暗く感じられた。
「どちらさまでしょう?」
急に名前を呼んだせいか、千沙が警戒心を引き上げたのが、表情からも伝わってきた。
「お姉さんの友人だった、水津涼花といいます。昔、何度か顔を合わせたことがあるはずですが」
「水津涼花さん?」
千沙は突然現れた涼花に動揺している様子だったが、ふと、何かに気付いたように涼花の顔をじっと見つめた。
「ああ……水津さん? 思い出しました。姉から、何度か名前は聞いておりました」
「思い出していただけましたか、良かったです」
千歳が耳打ちをすると、千沙は涼花の身元を完全に理解したようだった。それでも、自分に用があるとは思えないのか、怪訝そうに眉を寄せた。
「それで? 刑事さんが私になんの用ですか? 私は蓮音さんとはなんの関係もありませんよ?」
「その蓮音さんのことについてお聞きしたいんです。これから、少しだけお時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」
「時間……」
そう言って視線をしばし彷徨わせ、それから隣の姉に視線を留めた。私は別に構わないわよ、という風に、千歳は頷いた。
「いいんじゃない。私も少し寄りたいところがあるし」
「わかりました」
千沙はしぶしぶといった体で頷く。涼花はほっと胸を撫でおろした。千沙からは、できればこのタイミングで話を聞いておきたかった。
「ではこちらへ」
涼花と千沙は二人で式場をあとにした。
セレモニーホールから少し離れた場所にある喫茶店へと移動すると、奥まった場所にあるテーブル席に腰を落ち着けた。店内には年配の客が数人いるだけで空いていた。
二人の注文したものがテーブルに並ぶ。涼花は軽く喉を潤してから本題に入った。
「蓮音さんとは最近お会いになりましたか?」
涼花の質問に、ええと、と考える仕草を千沙がした。
「去年一度会っています。引越しをする際に、アパートの部屋探しを手伝ってもらったもので」
「ということは、もしかして現在は千葉市に住んでおられる?」
これは涼花の予想通りだった。だからこそ、彼女に話を聞きにきたのだ。
「はい。二年前から、千葉市にある四年制大学の文学部に通っているもので」
「なるほど。将来はライターか何かを志望しておられるとか?」
「そうですね。趣味で少々物書きをしているもので」
「わかりました。蓮音さんと会ったのは、そのときが最後ですか?」
「だと思いますが。そんなに細かくは覚えていないです。あの――」
「はい?」
「刑事さんがこうして動いているということは、蓮音さんの死因は、事故や自殺ではないということですよね?」
どうしたものかな、と涼花は小さく吐息をついた。情報を出し惜しみしていては、良い証言は引き出せないだろうな。
絶対に口外しないでくださいね、と前置きをしてから、亜ヒ酸による中毒死であることと、蓮音が飲んでいたワインのグラスから、毒が検出されたことを涼花は伝えた。
「亜ヒ酸? 昔、何かの事件で使われたことがある毒ですよね? どうして、そんなものが」
「ご存じでしたか。そうです、その毒です」
千沙は両手で口元を覆った。その視線はテーブルの上をさまよっている。
「毒が出た。だから他殺だ、と決めつけているわけではありません。自殺である可能性ももちろんあるので、そこを確定させるために、蓮音さんのことをよく知っている方からいろいろお話を聞いて回っています」
「私、蓮音さんのことはよく知りませんよ? あまりお力になれないとは思いますが」
「最後にお会いしたとき、蓮音さんはどんな様子でしたか? 何かいつもと変わったところはありませんでしたか?」
涼花の質問に、千沙は言葉を選ぶように顎に手をやり、目を伏せる。
「特に変わった様子はなかったと思います」
蓮音は常に自然体で、特定の誰かに媚びるような態度を取ることはいっさいなかった。基本的に誠実な人だったと思いますと千沙は語った。それは、涼花が思っている彼の像と合致しているので、特に異論を挟む余地はない。
「もし、彼が何か悩み事を抱えていたのだとしたら、気付いてあげられなかったことを少し悔しく思います」
千沙の目に涙が滲んだ。彼女はそれを手の甲で拭う。涼花は質問を変えた。
「龍人さんとは、最近お会いになられましたか?」
千沙の眉がぴくりと動いた気がした。考え込むように、長くも短くもない間が開いた。
「蓮音さんが亡くなった週に一度会っています。何曜日だったかな? 停電があった日ですよ」
「停電があった日。ということは二十八日ですね。どういった用事があって、部屋を訊ねたのですか?」
七月二十八日に、龍人の部屋に若い女性の来客があったことが、森岡らの聞き込みで判明していた。龍人本人からの聴取で、それが千沙だったと裏が取れている。矛盾点はなかった。
「届け物があるので、持って行ってほしいと姉に頼まれていたもので。中身は見ていません」
「そうですか。わかりました」
届け物の中身は千歳の部屋に置いてあった夏物の衣類だ。こちらも龍人から裏が取れているので証言に食い違いはない。
「もしかして、私を疑っているのですか? 身内になるかもしれなかった人を、殺す理由なんて私にはありません」
千沙は、涼花から向けられる疑いの眼差しを敏感に感じ取ったようだ。その目は、まるで犯人を見るかのようだ。
「それはわかっています。現時点ではこれといった手がかりがないものですから、失礼を承知でいろいろお訊ねしているところなんですよ。……失礼ついでに質問をさせてください。先々週……蓮音さんが亡くなられた週の木曜から土曜日までの夜を、どのように過ごしていたか教えてくださると、助かるのですが」
「アリバイですか」
「形式上の質問です。気にしないでください」
涼花の言葉を額面通りには受け取れないらしく、口をへの字にして千沙はスケジュール帳を開いた。
木曜日は家でゆっくりしていた。金曜の夜は映画を観ていた。一人で観たので証明はできないが、映画のチケットは財布をひっくり返すようにして探した結果出てきた。そのあと、友人とレストランで外食。日中は大学にいるので調べればわかるはず、とのことだった。
「ああ、最後にもう一つだけ」
千沙が席を立ちかけたタイミングで、涼花は一番聞きたかったことを訊ねた。
「龍人さんと最後に会ったのは、七月二十八日で間違いないですか?」
「……間違いないです」
回答まで、少し間があった。
「そうですか。ありがとうございました」
* * *
千沙が喫茶店を出て歩き始めると、タイミングを見計らったようにスマホが着信のメロディを奏でた。
千沙が電話に出ると、着信の主は龍人だった。
「もしもし」
『涼花がいろいろ訊ねていったようだけど、どんなことを聞かれたの?』
「最近、蓮音さんと会っていたかって。あとはアリバイを聞かれたわ」
『それだけ?』
「うん、それだけ。他には何も聞かれていないけれど」
『ならいい』
電話の向こうの龍人の声が、安堵したものになる。
「千沙は、嘘をつかなくていい。本当のことをただそのまま証言していればそれでいいんだ」
『わかりました』
どこか釈然としない思いはあった。けれど千沙には、それ以外の選択肢はなかった。
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