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序章
【桜の木の下には死体が埋まっている】
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初恋の思い出。あなたにはありますか?
もし、あるとしたなら、それはどんな色をした思い出ですか?
私の場合、差し詰めそれは、真っ黒なのかもしれない。
私が犯した罪と、嫉妬の感情で満ち満ちた、とても醜い──黒色。
※
長い影が、いくつも地面に伸びていた。
日はすでに山の稜線に半分ほど頭を隠し、強くなった西日が、連なっている家屋の屋根を壮麗な茜色に染めていた。
場所は、宮城県の仙台市。築年数を感じさせる古びた校舎の脇、グラウンドの一角に生えている桜の木の根本あたりに、十数人の男女が集まっていた。
「間違いなくここでいいんだよな? 霧島」と、当時クラス委員長だった男に訊ねられ、彼女──霧島七瀬は、「この木の真下であってるよ。先生から、メモも預かってるし」と、右手の紙片をひらひらさせてみせた。
彼らは、この小学校を九年前に卒業したかつての同級生たちである。
七月の暑い最中に行われた出席率五割ほどの同窓会を終えたあと、彼らがこの場所に集まっていた理由。それは、タイムカプセルを掘り出すためだった。
カプセルの中に入っているのは、『十年後の自分に向けて』というテーマで、小学生のころ彼らが書いた手紙。宛名は成人となった未来の自分……即ち、現在の彼らだ。
これは、彼らが小学四年生だったころの話。二分の一の成人式の中で、当時担任だった若い女性教師がこう言った。
『皆さんには、叶えたい夢がありますか?』と。
二分の一成人式。
成人の二分の一の年齢である十歳 (プレティーン)を迎えたことを記念して行われる行事である。小学校中学年の四年生を参加者として、校長先生や保護者代表による祝いの言葉。「二分の一成人証書」の授与、等々が行われ、十年後の自分に向けて手紙を書いた。将来なりたい職業について熱弁するかのごとく、各々願いを書き綴ったのを七瀬はよく覚えている。
「桜の木の下には、死体が埋まっているんだってよ」
スコップを持って掘り続けているクラス委員長に対して、皮肉めいた口調でそう言ったのは、三嶋蓮だ。
「掘り返している最中に、そんなこと言うなよな」
スコップを持つ手をいったん休め、クラス委員長が不満げにそう吐き捨てる。そんな彼の不満もどこ吹く風、「ははは」と蓮は愉快そうに笑った。
桜の木の下には死体が埋まっている。明治時代の小説家、梶井基次郎の短編小説『櫻の樹の下には』の冒頭の一文が元ネタである。
桜があれほど美しいのには何か理由がある、と桜の美しさに不安を感じた主人公が、死体という醜いものが樹の下に埋まっているだろうと想像することで、不安から解放される、という内容の小説だ。
でもなんだかその話、自分の境遇にしっくりくるな、と七瀬は思う。
彼のスコップが掘り返しているものは、かつてみんなが綴った夢や希望であると同時に、澱んだ色に染まった、醜い私の記憶でもあるのだから。
やがて、二十センチくらいまで穴の深さが拡大した頃、スコップが固いものを掘り当てる。
「あった」とか、「やった」という歓声が、周囲から口々に上がった。
「せーの」
委員長の彼と蓮が共同作業で土中から引っ張り上げたそれは、塩ビでできた球形の入れ物だ。実に分かり易い形のタイムカプセルだな、と七瀬は思う。
「金属の缶かなんかに入れた記憶があったんだけど、全然違ったねー」と、クラスメイトの女子の声。
「おもちゃの缶詰じゃねーんだから」と口元をゆがめて皮肉を言ったのは蓮。「金属の入れ物じゃ、すぐに錆びちまうじゃねーか」
長く伸びた前髪を煩わしそうにかき上げた蓮の姿に、しばらくみないうちに、随分雰囲気変わったのね、と思いながら、七瀬は掘り出した入れ物の側にしゃがむ。
表面に付着した泥を手で払うと、真っ白な球体の入れ物は目立った損傷もなさそうだった。
