嘘つきな私のニューゲーム~自分を偽ってきた彼と、親友を欺いた彼女の物語~

木立 花音

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第一章「三嶋蓮」

【七年越しの、納涼花火大会】

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 翌日の天候は晴れ。ところが、澄み渡った空とは対照的に、俺の心はいまいち晴れない。
 昨日から、天気予報ばかりが気になってしょうがなかった。彼女と会えたのは、すべて雨天の日だった。もし五日に雨が降っていなかったら、彼女の姿は見えないんじゃないのかと。
 ちなみに、当日の天気予報は曇り時々雨。
 ……激しく微妙。

 迎えた五日。夏たけなわ、と言わんばかりに空はカラっと晴れ上がった。
 昨晩から今朝方にかけて多少雨が降ったものの、北上していた台風のコースが逸れたせいで、天気予報が完全に外れた格好だ。目まぐるしく変化する空は、夏の終わりを感じさせる。天気同様、俺の心も目まぐるしく回る。
 本当に、森川は待っているんだろうか、と。
 やがて日は西に傾き、雑居ビルの陰に半分隠れた。オレンジ色の光がビルの切れ目からまっすぐ伸びて、家々の屋根とアスファルトを赤く染めた。
 この場所から海は見えないが、きっと水面も壮麗な茜色に染まっているのだろう。
 大学の講義を終えたあと、いったん自宅に戻ると、ロングティーシャツとチノパンツに着替えてから家を出る。セットした髪を乱そうとする風は、やや湿気を帯びているようだ。
 待ち合わせ場所であるバス停留所が視界に入ると、彼女は今日もまっすぐ正面だけを見据え、佇んでいた。
 上から下まで隙なく着飾っている、なんてこともなく、いつもと同じセーラー服姿。──まあ、幽霊 (仮)なんだからな。着替えをするという概念が、そもそもないのだろう。
 彼女の姿が『見えた』ことに、まずは安堵といったところ。

「待った?」
「いいえ、いま来たところですよ」

 声をかけると、彼女は湿気を飛ばすみたいにからりと笑んだ。柔らかい夕日が頬に差し、色白の肌を朱に染め上げた。
 いま来たところ、か。
 そんなはずは、ないんだけどな。はたして彼女は、いつからこうして待っていたのか、正直俺にはわからない。それは、途方もなく長い時間に感じられたのかもしれないし、あるいは、夢から覚めたときのように、一瞬の出来事だったのかもしれない。願わくば、そうであってほしいのだが。どう感じられていたとしても、森川にとって辛くて長い七年間だったのは確かだろう。
 俺の胸が、また少し痛んだ。

「なあ、森川」
「私、森川じゃないですよ?」と彼女が悪戯っぽく笑う。「芳田です。よ・し・だ・す・み・れ」
「ああ、そうだったね。でも……今日だけ君のことを、森川と呼んでも良いだろうか?」

 すると彼女、驚いたように、数回瞳を瞬かせた。

「ええ、構いませんよ。それになんだか、そっちのほうが自然な気がします。──なんででしょう?」

 自然か。確かにそうかもな。
 俺が知っているのは十四歳の森川だけだし、彼女も七年前の姿なのだから、むしろ自然なのかもしれない。
 それにしてもその反応。やはり『この森川』は、十四歳当時の記憶しか持ってなさそうだ。理由は、わからないが。
 時計を確認すると、十八時だった。七年前の待ち合わせと同時刻。
 やがて定刻通りにやって来たバスに乗ると、二人で並んで席を取った。二十分程揺られて、目的地であるバス停に到着する。
「お金なら俺が纏めて払ってやる」と森川に告げて、二人分の料金を支払ってバスを降りた。「さすが、大人の余裕ですねー」とからかうように言ったあと、「生意気でしたね。すいません」と彼女が肩をすくめた。
 まあ実際、大人だしな。
 支払い金額を見て、料金が多いぞとでも言いたげに、運転手が怪訝な顔を向けてくる。そうかやっぱり、彼女の姿は見えていないんだ。

 納涼花火大会は、毎年八月の五日に開催される。
 場所は西公園のすぐそばにある河川敷。バスを降りてあたりを見ると、すでに多くの人出があった。
 カラフルな浴衣を着たカップルや、家族連れなんかが三々五々やって来る。人が多いことにたじろいだのか、森川が身を寄せてきた。どちらからともなく、俺たちは手を繋いだ。
 森川の手。少し冷たい気がする。
 目を離した瞬間に、ふっと消えてしまうんじゃないかと不安になって、少々強めに彼女の手を握りしめた。
 堤防の上に立ち河川敷を見下ろすと、身を寄せ合い、肩をぶつけるようにして蠢く人の波が見えた。
 河川敷の両脇には様々な夜店が立ち並び、その殆どに長蛇の列ができていた。うへえ、人多いなあ、とたまらず辟易してしまう。

