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第三章「嘘つきな私のニューゲーム」

【急転】

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 学校に着いて教室に入ると、美登里とえっちゃんが目を白黒させて私を見た。

「ちょっと七瀬! なんなのそれもったいない!」

 えっちゃんが私の背中をバシバシと叩く。いつも通り、遠慮がないからちょっと、いやだいぶ痛い。

「失恋でもしたか? なーんてな。それ以前に、七瀬が恋をしているなんて話、聞いたこともないけどな」

 ガハハ、と大声で笑うえっちゃんを見ながら、『してるし』と思う。
 自分のことにしか興味がないから、他人の心の機微が見えないし、誰かを傷つけても平気でいられるんでしょ。

「どういう心境の変化? それにしても、なんかダッサ」

 美登里は相変わらず感情表現がストレートで言うことがキツい。私と菫はむしろ、このくらいハッキリ言えたほうがいいのかもだが。

「心機一転。ここから再スタートしようかなって」

「ふーん」と私の声に反応したのはえっちゃんだ。

「ああ、そっか。憑き物が落ちたような顔をしているのはそういうことか。ようやく七瀬も、疫病神との縁を完全に切ったわけだ」

 チラリとえっちゃんが菫のほうに視線を送る。彼女の意見に同意するように、「キャハハ」と美登里が不快な笑い声をあげた。
 そうだね。私だって、いつまでもこのままじゃいられない。

 授業がすべて終わったあとのホームルームで、臨海学校での班決めが行われた。

「では、五人一組になるように、相談して班分けと献立を決めること」

 班は五人一組。生徒の主体性を育てる、とかいう大層な名目のもと、昼食のメニュー決めと調理については、すべてこちらの裁量に任されるのが慣例だった。正直面倒なのだが、そこはまあ決まり事なので。先生の指示に従って、クラス中で相談の声が交わされ始める。
「ねえ、あと一人誰か余ってない?」「なあ、オレらとくもーぜ?」などと、周辺のざわつきが深まっていくなか、私に声をかけてきたのはえっちゃんだ。

「おーい、七瀬。お前も私らと組むっしょ?」

 ぼんやり中空に留めていた視線を向けると、メンバーは既に、美登里、えっちゃん、夏美、他一名と揃っていて、私が加わるときっちり五人になるようだった。

「んー、そうだねえ」

 あの頃の私はなんの疑いも持つことなく、えっちゃんの声に従うままに、あの輪の中に入っていた。でも、二十一年生きてきて、様々な後悔を抱え、どうしたら自分の人生が生きやすいものになるのか模索し始めた今の私ならわかる。収まるべき場所はそこじゃないと。だから――。

「ごめんね、えっちゃん。私、別の人と組むわ」
「え? はっ!? 七瀬。アンタそれ、本気で言ってんの?」
「本気だよ。ほっぺたつねったら、ちゃんと痛いしね」

 右手で頬をつねるジェスチャーをしたのち、私は勢いよく立ち上がった。
 足元に纏わりついた、過去のしがらみを全部断ち切るかのように。

「菫」

 私が読んだ名前に、こちらの様子を遠巻きにうかがっていた美登里の顔が強張った。

「私と、一緒に組もう」

 数人の男子に囲まれていた菫の側に行き、強引に彼女の小さい手を握った。
 驚いた顔で数回瞳を瞬かせたあと、「うん」と笑顔の花が咲く。

「ありがとう、七瀬ちゃん。でもいいの? 美登里ちゃんたち、怒ってるんじゃないの?」

 振り返ると、夏美がおろおろしているその隣で、美登里とえっちゃんが怖い顔をしている。見たこともない、般若のような形相だ。でも。

「いいのいいの。私が本当に好きなのは、やっぱり菫だから」

「なんなのアイツ」「フザけんじゃねーよ」という罵声が遠くから聞こえてきたが構うもんか。切った髪の毛同様、これも私の離反宣言だ。
 あははと二人で笑い合って、男子三人、女子二人のそこはかとなく逆ハーレムな班ができあがった。

「ではこれから、臨海学校で作る昼食のメニュー決めをしたいと思います」

 机を五つ突き合わせて、お誕生日席に座った菫が、厳かな口調でそう言った。おー、と歓声が上がり、ぱちぱちとまばらな拍手が起こったが、厳かすぎて、なんだか人生の一大事みたいだな、と思う。

