嘘つきな私のニューゲーム~自分を偽ってきた彼と、親友を欺いた彼女の物語~

木立 花音

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終章

【エピローグ】

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 私が不思議な体験をした昨年の秋から、早いものでもう一年だ。
 私と景はというと、相も変わらず、といったところ。よく口論になるしたびたび酷い喧嘩もするが、不満を腹にため込まず吐き出すようになったのがむしろ良いのか、なんだかんだと仲良く暮らしている。
 有り体にいって、順調である。
 私生活も。仕事も。

 景が受賞したあの小説は、先月ようやく出版までこぎつけた。爆発的なヒットを飛ばし、早々に重版が決定! なんてことは全然なかったが、それなりにまあ売れた。
 自分の名前が入った本が書店に並ぶのは壮観なのだろう。景はここ最近すこぶる機嫌が良い。
 もっとも売れ行きはそんな感じなので、次の仕事は当然決まっていない。また一からのスタートなのだが、一度結果をだしたことで自信がついたのだろう。書き始めた新作も順調な仕上がりなんだとか。私が読んだところで、これまでの作品と何が違うかサッパリなのだが。
 執筆の傍ら、彼は近所の書店でアルバイトを始めた。真面目な勤務ぶりが評価されて (本人談。嘘か真かは景のみが知る)、近々正社員に登用されるかもとかなんとか。時間拘束が激しいし、執筆との両立は難しいんじゃ? と危惧したが、好きな物に触れられるからやりがいのある仕事なんだとか。
 それはまあ、良くわかる。やると決めたら頑張る男なので、大丈夫だろう。私は信じて着いていくのみだ。
 私たちの生活は慎ましやかながらも、確実に一歩前進していた。

 季節は夏真っ盛り。炎天下特有の蒸し暑い熱気が、アスファルトから立ち昇る。
 逃れるように国道沿いの喫茶店に入った私と景は、観葉植物が配置されたボックス席に並んで座った。道路がわの壁は全面ガラス張りで、真っ白な日差しが入りこんでいた。

「明るくていい店だね。あ、私アイスコーヒーで」

 やってきた女性店員に注文を告げると、「俺も同じので」と景が窓の外に目を向けて答えた。

「なかなか雰囲気いいだろ。再会の場所には相応しい」
「だね」

 日曜日なので、様々な客層で店内は混みあっていた。
 スピーカーから、曲名のわからないクラシック音楽が流れている。穏やかな曲調は心を落ち着けてくれるのだろうが、今の私には効果がいまいちだ、などと考えている最中、喫茶店の扉にそえ付けたベルが鳴る。新たな客が入ってきたようだ。

「待たせたな」
「よお、久しぶり」

 それは、景にしてはらしくない社交辞令な挨拶。私たちが座っているテーブルにまっすぐやって来たのは三嶋蓮だ。爽やかな白のジャケット。すらりとした黒のパンツ姿は蓮によく似合っていて、垢抜けた中にも知性を感じる。これが芸大生の実力か、と隣のラフな格好の景をちらりと見やる。

「なんだよ」
「いや、なんでも」

 今日はいい天気だなあ。
 そうだなあ。
 最近どうよ。
 ぼちぼちってところかな。
「なにその話題に困ったときのテンプレみたいな会話」と私が突っ込むと、私たちの間に横たわっていた緊張感が、ようやく少し薄らいだ気がした。
 二人は同窓会のあとも顔を合わせていないので、実のところ会うのは久方ぶりだ。どれくらいぶりなのかは知らないが、話題に困るのももっともだ。
 それ以前に、なんとなく本題を切り出しにくいというのもあるにはあるが。

「そういや佳作取ったんだってね。おめでとう」

 場を和ませる目的で私が話の水を向けると、蓮の表情が柔らかくなった。

「ありがとう」

 バス停で出会った女の子を描いた蓮の水彩画が、市のコンクールで入賞したのだ。市民コンクールだから大したことない、と彼は謙遜していたが、十分凄いと思うんだ。
「美術関係の仕事に進むの?」と訊ねたら彼は曖昧に笑って見せたが、表情は明るいので彼なりに何か目標ができたのだろう。