「花火が、というか、お祭り自体が久しぶりだわ……」

 実際、その通りだった。出費がかさむ交際の仕方を、極力俺は避けてきたから。

「私もです……。人混みは正直言って苦手なんですけど、夜店を回るのは楽しみですね」

 何を買おうかなあ……と呟き、森川が指を折って希望を並べる。

「やっぱり定番は焼きそばでしょうか。あとはクレープにチョコバナナにりんご飴」

「食い物ばっかりだな」と笑うと、「だって、お腹空いたんですもん」と彼女が答える。
 幽霊 (?)でも、お腹って空くものなのか? こいつは新事実だな。

「他にはあれだろ。体に悪そうな色のトロピカルジュースを飲まなくちゃ。なんていうんだっけ、あれ?」
「ブルーハワイですか?」
「そう、それ」
「かき氷の定番フレーバーですね。初めて見たとき、謎めいた商品名と、鮮烈な青に衝撃を受けた記憶があります。あれって結局、何味なんですかね?」
「そりゃあお前、ほんのりと甘い……パイナップル? レモン? なんかよくわかんねえな。ブルーハワイ味でいいだろ」
「適当ですね」

 自慢じゃないけどな、と笑いながら、じゃあ行こうか、と彼女をいざなった。
 暗いので足元に気を付けるよう促して、河川敷の堤防を下って行く。傾斜が次第にきつくなって人の姿も増えてくると、森川はごく自然に俺の腕にしがみついた。二の腕で感じた柔らかい感触に、心臓がどきりと飛び跳ねる。あんまり動揺させないでくれよ、森川……。
 一番下まで到達したところで、ドーンという大きな炸裂音が頭上から響いた。短い悲鳴を森川があげて、しがみついている手に更なる力がこもった。花火の打ち上げが始まったようだ。炸裂音のたびに周囲が明るくなって、彼女の横顔が、何度か薄闇のなか浮かび上がった。

「あそこに並ぼうよ」

 彼女に腕を引かれて視線を向けると、ジャンボ焼き鳥の屋台があった。客の回転が早いのか、他の店と比べると、並んでいる人の数が少なそう。
「お金、持ってる?」と訊いてみると、「持ってますよ。馬鹿にしないで下さい」と言いながら彼女はスカートのポケットを弄りはじめた。「……あれ?」
 戸惑っている様子を見て、幽霊に財布の有無を聞くだけ野暮だったな、と苦笑した。

「いいよ。俺が奢ってやるから」
「すいません……」と彼女が殊勝に頭を下げた。

 焼き鳥は、わりと早く買うことができた。
 その後も次々と夜店に並び、たこ焼きと綿あめとクレープを買った。お化けでも普通に食べられるんだな、と妙な感心を覚え、人波を避けるようにして脇に退けると二人で立ち食いをした。
 金魚すくいの屋台に向かって二人分の料金を支払うと、店の主人が不思議そうな顔をした。
 やっぱり、森川の姿は見えていない……。
 俺は金魚すくいのコツを彼女に伝授しながら、ポイを水面に沿って走らせる。
「あ、あれ……?」ところが、あっと言う間に穴が空いた。「うん。悪くはないんですが、ちょっとだけ惜しいですかね」彼女が薄い胸をむん、と張る。

「そうなの?」
「はい。まず、ポイの進入角度ですかね。斜め45度くらいが望ましいです」
「ほほう」
「あと、ポイをなるべく濡らさないようにと考えがちですが、最初に薄く濡らした方がいいです。濡れた場所と乾いた場所の境目が、一番破れやすくなりますからね、っとそんなわけで!」

 まくし立てるようにそう述べたのち、「理屈ばっかりで、実はまったく得意じゃないんですが」と言いながら金魚を追いかけていた森川のポイが、早速一匹すくいあげる。

「マジかよ! 意外な才能」

 結局、俺は一匹も取れず、森川は三匹ゲットした。なんだろう、この敗北感。幽霊になると体が軽くなって、運動神経までよくなるんだろうか?
 袋に入れてもらった金魚をじっと眺めて、森川はすっかり上機嫌。そんな楽し気な様子に、少しほっとした。
 ずっと心待ちにしていた祭りなんだ。存分に満喫して欲しいというのが、俺の願いだった。彼女が抱えている未練は、俺が解消してやるんだ。
 色とりどりの花火が絶え間なく上がる夜空を見つめ、俺は隣の彼女に話しかける。

「なあ、森川。君と俺は、七年前にも、この花火大会に来る約束をしていたんだ」

 会場に設置されたスピーカーから流れ出る祭囃子の音が、一瞬ひずんだ。
    
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