嘘つきな私のニューゲーム~自分を偽ってきた彼と、親友を欺いた彼女の物語~

木立 花音

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第二章「霧島七瀬」

【拝啓、霧島七瀬様】

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『拝啓、霧島七瀬様』

「ふふ……」

 便箋を開いて最初に目に飛び込んできた文字に、思わず笑みが零れた。
 小学生らしくない、背伸びした書き出し文。自意識過剰で。自尊心が強くて。自分がいかに優秀な人間なのかを自覚していて、そのくせ、他人ひとの目はやたらと気にする。ちょっとしたことで劣等感や嫉妬を募らせ、大人びた容姿とは裏腹に、心の中は年相応に脆かった私。
 そういった本質部分は見抜かれまいと、上辺だけを着飾って見せていた私らしいやと、少々苦い顔になってしまう。

   ※

  わたしの夢は、教師になることです。

  十年後だと、二十歳ですね。もう立派な大人ですよね。
  いま、元気にしていますか? 何をしていますか?
  教師になる夢は、叶いましたでしょうか?
  もしも、まだ叶っていないのであれば、絶対にまだ遅くはありません。今からでも一生懸命努力をして、教師になれるよう頑張ってください。
  今の私が抱えている心の痛みと、同様の痛みを抱えている子どもたちを、光明が見える場所まで導くことができるような、教師になってください。
  敬意をこめて、霧島先生とみんなから呼ばれるような、立派な大人になってください。

   ※

 十年前の自分からの手紙は、拍子抜けするほどに短い文面で締めくくられていた。
 内容は、大概上から目線だ。自分は成功するものと信じて疑わない、生意気な女の子の姿が、瞼の裏に浮かんでくるようだ。
 ──まあ、自分のことなんだけれどね。
 外見で評価されたり、色眼鏡で見られることを誰よりも嫌っているくせに、目に見えるかたちで評価されたり、好意を向けられることを誰よりも望んでいた。
 承認欲求を拗らせた、矛盾の塊みたいな女の子。
 それが私……霧島七瀬の本当の姿だった。
 有数の進学校である櫻野学園を卒業したあと、東京の短期大学へ進学。在学中に小学校教諭二種免許を取得し、今年の春から地元の小学校への赴任が決まった。
 夢を諦めてしまった者や、いまだ夢を見据えて、絶望に打ちひしがれながらも藻掻いている者。多くの同級生たちが、当時掲げていた夢に破れ、あるいは妥協して無難な人生を選んでいくなか、私は考えられうる最短の道のりで夢を叶えた。
 ……それなのに。
 夢を叶えたはずの私は、達成感も高揚感もさして抱いてはいなかった。

「桜の木の下には死体が埋まっている」

 明治時代の小説家、梶井基次郎の短編小説『櫻の樹の下には』の冒頭の一説が、口から零れ落ちた。
 眉目秀麗びもくしゅうれい
 容姿端麗ようしたんれい
 才色兼備さいしょくけんび
 様々な褒め言葉をもって、幼少期より私は持て囃されてきた。自分でも、目鼻立ちが整ってることは理解している。だが──『桜の木の下には死体が埋まっている』の言葉通り、美しいものには棘がある、という評価こそが、むしろ私に相応しいのでは? と思う。

 私はかつて、自分の親友を殺しかけたことがある。
 私の足元には、犠牲になった親友の人生が。彼女が築くはずだった幸福が埋まっているんだ。
 そんな、病に侵された木である私に、美しい花を咲かせる資格なんてあるのだろうか? 他人を導く資格などあるだろうか。
 ずっと感じ続けていた疑問が、今また浮かび上がってくる。
 上から目線の手紙の文面が、瘡蓋かさぶたになりかけていた心の傷を鋭く抉っていた。

   ※

「……というわけで、この物語は他人を思いやることの大切さを、教えてくれているのです」

 小学校の道徳の授業。黒板に文字を書き入れながら説明をする。
「思いやりの精神を、忘れないで下さいね。わかりましたか?」と子どもたちに問いかけると、純朴な瞳をみな一様にこちらに向けて、「はーい」と挙手をしてくれた。
 純真無垢な笑顔に釣られて笑ったものの、次第に口元が引きつって苦い笑みになる。
 昨日の記憶すら曖昧な私が、『忘れないでくださいね』とか、なかなかにギャグだわ。

