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第二章:私の隠し事
『桐原悠里①』
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高三の梅雨。鏡台の前に座り、鏡に映った自分の姿をじっと見つめる。
校則ギリギリどころかアウトの髪の色。暗めのアッシュグレイに染めた長い髪は、生え際の辺りから黒くなり始めていた。また髪を染めなくちゃな、と私は溜め息混じりに思う。たびたび生徒指導の先生に眉を顰められる濃厚メイク。学校でつけることは勿論ないが、両耳にしっかりと空いたピアスホール。
毎日おんなじ。他人の目には、きっと不可解に映る私の姿。
ん~……と暫くの間鏡を見つめ閃いた。いつもはふたつ結びにしている髪を、思いきってツーサイドアップに束ねてみる。
(どうかなあ?)
角度を変えながら何度か鏡で確認し、少し手直しをくわえたあとで、ブレザーの制服をパイプハンガーから外して袖を通した。
姿見の前にしゃんと立ち、くるりと回転してみる。スカートがひだに沿って綺麗に舞い、アッシュグレイの髪が朝日を反射して煌めいた。
広瀬君。可愛いって褒めてくれるかな?
不相応な期待を抱いていることに、自分らしくない、と思わず苦笑い。
私、桐原悠里は、幼少期から様々なことを諦めがちだった。
人見知りな性格が災いして、友達を作るのが苦手。耳が聞こえないから。言葉を話せないから。様々な理由をこじつけては、クラスで浮きがちな自分をを正当化し、我慢する癖が自然とついた。
私が諦めている事柄の一つ。それが恋愛。
聴覚障害を持っている私にとって、男の子との恋なんてものは完全にフィクションでしかない。それこそ、手に入らないものの筆頭。
一応、人生で一番輝けるときのはずだし、時間を無駄にしているって実感もある。でも、恋をして、失恋をして、不幸になることを一番恐れていた。
端的に言って、傷つくことが怖い。
だからこそ手に入らないもの全てを諦めて、人生の落としどころを探している。
――ところが、だ。
そんな私の人生観を、根底からひっくり返す人物が現れた。
それが、広瀬慎吾君。彼のことが気になり始めたのは、高二の夏。通学路での出来事が切っ掛けだった。
この当時、ママのパートの仕事が忙しくなったことが起因して、朝晩車で送迎してもらっていたのを止む無く徒歩通学にきりかえた。聴覚障害を持つ私にとって、一人で歩く通学路というのは思いの外危険がいっぱいだ。
そんなある朝のことだった。私は背後から接近してくるバイクを察知できていなかった。突然腕を引かれて驚くと、広瀬君が睨むような顔でこっちを見てた。第一印象は最悪。なんか怖い人だなって思った。けれど直後、私が立っていた場所を猛スピードでバイクが通過していったことで理解した。ああ、彼は助けてくれたんだって。
更に数日後。日直の仕事で職員室まで向かう途中のこと。私はプリントの束を床にばら撒いていまう。相変わらずどんくさい自分に辟易しながら集めていたその時も、広瀬君はすっと傍らにやって来て、黙って手伝ってくれた。
そんなことが何度か繰り返されているうちに、自然と広瀬君の背中を目で追いかけている自分に気が付いた。
彼のことを考えるだけできゅっと痛む胸。でも、告白なんてとんでもない。
それでもある日、私はちょっとだけ勇気を出してみる。
ママが帰ってくる時間まで学校に居残ることが多い私は、暗い夜道を歩くのが凄く怖い。そこで彼に相談してみたら、自宅まで送り届けてくれるようになった。もう、それだけで凄く幸せ。これは去年の秋ごろの話。広瀬君のことが気になっているんだ、と告白したら、『だったら、勇気をだしてアプローチしてみなよ』と背中を押してくれた律のお陰かもしれない。
(……あ、左の頬に痣ができてる)
鏡の中の自分に微細な違和感を見つけると、普段より濃い目にファンデーションを塗りこんだ。
これで上手く隠れたかな?
