嘘つきな私のニューゲーム~自分を偽ってきた彼と、親友を欺いた彼女の物語~

木立 花音

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第三章「嘘つきな私のニューゲーム」

【謝る相手は俺じゃない】

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 ダメだよ、景。あなたが喧嘩しているところなんて見たことないし、今でこそ、少々不良染みた雰囲気を放っているけれど、中身は優しい普通の男の子だって私知ってるもん。こんな男たちと絡んだら危ないよ──。

「なんだおめぇ。この女の彼氏かなんかか?」

 口ひげ男が、景に向かってじりっと近づく。

「いやあ、そんなんじゃないけどさ。でも、その子嫌がってるんじゃないの? どう見ても。それを無理やり引っ張って行くのはさ、男としてカッコ悪いんじゃないのかなって」
「んだとぉ?」
「なんだよ、ナイト気取り? ハハッ、カッコいいじゃん。でも残念。彼女も同意の上なんだよね」

 なあ? と言いながら、ロンゲが私の瞳を正面から見据えた。顔は笑っていたが、細めた瞳はちっとも笑っていない。『頷け』という無言の圧力を感じた。
 どうしたらいいんだろう、この場面。首を横に振って否定したら、景と一緒に逃げられるかもしれない。でも、そんな選択をしたら確実に景を巻き込んでしまう。それだけは、ダメだ。
 しょうがない、と同意を示すため、首を縦に振りかけた私の機先を制するみたいに低い声で景が言った。

「逃げんなよ」
「え?」
「嫌なら嫌だって、ハッキリ言えばいいじゃん。そうやって自分の気持ち押し殺して、逃げ続けてんじゃねーよ!」

 大きな声で景が叫ぶと、ついに堪忍袋の緒が切れたのか、口ひげ男が私たちの間に割って入った。

「黙って聞いていれば、調子に乗りやがって!」

 次の瞬間、口ひげ男のパンチが景のみぞおちにめりこんだ。

「がっ……ゲホッ」
「離してください!」

 堪らず咳き込んだ景を見て、渾身の力でロンゲの手を払い除ける。景の隣に駆け寄って、彼の背中を必死に擦った。

「景! 景! 大丈夫?」
「ははッ。……また、名前呼びになってる」
「そうだけど……、そんなの今は気にしてる場合じゃないでしょ」
「本格的に痛い目見ないと、わかんないみたいだな!」

 完全に逆上した口ひげ男が景の胸倉を掴み上げるのとほぼ同時に、ロンゲ男が怯えた声を出した。

「お、おい、やべーぞ」

 遠くからかすかに響いてきたのはサイレンの音。どうやら、パトカーがこちらに向かっているようだ。

「クッソ!!」

 凄んでいた口ひげもロンゲも、パトカーの音を聞くと、即座に景を解放して脱兎のごとく逃げ出した。

「おせーよ、お巡りさん……。もうちょっと早く頼むわー」

 殴られたお腹を両手で抑え、景が背中を丸めて蹲る。

「もしかして、月輪君が呼んでくれたの?」

 痛みが強いのか、脂汗が浮かんでいる彼の額を、ハンカチで拭いながらそう訊ねた。

「まあね。そんくらいの予防線張ってなかったら、ヘタレの俺が、あそこまで強気に出られるわけないでしょ」

 顔を上げ、自虐的に笑ってみせる彼。

「一発でノックアウトとか、最高にカッコ悪かったでしょ?」

 ううん。そんなことないよ。

「今のはちょっとだけ、カッコよかったぞ」
「うっそ、マジで?」
「ちょっとだけ、ね」
「なんだよそれ、ひでーな。せっかく頑張ったのに」

 それから彼、少しだけ考え込む仕草を見せた。私も景の隣にじゃがんで座る。

「なんかさ。今日の霧島。いつもと感じがちょっと違う」
「え、そ、そう?」
「うん。なんて言うんだろう。大人っぽいっていうか、包み込まれてる感じがする。抱擁力っていうのかな? そんな感じの安心感」
「な、何それ。気のせいだよ」

 お母さんみたい、と笑う声を、適当にはぐらかしておいた。中身は二十一歳だから、なんて口が裂けても言えるはずがない。

「ねえ」
「ん?」
「いつから見てたの? ……その、男たちに絡まれているとき」
「ああ。お前が考え事をしながら、バス停を通過して行った辺りから」
「え、そんなに前から?」

 ということは、私が男たちとぶつかるよりもずっと前から、景は私を見ていたことになる。

「うん。心ここにあらずって感じだったから、気になっちゃってな」

 この段階においては、景と私はそんな関係じゃない。それなのに、心の底から心配しているみたいな顔をするから、意図せず顔が火照ってくる。
 なんなんだろう、これ。私は、蓮とやり直したいのに。やり直したい、のかな……。

「ごめんね……私のせいで」
「なあに、いいってことよ。本音を言うと、やっぱり怖かったけどな」
「そうだよね」
「それにさ、どうせ謝るんだったら、俺じゃなくてアイツに謝ってやれ」
「アイツ……?」

 言いながら、罪悪感で胸がちくちくと痛んだ。わかってる。確認なんてしなくても。誰に謝れという意味なのか、なんてことは。

「俺がさっき怒ったのはさ、霧島のそういう所なんだよ。お前は自分のことしか見えていない」
「うん……」
「と言えたら、どんなに良かったことか」
「え……?」

 手のひらを返したような台詞に、驚いて景の顔を見た。本心を見透かしたような彼の眼差しが胸に痛い。

「今だってそうだ。霧島さ、自分が本当にしたいことすら見えていない気がする。自分の気持ちとちゃんと向き合わないと、そういうのは癖になるぞ。卒業までまだ一年あるから間に合うって楽観しているのかもしんないけど……」