「同窓会のあとからさ、何度かアイツらと会って飲んでんのよ。お前も今度来る?」

 景が選んだ話題はやっぱりどこか余所行きだ。
 アイツらがどいつらを指すのか、私はあまりよく知らない。

「あー、俺はパスかな。最近、そういう集まりに行く気になれない、っていうか」
「意外だな。大学に通うようになってから、かなり派手な女遊びをしているって噂だったけど」
「心を入れ替えたんだよ、俺は」

 ニヤニヤしている景を見やり、蓮が渋面になった。

「いや、ちょっと違うか。無理に自分を変えていたから、本来の姿に戻したというか」
「なるほどね」

「菫のため、なんだよね」と私が話の核心に触れると、「まあ、そうかもな」と蓮はあっさり同意した。それはここ最近見たことのない柔らかい表情で、まるで憑き物が落ちたようだなって思う。
「そいや、結婚するんだって」という蓮の返しに事もなげに答える。「うん。来年の夏頃の予定」

「おめでとう」
「ありがとう」

 かつてあれほど恋焦がれた相手に、結婚を祝ってもらうのはなにやら複雑だ。それでも胸が痛まないのは、去年自分を見つめ直せたからだ。
 私は彼女に感謝している。彼女にも、結婚を祝ってもらいたい。
「ところでさ――」と私が本題を切り出そうとしたタイミングで、蓮のスマホが鳴った。どうやら、『彼女』が到着したようだ。

「そうそう、そこから右に曲がって、その次を左」

 子どもに道案内でもするような、たどたどしい蓮の説明が電話の相手になされる。「大丈夫っぽい」という安堵した蓮の声とともに、電話は切られた。
「さて。心の準備はいいか?」と蓮が言った。どこか含みのある言い方だった。「もちろん」と私は首肯する。そのつもりでここに来たのだ。今さら引き下がれない。

「わかった」

 蓮の一言を最後に、沈黙が漂った。

 自殺未遂をした高二の夏から、菫の昏睡状態は五年続いた。続いた、と過去形になっている通り、終わりがおとずれたのだ。植物状態でもないのになぜか目覚めないという不可思議な現象は、唐突に今年の春ごろ終わった。
 しかし、五年も寝たきりだった体だ。日常生活に耐えうる機能を取り戻すまでには、それなりの時間を要した。約一か月半ほどのリハビリ期間を経て、彼女は六月から七月に暦が変わるあたりでようやく退院した。
 この連絡を蓮から受けた時、私は飛び上がって喜んだ。
 ついに待ち望んだ日が来たのだと。これでようやく、菫に謝れる。
 ところが、電話口の彼の声は浮かなかった。『本当に会いたいか?』と重ねて確認をしてくる。

「どうして、そんなこと聞くの? そんなのもちろん、会いたいに決まってるじゃない」
『もしかしたら、会わないほうがいいかもしれない。……そうだな。これだけは約束してくれ。決して後悔はしないと』

 受話器を握ったまま、神妙な顔をしている蓮を想像する。意味はよくわからなかったが、軽い胸騒ぎがした。

「絶対しないよ。どんなことがあろうとも」

 それでも私は、胸中で育ち始めた不安の雲を散らして、そう答えた。待ちに待った菫の目覚めの瞬間なんだ。他に選択肢はない。
『そうか。わかった』と蓮が答えた。

 そうして、現在に至る。
 喫茶店の入口のベルが再び鳴って、一人の女性が母親らしき人物と一緒に入ってきた。
 髪は肩口までのショートボブ。ブルーのデニムワンピースを着て肩からショルダーバッグをかけている。杖をつき、やや覚束ない足取りで私たちのいる場所までやって来た彼女は、間違いなく菫だった。多少痩せて見えるとはいえ、あの、精神世界で会った菫がそのまま成長したような姿に、心臓がどくんと跳ねた。
「菫!」と感極まって声を上げたが、彼女はこちらを一瞥しただけで、視線をすぐ向かいの蓮に移した。

