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第三章「嘘つきな私のニューゲーム」
【この選択肢は間違えられない。どうする? 私】
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中学一年から二年にかけての間、菫とは同じクラスだった。
私とは逆の意味 (つまり、本来正しい意味)での中学デビューを果たしていた彼女。中一の夏から髪を伸ばし、肩口で揃えたふわっとしたショートボブに。お洒落なヘアピンで前髪を留めた親友の姿は、女の私から見ても可愛らしいものだった。
大人しい性格も、どうにか変えようと奮闘していた。趣味だった読書の時間を減らし、代わりにドラマやバラエティー番組に精通し、恋の歌を幾つも聴いた。
進学校である櫻野学園は、元来、真面目で目立たない子が多い。(女子力を下げる方向に振っていたとは言え)目立つ外見の私と、素材の良さが引き立ち始めた菫は、はっきり言って人目を惹いた。二年のクラス替え時に、一緒になったえっちゃんに見初められて、美登里がいるグループに招き入れられた。
菫は自己主張が強いタイプではないので、当初はグループの中でも上手くやっていた。だが、決して自分の意見を変えない芯の強さも同時にあるので、美登里やえっちゃんに同調することもおべっかを言うこともなかった。
そんな菫の性格を――そこに思い違いがあったとしても――美登里たちは唯我独尊と受け取ったらしい。段々、菫ウザいという空気が広がっていく。
私はというと、美登里らの顔を立てないといけない反面、菫とも仲が良いので正直居心地が悪かった。女の子って怖いな、と思い始めていた。
私が中立を貫くなか、イエスマンの夏美が二人の陰口に同調すると、次第に菫の居場所がなくなってしまう。
二ヶ月が過ぎ、暦が六月に移った辺りから、菫はグループに参加しなくなった。それでも私は、どっちつかずの態度を取り続けた。菫と仲良くする一方で、双方から『一緒に帰ろう』『一緒に遊ぼう』と誘いがあったときは、必ずえっちゃんらと行動した。
美登里たちの機嫌を損ねるのが怖かったし、小学生のときみたいに、女子たちの間で孤立するのを何よりも恐れていたから。
私が菫と距離を置くごとに、美登里と菫の関係も気まずさを強めてゆき、やがて──『あの日』がやってくる。
こうして思うと、私が菫に対して犯した罪は、思いのほか――深い。
※
職員室での用事は、夏休み期間中に開催される、臨海合宿絡みの配布物の受け取りだった。
臨海合宿。
海を身近に体験することを目的として、夏季休暇に入ってすぐのタイミングで、二泊三日の日程で行われる行事だ。松島周辺の臨海部に宿舎を設定し、二年生は全員強制参加である。
普段の学校生活の中では学べないことを、集団生活を通じて学ぼうというのがその主目的。日程、注意事項、用意するべき荷物など事細かに纏められた冊子やら半紙が人数分揃っていたため、両手で抱えないと運べないだけの荷物があった。
「重いなあ」
プリントの束を膝を上げて支えつつ、職寝室の引き戸に手をかけた。
手伝ってくれない担任教師に恨みの矛先が向きかけて、慌てて自分を戒める。むしろ、『私はこんな教師にはならないぞ』と、反面教師にしておこうと思う。
職員室を出て、再び不安定な姿勢で引き戸を閉めた直後、背中に誰かがぶつかった。
「きゃっ」
「わっ、ごめん」
私にぶつかった男子生徒は頭を軽く下げると、先を急いでいるのか、そのまま走り去って行った。
「なんなのよ」
悪いのは、廊下を走っていたそっちなのに、なんで一切手伝わないんだろう。
ぶつかった衝撃で床一面に散らばった配布物を見下ろし、恨み節がもれそうになる。
「はあ……最悪」
しょうがないな、と呟き拾い集めようとしゃがんだその時、「ホントだよな」という同調の声が背中から聞こえた。