ちょっとメイクに時間をかけ過ぎたかもしれない。足早に階段を駆け下りて、キッチンに顔を出す。私の姿を認めると、ママが『おはよう』と手話で伝えてくる。直ぐに『おはよう』と返してから、少し考えこう付け加えた。
『ママ。いつも、ありがとうね』
するとママは、『突然どうしたの?』と返しながら、照れたように背中を向けた。子供の時より、やつれたように見える背中。私の障害のせいかな、そんなことをぼんやり考え、テーブルの上に準備されていたトーストを齧る。
私の家は、現在ママと私の二人暮らし。両親の離婚が成立したのは、私が中学校一年生の頃だった。
総合商社で部長をしている私のパパは、いわゆる転勤族という人だ。単身赴任や出張をしていることが多く、正月やお盆休暇など、長い休みが取れるとき以外、殆ど家にいなかった。
それでも私は、パパのことが大好き。家に帰ってくるとき、必ずお土産を買ってきてくれたし、出張で訪れた旅先の思い出話も、たくさん私に語ってくれたものだった。
けど、パパが帰ってくると、ママはどことなく苛々してた。
夜。寝静まった後トイレに起き出すと、両親は時々リビングで話をしていた。耳が聞こえない私は、もちろん会話の内容なんてわからない。それでも、二人の神妙な面持ちと、パパが時々怒鳴る様子を見ていれば何となくわかる。
私のせいで、二人は喧嘩しているんだって。
学校生活における諸々の問題点。勉強の遅れ。クラスでの苛め。養育費。思い当たる節は、それこそ幾つでもあった。私は、パパとママにも仲良くして欲しいと願ってた。
一方で、私のママはとても厳しい人。
私のことを気遣い、心配し、いつも眉間にシワを寄せている。だから私はママに心配事を増やしたくなくて、必死で勉強をした。友達とコミュニケーションを取って仲良くするのは難しいけれど、一人でできる勉強だったら、どうにかなると思ったから。
こうして私は、あらゆる厄介ごとを一人で解決する習慣がついた。思えばこの頃から、様々な事柄を諦める癖がついたのかもしれない。
学校で辛いことがあっても心の底に溜め込むようになり、学校の成績が上がっていく反面、ママとの交流が次第に減っていった。
淋しい。でも、きっとそれでいい。私の通信簿を見せると、ママは喜んでくれるから。これ以上、ママに辛い顔をして欲しくないから。
でも、両親の夫婦関係は、結局、修復できなかった。
パパの仕事は、以前にも増して忙しくなり、私と顔を合わせる機会がどんどん減っていく。多感な年ごろだとでも思ったのか、それとなくパパは私に気遣いをするようになり、私も上手に甘えられなくなっていく。
なんとなく一つになれない家族の姿。時折吹き込む、他人行儀な風。私とパパの関係がぎくしゃくし始めてから約一年後、両親の離婚が成立してしまう。障害を抱えた娘の存在が、二人の夫婦関係に修復不可能な亀裂を与えてしまったんだとそう思う。
それでもパパは、離婚した後も、学校で運動会や文化祭などの行事があるときとか、中学校の卒業式や高校の入学式があった時など、わざわざ遠方から足を運び私に会いにきてくれた。
私が派手なメイクを施し、髪の毛を明るい色に染め始めたのも両親が離婚した後だ。理由はただ一つ。クラスメイトが居並ぶ中でも、パパが私の姿を見つけられるよう目印にしたかったから。
ところが……パパは高校の入学式を最後に、来てくれなくなった。運動会も、文化祭も、授業参観の日も、ずっとパパの姿を探し求めてからもう三年が過ぎようとしている。
そのことを私は寂しいと感じながらも、心のどこかで諦め始めている。
もう私たちは家族じゃないんだから、しょうがないことなんだと。
ただ一つ。離婚をした後でも、障害のある娘のことが重荷になってなければ良いな……と、それだけを常日頃願う。
それなのに、未だに私は化粧を止められない。髪の色を、黒く戻す勇気がない。本音を言うと、もう全然わからない。私は誰のために髪を染めて、濃い化粧をし、チャラチャラとアクセサリーを提げているのか。既に誰の為にもなっていないのに。それでも、パパがいつかは来てくれるって心の片隅で思っているから、今日もメイクをしないと外出する勇気がでない。そんな不器用な自分が物悲しい。
