殺意の二重奏

木立 花音

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第二章「涼花と戸部家の人々」

【戸部千歳】

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 二日後、涼花と越智は市内の某所へ向けて車を走らせていた。助手席の涼花は、三田部長から渡された紙片を握りしめる。そこには「戸部千歳とべちとせ」という名前と電話番号、住所が記されている。その名前を見て、涼花はため息を吐きたくなった。
「越智君、正直どう思った?」
 涼花の唐突な問いに、運転席の越智は前を向いたまま苦笑する。
「なんですか、藪から棒に?」
 言葉が足りなかったと気づき、涼花は小さく咳払いした。
「ごめん、言葉が足りなかった。この間のさ、龍人の反応についてなんだけど」
 ああ、と越智は合点のいった顔になる。
「涼花さんの知り合いに対してこんな言い方をするのは気が引けますが、実の弟を亡くしたわりには落ち着いているというか、さばさばした対応だったなとは思いました。弟さんの死を確認してから数時間経っていたのですし、気持ちの整理がついただけかもしれませんが」
「やっぱりそう思う? 彼のことをよく知らない越智君でもそう思うんだから、実際、そうだったのかもしれないね」
「やっぱり、ってのはどういうことですか? 何か含みがありそうですね」
「うん。落ち着いてたのは事実。でも、落ち着いた性格だったのは、むしろ死んだ蓮音のほうなの」
「ああ、なるほど」
 涼花がこの話題を振ってきたわけを察して、越智は頷いた。
「龍人と蓮音は、双子だから外観はとてもよく似ていたけれど、性格はむしろ正反対だったの。兄の龍人は、会話の引き出しが多くて社交的で、いつも人の中心にいた。反面、細かいことは気にしないタイプで、どんな状況でも動じない図太い性格をしていたけど、それだけにルーズな面があった。弟の蓮音は頭が良くて思慮深くて、冷静なタイプ。人付き合いは苦手だった」
「ふーむ……」
 涼花が言わんとしていることは、すべて越智に伝わっていた。彼女は、龍人と蓮音が今も入れ替わっているんじゃないかと疑っていた。疑いたくなる理由がいくつかあった。
「龍人の財布の中身、レシートが綺麗に整理されてあった。それなのに、くずかごの中には数日前に買い物をしたときのレシートが捨ててあった。部屋の床とテーブルは綺麗に掃除されているのに、風呂とトイレは掃除が雑だった。シンクの三角コーナーも片付いてなかった。ワイングラスは綺麗に拭き上げられていたのに――」
「拭き残したのか、コップには水滴の痕が残ってましたね」
 越智の補足に涼花が頷く。
 几帳面な人物と、大雑把な性格の人物と、双方の癖が混在している部屋の状況が、どこか引っかかっていた。龍人の部屋を、限られた時間だけとはいえ蓮音が使ったとすれば、それは納得はできる。それでも、涼花の心の中では、疑惑の念がかすかにくすぶっていた。理屈ではない。惚れた女の勘、みたいなものだった。
 どうして、財布の中身は綺麗に整理されていたのか。
 自殺した人間が、なぜ部屋を掃除したのか。  
 数秒、会話が途切れる。車の走行音と風切り音だけが車内を満たした。
「考えすぎじゃないですか?」
「うん。良くないことだと、わかってはいるんだけれどね」
「仮に二人が入れ替わってたとして、理由は? メリットがなきゃ、わざわざそんなことしないですよね」
「動機なら、あるよ」
「……あるんですか?」
「蓮音は、兄に対して劣等感を抱いていたからね。それに、兄の恋人に惚れてもいた」
「恋人って、これから会いにいく戸部千歳のことじゃないですか」
「ええ」
「へえ……」
 越智は呟き、気持ちを落ち着けるように煙草を取り出した。片手で器用に火をつけ、紫煙を吐き出す。
「指紋はどうだったんですか? 間違いなく二人のもので合っていたんですか?」
 一卵性双生児はDNA型がほぼ同じであって、DNA鑑定をしても特定するのは難しい。だが、指紋は各々違っているため、警察のデータベース上に指紋のデータが存在していれば、身分を偽ったとしてもすぐばれる。
「龍人は、数年前にスピード違反で検挙されたことがあるみたいでね、そのとき印鑑を持っていなかったので書類に指印を残していた。そのときの指紋と、今回の指紋とが一致している」
「じゃあ、やっぱり取り越し苦労ですよ」
「そうだね」
 涼花は小さく笑ったが、声に力はない。指紋は一致している。気持ちが納得できなくても、事実は受け入れるしかない。
「先入観で捜査しちゃダメですよ。部長が涼花さんを残したのは、先見の明を期待してのことでしょうし」
「ええ、わかってる」
 涼花の視線は、窓の外を流れる街並みに落ちる。ふと、三田部長とのやり取りが脳裏に蘇った。