突然の声に驚き肩越しに見ると、一人の男子生徒が傍らにしゃがんでプリントを拾い集めてた。
一七十センチほどありそうな長身。若干茶髪気味の短髪はつんつんと逆立ち、くっきりとした一重瞼。ワイシャツの裾が、だらしなくズボンから飛び出している。
七年前の世界だけど、誰なのかすぐにわかる。だって、私の人生において、もっとも長い時間を一緒に過ごしてきた同級生なのだから。
「うわっ……景!?」
そう、十四歳の月輪景だった。
「景?」
あからさまに、怪訝な目を向けられた。うわっ、しまった。普段の癖で、下の名前で呼んじゃった。
「じゃなくて、月輪君」
慌ててそう訂正する。
「ははッ。いや、なんかさ。いきなり下の名前で呼ぶもんだから、ビックリしちまったじゃん」
「あはは……なんかごめん。気が動転しちゃって思わず下の名前で呼んじゃった。馴れ馴れしかったよね?」
自分でも苦しい言い訳だなって思う。ところが彼、特に不思議がることもなく、「まあな」と言って口角をちょっと上げた。
景の奴、昔も今も変わらぬ浅慮っぷりだ。
「いや、いきなりゼロ距離まで踏み込んでくるもんだからさ、俺に気があるんですか? なんて自惚れちゃった」
「そんなわけない」
「だよな。霧島は優等生だもんな」
優等生、か。結局私は、そういうイメージになるんだろうな。何かと学業成績の良さとか容姿で判断されてきたから、それもなんとなくわかるんだけど。
自分としては『真面目だ』なんて認識はないから、正直いって後ろめたい。
「なあ、霧島」
「なに?」
「プリント半分寄こせ。持ってやんよ」
私の返事を聞くより先に、景はプリントの束を上から六割持っていった。半分とか言いながら、ちょいと多めに持っていくあたりが男の子って感じだ。
「あ、ありがと」
小声で、そう感謝を伝えた。
その意外な優しさも、自由奔放な言動も、いかにも彼らしいなと思ってしまう。景はいつもそうだった。何事にも寛容で、考え方も行動指針もとにかく自由。束縛されることを何よりも嫌う。
その反面、こうと決めたら梃子でも動かないし、自分の意見は大事にする人だった。お互い譲らないものだから、主張が強い私と何度もぶつかったものだった。
『だった』なんて、すっかり昔話みたいだ。
「こんだけの荷物、一人で取りに来たの?」
「え、そうだけど」
「お前の友だちとやらは、手伝ってくんないの?」
歩きながらそう訊ねてくる彼。結構、痛いところをついてくる。
「手伝ってくれるわけないよ。だって、たかがプリント運びだし」
「たかが? そう言って強がっているわりに、さっきばら撒いていていたのは誰だっけ?」
「そりゃあ……まあ、そうだけど」
正論なだけに、うまく言い返せない。「簡単な仕事だから」なんて、誤魔化してみせたけれど、美登里たちが手伝ってくれない本当の理由はもちろんそんなことじゃない。運ぶ荷物が多かろうが少なかろうが、どうせ彼女らは手伝ってくれない。
その程度には、私たちの関係は薄っぺらいってことだ。
「今もだけど、さっきはありがとね。手を貸してくれて助かった」
「別に。感謝されるようなことしてねーし。俺はたまたま通りがかっただけで、あれはどう考えても、ぶつかったのに手伝いもせず逃げていく奴が悪いんだし」
鋭い目を、廊下の先にじっと向ける景。
「うん、そうだね。さっきは凄い腹が立った。でもさ、月輪君がそう言ってくれるなら、なんかすっきりしたというか、溜飲が下がったよ」
すると景が突然立ち止まる。鋭い彼の眼光は、今度はこちらに向いていた。
「そういうの、もっと不満に思ってもいいんじゃないの?」
「え?」
「さっきのこともそうだけど、俺が霧島の友だちだったら、絶対手伝いにくるよ。荷物が多いか少ないかわかんないとしてもさ、友だちなら普通一緒に来るでしょ」
「ん。そうかな」
考えてみた。今日の日直がもし菫だったとして、彼女が一人で職員室に向かおうとしたら……。そうだね。私なら同行するかも。
