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なぜ、彼女は笑っていたのか?(文芸・純文学)
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似顔絵師。
街頭や公園などでよく見かける彼らは、企業や個人からの依頼を受け、似顔絵を描くことで収入を得ている。
特殊な資格が必要なのではないか? と考える人もいるだろうが特にそんなことはない。絵を描くスキルさえあれば、誰でもなれるのだ。(資格がないわけではない。民間資格は一応存在している)
なるための門戸は広く、未経験から似顔絵師になる人も多いのだが、画力が必要である以上、美術系学校からの出身者が多くを占める。とはいえ、求められるのは絵の上手さよりも、対象の特徴を抽出して具現化する技術や、お客とのコミュニケーション能力だろうか。綺麗に、特徴的に面白く描く方がより肝要なのだ。
そんなわけで。
美術大学において、成績がいま一つ伸び悩んだ俺の働き口としては、わりと良い選択肢だったわけで。
※
「ありがとうございやしたー」
声を張り上げ頭を下げて、客の背中を見送った。
声が大きすぎたことで道行く人の何人かが振り返ったがそれでいい。他人を目を引くことは、集客ビジネスにおける鉄則なのだ。
自宅から徒歩十分の場所にあるこの公園で、俺は時々こうして似顔絵を描いている。色紙サイズで一枚八百円から千円。相場としては、まあ、普通。
土曜日曜祝祭日などは、家族連れやカップルの姿も多く見られる大きな公園なので、一日数枚程度が関の山だがそこそこ客は来る。
主に陣取っているのは桜並木のある通り。もっとも、五月初旬の今では既に葉桜だが、近くにソフトクリーム屋が店を開いているので相乗効果も望めるという思惑だ。
「さて、と」
ペンと絵の具を片付けて背もたれに身を預けると、パイプ椅子がギシっと鳴った。
後ろに立て掛けた大型コルクボードには、これまで描いてきた似顔絵のサンプルを数枚貼り付けてある。
芸能人や政治家を、面白おかしくデフォルメしたイラストや、街で見かけた通行人や風景をデッサンしたものだ。
先ほど来てくれた客は、小学生の女の子を連れた母親だ。小学校に入学した記念として、娘を描いて欲しいとの依頼だった。
テンション高めの母親に対して女の子は乗り気じゃなさそうだったが、への字になった口元はそのまま描かず、五割増し (当社比)の笑顔で描いてあげた。
それが功を奏したのか、描いて上げたイラストを片手に、女の子は満面の笑みで立ち去って行った。「ありがとう、おじちゃん」と手を振って、来た時よりもいい笑顔で。
いい仕事をした後は気持ちがいいものだ。
俺はおじちゃんじゃなくてまだ二十五歳だけどな!
まあ、そんなことはともかくとして、これで暫く休憩かな、と首の後ろで腕を組み、目を閉じ物思いに耽った時だった。
「そちらの絵。ちょっと見せて頂いてもよろしいでしょうか?」
若い女性の声だな、と思いながら反応して薄目を開けると、二十代半ばほどの髪の長い女性が俺の顔を覗き込んでいた。
もとい。目が合っているようで、微妙に合っていなかった。彼女の視点は、俺の姿を素通りして、背後にあるコルクボードに向いている。
「ええ、構いませんが」
了承すると、彼女は小さく会釈をして一枚の絵の正面に立つ。
色紙に色鉛筆で仕上げたそれは、桜の木の下で佇むワンピース姿の女性を描いたもの。
今からちょうど二週間ほど前のことか。ここから見える一本の桜の元で彼女を見かけ、ちょっとだけ憂いを帯びた表情に惹かれて勝手にデッサンした一枚だ。
知り合い、だろうか。
無断でモデルにしたのは不味かっただろうか。咎められるだろうか。それとも、などと思考が錯綜する俺を他所に、彼女は食い入るように絵を見つめている。
不安になって「あの」と堪らず声を漏らしたその時、
「彼女は、こんなに良い顔をしていましたか?」
とその女性が言った。
詰問する、というよりは、純粋な疑問が漏れた感じの素朴な声だ。意図が読みづらい。
「ええ、そうですが。どこかおかしいところでも?」
実際、彼女の指摘はわりと的を射ている。
顔を美化するとまではいかないが、少しだけ表情を柔らかく描くことが多い。その人の最高の笑顔を予測して、引き出して、そこから何割か補正して、その人らしい笑顔を描くのだ。それが俺なりのやり方。
「いや、こんなに笑ってはいなかったでしょう?」
「いやいや、笑ってましたよ?」
「ほんとに? 絵描きという仕事柄、なるべくいい顔にしようと細工したのでは?」
