夢に繋がる架け橋(短編集)

木立 花音

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夕立が止んだそのあとで。(現代・青春ドラマ)

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 雨は突然降りだした。それは、夕立、とでも呼ぶべきものか。
 バケツをひっくり返したような豪雨の中、私は、近くにあったバス停留所の待合室に駆け込んだ。
 木造トタン屋根のそこは手狭な空間ではあるけれど、通り雨をしのぐには最適だろう。

「あー……これ晴れるかなあ」

 墨をぶちまけたように真っ黒になった空を、屋根の下から見上げる。
 パタパタ、バタバタ、と雨音が強く屋根を叩く。
 呪うなら、突然降りだした雨じゃない。
 今朝、天気予報を見ていたにもかかわらず、傘を持たずに家を出た自分の方だろうか。
 ぐっしょり濡れた制服のスカートは、両手で絞ると水が滴るほどだ。高校生の小遣いには限りがあれど、こいつはバスで帰った方が良さそうだ。
 やれやれと嘆息しながら、壁に貼ってあるバスの時刻表に目を向ける。「えーと……」次にやってくるバスの時間を確認していたその時、背中の方から声が聞こえた。

「こんにちは。雨、急に降ってきたよね」

 人がいたの!? ギョっとして振り返ると、白いセーラー服を着て紺色のプリーツスカートを履いた、女子高生らしき人物が、待合室のベンチに座っていた。
 私と同い年くらいだろうか? 長い髪を一本に結わえた、少し大人しそうな女の子だ。

「こんにちは。はい、急に降られたもんで、ほとほと困っていたところなんです」

 年下だろうか。それとも先輩? 詳しい年齢がわからないため、一応敬語で応じておいた。

「見たことのない制服ですね? 何処の学校ですか?」

 頭に浮かんだ疑問を率直にのべてみると、うーん、と考え込んだのち、彼女は学校名を答えた。
 それは、隣町にある公立校の名前だった。あれ、でも、制服ってこんな感じだったっけ? そもそも、第二高校ってあったっけかな? どこかいまひとつ耳に馴染まない名前に思えたが、隣町だからよく知らないだけかもね。

「ところでおねーさん。お名前は?」と女の子に尋ねられる。
「え? 相沢早紀あいざわさきです。高校二年生」
「ああ、なーんだ。同い年じゃない。じゃあさ、早紀ちゃんって呼んでもいいかな? あ、忘れてた。私の名前、千絵ちえだから」

 そう言って、手を差し伸べてくる。握手に応じながら、「よろしくお願いします」と頭を下げた。

「やめてよ、敬語なんて余所余所しい」

 バシバシと肩を叩かれながら、なんか、見た目と違って馴れ馴れしいなこの子、と思う。

「雨が止むまでの間、ちょっとだけお話しましょうか」
「はあ」

 いや、あんまり話すこと無いと思うんですけどね。
 そんな内心を隠したかったのに、なんとも間抜けな声がもれた。

 千絵ちえと名乗ったその女の子は、私の家族構成やら趣味を根掘り葉掘り聞いてきた。家族は両親と祖父とで四人暮らし。兄弟はいないけど、本音を言うと、姉がほしかったなーなんて。
 部活はバスケ部。ポイントガードをやっています。運動神経には自信あるんだけど、こう見えて編み物が趣味と手先も器用なんですよ!
 って、何をペラペラ喋ってるんだろう、私。

「編み物。へえ、今時珍しいねぇ。なんか見た目と違って意外かも」
「でしょ? でしょ? 友だちにもよくそう言われるの。うちのお祖母ちゃんが編み物得意だったんで、小さいころ、色々教えて貰ったんです」
「なるほど。なるほどね」

 手を叩いて嬉しそうな顔をする千絵さん。ところが彼女、ん? という顔をして首を傾げた。

「得意だった?」
「ああ。お祖母ちゃん、私が中学に進学したころ死んじゃったんです。持病があったとか、そういうんじゃないんですが、肺炎をこじらせちゃいまして」
「ああ、そうだったのね。ごめんなさい、辛いこと思い出させちゃって」
「いえいえ、もう、昔の話ですし」