「うん、そうかもしれないね。でも」
美登里やえっちゃんだって、いいところはちゃんとあるよ。そう言おうとした。
「もっと友だち、選んだほうがいいんじゃないの? そうやって色々曖昧にして、自分の気持ちをはっきり言わないから、友だちとの付き合いも薄っぺらくなるんだろ」
「……」
今まさに、自分が抱えている葛藤を見透かされた気がした。これには返す言葉を失ってしまう。
確かに美登里は言うことがキツい。外面だけを着飾るえっちゃんにもほとほと呆れている。でも、内面が醜いのは私だって同じだ。むしろそれ以上だ。だからこそ、不満も言いたいことも飲み干して、波風立たないように過ごしていた。
「今、彼女らの話は関係ないでしょ」
自分たちの関係がその程度なんだと指摘されたら否定はできない。けれど、簡単に手放してしまうべきではない、とも思う。女は、女に厳しい。一度関係が壊れてしまったら、修復するのは容易じゃない。大勢の中で独りぼっちになるのがどんなに恐ろしいか、私は身を持って体感している。
「そうかもな。でも、お前の友だちごっこがくだらないのは、本当だろ?」
「そんな言い方しないでよ。確かにそこまで仲良くないけど……」
言いかけて口を噤んだ。
そら見ろ、という顔を景がする。ほんとに見透かされてる。景ってこんなに鋭かったっけ? 二十一歳の彼の姿とオーバーラップして、一瞬だけドキリとする。
「それが元で、森川とも気まずくなってるんでしょ? 親友だったんじゃないの?」
「それは……」
一番痛いところを指摘されて声が震えた。
心臓が今までにないほどの速さで伸縮し、息苦しくなってしまう。この先、美登里やえっちゃんとの関係は高校時代の半ばまで続く。親友ではないものの、一応友だちと呼べるくらいには。それなのに今はもう、どこで何をしているのかいっさい知らない。
「わかってるよ」という場を取り繕う私の台詞で会話は途切れた。
友だちごっこという言葉に傷ついた私の心が、彼女らと菫と、どっちを優先すべきなのかの答えだ。そんなことはわかっている。わかってはいるが、具体的に何がしたいのか。何をしなければならないのか。方針は見えていない。
いまいち踏ん切りのつかない優柔不断な私は、まったくもって当時のままだった。
結局、行く場所はカラオケになった。メンバーは、私と美登里とえっちゃんに、美登里の彼氏である坂本君を加えた四人だ。
坂本君は野球部のレギュラーである。「部活は大丈夫なの?」と訊ねてみたら、「さぼりだ」と彼は軽く答えた。
世の中には、野球を続けたくても続けられない境遇にいる人だっているのに (そういう子、たくさん見てきた)、随分気楽なもんだな、と呆れてしまう。言ったところで、躊躇なくさぼりをしている彼が、良心の呵責に苛まれることもないだろうから言わずにおくが。
「ねえ、七瀬ちゃん。これからちょっと寄りたいところがあるんだけど、時間あるかな?」
帰りのホームルームが済んで帰り支度をしていると、菫が話しかけてきた。
「あーごめん……。これから、美登里たちとカラオケに行く予定なんだ」
美登里とえっちゃんの冷たい視線を感じながら、こっそりとそう告げる。
そっか、じゃあしょうがないね、と露骨に表情を曇らせた菫だが、取り直したように明るい表情でこう付け加えた。
「あのね、七瀬ちゃん」
「うん?」
「ひとつだけ、相談があるんだけど」
菫がしてきた懇願は、『三嶋君のメールアドレスをこっそり聞き出して欲しい』というものだった。
ああ、そうか。このタイミングでくるのかと、この世界に来て初めて聞く蓮の名前に、軽くうろたえてしまう。
それはさておき、考えなくてはいけない。この瞬間の為に、戻ってきたようなものなのだから。
端的に言って、選択肢はいくつかある。
ちゃんとしたアドレスを聞き出して、蓮と菫の関係を後押しするか否か。
私も蓮を好きなんだ、と正直に告白するか否か。
この選択肢は誤れない。さて、どうしようか、私?