上下を手で抑えて捻ると、カプセルは難なくその口を開いた。
中から出てきたのは、様々な色をした封筒の束だ。各自、思い思いに封筒や便箋を持ち寄ったのだろう。あまりの統一感の無さに、思わず、ふ、と七瀬は口元を緩めた。
「手伝うよ」と手を差し伸べてきた蓮に「悪いね」と頭を下げて、取り出した封筒の束を、七瀬は二つの山に分けた。
裏に書いてある名前を確かめながら、手分けして封筒を手渡していく。
「佐藤さん」
「鈴木君」
「小笠原さん」
「三嶋蓮……っと、これは俺の分か。月輪……は、来てないんだよな?」
「……ああ、ごめん。景の分なら私が預かるよ」
「霧島と月輪って、同棲してるんだっけか」
封筒を彼女に手渡しながら、思い出したように蓮が言った。
「ああ……うん。そうだね。あいつ今日は用事があって、来られなかったんだ」
月輪の名前を口にしたそのとき、七瀬の表情が陰ったのを蓮は感じ取った。だが、すぐ明るい表情に戻って封筒を配り始めた彼女を見やり、これ以上突っ込んで聞くべきじゃないな、と判断した。
さっそく、封筒の中身を確認する者。
恥ずかしい文面を見せ合って、大きな声で笑い合う者。
到底見せられない黒歴史でもそこにあるのか、苦笑交じりに懐にしまい込む者。
様々な反応を見せる彼らを横目に配り終えると、二人の手元に十通ほどの封筒が残された。
そのうち一通の宛名は、『霧島七瀬』。こちらは当然、七瀬が自分のものとして確保した。
不在者の封筒を、彼らと仲の良い友人らに「あとで渡しておいて」と配り終えたのち、七瀬の手元に一通だけ残った。
最後の一通の宛名は、『森川菫』。
彼女はそれを誰にも見せることなく、そっとバッグの中にしまいこんだ。自分の封筒と、綺麗に重なるようにして。
こうして、滞りなくタイムカプセルの開封は終わった。
そう、これでいいんだ、と人知れず七瀬は呟いた。
ねえ、菫。あの日あなたは、何を思いながらバスに乗ったの? 私のこと、まだ恨んでる? そんなことを、胸中で考えながら。
二次会会場を目指して遠ざかっていく同級生たちの背中を、追いかける気にはイマイチなれなかった。
もし、あるとしたなら、それはどんな色をした思い出ですか?
私の場合、差し詰めそれは、真っ黒なのかもしれない。
私が犯した罪と、嫉妬の感情で満ち満ちた、とても醜い──黒色。
※
長い影が、いくつも地面に伸びていた。
日はすでに山の稜線に半分ほど頭を隠し、強くなった西日が、連なっている家屋の屋根を壮麗な茜色に染めていた。
場所は、宮城県の仙台市。築年数を感じさせる古びた校舎の脇、グラウンドの一角に生えている桜の木の根本あたりに、十数人の男女が集まっていた。
「間違いなくここでいいんだよな? 霧島」と、当時クラス委員長だった男に訊ねられ、彼女──霧島七瀬は、「この木の真下であってるよ。先生から、メモも預かってるし」と、右手の紙片をひらひらさせてみせた。
彼らは、この小学校を九年前に卒業したかつての同級生たちである。
七月の暑い最中に行われた出席率五割ほどの同窓会を終えたあと、彼らがこの場所に集まっていた理由。それは、タイムカプセルを掘り出すためだった。
カプセルの中に入っているのは、『十年後の自分に向けて』というテーマで、小学生のころ彼らが書いた手紙。宛名は成人となった未来の自分……即ち、現在の彼らだ。
これは、彼らが小学四年生だったころの話。二分の一の成人式の中で、当時担任だった若い女性教師がこう言った。
『皆さんには、叶えたい夢がありますか?』と。
二分の一成人式。
成人の二分の一の年齢である十歳 (プレティーン)を迎えたことを記念して行われる行事である。小学校中学年の四年生を参加者として、校長先生や保護者代表による祝いの言葉。「二分の一成人証書」の授与、等々が行われ、十年後の自分に向けて手紙を書いた。将来なりたい職業について熱弁するかのごとく、各々願いを書き綴ったのを七瀬はよく覚えている。
「桜の木の下には、死体が埋まっているんだってよ」
