見つめる未来

木立 花音

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拝啓。しんどうあらたさま

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 先日の事を思い出して、渋面じゅうめんになりそうになる。
 予想外だった。色々と。
 コーチの話もそうだけど、いまだに霧島の姿を見て心が波立ってしまう自分のことも。
 未練がましい自分に溜め息がもれたとき、スマホに着信が入る。電話を掛けてきた相手は、噂の霧島七瀬だ。意想外の出来事に心臓が大きく跳ねる。
 そういやあこの間、電話番号交換したんだっけ。

「もしもし」
『あ~新君? 今、電話大丈夫かな?』
「別に、大丈夫だけど」

 たぶんコーチの話なんだろうなと、わずかに気落ちしていく。

『この間した、コーチの話なんだけど、大丈夫かな……? 都合つけられそう?』

 申し訳ないんだけど、なんて言えるはずもなく。

「これといって予定はないから、とりあえず行けると思うよ。コーチとしてずっと見られるかどうかは、追々考えていくということで……。それでも良いかな?」
『ホントー? 助かるよー。忙しいところ申し訳ないんだけど、じゃあ土曜日待ってるね』

 用件が済むと、電話はぷっつり切れた。
 やれやれ、ともう一度大きな溜め息がもれる。
 元来俺は、他人からの頼みごとを断るのが苦手なので、最初から、『仕方なく顔を出す』くらいの覚悟はできていたんだけれどね。
 今週の土曜日――か。
 律儀に○印だけは付けておいたカレンダーに目を向けて、机の上に置きっぱなしだった封筒に気が付く。同窓会の日に掘り起こした、タイムカプセルから出てきたものだ。
「そういやあ、まだ読んでなかったなあ……」
 何が書いてあるか薄々予測できただけに、読みたくなかっただけなのだが。
 青色のシンプルな封筒の表面には、『しんどうあらたさま』とデカデカと宛名が書かれた他に、野球のバッドとボールのイラストまで添えてある。はっきり言って下手糞だ。
 そういやあ霧島の奴は、わりとイラストが上手かったよなぁ、なんて、どうでもいいことを思い出す。封筒を開けてみると、半分に折られた便箋が一枚出てきた。

 ◇ ◇ ◇

『しんどうあらたさま。
 ぼくは野球がだいすきです。
 しょうらいは野球選手になるのが夢です。そのために、毎日野球部でれんしゅうをしています』

 なるほど。
 この当時は今のようにクラブチーム全盛というわけではなく、小学校でも野球部とバレー部くらいはどこの学校でもあったもんだ。
 毎日練習……ねえ。たぶん、週に一度くらいは部活動休養日があったはずだが、休日でも近所でキャッチボールをしていた記憶がある。当時の俺にしてみれば、それも練習の一環だったんだろう。感心、感心。

『十年後だと二十さいですね。甲子園には出られたでしょうか? プロきゅうだんからスカウトはきていますでしょうか?』

 プロ球団という単語に仰け反りそうになった。
 ああ、そういえばこの頃は、プロに行くならどこそこの球団がいいとか、そんな話をしていたような気がするな。行きたい球団を、選べる立場なのかよって乾笑かんしょうしてしまう。

『それとも、もう野球はやめてしまいましたか? 夢は叶わないものになってしまいましたか?』

 ははっ。現実、見えてるじゃねーか。
 悪い予測ばかり当たってしまうようで、なんだか申し訳ないね。過去の自分にそっと頭を下げる。

『それでもぼくは、プロせんしゅになれなかったとしてもぼくは、一生野球を続けているとおもいます。
 なぜならば、ぼくは野球が大好きだからです。いつまでも夢をあきらめない、大人になっていてください。
 誕生花=ストック。
 花言葉=「見つめる未来」』

 ◇ ◇ ◇

 最後の二行は、明らかに綺麗な大人の文字だ。間違いなく、当時担任だった女性教諭のものだろう。
 ここまでを一息に読んで、ふう、と息がまっすぐ出た。
 ストックというのは、七月十六日が誕生日である俺の誕生花で、長い花穂にあでやかな香り高い花をつける一年草のこと。花の色によって花言葉も複数あるようだったが、先生が『見つめる未来』という花色に関係しない花言葉を上手く見つけて、手紙の題材として提案してくれたのを思い出した。

「見つめる未来、ねえ」

 未来の自分が野球選手になっていることを疑っていないような文面が、空虚な俺の胸の内をメスのように抉った。
 野球選手になれていないどころか。
 野球をやめているどころか──。
 そもそも、満足に野球ができない体になっていると知ったら、小学四年生の俺はどんな風に思うんだろうな?
 情けない。こんなのは僕じゃないって嘆くんだろうか。

 毎晩オイルを塗ってグローブを手入れしていた夢見る少年は、もう、この部屋のどこにもいない。
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