私とは逆の意味 (つまり、本来正しい意味)での中学デビューを果たしていた彼女。中一の夏から髪を伸ばし、肩口で揃えたふわっとしたショートボブに。お洒落なヘアピンで前髪を留めた親友の姿は、女の私から見ても可愛らしいものだった。
大人しい性格も、どうにか変えようと奮闘していた。趣味だった読書の時間を減らし、代わりにドラマやバラエティー番組に精通し、恋の歌を幾つも聴いた。
進学校である櫻野学園は、元来、真面目で目立たない子が多い。(女子力を下げる方向に振っていたとは言え)目立つ外見の私と、素材の良さが引き立ち始めた菫は、はっきり言って人目を惹いた。二年のクラス替え時に、一緒になったえっちゃんに見初められて、美登里がいるグループに招き入れられた。
菫は自己主張が強いタイプではないので、当初はグループの中でも上手くやっていた。だが、決して自分の意見を変えない芯の強さも同時にあるので、美登里やえっちゃんに同調することもおべっかを言うこともなかった。
そんな菫の性格を――そこに思い違いがあったとしても――美登里たちは唯我独尊と受け取ったらしい。段々、菫ウザいという空気が広がっていく。
私はというと、美登里らの顔を立てないといけない反面、菫とも仲が良いので正直居心地が悪かった。女の子って怖いな、と思い始めていた。
私が中立を貫くなか、イエスマンの夏美が二人の陰口に同調すると、次第に菫の居場所がなくなってしまう。
二ヶ月が過ぎ、暦が六月に移った辺りから、菫はグループに参加しなくなった。それでも私は、どっちつかずの態度を取り続けた。菫と仲良くする一方で、双方から『一緒に帰ろう』『一緒に遊ぼう』と誘いがあったときは、必ずえっちゃんらと行動した。
美登里たちの機嫌を損ねるのが怖かったし、小学生のときみたいに、女子たちの間で孤立するのを何よりも恐れていたから。
私が菫と距離を置くごとに、美登里と菫の関係も気まずさを強めてゆき、やがて──『あの日』がやってくる。
こうして思うと、私が菫に対して犯した罪は、思いのほか――深い。
※
職員室での用事は、夏休み期間中に開催される、臨海合宿絡みの配布物の受け取りだった。
臨海合宿。
海を身近に体験することを目的として、夏季休暇に入ってすぐのタイミングで、二泊三日の日程で行われる行事だ。松島周辺の臨海部に宿舎を設定し、二年生は全員強制参加である。
普段の学校生活の中では学べないことを、集団生活を通じて学ぼうというのがその主目的。日程、注意事項、用意するべき荷物など事細かに纏められた冊子やら半紙が人数分揃っていたため、両手で抱えないと運べないだけの荷物があった。
「重いなあ」
プリントの束を膝を上げて支えつつ、職寝室の引き戸に手をかけた。
手伝ってくれない担任教師に恨みの矛先が向きかけて、慌てて自分を戒める。むしろ、『私はこんな教師にはならないぞ』と、反面教師にしておこうと思う。
職員室を出て、再び不安定な姿勢で引き戸を閉めた直後、背中に誰かがぶつかった。
「きゃっ」
「わっ、ごめん」
私にぶつかった男子生徒は頭を軽く下げると、先を急いでいるのか、そのまま走り去って行った。
「なんなのよ」
悪いのは、廊下を走っていたそっちなのに、なんで一切手伝わないんだろう。
ぶつかった衝撃で床一面に散らばった配布物を見下ろし、恨み節がもれそうになる。
「はあ……最悪」
しょうがないな、と呟き拾い集めようとしゃがんだその時、「ホントだよな」という同調の声が背中から聞こえた。
突然の声に驚き肩越しに見ると、一人の男子生徒が傍らにしゃがんでプリントを拾い集めてた。
一七十センチほどありそうな長身。若干茶髪気味の短髪はつんつんと逆立ち、くっきりとした一重瞼。ワイシャツの裾が、だらしなくズボンから飛び出している。
