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第一章「仁平薫」
第五話【答え合わせを、しようじゃないか(2)】
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家に戻ると、柚乃の姿はどこにもなかった。帰りが遅くなると伝えてあったので、外食をしに出たのだろうか。確認しようにも、柚乃はスマホを持っていない。こんなとき、その事実が煩わしい。
夕食は、コンビニで買ってきたカップラーメンで済ませる。麺をすすりながらスマホを見ていると、浅野からの着信履歴があるのに気づいた。
「いつの間に」とすぐ電話をかけなおした。
「もしもし。悪い、着信に気づいてなかった」
『ああ。いや、別にいいんだ』
そこで浅野が、心もち声をひそめた。
『今そこに、柚乃ちゃんいるか?』
「いや、いないけど」
『そうか、ならちょうど良かった。実はな、柚乃ちゃんの正体がわかったんだ』
これには思わず失笑してしまう。
「奇遇だな。実のところ、俺も今ちょうどあいつの正体の目星が付いたところなんだ」
実に今さらの話だが、浅野は俺の部屋の真上、610号室に住んでいる。なので、早朝から掃除機をかけられたりすると、俺の部屋まで音が響いて寝ていられないことがある、それでも俺は不満を言わない。俺たちは、親友なのだから。
浅野の部屋に着くと、彼はリビングでパソコンと睨めっこをしていた。こちらを見て、開口一番こう言った。
「一から説明したほうがいいか? それとも、端的に答えを聞いてしまうか?」
「端的に頼む、と言いたいところだったが、少し風向きが変わった。まわりくどい説明で頼む」と俺は返した。
「了解した」と浅野は端的に答えた。
「柚乃ちゃんの正体について話す前に、言っておかなければならないことがある。おそらく、彼女は記憶を失ってなどいない」
「だろうな」
「そこまでわかっているのか……?」
「今さっきわかったんだ。そこに行き着いたからこそ、彼女の正体に目星が付いたわけで」
「なるほど?」
本音を言えば、こんなことは信じたくない。これが真実であるなら、これまでしてきた苦労がすべて水の泡になる。丹精こめて作った砂の城が、波に飲まれて無になったような気分だ。
「では最初に、お前に調査を依頼されていた神崎美優の情報についてだ。神崎美優。享年十八。生まれは千葉県市原市。葉子と同じ街に住んでいたことになる」
絨毯の上に正座して話を聞く。そうだよな。そうでなければ、このストーリーは成り立たない。
俺は無言で頷いた。
「あまり驚かないな? これも予想通りなのか」
「そうだな」
「ふむ。そこまでわかっていたなら、確かに柚乃ちゃんの正体に行き着くのはイージーかもな」
浅野の話はさらに続く。
「神崎美優は、お前もよく知っている通り、記憶消去方が実用化するにあたって、多大な功績をもたらした十人の被験者のうちの一人だ」
記憶消去方を実用化するにあたって問題となったのは、対象の記憶が、仕様に基づき適切に消されていることをどうやって確認するかと、発生しうるリスクの洗い出しと、リスクへの対処法をいかにして確立するかだった。
人の記憶は、記銘・保持・想起の三ステップを踏んで行われるとされており、大脳皮質に保存されている記憶は、感覚記憶、短期記憶、長期記憶と大まかにいって三つに分類される。しっかりとした検証を行うためには、対象がどういった記憶を保持しているのか、記憶の種別によって、消去したあとの挙動が違うのか、多角的にアプローチをする必要があった。検証には、多くのステップと時間を要した。
これらの検証作業を支えたのが、十人の被験者たちだった。
彼らの脳にアクセスをして、記憶を実際に消し、狙い通りの効果が得られているか、何か問題が起きていないかなどを、繰り返し検証したのだ。
「神崎美優は、幼くして両親を自宅の火事で亡くしているらしい」
「火事……」
神崎美優の親は焼死で、俺の記憶の中に出てくる少女の親もおそらくそう。
これは偶然なのか。それとも、このふたつはつながっているのか。柚乃の正体が俺の予測通りで、頭の中にあるこの記憶が柚乃のものだとしたら。
今している予測のすべてが一本につながる。
「そうだ」と言って浅野はポケットから煙草の箱を取り出した。一本抜き出し火を点けて、換気のため部屋の窓を少し開けた。肌寒い風が室内に滑り込んでくる。
「親を亡くしたあとで、一時母方の叔母に引き取られたらしいのだが、まともに食事を与えてもらえないなど虐体されていたらしい。そこで、児童養護施設に預けられることになった。そして――高校卒業後、彼女は記憶消去方の被験者になったわけだが、ある日突然自ら命を絶って、その短い生涯を閉じた」
波乱万丈な人生だと思った。児童養護施設育ちで、頼れる大人が周囲にいなくて、同時に、自分の母校の後輩。なぜ、葉子が神崎美優のことを特別に気にかけていたのか、なんとなくわかった気がした。
薫、という浅野の声で我に返る。そんなつもりはなかったが、しばし放心していたようだ。
「さて、答え合わせといこうじゃないか」と浅野が言った。
「そうだな」
そうして俺たちは、柚乃の本名を二人同時に言った。
答えは、一言一句違わず一致していた。浅野が満足そうに笑んだ。
「柚乃ちゃんの行動に気をつけろ。嘘をついてまで接近してくる人間には、大抵なんらかの裏があるものだ」
