穢れた、記憶の消去者

木立 花音

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第一章「仁平薫」

第二話【記憶の中の記憶(1)】

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 その少女の記憶は、朝の光景から始まる。
 白のカットソーを着た姿が姿見に映る。ボトムは紫のショートパンツ。おろしたての衣装なのか、ご機嫌そうに少女がターンをしてみせる。映っているのは目元から下なので顔はわからない。細身で小柄なので小学生か中学生のように見えるが判然とはしない。母親に呼ばれたのか、「はーい」と快活な声を上げて少女は部屋を出ていく。
 ここでいったん記憶は途切れる。
 次に見えた映像は、全焼した二階建ての住居だ。柱と、外壁の一部しかなくなった住居跡を見つめ、少女は嗚咽を上げている。誰か身内が亡くなったのだろうか。隣に誰かがいる。その人物は少女の手をずっと握り締めてくれていて、それによって、少女の心はかすかな安らぎを覚えている――と、ここで映像が再び切り替わる。
 読経が流れている。場所は葬儀場のようだ。
 参列者が並んでいる列の、一番前に座っている少女に、「大丈夫?」と隣に座っているまた別の少女が声をかけてくる。快活そうな見た目のその少女の姿を視界にとらえ――。
 ここで俺の記憶、あるいは少女の夢は途切れて終わる。
 少女は誰なのか?
 全焼した家は彼女の自宅なのか?
 それはまったくわからない。
 わかっているのは、これが俺の頭の中に宿っているであるということ。
 これが、『記憶の癒着』と呼ばれている現象で、記憶消去方の利用者にのみ起こる現象であること。
 最後に見える二人目の少女が、どこか柚乃に似ているということだ。
 柚乃に似ているということは、すなわち葉子にも似ているということで。柚乃の過去を調べていくことで、あの日の葉子の気持ちがわかるんじゃないかと。
 そんな気が、したんだ。
 それが、俺が柚乃を保護した最後の理由だった。
 この記憶は柚乃の過去と関係しているのか。柚乃と出会ったことと、何か関係があるのか。
 すべては、謎のままだが。

 そして、目が覚めた。
 目覚めの悪い朝だ。
 久しぶりに嫌な夢を見たな、と夢の余韻にひたりながら、柚乃が寝ているであろう壁の向こうに目を向ける。カーテンの隙間から、真っ白な朝日が差し込んでいた。葉子が生きていたあの頃と、なにも変わらない朝日が。

   *

『記憶消去方』
 最先端の脳科学研究と、脳の神経細胞(ニュートロン)からの信号を、情報化し分析できるようになった電子通信技術とが融合して確立されたこの施療術は、サービス開始からわずか一年半で多くの施療実績を作るに至った。全国の主要都市に施療施設を展開し、現在も増え続けている。期待されていたメンタルケアの見地から効果のほどを推し量るにはまだ実績が不足しているが、望んだ記憶だけを消せるという効果の具体性もあって、利用者からの満足度は高い。今はまだ費用の高さがネックだが、医療保険の適用比率が変更されるとの噂もあり、もしそうなったなら、より一層この施療術が広まっていくであろうことは想像に難くない。
 このように、順風満帆なスタートを切った『記憶消去方』だが、初期段階ではさまざまな障害があった。
 消去された記憶が、その人物にとって良くないものだったとしても、他の誰か――たとえば、家族や恋人の視点から見ればかけがえのないものであるかもしれない。
 あるいは、『犯罪を犯した記憶』を、アリバイ工作のために消すなど悪用される可能性だってあるんじゃないか。そういった指摘は、早い段階からあった。医療保険がまだ適用になっていないのはそれが理由だ。
 開発側にとっても、反対意見が出るのは想定内だったのだろう。消去した記憶の扱いには細かい制約を設けていた。当該人物の死後五年先まで、管理・保管することを義務付けること。法的機関から情報開示請求があった際には、速やかに記憶データの提供を行うこと。記憶技工士といえども、消去した記憶を無断で解析してはならない、等々だ。
 万全な管理体制の甲斐が合って、現状、特に問題は起きていない。だが、今後の動向を注意深く見守る必要があるだろう、というのが記憶消去方を取り巻く周囲の状況だ。
 この施療術は、二人のメンタルエンジニアの手によって開発が進められてきた。
 一人は、東京医科大学の元教授我妻忠あがつまただし。もう一人は、メンタルエンジニアとして、一線で活躍していた第一人者、筧葉子。言うまでもなく、俺の元婚約者である。

   *

 今日は朝早くから、柚乃と二人で最寄りの警察署に向かう。彼女を身元不明人として、届け出るためだ。元よりそういう約束をしていたので、彼女は特に嫌がったりはしない。
 ただし、「着ていく服がないんだけど」と困った顔はされたが。

「確かに。その格好で行くのは普通にないな」

 貸し与えているスウェットの上下を着ている柚乃を見て、やぼったいな、と無責任に思う。
 着の身着のまま、無一文で転がり込んできた女だ。まともな服など持っているはずがないのだ。どうしてあそこまで軽装だったのか、と思わなくもないが、答えのでない疑問は置いておく。