七年前の世界だけど、誰なのかすぐにわかる。だって、私の人生において、もっとも長い時間を一緒に過ごしてきた同級生なのだから。
「うわっ……景!?」
そう、十四歳の月輪景だった。
「景?」
あからさまに、怪訝な目を向けられた。うわっ、しまった。普段の癖で、下の名前で呼んじゃった。
「じゃなくて、月輪君」
慌ててそう訂正する。
「ははッ。いや、なんかさ。いきなり下の名前で呼ぶもんだから、ビックリしちまったじゃん」
「あはは……なんかごめん。気が動転しちゃって思わず下の名前で呼んじゃった。馴れ馴れしかったよね?」
自分でも苦しい言い訳だなって思う。ところが彼、特に不思議がることもなく、「まあな」と言って口角をちょっと上げた。
景の奴、昔も今も変わらぬ浅慮っぷりだ。
「いや、いきなりゼロ距離まで踏み込んでくるもんだからさ、俺に気があるんですか? なんて自惚れちゃった」
「そんなわけない」
「だよな。霧島は優等生だもんな」
優等生、か。結局私は、そういうイメージになるんだろうな。何かと学業成績の良さとか容姿で判断されてきたから、それもなんとなくわかるんだけど。
自分としては『真面目だ』なんて認識はないから、正直いって後ろめたい。
「なあ、霧島」
「なに?」
「プリント半分寄こせ。持ってやんよ」
私の返事を聞くより先に、景はプリントの束を上から六割持っていった。半分とか言いながら、ちょいと多めに持っていくあたりが男の子って感じだ。
「あ、ありがと」
小声で、そう感謝を伝えた。
その意外な優しさも、自由奔放な言動も、いかにも彼らしいなと思ってしまう。景はいつもそうだった。何事にも寛容で、考え方も行動指針もとにかく自由。束縛されることを何よりも嫌う。
その反面、こうと決めたら梃子でも動かないし、自分の意見は大事にする人だった。お互い譲らないものだから、主張が強い私と何度もぶつかったものだった。
『だった』なんて、すっかり昔話みたいだ。
「こんだけの荷物、一人で取りに来たの?」
「え、そうだけど」
「お前の友だちとやらは、手伝ってくんないの?」
歩きながらそう訊ねてくる彼。結構、痛いところをついてくる。
「手伝ってくれるわけないよ。だって、たかがプリント運びだし」
「たかが? そう言って強がっているわりに、さっきばら撒いていていたのは誰だっけ?」
「そりゃあ……まあ、そうだけど」
正論なだけに、うまく言い返せない。「簡単な仕事だから」なんて、誤魔化してみせたけれど、美登里たちが手伝ってくれない本当の理由はもちろんそんなことじゃない。運ぶ荷物が多かろうが少なかろうが、どうせ彼女らは手伝ってくれない。
その程度には、私たちの関係は薄っぺらいってことだ。
「今もだけど、さっきはありがとね。手を貸してくれて助かった」
「別に。感謝されるようなことしてねーし。俺はたまたま通りがかっただけで、あれはどう考えても、ぶつかったのに手伝いもせず逃げていく奴が悪いんだし」
鋭い目を、廊下の先にじっと向ける景。
「うん、そうだね。さっきは凄い腹が立った。でもさ、月輪君がそう言ってくれるなら、なんかすっきりしたというか、溜飲が下がったよ」
すると景が突然立ち止まる。鋭い彼の眼光は、今度はこちらに向いていた。
「そういうの、もっと不満に思ってもいいんじゃないの?」
「え?」
「さっきのこともそうだけど、俺が霧島の友だちだったら、絶対手伝いにくるよ。荷物が多いか少ないかわかんないとしてもさ、友だちなら普通一緒に来るでしょ」
「ん。そうかな」
考えてみた。今日の日直がもし菫だったとして、彼女が一人で職員室に向かおうとしたら……。そうだね。私なら同行するかも。
「うん、そうかもしれないね。でも」
美登里やえっちゃんだって、いいところはちゃんとあるよ。そう言おうとした。