 懐かしい日々の記憶がよみがえってくると、感傷で喉元がきゅっと閉まる。

「お祖母ちゃんのこと、好きだった?」
「へ?」

 私の顔色は、そんなに沈んで見えるのだろうか。内心を見透かしたような台詞に、息とも声ともつかぬなにかが口からもれた。

「はい、好きでした。ひとつだけ心残りなのは、お祖母ちゃんが最後、どんな気持ちを抱えて死んでいったのか、というところですかね」

 何を言ってるんだろうな私は、と自嘲しながらも、「聞かせてくれる?」と千絵さんに促されて、ぽつりぽつりと私は語り始める。

「小学生の、低学年のころだったかな? 学校で、着せ替えタイプの人形が流行ったときがあったの」
「うん。それで?」

 でもうちは、周りと比べても決して裕福な家庭ではなかった。友達がみんな人形を持っているといっても、すぐ買ってもらえたわけじゃない。

「人形を買ってもらえないのは、うちが貧乏だからでしょ! そんなことを言ってママと喧嘩した私を、慰めながらも優しく叱ってくれたのがお祖母ちゃんだった」
「なるほどね。いいお祖母ちゃんだったのね」
「うん。そればかりじゃないの。私が欲しがっている人形の写真を参考にして、人形を手作りしてくれたんだよ」
「うんうん」

 とはいえそれは、素人が作ったもの。市販品の模倣の域を出るものではなかった。それでも私は嬉しかったので、人形を大事にした。破れたり、ほつれたりするたびに、お祖母ちゃんが直してくれたりなんかして。次第につぎはぎだらけになったけど、それは確かに大切なものだった。

「いい、話じゃない」
「ううん」と私は首を振った。「それが、そうでもないんだ」

 それから一年くらいして、欲しがっていた人形をママが買ってくれた。すると私も現金なもので、お祖母ちゃんが作ってくれた人形をほっぽりだして、買ってもらった人形の方でばかり遊んだ。
 いまとなっては、思い出の人形なんてどこにあるのかすらわからない。

「酷いもんだよね。孫のために一生懸命作ってくれたのに、恩を仇で返すのと変わんないよ、これじゃ」
「そっか。でも、それはしょうがないことなんじゃ?」
「うん。そうなのかな」

 私が口を噤むと、千絵さんも黙り込んでしまう。
 でも、よくないエピソードは、それだけじゃなかった。
 仕事の都合で、運動会の応援にお祖母ちゃんしか来られなかった日も、本当はママに来て欲しかった、なんて言ってみたり。季節外れの花火がしたいとダダをこねた日も、ホームセンターに売っていなかったことをお祖母ちゃんのせいにして責めてみたり。
 編み物の話だってそう。お祖母ちゃんに教えてもらって必死に編んでいたマフラーを、中途半端にして放り出してみたり。
 わがままで、堪え性のない私のせいで、何度もお祖母ちゃんは嫌な思いをしたはずなんだ。

「ほんとにさ、身勝手な子どもだったと思うんだ、私は。最後、お祖母ちゃんが亡くなった日も、私、学校にいたからサヨナラが言えていないんだ。それだけならまだしも、ちゃんと謝ることすらできていないし。どんな気持ちでお祖母ちゃんが天国に旅立っていったのかなーって思うと、今でも後悔ばっかりなんだ」
「でも、好きだったんでしょ? お祖母ちゃんのこと」

 滲み始めた視界のなか、鼓膜を優しくたたいた千絵さんの声に顔をあげる。

「ええ、それはもちろん」
「じゃあ、大丈夫だよ。それだけ愛されていたならさ、たとえどんなに喧嘩をしてもすれ違いがあったとしても、心はちゃんと通じあってたと思う。それにね、それだけしてくれたってことは、お祖母ちゃんだってあなたのことを愛してくれていたんだと思うし」
「そう、なんでしょうか」
「そうに決まってるでしょ。そうだなあ……私もね、実は小学生のときお母さんを病気で亡くしてるの」
「そうだったんですか」

 あんまりよくない会話の流れになってるな、と軽い後悔が頭をよぎる。

「うん。やっぱり、早紀ちゃんと同じような感じでね、毎日のようにくだらないことで喧嘩ばかりしてたもんだよ。でも、そこはやっぱり家族だからさ、最後はね、そういったしがらみも全部水に流して、笑ってお別れしたんだ」