「カレーライスが良いと思います」と男子Aが言った。
「焼きそばの方が無難じゃないかな」と男子Bが言った。
「なべ焼きうどんが食べたいな」と男子Cが言った。ごめん、君たちの名前なんだっけ?
「真夏だよ? 臨海学校ってこと忘れてない」

 たまらず菫が突っ込むと、臨海学校って涼しそうなイメージだから、と男子Cが言い添えた。イメージで涼しくなるなら、クーラー要らないな。

「ねえ、七瀬ちゃん聞いてる?」

 ぼんやりしていたら、菫に話の水を向けられた。

「うーん、そうだねえ。個人的にはBの意見に賛成かな。焼きそばもいいけど、パスタなんてどうだろう? 茹でてソース絡めるだけだし」
「本格的だね」と同調したのは男子A。いや、そんなことないでしょ。
「僕の名前、Bじゃなくて坂東なんだけど」と言ったのは男子B。
「頭文字、当たってんじゃん」
「ねえ、さっきから何言ってるの七瀬ちゃん」

 真面目っ子な菫の怒りの矛先が、いい加減私の方に向いた。

「ごめんなさい。ちゃんと考えます」

 まあそんな感じに、妙な方向に盛り上がりながらも話は続いた。
 前回の世界では、こんな楽しい空気はなかった。居心地のよい、陽だまりの中にいるような充足感だった。

 どこか弾んだ気持ちで昇降口を出ると、校舎の真ん前で誰かを待っていた景と目が合う。
 ちょっと離れた場所から、「か・み」とジェスチャーをして彼が目を丸くする。
 似合うでしょ? という意思をこめて短くなった襟足を見せると、オッケーサインを出して彼が笑った。

「あ・り・が・と・ね」

 口パクでそう答えると、意味がわかんないとばかりに妙な顔を彼がしたが、今はわかんなくてもいいよ。

   ※

 窓から差し込む柔らかい日差し。
 蒸し暑い日中の熱気が残滓のように残っている和室で、私は母親に浴衣の着付けをしてもらっていた。
 八畳間の角に置いてある姿見に写っているのは、浴衣に袖を通した私。「派手じゃないかなあ?」と不安になって呟くと、「大丈夫。ちゃんと似合ってる」と母親が笑顔になった。
 今日は八月五日。私はともかくとして、菫にしてみたら待ちに待った花火大会の日だ。あれから何年――そう、何年待ったのかもわからない。
 どんな浴衣を着て行こうかと、思案気にめかしこんでいる親友の姿を思い浮かべたら、おかしくなって口元が緩んだ。
 時計を見ると一六時三十分。バス時間までまだ余裕があるな、と財布の中身を確認していた時、携帯電話が軽快な着信音を奏でた。

「もしもし」
『もしもし。あ、七瀬ちゃん?』

 電話の相手、菫だった。

『ごめん、私ちょっと早く家を出るね。だから一緒のバスで行けなくなっちゃった』
「ん。別にいいけどなんで?」
『お母さんに、届け物の用事頼まれちゃったの。私のおばさん家、西公園の近くにあるからついでにって』
「ああ、そうか。わかった」

『公園の案内板の前で』。待ち合わせの場所を確認してから電話を切った。そっか。菫は一時間早く家を出るのか。ん? 一時間早く家を出る?

 ――うわー、ひでー事故。一本前の路線バスかな? 最悪だね祭りの日なのに。

 記憶の中にあるあの日の会話を思い出すと、全身が粟立った。
 嘘のアドレスを教えるのはやめた。花火を見に行く相手だって変わった。それなのに、菫はあの日と同じように一時間早く家を出ようとしている。私は、私がやれる範囲で菫との関係をやり直してきた。それなのに、どうしてあの日と同じ世界の流れになっているの?
 もしかして……私が待ち合わせの時間をズラしたこととは無関係に、彼女は一時間早く家を出るつもりだった? これが、元々の予定だった? いまだに運命は――
 ――変えられていない?
 そんな、今さら困るよそんなの。 
 だってそれじゃ、私がやってきたこと全部無意味じゃん!
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