 警察署の部長室。窓の外では雨が降っていた。
「なるほど。それで捜査から外れたいと?」
 三田の言葉に涼香は頷く。正しくは、外れたいというより外れなくてはならない、だろうか。
 親しい者が容疑者である場合、その関係性が捜査の客観性や公正性を損なうと見なされ、捜査から外れることが推奨される。法的強制力はないものの、警察の倫理規定や利益相反を避ける内部ルールだ。
「入沢龍人と蓮音は、私の高校の同級生です。個人的な繋がりがある以上、捜査には関われません。公平性を保つため、外してください」
 三田は書類を置き、涼花をじっと見つめた。
「彼らと最後に会ったのはいつだ?」
「高校生のとき。八年前です」
 なぜそんなことを聞くのか。涼花は不思議に思った。
 三田は立ち上がって窓のほうを向く。
「涼花、君は優秀な刑事だ。昨日の捜査会議での考察は見事だった」
「ありがとうございます」
「だが、捜査は教科書通りにはいかないものだ。この事件、被害者と周囲の人間の過去や繋がりが鍵だと俺は睨んでる。君の地元での経験や、同級生としての知識が必要になるかもしれない」
「そうかもしれません。でも、もし私が感情に流されたら? 龍人を庇ったり、逆に過剰に疑ったりしたら、捜査全体が台無しです」
「君は、被害者のことが好きだったのか?」
 突然の質問に、涼花は言葉を失う。なぜ部長がそれを知っているのか。誰にも話したはずがないのに。
「いいえ、そんなことはありません」
「本当か?」
「……」
 三田の追及に、涼花は沈黙した。これでは無言の肯定だ。
「捜査から外れたことで後悔しないなら、俺はこんなことは言わない」
「どういう意味ですか?」
「昔の話だ」  
 刑事部長・三田には、疎遠だった一人息子がいた。かつて非行に走った息子を、仕事に没頭するあまり見放した過去が、二人の関係を冷え切らせていた。
 ある日、三田が追う麻薬密売組織の捜査で、息子が容疑者として浮上する。末端メンバーとして関与している可能性があるという。動揺しながらも、三田は息子の無実を信じたかった。だが、部下が提出した監視カメラの映像や通信記録には、息子の関与がはっきりと映っていた。
 倫理規定により、三田は捜査から外された。「私が指揮すれば息子の無実を証明できる」と抗議したが、上層部は公平性を理由に彼をデスクワークに追いやる。捜査の進展を遠くから見守るしかなかった。
 息子に連絡を試みるが、電話は無視される。息子が非行に走った頃、家庭を顧みなかった自分の姿が蘇り、三田は罪悪感に苛まれた。一方、捜査は過熱。密売組織の摘発を急ぐ警察は、息子を「使い捨ての駒」とみなし、ボス逮捕のための囮に利用する計画を立てる。三田は漏れ聞く情報でそれを知り、焦りを覚えるが、口を出す権限はない。
 作戦の夜、三田は自宅で一人、息子の幼い頃の写真を握りしめ、取り戻せなかった時間を悔やんだ。
 作戦は成功し、組織のボスは逮捕された。だが、囮として潜入した息子は報復を受け、重傷を負って病院に運ばれた。一命は取り留めたものの、重い障害が残ってしまう。  
「刑事としての正義を追い続けた代償に、息子を守れなかった。その後悔を、俺は生涯背負い続けるだろう。お前はどうだ?」
 涼花は言葉を詰まらせ、三田の苦悩に満ちた顔を直視できなかった。
「私は……蓮音の無念を晴らしたいです。何が彼を死に追いやったのか、自分の手で確かめたい」
「そうか」
 三田は涼花の肩に手を置いた。
「高校卒業後、八年間疎遠だったただの同級生。だから問題ないと私が判断した。そう、みんなには伝えておこう」
 三田の言葉が部長室に静かに響いた。涼花は唇を噛み、視線を落とした。三田の手が肩から離れると、部屋には再び雨の音だけが満ちる。
「ありがとうございます、部長。やってみます」
「ただし、一線を越えたらすぐ外すぞ」
「はい」
 涼花は頭を下げ、部長室を後にした。廊下に出ると、冷たい空気が頬を撫で、胸の奥で抑えていた感情が一気に溢れそうになる。彼女は足早に署内の休憩室へ向かい、誰もいないことを確認すると扉を閉めて壁にもたれた。 
 そこではじめて、涼花は涙をこぼした。
 蓮音の笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。高校時代、教室の片隅で彼がスケッチブックに描いた絵を見せてくれたこと。放課後、河原で交わした他愛ない会話。蓮音の優しい声が、今も耳元で響いているようだった。卒業後、連絡が途絶えても、彼がどこかで幸せに生きていると信じていたのに。
「蓮音……どうして……」
 涼花は両手で顔を覆い、嗚咽を漏らした。捜査資料に記された蓮音の名前が、彼の死を冷たく突きつける。どんな事件に巻き込まれ、何が彼を奪ったのか。知りたいという思いと、もう二度と彼に触れられない絶望が、涼花の心を引き裂いた。  
 涼花は目を閉じ、拳を握りしめる。蓮音の無念を晴らすため、彼女は再び立ち上がる決意を固めた。

   * * *
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