 と、そこで千絵さんは一度言葉を切った。

「ありがとうって、伝え合ってね」

 ありがとう、か。そうだよね。いくら家族とはいえ、言葉にしないと伝わらないことってあると思うんだ。胸の内で抱えていたわだかまりや何かが、すとんと落ちてきたように感じる。私もちゃんと伝えよう。今更かもしれないけれど、お祖母ちゃんに。

「あっ」

 素っ頓狂な声を上げ、私はスマホで時間を確認した。千絵さんと話し込んでいるうちに、バスの発車時刻はとうに過ぎ去っていた。

「あちゃー、乗り遅れちゃったよ。次のバスって一時間後なのに……ってあれ?」

 待合室の屋根から顔を出して見上げると、いつの間にか夕立はすっかり収まっていて、空からは晴れ間が見え始めていた。

「なんだ。雨やんでるみたい。これなら、歩いて帰れますね」
「家まで三〇分くらい?」
「そうですね。ちょっと遠いですけど、普通に歩いていける距離です。──それでは、失礼します」
「じゃあね」

 手を振って千絵さんと別れると、停留所の待合室を出て歩きはじめる。自宅を目指しながら、一応家に電話いれなくちゃな、と思ったとき、私の真横をパトカーがサイレンを鳴らしながら通り過ぎていった。なんだろ? 事故かな?
 遠ざかっていくサイレンの音を聞きながら、スマホでママに電話を入れた。ごめーん、ちょっと遅くなったけどこれから帰るねー。

『ちょっと! あんた今どこにいるの?』

 血相を変えたママの声で、なにかあったのかな? と不安を腹の底に覚える。

「どうしたの? ママ」
『たった今、家の近くで路線バスと乗用車が衝突する事故があったのよ。それでさ、さっきまで酷い雨だったでしょ? アンタ傘忘れて行ってたし、もしそのバスに乗ってたらどうしようと思って気が気じゃなかったのよー』

 よかったーというママの声から、安堵している様子が伝わってくる。

「そうなんだ。危なかったー。もうちょっとで乗るところだったよ」

 千絵さんと話し込んでて乗れなかったのが、結果として功を奏したなあ、なんて、そんなことを考えながら歩き続けた。



「ただいまー」

 がらぴしゃん、と今どき引き戸の玄関を閉めると、夕飯の支度をしていたらしいママが台所から顔を出した。

「おかえり。良かった、ちゃんと帰ってきた」
「事故現場見てきた。ヤバーい。バスの前がぐちゃぐちゃってなってて、ガードレールもグシャーって」

 凄惨な事故現場の映像が脳裏をよぎる。前部がつぶれたバスと、衝突の反動で歩道に乗り上げた乗用車の周囲には、多くの人だかりができていた。
 死者は幸いにも出なかったらしいけど、救急車も来ていたし、怪我人は結構でていそう。

「ほんと、バスに乗らなくてよかったわね。というか、あらあら、ずぶ濡れじゃない。とりあえずシャワー浴びてきなさいな」
「うん。そーする」

 でもその前にっと。
 外から帰ってきたら、うがいと手洗いだよね。
 洗面所で手を洗ったあと、リビングダイニングに立ち寄った。

「こら、そんな足で入ってきたら絨毯の上が汚れちゃうでしょ」
「だーいじょうぶだって。ねえ、ママ」
「ん?」
「さっきね、通学路にあるバス停で、可愛い女の子と出会ったの」
「へえ、なんていう子?」
「白いセーラー服を着てる優しそうな子でね。名前、名前……。あれ?」
「どうしたの?」

 ママがエプロンを直しながら、不思議な顔でこっちを見る。

「名前忘れちゃった」
「なにそれ? 聞くの忘れたんじゃないの?」
「えー? そんなことないと思うけど」

 けど、どんなに考えても思い出せそうになかった。
 ま。いっか!
 くよくよ悩んでいてもしょうがない。とりあえず今日やらねばならんのは、この言葉を伝えることなんだ。
 リビングの端にある仏壇の前に座り、私は静かに手を合わせた。ちーん、と小さく鐘を鳴らした。

 ──小さいころ、ワガママばかり言ってごめんなさい。心無い言動で困らせちゃったかもしれないけれど、それでも私は、お祖母ちゃんのことが大好きでした。
 ごめんなさい。
 そして、ありがとう。
 
『千絵お祖母ちゃん』

 ~Fin~
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