「ごめんなさい。待たせてしまいましたか、三嶋さん」

『ミシマサン』という他所他所しい響きの声に、自分の顔が強張るのを感じた。隣の景が口をポカンと開いている。驚嘆とか戸惑いとか、色んな感情が浮かんで見えた。

「ところで、こちらの方々は?」

 菫は、いや、菫だったはずの彼女は、表情を少しだけ柔らかくして私と目を合わせた。逸らすことは、できなかった。

「この二人はね、俺たちの同級生で、霧島さんと月輪君。森川さんもほら、挨拶して」
「初めまして、霧島さん。月輪さん。森川菫といいます」

 差し出された細い右手を、恐る恐る握り返した。小刻みに震えている手は、私の手だった。

   ※

 それは、蓮にとっても待ち焦がれていた瞬間だった。
 意識が戻らなくなった人の平均余命は、三年前後と言われている。稀に五年、最長で十年ほど生存したケースもあるらしいが、意識不明の期間が長引くほど、目覚める可能性はどんどん低くなる。そんななか、四年もの期間を経て菫の意識が戻ったことは、それだけでも奇跡だった。
 電話口で彼女の覚醒を知らされると、着の身着のまま蓮は病院に向かった。転げるように病室に駆け込んで、真実を知らされた。
『あなたは誰?』というのが、蓮が聞いた菫の第一声。
 彼女は、記憶のすべてを失っていた。家族のことも、友人のことも、自分が誰なのかも、何ひとつ覚えていなかった。
 十四歳の森川菫は、やはりあの日死んだのだ。そんなことを彼は悟ったのだという。

   ※

 そんなわけで、菫のリハビリは、立ち上がる、歩く、と言った基本動作の他にも多岐に渡った。不幸中の幸いだったのは、介護疲れにより気力を失っていた母親が、気持ちを入れ替えて菫の面倒を見るようになったこと。また、エピソード記憶はすべて失われていたが、体が覚えているような記憶――手続き記憶というらしい――は問題なかったこと。

「中学生レベルの読み書きなら問題ないし、食事や睡眠といった、生理現象を解消する術も心得ている。ただ、性差とか、異性を愛することの意味は忘れちまったらしい。彼女の思春期は、きっとこれから来るんだろうさ」

 少し寂しげに、しかし穏やかな顔で蓮が笑った。
 
「それでも俺は、嬉しいんだ。もう会えないと思っていた森川と、こうして話ができるだけで」

 それは、決意のこもった瞳だった。
 蓮は、愛を注ぐべき本当の相手を見つけたんだな。そう思う。
 でも、私は――。
 後悔しないか、と蓮は言った。彼には後悔はない。間違いなく。なら、私はどうか。
 テーブルの下に忍ばせていた、『持って行き場を失った手紙』を両手でギュっと握りしめる。握りしめた力の強さに、解消できなかった私の『後悔』が現れていた。
 あの日菫が一時間早く家を出たのは、私のせいだったのかそれとも否か。そんなことはどっちでもいい。嘘をついていたという事実を、私の言葉で謝らなければいけなかったのに。
 渡す相手、いなくなったんだな、と認識すると、涙で視界が覆われた。テーブルの上に、雫がひとつ、またひとつと零れて落ちた。
 菫、会えて嬉しかった。
 私たち、じゃあ、そろそろ行くね。
 ごめんなさい。
 畳みかけるようにそう呟くと、言葉の意味を理解できていない三人の目が丸くなる。
「これ、タイムカプセルから出てきた菫の封筒。預かっていたから返しておくね」と蓮に封筒を渡して席を立つ。
 この場から逃げ出そうとした刹那、呼び止めるように「でもね」と菫がポツリと漏らした。

「一人だけ、とても大切な友だちがいたことを覚えているの。中学生の時にね、私は水色の浴衣を着て、その子は、紺色の浴衣を着て、八月に行われる花火大会を一緒に見に行ったの。あれ、誰だったんだろう? もしかして、それって霧島さんですか?」