「もっと友だち、選んだほうがいいんじゃないの? そうやって色々曖昧にして、自分の気持ちをはっきり言わないから、友だちとの付き合いも薄っぺらくなるんだろ」
「……」
今まさに、自分が抱えている葛藤を見透かされた気がした。これには返す言葉を失ってしまう。
確かに美登里は言うことがキツい。外面だけを着飾るえっちゃんにもほとほと呆れている。でも、内面が醜いのは私だって同じだ。むしろそれ以上だ。だからこそ、不満も言いたいことも飲み干して、波風立たないように過ごしていた。
「今、彼女らの話は関係ないでしょ」
自分たちの関係がその程度なんだと指摘されたら否定はできない。けれど、簡単に手放してしまうべきではない、とも思う。女は、女に厳しい。一度関係が壊れてしまったら、修復するのは容易じゃない。大勢の中で独りぼっちになるのがどんなに恐ろしいか、私は身を持って体感している。
「そうかもな。でも、お前の友だちごっこがくだらないのは、本当だろ?」
「そんな言い方しないでよ。確かにそこまで仲良くないけど……」
言いかけて口を噤んだ。
そら見ろ、という顔を景がする。ほんとに見透かされてる。景ってこんなに鋭かったっけ? 二十一歳の彼の姿とオーバーラップして、一瞬だけドキリとする。
「それが元で、森川とも気まずくなってるんでしょ? 親友だったんじゃないの?」
「それは……」
一番痛いところを指摘されて声が震えた。
心臓が今までにないほどの速さで伸縮し、息苦しくなってしまう。この先、美登里やえっちゃんとの関係は高校時代の半ばまで続く。親友ではないものの、一応友だちと呼べるくらいには。それなのに今はもう、どこで何をしているのかいっさい知らない。
「わかってるよ」という場を取り繕う私の台詞で会話は途切れた。
友だちごっこという言葉に傷ついた私の心が、彼女らと菫と、どっちを優先すべきなのかの答えだ。そんなことはわかっている。わかってはいるが、具体的に何がしたいのか。何をしなければならないのか。方針は見えていない。
いまいち踏ん切りのつかない優柔不断な私は、まったくもって当時のままだった。
結局、行く場所はカラオケになった。メンバーは、私と美登里とえっちゃんに、美登里の彼氏である坂本君を加えた四人だ。
坂本君は野球部のレギュラーである。「部活は大丈夫なの?」と訊ねてみたら、「さぼりだ」と彼は軽く答えた。
世の中には、野球を続けたくても続けられない境遇にいる人だっているのに (そういう子、たくさん見てきた)、随分気楽なもんだな、と呆れてしまう。言ったところで、躊躇なくさぼりをしている彼が、良心の呵責に苛まれることもないだろうから言わずにおくが。
「ねえ、七瀬ちゃん。これからちょっと寄りたいところがあるんだけど、時間あるかな?」
帰りのホームルームが済んで帰り支度をしていると、菫が話しかけてきた。
「あーごめん……。これから、美登里たちとカラオケに行く予定なんだ」
美登里とえっちゃんの冷たい視線を感じながら、こっそりとそう告げる。
そっか、じゃあしょうがないね、と露骨に表情を曇らせた菫だが、取り直したように明るい表情でこう付け加えた。
「あのね、七瀬ちゃん」
「うん?」
「ひとつだけ、相談があるんだけど」
菫がしてきた懇願は、『三嶋君のメールアドレスをこっそり聞き出して欲しい』というものだった。
ああ、そうか。このタイミングでくるのかと、この世界に来て初めて聞く蓮の名前に、軽くうろたえてしまう。
それはさておき、考えなくてはいけない。この瞬間の為に、戻ってきたようなものなのだから。
端的に言って、選択肢はいくつかある。
ちゃんとしたアドレスを聞き出して、蓮と菫の関係を後押しするか否か。
私も蓮を好きなんだ、と正直に告白するか否か。
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