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第四章「魔法書盗難事件」

【復讐の刃】

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 そのとき、低い声音が部屋の入口の方角からした。いつの間にか扉が開いていて、そこにモンテ導師が仁王立ちしていたのだ。
 文字通り、鬼のような形相をしている。
 部屋の様子を観察するのに夢中になっていて、少し時間をかけ過ぎたらしい。返す言葉を失っている私の隣で、エドがモンテ導師をキッと睨んだ。

「何をしているはこっちの台詞だ。床に描かれているこの円陣は、魔族を召喚するためのものですよね?」

 ふん、とモンテ導師が鼻で笑う。動じた素振りはなかった。

「いかにも。なんらかの物質を召喚するための魔法陣だ。そして、ここは実験棟だ。どこもおかしくはないだろう? それが魔族を呼び出すためのものだという証拠はない。違うか?」
「あくまでも白を切るつもりですか。なら、これはなんですか?」

 机の上にあった禁断の魔法書をエドが突き付ける。それでもモンテ導師は動揺するどころか、残念そうに首を振っただけだった。

「……そうか。やはりさっきのやつらとお前らはグルだったんだな……」

 シェルドとプレアは、最大限時間を稼いでくれたに違いない。こうなってしまったのは、ひとえにもたもたしていた私たちの責任だ。
 それでも、導師との会話を長引かせられなかったことを悔みながら、二人はこの部屋を見上げているのだろう。助けてほしいと思うが、中の様子がわからない以上、彼らとて迂闊には踏み込めない。踏み込んでからなんの証拠もなかったら、自分らの立場を悪くするだけなのだから。

「なんのことですか? 私とエドは、独自の判断でここに来ました。仲間なんていませんよ?」

 ひとまず、こう言っておく。万が一があったとき、悪者扱いをされるのは私たちだけで十分だ。

「まあ、どっちでもいいがな。リアンダー君は聞き分けのいい男だったが、弟のほうはそうではなかったようだな」
「どういう意味ですか?」

 導師の言い分に、エドがピクリと眉を動かした。

「リアンダーの奴を、導師にと推薦したのは私なのだ。知っていたか?」
「……聞いたことはあります。ですが、それはそれ、これはこれです」
「リアンダーは、今後も自分と弟が問題なくカレッジで暮らしていけることを条件に、私の研究に協力することを申し出たのだ。いや、少し違うか。研究の責任者に自分がなると、立候補してくれたのだ」
「なっ……!」

 これにはエドが絶句した。
 つまり、リアンダー先生は『なんの研究をしているか知らずに協力していた』わけではなく、『知っていて黙認した』ことになる。もしこの提案を拒否したなら、エドになんらかの危害が及ぶ……。そんなやり取りがモンテ導師との間であったのだ。
 それゆえ、先生は黙秘を続けている。もしなんらかの事故があった場合、自分が全責任を取るとの覚悟があって。

「だが、秘密を知られてしまった以上、お前らをこのまま返すわけにはいかないなあ。……リアンダーのした覚悟も、無駄になってしまったな」

 まずいと感じて窓枠に手をかけたとき、カチャリと耳障りな金属音がした。ガタガタと窓をゆすってもびくともしない。

「『魔法錠』ね……?」
「その通り。君らの魔力で、私のかけた『魔法錠』の魔法を解除できるかな? おとなしく本を寄越せ。そうすれば、命だけは助けてやるぞ」
「それでほいほいと返したら、あなたの思うつぼじゃないですか……?」
「なあ、レイチェル。お前、この魔法の鍵を解除できるか?」

 エドがひそめた声で言った。

「さあて、どうかしら……」
「できるのか? できないのか?」

 エドの口調には焦りが含まれていた。
 他人が行使した魔法を解除するためには、使い手の魔力量を上回る魔力をぶつければいい。私の魔力は決して低いほうではないと思うが、導師クラスの相手の魔力量を上回れるかと問われたなら、首をかしげざるを得ない。
 やってはみるが、それは最後の切り札だ。

「だけど、黙秘を続けている人間を、簡単に犯人だと断定できるもの?」
「できるさ。あと二日ほどで、リアンダーの黙秘は終わるだろうからな。……そういう取り決めになっているんだよ」
「取り決めだと? 語るに落ちるとはこのことだな」

