穢れた、記憶の消去者

木立 花音

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最終章「七月七日夜七時」

第二話【葉子からの遺書(2)】

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「妹? 柚乃が葉子の妹……?」
 ――開いた口が塞がらないとは、こんなときに使う比喩なのだろうか。
 これが事実なら、美優の双子の妹である柚乃が、葉子に似ているのはむしろ当然だ。

 私に、父親がいないのは話したよね?
 私の両親が離婚したのは、私が小学一年生の頃だった。だいぶ前の話だから、残念ながら当時のことはほとんど覚えていない。
 母から聞いた話によると、父は仕事熱心な人だったらしい。じゃあ真面目なのかというとそんなことは全然なくて、酒癖と女癖がとにかく悪かった。毎日遅くまで飲み歩いては、他所の女のところに泊まって朝帰りをした。
 それでも、母は父に尽くしていた。食べてもらえるかわからない夕食を作り、それにラップをかけて冷蔵庫に仕舞い、翌朝、それをくずかごに捨てる。そんな毎日の繰り返し。
 父は、母のことを愛していると言っていたらしいけれど、そんなの、信じられないよね。
 やがて母の我慢が限界に達して、二人は離婚に至った。
 母はそれから疲れている顔をすることが多くなって、子どもながらに、私は父のことを恨んでいた。
 今どこで何をしているか母に聞いたことはないし、調べようともしなかった。
 顔は、おぼろげにしか覚えていないし、名前だって忘れた。もう二度と、父と私の人生が交わることはないだろうと、そう思っていたの。
 我妻研究室に配属されて、教授が私に頭を下げるまではね。
「本当にすまなかった」と教授が私に向かって謝罪したとき、私の頭の中に一枚の絵が浮かんだ。
 おぼろげに、しかし確実に記憶の中にあった父の姿が、目の前で頭を下げている人物と完全に一致したのよ。

 我妻教授こそが、幼い頃に別れた私の父だった。

 母と別れたそのあとも、教授――いや父は、方々を点々としていたんだって。その過程で、あるいはもっと前の話なのかもしれないけれど、隠し子ができていたらしいの。
 その女が子を産んだのは知っていたが、一度も顔合わせをしたことはないんだ、なんて悪びれもせず言って除ける始末。
 それを私に言う? と正直呆れてしまったよ。
 私だけが本当の娘だ、とでも言いたかったのかしらね。そういうの、今さら求めていないのに。
 ほんと、不器用で無責任な人。
 でも、本当に驚いたのは、その次にわかった事実かな。
 被験者たちの情報は、事細かに調査されて管理されていた。記憶消去方を使うことで、どんな影響が出るのか正確に推し量るためにね。
 その資料を眺めていたとき、私と、教授と、美優の血液型が全員一緒なのに気がついた。
 私と美優は、「姉妹なの?」とたびたびからかわれるくらいには容姿が似ていたので、このとき「まさか」と思ったの。
 そんなことはありえない、と思いながらも、私と美優のDNA型について調査してみた。
 そしたら……私と美優が、六割以上の確率で姉妹である可能性を示した。軽い気持ちで調べてみたらまさかの結果が出て、大いに戸惑った。
 こうなったら毒を食らわば皿までだ。教授のDNA型と血液を極秘に入手して、美優との血縁関係について調べてみたの。こちらは、九割以上の確率で親子であることを示した。
 冗談じゃない。私だってもうなりふり構ってはいられない。
 電話で、父に隠し子がいることを知っているかと母に訊ねてみたの。そしたら、驚きの答えが返ってきた。
 父が浮気をしていた相手の中に、母の友人が含まれていた。しかも、二人の間に隠し子がいることを認知しているのだと。
 これで全部がつながった。私と美優が異母姉妹であることがほぼ確定した。

