嘘つきな私のニューゲーム~自分を偽ってきた彼と、親友を欺いた彼女の物語~

木立 花音

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第一章「三嶋蓮」

【拝啓、三嶋蓮様】

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「西公園──か」

 自室のベッドの上に、仰向けになって寝ころんだ。
 あの少女の自宅は、たぶん西公園の近くにあるんだろう。だとするならば、森川がいま住んでいる家とは全く場所が異なっているし、二人の間に接点はない。他人の空似なんだ。
 そんなことはわかっているのに、ここ数日、心が波立って落ち着かない。
 理由は分かっている。あの中学生の立ち居姿が、森川菫と重なって見えるせいだ。

「くそっ」

 忘れかけていた心の傷をえぐりやがって、と布団に突っ伏した。
 もしかしたら。
 もしかしたら彼女は、森川の妹かなんかじゃなかろうか? そうだとしたら、森川に似ている事にも合点がいく。
 だが、とすぐに考え直した。彼女に兄弟姉妹なんていない。何年も前の惚れた腫れたを思い出すようで酷だが、俺だって当時、彼女に関する様々な情報を仕入れていたんだ。森川が一人っ子だったことも、友人の少ない女の子だったことも知っている。
 霧島だったら――彼女が今何をしているのか、心得ているのだろうか?
 そこまで考えが及んだところで、女々しい自分に苦笑い。
 俺は森川菫にフラれた人間だろう? 何を未練がましいことを考えているのか。第一、彼女と再会できたとして、なんの話をするつもりなんだ?
 ──約束をしたあの日。どうして来なかったんだ?
 ──俺は元気にやってます。たくさんの女の子と交際して、エッチもしました。
 アホらしい。こんな報告を今更したところでなんになる。そもそも会おうと思えば、森川の家に行くチャンスは何度かあったんだ。彼女が引っ越す前の住所を、俺は知っていたんだから。でもそうしなかったのは――つまりそういうことだろう?
 失恋をしたという事実を確かめるのが怖くて、会いに行けなかったんだ。
 こんなこと……訊けるはずなんてない。
 派手に女遊びをしてこそいるが、こんなのは、大学に入ってから作り上げた偽りの姿。本当は、優柔不断で心配性な、矮小な男でしかないんだ。メッキが剥がれ始めた自分に、心底嫌気がさしてくる。

「美帆には悪いことしたな……」

 明日にでも謝っておこう。そう考え直して上半身を起こしたとき、不意に思い出した。霧島と言えば……成人式のあとで掘り起こした手紙の中身、まだ読んでなかったな。
 美術関連の書籍が乱雑に積み上げられたデスクの隅に、その封筒はぽつんと置かれていた。
 椅子に腰かけ封筒を開けた。『三嶋れんさま』と書かれた封筒の中から出てきたのは、一枚の黄色い便箋だ。
 黄色は森川が好きな色だった。まったく覚えていないのだが、俺はわざわざこの色を選んだのだろうか?

『黄色って、暖かい色だよね』

 森川の声が、ふわっと蘇り頭の中で弾けた。
 なんなんだよ、これ?
 目蓋の奥が、じんわりとした熱をおびるのを意識しながら、俺は便箋を開いた。

   ※

  三嶋れんさま。
  おげんきですか? 十年後は二十歳になっているそうです。二十歳なんて凄いですね。もう大人ですね。
  どんな大人になっていますか? 僕には全然、想像できません。
  今でも、絵はかいていますか?
  中学に進んだら僕は、美術部に入ります。大きくなったら、大学でも美術を習いたいです。絵を描くことを仕事にしたいんです。その夢は叶いましたか?
  まだだったら、夢を叶えるために頑張ってください。

 ──頑張れだって? 勝手なこと言いやがって。絵を仕事にするのが、どれだけ現実味が薄くて大変なことなのか、分かってないんだろう?
 大学の講義すらサボり気味になっている自分を思うと、チクチクと胸が痛んだ。