「浅野、お前もな」
ああ、と頷き合った俺らの声が、どこか白々しく響いた。
*
夕食は、コンビニで買ってきたカップラーメンで済ませる。麺をすすりながらスマホを見ていると、浅野からの着信履歴があるのに気づいた。
「いつの間に」とすぐ電話をかけなおした。
「もしもし。悪い、着信に気づいてなかった」
『ああ。いや、別にいいんだ』
そこで浅野が、心もち声をひそめた。
『今そこに、柚乃ちゃんいるか?』
「いや、いないけど」
『そうか、ならちょうど良かった。実はな、柚乃ちゃんの正体がわかったんだ』
これには思わず失笑してしまう。
「奇遇だな。実のところ、俺も今ちょうどあいつの正体の目星が付いたところなんだ」
実に今さらの話だが、浅野は俺の部屋の真上、610号室に住んでいる。なので、早朝から掃除機をかけられたりすると、俺の部屋まで音が響いて寝ていられないことがある、それでも俺は不満を言わない。俺たちは、親友なのだから。
浅野の部屋に着くと、彼はリビングでパソコンと睨めっこをしていた。こちらを見て、開口一番こう言った。
「一から説明したほうがいいか? それとも、端的に答えを聞いてしまうか?」
「端的に頼む、と言いたいところだったが、少し風向きが変わった。まわりくどい説明で頼む」と俺は返した。
「了解した」と浅野は端的に答えた。
「柚乃ちゃんの正体について話す前に、言っておかなければならないことがある。おそらく、彼女は記憶を失ってなどいない」
「だろうな」
「そこまでわかっているのか……?」
「今さっきわかったんだ。そこに行き着いたからこそ、彼女の正体に目星が付いたわけで」
「なるほど?」
本音を言えば、こんなことは信じたくない。これが真実であるなら、これまでしてきた苦労がすべて水の泡になる。丹精こめて作った砂の城が、波に飲まれて無になったような気分だ。
「では最初に、お前に調査を依頼されていた神崎美優の情報についてだ。神崎美優。享年十八。生まれは千葉県市原市。葉子と同じ街に住んでいたことになる」
絨毯の上に正座して話を聞く。そうだよな。そうでなければ、このストーリーは成り立たない。
俺は無言で頷いた。
「あまり驚かないな? これも予想通りなのか」
「そうだな」
「ふむ。そこまでわかっていたなら、確かに柚乃ちゃんの正体に行き着くのはイージーかもな」
浅野の話はさらに続く。
「神崎美優は、お前もよく知っている通り、記憶消去方が実用化するにあたって、多大な功績をもたらした十人の被験者のうちの一人だ」
記憶消去方を実用化するにあたって問題となったのは、対象の記憶が、仕様に基づき適切に消されていることをどうやって確認するかと、発生しうるリスクの洗い出しと、リスクへの対処法をいかにして確立するかだった。
人の記憶は、記銘・保持・想起の三ステップを踏んで行われるとされており、大脳皮質に保存されている記憶は、感覚記憶、短期記憶、長期記憶と大まかにいって三つに分類される。しっかりとした検証を行うためには、対象がどういった記憶を保持しているのか、記憶の種別によって、消去したあとの挙動が違うのか、多角的にアプローチをする必要があった。検証には、多くのステップと時間を要した。
これらの検証作業を支えたのが、十人の被験者たちだった。
彼らの脳にアクセスをして、記憶を実際に消し、狙い通りの効果が得られているか、何か問題が起きていないかなどを、繰り返し検証したのだ。
「神崎美優は、幼くして両親を自宅の火事で亡くしているらしい」
「火事……」
神崎美優の親は焼死で、俺の記憶の中に出てくる少女の親もおそらくそう。
これは偶然なのか。それとも、このふたつはつながっているのか。柚乃の正体が俺の予測通りで、頭の中にあるこの記憶が柚乃のものだとしたら。
今している予測のすべてが一本につながる。
「そうだ」と言って浅野はポケットから煙草の箱を取り出した。一本抜き出し火を点けて、換気のため部屋の窓を少し開けた。肌寒い風が室内に滑り込んでくる。
「親を亡くしたあとで、一時母方の叔母に引き取られたらしいのだが、まともに食事を与えてもらえないなど虐体されていたらしい。そこで、児童養護施設に預けられることになった。そして――高校卒業後、彼女は記憶消去方の被験者になったわけだが、ある日突然自ら命を絶って、その短い生涯を閉じた」
波乱万丈な人生だと思った。児童養護施設育ちで、頼れる大人が周囲にいなくて、同時に、自分の母校の後輩。なぜ、葉子が神崎美優のことを特別に気にかけていたのか、なんとなくわかった気がした。
薫、という浅野の声で我に返る。そんなつもりはなかったが、しばし放心していたようだ。
「さて、答え合わせといこうじゃないか」と浅野が言った。
「そうだな」
そうして俺たちは、柚乃の本名を二人同時に言った。
答えは、一言一句違わず一致していた。浅野が満足そうに笑んだ。
「柚乃ちゃんの行動に気をつけろ。嘘をついてまで接近してくる人間には、大抵なんらかの裏があるものだ」
「浅野、お前もな」
ああ、と頷き合った俺らの声が、どこか白々しく響いた。
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©2019 新菜いに
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