スコップを持って掘り続けているクラス委員長に対して、皮肉めいた口調でそう言ったのは、三嶋蓮だ。
「掘り返している最中に、そんなこと言うなよな」
スコップを持つ手をいったん休め、クラス委員長が不満げにそう吐き捨てる。そんな彼の不満もどこ吹く風、「ははは」と蓮は愉快そうに笑った。
桜の木の下には死体が埋まっている。明治時代の小説家、梶井基次郎の短編小説『櫻の樹の下には』の冒頭の一文が元ネタである。
桜があれほど美しいのには何か理由がある、と桜の美しさに不安を感じた主人公が、死体という醜いものが樹の下に埋まっているだろうと想像することで、不安から解放される、という内容の小説だ。
でもなんだかその話、自分の境遇にしっくりくるな、と七瀬は思う。
彼のスコップが掘り返しているものは、かつてみんなが綴った夢や希望であると同時に、澱んだ色に染まった、醜い私の記憶でもあるのだから。
やがて、二十センチくらいまで穴の深さが拡大した頃、スコップが固いものを掘り当てる。
「あった」とか、「やった」という歓声が、周囲から口々に上がった。
「せーの」
委員長の彼と蓮が共同作業で土中から引っ張り上げたそれは、塩ビでできた球形の入れ物だ。実に分かり易い形のタイムカプセルだな、と七瀬は思う。
「金属の缶かなんかに入れた記憶があったんだけど、全然違ったねー」と、クラスメイトの女子の声。
「おもちゃの缶詰じゃねーんだから」と口元をゆがめて皮肉を言ったのは蓮。「金属の入れ物じゃ、すぐに錆びちまうじゃねーか」
長く伸びた前髪を煩わしそうにかき上げた蓮の姿に、しばらくみないうちに、随分雰囲気変わったのね、と思いながら、七瀬は掘り出した入れ物の側にしゃがむ。
表面に付着した泥を手で払うと、真っ白な球体の入れ物は目立った損傷もなさそうだった。
上下を手で抑えて捻ると、カプセルは難なくその口を開いた。
中から出てきたのは、様々な色をした封筒の束だ。各自、思い思いに封筒や便箋を持ち寄ったのだろう。あまりの統一感の無さに、思わず、ふ、と七瀬は口元を緩めた。
「手伝うよ」と手を差し伸べてきた蓮に「悪いね」と頭を下げて、取り出した封筒の束を、七瀬は二つの山に分けた。
裏に書いてある名前を確かめながら、手分けして封筒を手渡していく。
「佐藤さん」
「鈴木君」
「小笠原さん」
「三嶋蓮……っと、これは俺の分か。月輪……は、来てないんだよな?」
「……ああ、ごめん。景の分なら私が預かるよ」
「霧島と月輪って、同棲してるんだっけか」
封筒を彼女に手渡しながら、思い出したように蓮が言った。
「ああ……うん。そうだね。あいつ今日は用事があって、来られなかったんだ」
月輪の名前を口にしたそのとき、七瀬の表情が陰ったのを蓮は感じ取った。だが、すぐ明るい表情に戻って封筒を配り始めた彼女を見やり、これ以上突っ込んで聞くべきじゃないな、と判断した。
さっそく、封筒の中身を確認する者。
恥ずかしい文面を見せ合って、大きな声で笑い合う者。
到底見せられない黒歴史でもそこにあるのか、苦笑交じりに懐にしまい込む者。
様々な反応を見せる彼らを横目に配り終えると、二人の手元に十通ほどの封筒が残された。
そのうち一通の宛名は、『霧島七瀬』。こちらは当然、七瀬が自分のものとして確保した。
不在者の封筒を、彼らと仲の良い友人らに「あとで渡しておいて」と配り終えたのち、七瀬の手元に一通だけ残った。
最後の一通の宛名は、『森川菫』。
彼女はそれを誰にも見せることなく、そっとバッグの中にしまいこんだ。自分の封筒と、綺麗に重なるようにして。
こうして、滞りなくタイムカプセルの開封は終わった。
そう、これでいいんだ、と人知れず七瀬は呟いた。
ねえ、菫。あの日あなたは、何を思いながらバスに乗ったの? 私のこと、まだ恨んでる? そんなことを、胸中で考えながら。
二次会会場を目指して遠ざかっていく同級生たちの背中を、追いかける気にはイマイチなれなかった。
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