 ――これには絶句してしまう。浮気相手が自分の友人だったときの気持ちとはどんなものなのだろう。

 タイミング的に、不倫してできた愛人の子になるらしくて、だからこそ、母も、父も、お互いに見て見ぬふりをしてきたのかもしれないけど。

 ここから葉子の懺悔が続いた。
 美優の人生を狂わせたのは、ある意味私たちなんじゃないのかと。
 もっと早く、父がどこにいるか調べておけば良かったと。
 もっと早く気づけていたら、美優のためにできることがあったんじゃないのかと。

 何もできなかった。美優が自殺するのを止められなかった。
 私は、実に無力だった。
 さらに調べていくと、美優には双子の妹がいることがわかった。
 本当は、今すぐにでもその子と連絡を取りたい。けれど、美優を見殺しにした私が、どの面下げて顔を合わせたら良いのか、と考えたら怖くなってしまった。
 彼女にしてみても、今さら最低な父親のことも、その家族のことも知りたくはないだろうし。
 それからずっと考えていた。今、私にできることはなんだろうと。
 とにもかくにも私がしなければならないことはひとつ。
 美優と同じような犠牲者をこれ以上出さないこと。
 良くない記憶は誰だって消したいもの。でも、たとえ記憶を消したとしても、過去にあった出来事までが消えるわけじゃないんだよね。過去としっかり向き合うことも、また同時に大切なことなんじゃないかと思うんだよね。小さな成功体験を一つひとつ積み重ねていけば、段々と自信が持てるようになって、辛い状況から抜け出すことだってできるはず。心の痛みを緩和させることが、きっと何よりも大切なんだよ。
 ろくな検証をせずに実用化したら、やっぱりダメだもんね。
 死の連鎖を止められるのは私しかいない。
 苦心してまとめたこの論文を、父に渡して今度こそ納得してもらう。そこで初めて、私は彼女たちに向き合うことができるのだから。
 ねえ、かっくん。もし、私がいなくなったら、あとはよろしくね。

   *

 、か。
 これで全部わかった。葉子が美優さんに固執していた理由も、我妻研究室から離れたそのわけも。
 研究室から距離をおくことで、秘密裏に記憶消去方の裏に潜んでいる闇の部分を精査していたんだ。
 この事実を誰にも相談せず、マルウェアを利用することで、七月七日にしかファイルを閲覧できない状況を作った。
 なぜ、そんな回りくどいことをする必要があったか?
 おそらく我妻研究室の中に、記憶消去方の実用化を止められると困る人間がいたのだろう。よくある話だ。その人物に自分の動きを察知された場合、自分に、あるいは俺にまで危険が及ぶことを危惧していたのだろう。
 だから、俺に何も言わなかった。それでも万が一のことを考えて、何かあったときは俺だけがファイルを見られる状況を準備した。

 ――自分が、いなくなってしまったあとのことを考えて。

 フォルダの中には、今読んでいるテキストファイルの他にもうひとつファイルがあった。
 おそらく、こちらが本命だ。
 いったい何が書いてあるのか――見るなら覚悟が必要だろう。
『Starfestival』は、七月七日の十九時に、特定の何かを強制起動させるマルウェアだ。
 これは俺の予測だ。葉子が死んだ一年前のあの日も、こうしてひとりでにパソコンが起動していたのだろう。しかし、警察に病院にと慌ただしくしていてしばらく部屋に戻れなかったため、その間に起動時間を終えて再び沈黙した。
 なんてことだ。もっと早く、この可能性を考慮するべきだった。
 だが、まだいくつかの謎が宙ぶらりんだ。
 記憶消去方を利用したにもかかわらず、俺になんの問題も起きていないのはなぜか? 我妻教授が死んだのは、本当に阿相のせいなのか?
 答えはきっと、もうひとつのファイルの中にある。
 ひとまずそのことは置いておき、文章の続きを読んでいく。
 読んでいくうちに涙が目を覆い始める。
 もう少しで読み終わるかというタイミングで、スマホに着信があった。見覚えのない番号が表示されている。
 涙を拭って電話に出た。
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