 リアンダー先生だけではなく、査察部の人間も何人か買収しているかもしれないなと思った。

「なんとでも言え。エド。お前が余計な詮索をしてくれたせいで、リアンダーがした覚悟も無駄骨となってしまったな」
「くそ……」

 今後も自分と弟が問題なくカレッジで暮らしていけることを条件に、とさっき導師はそう言った。要するに、リアンダー先生が自白して罪が確定したあとで、情状酌量の余地があると証言をしたり、そうなったあとでエドに風評被害が及ばないよう、口添える準備があるということだ。
 そんなもの、詭弁だとは思うが。
 このまま、導師の思い通りにさせるわけにはいかない。なんとしても、魔法書を持ち出さなければ。

「どうして、魔族を呼び出そうなどと思ったのですか?」

 体内で少しずつ魔力を増強していく。時間を稼ぐために、こちらから質問をした。

「今から五年間のことだ。感染症がこの街で流行して、多くの死者が出たのを覚えているか?」
「……? 覚えています。空気感染をする細菌がばら撒かれたのが原因だとかで、何人も死者が出ましたから。しばらく外出を控えるよう国から通達が出ていて、とても不便をしました」

 高熱、頭痛、腰痛などの症状があって、重篤な呼吸不全によって、最悪の場合は死に至るという病だった。感染症なので治癒魔術も効果がなく、当時大きな騒ぎになったものだ。
 細菌を国外から持ち込んだとされる者は逮捕され、また治療薬が開発されたことで現在は根絶されたといわれている。
 リアンダー先生の師である、ディケ・ルーイスが亡くなったのも、この病だった。

「このとき、カレッジの生徒の中にも数人の死者が出た。カレッジの中で、感染があったとかでな」
「そうなんですか……? その話は初耳です」
「だが、真相はそうじゃない。授業で行われていた実験の中で事故があって、その事故で発生したガスによる中毒症状でその生徒らは亡くなったんだ。そちらが真実だ」
「……待ってください。それじゃまったく話が違うじゃないですか!」
「その通り。まったく違う話だ。カレッジの中で起きた不祥事をもみ消すために、カレッジの導師たちと査察部とが口裏合わせをして、感染症による死亡だったと発表したのだ。……そして、死んだ生徒の中に、私の娘もいた」
「……そんなことって……」
「あったんだよ。理不尽な理由で娘の命を奪われた親の気持ちが、お前らにわかるか?」

 この発表に、納得できなかった父兄はもちろんいた。だが、どれだけ問い合わせても、カレッジ側が発表の内容を変えることはなかった。モンテ導師は導師の席にいたわけなので、事故があったことも、正しい発表がカレッジの側からなされなかったことにも当然気付いた。
 それでも、泣き寝入りをするしかなかった。真相を暴けば自分は追放されてしまうから。

「今ならばわかる。あのとき弱腰になった自分は愚かしいと。……娘を救えなかった無力感を、私は一生忘れないだろう。私は、あいつらのことを決して忘れない」

 五年前なら、今の学園長に変わる前の話だ。カレッジの内部がどうだったのかは知らないが、あってはならないことだと思った。

「……それで、復讐のために魔族を呼び出そうとしていたのか?」

 エドが苦虫をかみ潰したような顔をする。

「復讐? そんなものではない。ただ……娘の無念を晴らしたいだけだ。そのための、最適な手段を見つけたのだ」
「最適な手段?」
「魔族の中には、どんな願いでも叶えてくれるものがいるのだ。もちろん、その魔族をきちんと使役できたら、の話だがな」
「そんな話……聞いたことない」

 いや……願い事を歪曲して解釈し、願った当人が望まない形で叶える、とか、願いを三つ叶えることができるが、運命を曲げようとする者には災厄をもたらすとか、とかくいわくつきの逸話はいくつか聞いたことがある。
 何をするつもりか知らないが、そんなうまい話があるわけがない。

「その魔族を使役するために必要だったのが、その魔法書だったというわけですね?」
「そうだ。一度目の実験で呼び出した下級の魔族をすでに壺の中に封印してある。次はそいつを生贄にして、本命の魔族を呼び出す番なのだ」
「黙って聞いていりゃあいけしゃあしゃあと。そんなにうまくいくわけがないだろう!」
「追いついて、エド。あんまり導師を刺激しちゃダメ……」
「けど、どうすんだよ……」
「ふはは。おとなしく私に従え。そうすれば、命だけは助けてやるぞ」
「命乞いなんて、誰がするもんですか!」

 モンテ導師の無念はわからないでもない。とはいえ、そのために罪のない人間が巻き添えになってたまるか。

「エド。これから『魔法錠』の解呪を試みる。うまくいったら、外に飛び出すよ」
「わかった」

 魔法書は私が持っている。魔族を封印するための壺をふたつエドが背負い袋に入れた。これらがあれば、証拠としては十分なはずだ。

「じゃあ、いくよ! 『解呪』!」
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