「んー……。そうですね。この際なので正直に言いましょう。確かに私は、モデルさんの顔に多少手を加え、良い笑顔に仕立てたりはします。ですがその女性に関して言えば、その絵の表情通りですよ。いっさいの誇張はしていません。もし、その人が悲し気な表情をしていたならば、そのまま描くつもりでした」
それだけ、その女性に惹かれたということでもあるのだが。
「そう、でしたか」
「その女性は、そこにある桜の下に佇んでいたんですよ」
桜の木を指さして、そう説明を加えた。
「そうでしょうね」
「失礼ですが……、この女性とお知り合いで?」
気になっていたことを訊ねると、彼女は狼狽えたように視線を逸らした。
実は、と沈んだ声音で、ぽつりぽつりと語り始めた。
「去年の今頃、殺人事件があったのを覚えていますか?」
「殺人事件?」
物騒な事件そのものは、嘆かわしい話だが毎日どこかで起きている。そういった事件の一つ一つを覚えているのは流石に無理だが、それが地元で起こったものなら話は別だ。
「ええ、覚えています。居た堪れない事件でしたね。……って、まさか?」
「そのまさかですよ。あの時殺された二十代の女性が私の姉であり、この絵の女性は、どうみても姉に見えるのです」
***
今から丁度一年前だったろうか。
交際していた三十代の男に殺害された女性が、この公園の敷地内に埋められていたという事件が起こった。
事件の発端は、女性が妊娠したことから始まる。男は女性に別れ話を持ちかけ、同時に子をおろすよう迫ったのだが、女性はそれを拒否。たとえ男と結婚できなかったとしても、子を産んで育てたいと主張した。
そこから話が二転三転して拗れていき、結果として殺人事件に発展していまう。
男の無責任さや甲斐性の無さが浮き彫りになった事件だが、そもそもこの男には妻子がおり、二人はいわゆる不倫関係にあったのだ。
不倫関係が妻にバレるのを恐れたのかもしれないが……、なんとも報われない。最初から最後まで、不幸な事件だった。
***
先ほどの女性はこの絵を買い取りたい、と主張してきたのだが、『これはあなたが持っているべき物だと思うので』と無償で渡した。
頭を下げて去っていく女性の背中を見送り俺は思う。
なぜ、あの女性は殺害されてなお笑顔だったのだろうかと。
結果として殺されはしたものの、最後の瞬間まで、男を愛し続けていたのだろうかと。
西に傾きかけた日の光が、なんだかとても目に染みる夕暮れだった。
街頭や公園などでよく見かける彼らは、企業や個人からの依頼を受け、似顔絵を描くことで収入を得ている。
特殊な資格が必要なのではないか? と考える人もいるだろうが特にそんなことはない。絵を描くスキルさえあれば、誰でもなれるのだ。(資格がないわけではない。民間資格は一応存在している)
なるための門戸は広く、未経験から似顔絵師になる人も多いのだが、画力が必要である以上、美術系学校からの出身者が多くを占める。とはいえ、求められるのは絵の上手さよりも、対象の特徴を抽出して具現化する技術や、お客とのコミュニケーション能力だろうか。綺麗に、特徴的に面白く描く方がより肝要なのだ。
そんなわけで。
美術大学において、成績がいま一つ伸び悩んだ俺の働き口としては、わりと良い選択肢だったわけで。
※
「ありがとうございやしたー」
声を張り上げ頭を下げて、客の背中を見送った。
声が大きすぎたことで道行く人の何人かが振り返ったがそれでいい。他人を目を引くことは、集客ビジネスにおける鉄則なのだ。
自宅から徒歩十分の場所にあるこの公園で、俺は時々こうして似顔絵を描いている。色紙サイズで一枚八百円から千円。相場としては、まあ、普通。
土曜日曜祝祭日などは、家族連れやカップルの姿も多く見られる大きな公園なので、一日数枚程度が関の山だがそこそこ客は来る。
主に陣取っているのは桜並木のある通り。もっとも、五月初旬の今では既に葉桜だが、近くにソフトクリーム屋が店を開いているので相乗効果も望めるという思惑だ。
「さて、と」
ペンと絵の具を片付けて背もたれに身を預けると、パイプ椅子がギシっと鳴った。
後ろに立て掛けた大型コルクボードには、これまで描いてきた似顔絵のサンプルを数枚貼り付けてある。
芸能人や政治家を、面白おかしくデフォルメしたイラストや、街で見かけた通行人や風景をデッサンしたものだ。
先ほど来てくれた客は、小学生の女の子を連れた母親だ。小学校に入学した記念として、娘を描いて欲しいとの依頼だった。
テンション高めの母親に対して女の子は乗り気じゃなさそうだったが、への字になった口元はそのまま描かず、五割増し (当社比)の笑顔で描いてあげた。
それが功を奏したのか、描いて上げたイラストを片手に、女の子は満面の笑みで立ち去って行った。「ありがとう、おじちゃん」と手を振って、来た時よりもいい笑顔で。
いい仕事をした後は気持ちがいいものだ。
俺はおじちゃんじゃなくてまだ二十五歳だけどな!