 ははは、と困惑した顔で、蓮が襟足の辺りをかいた。

「コイツ、うわ言のようにこんなこと言ってるんだよ。中一の時、花火を見に行ってはいないらしいし、絶対ありえない話なんだけどな。大方、夢でも見ていたんだろうさ」

 私たちの心、本当に繋がっていたの?
 視界が、強く滲んだ。
『人生は選択の連続である』というのは、シェイクスピアの名言だ。
 人は誰でも過ちを犯す。かつての私も多くの過ちを犯した。あの頃からやり直せたら――なんて、泣いて悩んで傷ついて。それでも私は必死だった。そんななか積み重ねてきた選択のすべてが、確かに、今の状況を形成しているんだ。
 私が犯した罪は消えない。
 菫に謝罪する機会も永遠に失われた。
 それでも、菫の未来はきっと明るい。彼女の意識は戻ったのだから。辛い記憶を全部忘れて、彼女は幸せそうに笑っていたのだから。それで――いいじゃないか。
 それでも。
 私は自分の罪を忘れない。あの日ついた嘘を忘れない。過去は過去として、ちゃんと見つめて受け止めて、ここからまた一歩を踏み出していく。後悔を自分の糧として、これから先の選択で取り返していく。だって、先のことなんてどうせわかんないんだし、今を大切に生きていくしかないよね。大事なのは、過去じゃなくて未来。
 そのことを、あの一ヶ月間で学んだ私は知っている。
『菫、ごめんなさい。今さら謝ったところで許して貰えるかわかりませんが、私、あなたに嘘をついていました』
 そんな書き出しで始まる渡すアテのなくなったもう一通の手紙を、クシャクシャに丸めてポケットにつっこんだ。
「そうだね」と私は言った。
「そうだね」ともう一度。
 あの当時、友だちになろうと最初に言ってくれたのは菫からだった。だから今度は、まっさらな気持ちで私から伝えようと思う。

「ねえ、菫。こんな私でも、もう一度友だちになってくれますか?」

 ちょっと不思議そうな顔をしたあと、「はい」と菫が頷いた。その声はやっぱりどこか余所行きの響きだったけれど、笑顔はあの日のままだった。
 そっと菫を抱きしめる。自分よりちょっとだけ小さなその体は、でも、世界で一番大きくて大切な『友』のものだった。

 きっと俺たちは。 

 私たちは。

 これからも何度か間違いながら、それでも支え合って歩んでいくんだ。

 それぞれの、旅路を。

 ここから始めるんだ。

 嘘つきな私の、ニューゲームを。


「嘘つきな私のニューゲーム。~自分を偽ってきた彼と、親友を欺いた彼女の物語~」了。
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感想 3

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みんなの感想(3件)

葛城騰成
2022.05.20 葛城騰成
ネタバレ含む
2022.05.20 木立 花音

 霧島七瀬というキャラクターを通じて描きたかったのは「持っている人間なりの苦悩」でした。
 彼女は考えられうる最短のルートで教師になる夢を叶え、同棲相手もいて、容姿端麗で、教師なのでもちろん頭脳明晰です。
 何ひとつ失うものはないのですが、実のところ、手に入ったものもそこまで多くない。
 親との仲は壊れてしまったし、初恋の相手には気持ちを伝えられなかったし、同棲相手ともあまり上手くいってない。容姿端麗であることも、時としてマイナスに働いた。
 それら全ては(ある意味)彼女の自業自得ともいえるし、それだけに強い苦悩を抱えています。
 そういった彼女の苦悩を深めていた元凶が、悦子であり美登里であるわけですね。名わき役たちの存在意義を感じていただけて感謝です。
 書きたい展開が多かったため思いのほか長くなったのと、最後もうちっと盛り上げたかったなーという後悔もあるのですが、花火のシーンは二回ともエモかったんじゃないかなと、花火展開マニアとしては思うのです。
 結末の解釈は仰るとおり、読み手に全てまかせました。それでも言えるのは、記憶を失ったことは森川にとって完全に不幸ではないし、彼ら彼女らは、しっかり前を向けたはず、ということですかね。

解除
葛城騰成
2022.05.20 葛城騰成
ネタバレ含む
2022.05.20 木立 花音

 そうなんじゃないかな? と思わせたり、いや、もしかして勘違いかな? と思わせたり。情報の出し入れに拘った章でした。
 七瀬に比べると尺の短い章になりましたが、短いなかでもしっかり落ちはつけられたのかなと。
 冒頭の蓮はわりとクズっぽい(苦笑)思考をしているので、元々あったはずの純粋さを取り戻していく様が、あまり不自然にならないようにと気遣いました。
 背伸びをしていたこの思考こそが、彼にとっての『嘘』であったわけです。

解除
葛城騰成
2022.05.18 葛城騰成

こちらも拝読させて頂く決意がつきました。
タイムカプセルに入れられた十年後の自分たち。
未来への手紙に何が記されているのか?
楽しみにして読ませて頂きます。
一話目の気持ちをここに残しておきます。

2022.05.18 木立 花音

アルファでは初感想。ありがとうございます!
事件の裏と表を、二人の主人公の視点から描いた作品です。
タイムカプセルから出てきた手紙の文面が、彼らの心にどんな影を落とすのか。過去を見つめ直したことで、どんな決断をくだすのか?あたりがテーマでしょうか。

解除

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