「どうにかしてくださいよ」
「うーん」

 悩んだ末に、葉子の部屋から彼女の私服を拝借してくることにした。

「これでも着ておくといいさ」

 差し出したのは、白色のブラウスと膝上丈のスカートだ。「ありがとう」と受け取って、柚乃が着替えのためにリビングを出ていく。

「似合ってるかな? おかしくない?」

 ややあって、戻ってきた柚乃の姿を見て、一瞬、呼吸が止まってしまう。

「どうしたの?」
「いや、なんでもない」

 顔と雰囲気だけでも十分似ているというのに、服まで同じになってはいよいよ心臓に悪い。
 否が応でも、葉子のことを思い出してしまう。

   *

 さて。正直舐めていたかもしれない。渡せる情報なんてほとんどないし(実際なかった)、書ける項目だけを埋めて身元不明人として届け出たら、はいお終い、だと軽く考えていた。
 指名手配犯と特徴が一致していないか? 場合によっては、指紋や血液を本人同意のうえ採取することがあります。家出人捜索願い、失踪届の中に該当する人物がいないか? 記憶を喪失した原因を探るため、後日医療機関を受診してください。また、身元が判明しない場合、地方自治体が無戸籍者として保護するかもしれません。エトセトラ。
 通された、会議室のような場所で、婦人警官による説明が淡々と続く。
 説明が、「身元不明人として保護する可能性が云々」――にまで及んだところで、「彼女の面倒ですが、当面の間こちらで見ても良いでしょうか?」と意を決して口を挟んだ。難色を示されたが、本人の希望であることを重ねて伝えると、柚乃に直接聴取した上で、なんとか了承される。なに? からかいだったの? という嫌な顔を婦人警官がしたが、気持ちはわかる。
 身元不明人の届け出を無事済ませると、ほうほうの体で警察署をあとにした。

「いやあ……。思っていたより大変なんですねえ」と他人事みたいに言う当事者少女。
「ほんとにな」と疲れ切った声で応じるつきそい人の俺。

『人』や『者』の扱いは、かようにデリケートなのだと勉強になった。
 予想に反して、気力体力ともに消耗してしまった。
 昼食がまだなのを思い出して、近くのラーメン店に入る。満腹になった腹をさすりながら、そのまま帰途につく。いや、つくはずだった。

「このまままっすぐ帰るのは、なんかもったいなくないですか?」

 店を出たところで、そんなことを柚乃が言う。

「もったいない、は、勿体という言葉が持つ重々しさや威厳さを『なし』で否定する語で、本来は妥当ではない、とか、不届きだ、という意味があるんだ」
「怒っているんですか?」

 柚乃が半眼になって笑う。

「いや、怒ってなどいないさ。このまま帰るのがもったいない、という感情が俺にはいっさい理解できなかったものでつい。本気か? 端的に言って今日は疲れたのだが……」
「その理屈っぽい言い回し、癖になっているでしょ? これだから理系は」
「理系は関係ないだろ」

 そういう、枠に嵌めた考え方嫌いなんだよなー。そっちのほうが理屈っぽいだろ。

「考えてみなさいよ。推定十八歳の女の子と二人でお出かけなんですよ? こういうの、世間一般的になんて言うか知っていますか?」
「記憶喪失の怪しい女と外出」
「そのままじゃないですか……」

 柚乃がいよいよ呆れ顔になる。

「ま、いいや。ストレートに言っちゃおう。遊園地行きませんか?」
「はあ?」
「まだ一日は十二時間も残っているんです。もったいないじゃないですか?」

 ――もったいないじゃないですか。

 葉子の、顔と声とを同時に思い出した。『今の時間を大事にできない人は、未来の時間もきっと大事にはできない。今ここで自分らしく生きられない人には、次なる道は開けない』というのが彼女の口癖だった。誰の名言だっただろうか。
 いつの日か、は決してやってこない、か。
 葉子似の彼女と遊園地。それも悪くないかもしれない。
「じゃあ寄っていくか」と同意すると、「やったあ」と柚乃は瞳を輝かせた。喜びを全身で現す様に、まるで幼子みたいだなと思う。だが柚乃は、遊園地がどういった場所かは知っていても、そこで遊んだ記憶はないのかもしれない、とそこで気がついた。
 なるほど。一日はまだ十二時間も残っている、か。確かにな。
 少々遠いが、東京都稲城市いなぎしにある遊園地を目的地として定めた。バス乗り場を探していると、金髪の隻眼の外国人に話しかけられる。

「Where is the station? (駅はどっちですか?)」
「Go straight, and then turn left at the second corner(まっすぐ進んで、それからふたつ目の角を左に曲がってください)」
「oh! thank you」

 外国人が頭を下げて、去っていった。

「ん、どうした?」

 柚乃が不思議そうな顔でこちらを見ていた。

「いえ、なんでもないです」

   *
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