まあ、そんなことはともかくとして、これで暫く休憩かな、と首の後ろで腕を組み、目を閉じ物思いに耽った時だった。
「そちらの絵。ちょっと見せて頂いてもよろしいでしょうか?」
若い女性の声だな、と思いながら反応して薄目を開けると、二十代半ばほどの髪の長い女性が俺の顔を覗き込んでいた。
もとい。目が合っているようで、微妙に合っていなかった。彼女の視点は、俺の姿を素通りして、背後にあるコルクボードに向いている。
「ええ、構いませんが」
了承すると、彼女は小さく会釈をして一枚の絵の正面に立つ。
色紙に色鉛筆で仕上げたそれは、桜の木の下で佇むワンピース姿の女性を描いたもの。
今からちょうど二週間ほど前のことか。ここから見える一本の桜の元で彼女を見かけ、ちょっとだけ憂いを帯びた表情に惹かれて勝手にデッサンした一枚だ。
知り合い、だろうか。
無断でモデルにしたのは不味かっただろうか。咎められるだろうか。それとも、などと思考が錯綜する俺を他所に、彼女は食い入るように絵を見つめている。
不安になって「あの」と堪らず声を漏らしたその時、
「彼女は、こんなに良い顔をしていましたか?」
とその女性が言った。
詰問する、というよりは、純粋な疑問が漏れた感じの素朴な声だ。意図が読みづらい。
「ええ、そうですが。どこかおかしいところでも?」
実際、彼女の指摘はわりと的を射ている。
顔を美化するとまではいかないが、少しだけ表情を柔らかく描くことが多い。その人の最高の笑顔を予測して、引き出して、そこから何割か補正して、その人らしい笑顔を描くのだ。それが俺なりのやり方。
「いや、こんなに笑ってはいなかったでしょう?」
「いやいや、笑ってましたよ?」
「ほんとに? 絵描きという仕事柄、なるべくいい顔にしようと細工したのでは?」
「んー……。そうですね。この際なので正直に言いましょう。確かに私は、モデルさんの顔に多少手を加え、良い笑顔に仕立てたりはします。ですがその女性に関して言えば、その絵の表情通りですよ。いっさいの誇張はしていません。もし、その人が悲し気な表情をしていたならば、そのまま描くつもりでした」
それだけ、その女性に惹かれたということでもあるのだが。
「そう、でしたか」
「その女性は、そこにある桜の下に佇んでいたんですよ」
桜の木を指さして、そう説明を加えた。
「そうでしょうね」
「失礼ですが……、この女性とお知り合いで?」
気になっていたことを訊ねると、彼女は狼狽えたように視線を逸らした。
実は、と沈んだ声音で、ぽつりぽつりと語り始めた。
「去年の今頃、殺人事件があったのを覚えていますか?」
「殺人事件?」
物騒な事件そのものは、嘆かわしい話だが毎日どこかで起きている。そういった事件の一つ一つを覚えているのは流石に無理だが、それが地元で起こったものなら話は別だ。
「ええ、覚えています。居た堪れない事件でしたね。……って、まさか?」
「そのまさかですよ。あの時殺された二十代の女性が私の姉であり、この絵の女性は、どうみても姉に見えるのです」
***
今から丁度一年前だったろうか。
交際していた三十代の男に殺害された女性が、この公園の敷地内に埋められていたという事件が起こった。
事件の発端は、女性が妊娠したことから始まる。男は女性に別れ話を持ちかけ、同時に子をおろすよう迫ったのだが、女性はそれを拒否。たとえ男と結婚できなかったとしても、子を産んで育てたいと主張した。
そこから話が二転三転して拗れていき、結果として殺人事件に発展していまう。
男の無責任さや甲斐性の無さが浮き彫りになった事件だが、そもそもこの男には妻子がおり、二人はいわゆる不倫関係にあったのだ。
不倫関係が妻にバレるのを恐れたのかもしれないが……、なんとも報われない。最初から最後まで、不幸な事件だった。
***
先ほどの女性はこの絵を買い取りたい、と主張してきたのだが、『これはあなたが持っているべき物だと思うので』と無償で渡した。
頭を下げて去っていく女性の背中を見送り俺は思う。
なぜ、あの女性は殺害されてなお笑顔だったのだろうかと。
結果として殺されはしたものの、最後の瞬間まで、男を愛し続けていたのだろうかと。
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