 酒は飲んでも飲まれるな、とは昔からよく聞いたものだが、自分があそこまで酒に飲まれるとは想定外だった。
 先日の同窓会が終わったのち、私は同級生の何人かと集まって、飲み会を二度ほどしていた。『酒は百薬の長』という言葉があるように、適度に飲む酒は問題ないどころか薬にもなり得るが、過剰に飲んで泥酔してしまうと、毒になるとともに身を滅ぼす原因にもなり得る。
 今朝、目が覚めると、最初に視界に飛び込んできたのは、見たことのない木目の天井と、知らない色の壁紙だった。
 上下とも下着のみというあられもない姿で他人のベッドで寝ていた自分に驚愕して跳ね起きると、かつて委員長だった男子の同級生が、毛布に包まり床で寝ていた。
 この状況、どう考えても事後! シちゃったあとにしか見えない! と軽く眩暈を覚えるなか、起き出してきた彼に聞いてすべてを把握した。

「霧島は俺と同じであまり酒が強くないんだからさ、何か口に入れてから飲んだ方が良いと思う」
「──はい、仰る通りです」

 酎ハイを二杯飲んだだけで、酔いが回って上機嫌になった私。よせばいいのに彼を誘って近場のカクテルバーに移動。すっかり酔いつぶれた私は、千鳥足で彼の部屋に押しかけ、「暑い」と騒ぎながら自分で服を脱いでそのまま眠ったらしい。
 自分のことなのに、『らしい』という感想になるのが控え目に言って最悪。

「霧島さあ。あんまり男に期待させるような態度、しない方が良いと思う」

 これには盛大に噴きだした。
 期待させるような態度!?
 私、そんなことしたの?
 私、どんなことしたの?
 ああ、穴があったら入りたい。いっそこのまま、記憶をなくしたい。既に一部、無くしてるけど。
 その後、素早く着替えを済ませて彼のアパートを出ると、一度だけ自分のアパートに立ち寄った。同棲相手の景はまだ寝ているようだったので、起こさず身支度だけを済ませてそのままの足で学校に向かった。
 学校に着いてすぐ、「二日酔いですか?」と同僚の女性教諭に見抜かれてしまう。同時期に赴任してきた彼女は私と仲がよく、私が酒に弱いことも熟知している。

「あはは、お恥ずかしいかぎりです」

 これは到底誤魔化しきれないと、正直に暴露しておいた。二日酔いだけならば、どんなに良かったことか。

「教頭先生には内緒にしておきますから。霧島先生」

 そう言って女性教諭は、悪戯っぽく笑って見せた。
 ──霧島先生、と呼ばれることにも、最近ようやく慣れてきた。
 教師という職に憧れを抱いてから十年。
 教師になる夢を現実のものにしてから半年と少し。
 教員として、母校である港北小学校に勤務している私は、現在、主に国語と道徳の授業を担当している。
 教える立場になるとよくわかるのだが、小学生の思考というのは実に単純であると同時に純粋だ。
 純粋であるからこそ、配慮のない一言が言葉のメスとなって、相手の心を傷つけてしまうこともある。
 子どもだから、傷ついてもすぐ忘れるだろう、などと考えるのは早計だ。彼らは同時に、一人の人間なのだから。
 大人と同じように様々なことで悩み、衝突し、また、恋だってする。多感な時期だからこそ、他人を思いやる事の大切さを説いていかないと、些細なことから思わぬ対立を生み、虐めにまで発展してしまう。
 そういった観点からみても、道徳の授業は非常に重要なのだ。
 だが、それだけに思い悩んでしまう。


「皆さんも自分の人生を価値あるものに変えるため、常に相手の気持ちに寄り添って、考えるようにしましょう」

 チャイムの音とともに、今日の授業を締めくくった。
 人生の価値、か。自分で説いておきながら、心中でひっそり苦笑い。真夏のお日様のように無邪気な子どもたちの笑みを見ていると、いつも私は辛くなる。
 私に、道徳の授業を受け持つ資格なんて、あるのだろうか、と。神の前で懺悔をしなければならない、穢れた身の私なのに、と。
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