 自分の気持ちを大事にする、景らしい台詞だった。彼は一度そこで言葉を切った。

「今、森川の気持ちに寄り添わなかったら、この先、絶対後悔する時くるよ?」

 ドキっとした。今一番後ろめたく思っていることを、真向から指摘された。
 私と菫の関係を景が把握していた、というのも意外なのだが、確かに彼の言う通り。一年どころか、あの事故が起こるまであと一ヶ月しかない。
 菫に謝るチャンス。それだけしかないんだ。

「森川がさ、なんか思いつめた顔で空を見上げてんの、最近見たことあるんだ」
「菫が?」
「そう。んで、気になって調べたら、お前がいるグループから森川はじき出されてんじゃん。何があったのか、なんて、余計な詮索をするつもりはない。でも森川は、お前と壁ができたことを悲しんでいるんじゃないの? お前、森川のこと嫌いなの?」
「違う。……そんなことない」

 あるはずがない。同時に、彼女にそんな顔をさせているのが、自分の冷たい対応なんだってこともわかった。

「だよな。だったら、やることあるでしょ。環境を変えたければ、先ずは自分から」
「うん。そうだねわかってる。なんかごめんね」

 これでも一応、学校で訊かれた時よりしっかり言葉にできたと思う。景は「ふ」と軽めに笑んで、「だ・か・ら、謝る相手は俺じゃない」と私の頭をぽんぽんと叩いた。
 それはいつかの日、彼が私を慰めてくれた時の仕草とよく似ていた。学校で失敗をして、教頭先生に散々叱責されたあの日、景は私の隣に座って、私の気が済むまで黙って愚痴を聞いてくれた。鈍感で、嘘つきで、私が怒りだすまでなかなか察してくれないけれど、気がついたらちゃんと向き合ってくれる。そういう意外な優しさが彼にはあった。

「なあ、霧島」
「うん、なに?」
「いや、なんでもね」

 言いかけて、そのまま彼はお茶を濁した。パトカーのサイレンの音が、だんだん大きくなっていた。

   ※

 あの話にはもう少し続きがあった。
 美登里と坂本君の交際がスタートしてからまもなくのころ。美登里が登校してくるなり、通学鞄を乱暴に机の上に置いた。
「どうしたの美登里」と顔色をうかがいながら声をかけると、「聞いてよ七瀬」と彼女は頬を膨らませた。

「坂本の奴さ、私の他に好きな子、いたんだって」

 浮気? それとも二股? なんて思いながら、私は言葉に詰まる。

「そんでそれ、菫のことなんだってよ」

 ばくん、と心臓が大きく跳ね上がった。

「まさか! そんなわけないよ。だって菫は……」
「菫が、どうかしたの?」
「あ、いや。なんでもない」

 私はもちろん、菫が言い出すはずもない。どうしてそのことを美登里が知っているんだろう。

「だからさ、坂本に問いただしたんだよ。菫に告白したらしいけど、どうだったのよって?」
「告白!?」
「さっきからなに?」
「ごめん。なんでもない」
「よく目が合うからさ、俺のこと好きなのかなーって思って告白したらフラれたって。ヘラヘラ笑いながら言いやがったんだ、アイツ。坂本も坂本だけどさあ、私がアイツのこと好きなの知っててなんで色目使うかな? チョームカつくんだけど。そう思わない?」

『好きな人はいるか?』と確認されただけで、菫は告白なんてされてない。坂本君の伝え方が悪いのか美登里がちゃんと聞いてないかは定かじゃないが、話に齟齬が生じていた。

「そ、そうだね。でも、色目なんて使ってないと思うんだけど」
「じゃあ、何? 私が女の魅力で菫に負けているとでも?」
「ははは、まさか」

 菫に負けている、という事実を突きつけられたことで美登里は苛立っているのだから、流石にここで首を縦には振れない。それ以降も、「泥棒猫」「ぶりっ子」と菫を罵るばかりで彼女は全く聞く耳を持たない。

「でも、よくわかったね。その、坂本君が菫を好きだったって話」

 話の流れ的に、彼が自分から言い出したとは感じられなかった。いったいどこから情報が漏れたのか。

「ああ、悦子にさ、写メ見せてもらったんだ。二人が密会している現場の」

 最悪だ。私の他にも目撃者がいたのか。しかもそれがえっちゃんだなんて。
 本当は、『菫は他校に好きな人がいるから、色目なんて使わない』と弁護するべきだったろう。でも、なんとなく言えなかった。余計なことを言って、怒りの矛先が自分に向くのが怖かったし、蓮の名前を出すことで、いよいよ自分の恋が叶わなくなるような気がしていたから。
 女子たちの間には目に見えない階級がある。とにかく目立つ人間が発言力を持つ。翌日から、美登里とえっちゃんによる、菫への悪口が始まった。イジメ、というほどではないかもしれない。だが、男に色目を使っている。ウザい。といった空気が女子たちの間に蔓延していくと、他の女子たちも菫を無視し始めた。
 カーストトップの人間が作った空気には、なかなか逆らえないのだ。誰しも。
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