  森川すみれちゃんのことを覚えていますか?
  僕は彼女のことが好きです。
  彼女は、中学では別の学校に行くと聞きました。だからそれまでに、自分の気持ちを伝えられたらな、と考えてます。
  でも、僕の気持ちに応えてくれるのか、自信がありません。もし、まだ告白できていなかったら、もう一度彼女のことを思い出してください。そして、まだ好きだったなら、気持ちだけでも伝えてください。

  森川の好きな色は黄色です。
  森川の欲しいものは、優しいお兄さんだそうです。
  僕はまだ子供だから彼女のお兄さんにはなれませんが、あなたは大人だからきっと大丈夫です。
  彼女の、優しいお兄さんになってあげてください。

   ※

 手紙を読み終えたとき、胸の奥からじわりと湧き上がってくる感情があった。行き場のなくて、心の奥底に閉じ込めておいたその感情は、穢れを知らぬ純水のようにあまりにも無垢で、今の俺にはとても直視できない。
 やめてくれよ。
 そんなこと、思い出させないでくれ――。

「バカじゃねーの?」

 俺が大人になった時は、森川だって大人になっているんだよ。いつまで経っても、俺は、彼女のお兄さんになんかなれねーんだよ。
 優しいお兄さんどころか。
 恋人どころか。
 知り合いですらねーんだよ。
 今の自分の醜さは、自分が一番よく知っている。
 あの日約束を破った森川が悪いのか。彼女の期待に応えてやれる男じゃなかった俺が悪いのか。
 そんなことは、今となってはどうでも良い。
 森川菫のことを純粋に愛して、恋焦がれていた無垢な少年はもうどこにもいない。
 ここにいるのは、女の子を性欲の捌け口としてしか見ていない、醜い男なんだ──。

 翌日、美帆と一緒に学食で昼食を摂った。
 次の講義はお互いに空いてたので、適当に構内をブラついていた。
 歩きながら、美帆が腕を組んでくる。ちょっとウザい。昨日の俺の冷たい態度に怒ってるかと思ったが、大して気にもしてないようだ。
 そういうサバサバしているところは好きだが、すぐにひっついてくるところは正直面倒だ。切り替えが上手すぎるというか。

「三嶋君、今朝から様子が変だよ?」
「何が?」俺はだいたいいつも変だろ?
「心、此処にあらずって感じ」

 それも普段通りだ。

「別の女の子のこと考えてるでしょ?」

 ちょっと拗ねたような口調。エスパーかよ、確かに考えてた。俺の記憶の中では、永遠に十四歳のままの彼女のことだ。

「いつもなら直ぐに言い訳するのに、黙り込むとかいよいよ怪しい」

 ごめんな、と言いかけて、言葉が喉元で引っかかった。今の俺のキャラじゃない。

「私の他に付き合っている子、いるの?」

 そういえば美帆って、「好きな人がいるのか?」とは訊かない。

「俺が二股かけてたら怒る?」
「一応は」

 一応なのか、やっぱ適当だな。質問に質問で返す俺も、大概に卑怯者だが。俺らの関係ってやっぱり浅いな、と自覚しながら、さらに質問を重ねる。

「もしかしてだけど、昨日バス停で女の子と会ってるところ、見てた?」

 中学生とかロリコンかよ。こう言って、からかうように小突いてくるのを予想してた。ところが──。

「何の話?」
「いや、だから……昨日美帆と別れた後に、俺が向かったバス停での話」
「うん、バス停の方角に走って行ったのは見たよ。そのあとしばらく、その場所にいたのも」

『――ひとりで』

 ひとりで? お前は何を言ってるんだ?
 ひやりとした冷たいものが、お腹の底辺りからせり上がってくる。それは奇妙なほどにはっきりとした質感をともなって、胸の内を凍えさせた。
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