だから私は、毎日時間を掛けてばっちりとメイクを決める。パパの為なのか、彼の為なのか。答えは今も見つからないけれど、この暖かい日常を壊したくないから。
「ふう……」
言葉は出せない。
でも、溜め息は出る。
なんなんだろ、私。
『今日の帰りは何時?』とママに尋ねる。『たぶん、八時かな』と彼女は答える。
遅いな。学校で時間潰すの大変だな。
それでも、と私は思う。
このなんでもない日常が永遠に続けば良いのになって。それが叶わない夢だと直ぐに気がつき、視界が僅かに滲んだ。
『じゃあ。行って来ます』
普段通りの挨拶を告げて、家を出ようとしたときのこと。玄関先で三十代後半くらいの男性と入れ違いになる。私は彼のことを知っていた。ママの新しい恋人で、そのうちに結婚も考えていると紹介をされた人。でも、私は彼のことが大分苦手。今も擦れ違い様に『おはようございます』の意味をこめて会釈を送ってみたけれど、返事の代わりに向けられたのは、睨むような眼差しだけ。
彼はいつもそう。私に送ってくる視線はどこか突き放すようで寒々しい。
けど、この悩み事はママに打ち明けてはいけない。これ以上彼女に苦労をさせたくないし、心配事も抱えて欲しくないから。
私の心の中に、ずっと秘めておく”隠し事”。
玄関の扉を閉めて空を見上げる。ちょっと曇っているかな、と判断した私は、一度家の中に戻ると傘立てから赤い傘を手に取り学校を目指した。
嫌な人との遭遇。鉛色の空。
それでも私の歩調は、いつもよりちょっとだけ弾んでいた。
大通りを抜け、学校へ至る交差点までたどり着くと、駅から向かってくる同じ製服姿の人波の中に、広瀬君の姿を見つける。
『おはよう』私は手をあげなから、手話でメッセージを送る。
『おはよう、桐原さん。髪型変えたんだ』
『うん、ちょっとした出来心。おかしいかな……?』
『似合ってると思う。凄く可愛いよ』
……ヤバいな、頬が熱くなる。口元、変に歪んでないかな? 照れ隠しで手のひらで口元を覆い隠した。
加速していく鼓動を宥めるように胸元に手を当て、私はそっと言葉を返す。
『ありがとう』
神様、多くを望むつもりなんてありません。どうかこの暖かい日常が、いつまでも、いつまでも、続きますように――
こみ上げてくる切ない気持ちを飲み干して、今日も広瀬君の背中を追いかける。
校則ギリギリどころかアウトの髪の色。暗めのアッシュグレイに染めた長い髪は、生え際の辺りから黒くなり始めていた。また髪を染めなくちゃな、と私は溜め息混じりに思う。たびたび生徒指導の先生に眉を顰められる濃厚メイク。学校でつけることは勿論ないが、両耳にしっかりと空いたピアスホール。
毎日おんなじ。他人の目には、きっと不可解に映る私の姿。
ん~……と暫くの間鏡を見つめ閃いた。いつもはふたつ結びにしている髪を、思いきってツーサイドアップに束ねてみる。
(どうかなあ?)
角度を変えながら何度か鏡で確認し、少し手直しをくわえたあとで、ブレザーの制服をパイプハンガーから外して袖を通した。
姿見の前にしゃんと立ち、くるりと回転してみる。スカートがひだに沿って綺麗に舞い、アッシュグレイの髪が朝日を反射して煌めいた。
広瀬君。可愛いって褒めてくれるかな?
不相応な期待を抱いていることに、自分らしくない、と思わず苦笑い。
私、桐原悠里は、幼少期から様々なことを諦めがちだった。
人見知りな性格が災いして、友達を作るのが苦手。耳が聞こえないから。言葉を話せないから。様々な理由をこじつけては、クラスで浮きがちな自分をを正当化し、我慢する癖が自然とついた。
私が諦めている事柄の一つ。それが恋愛。
聴覚障害を持っている私にとって、男の子との恋なんてものは完全にフィクションでしかない。それこそ、手に入らないものの筆頭。
一応、人生で一番輝けるときのはずだし、時間を無駄にしているって実感もある。でも、恋をして、失恋をして、不幸になることを一番恐れていた。
端的に言って、傷つくことが怖い。
だからこそ手に入らないもの全てを諦めて、人生の落としどころを探している。
――ところが、だ。
そんな私の人生観を、根底からひっくり返す人物が現れた。
それが、広瀬慎吾君。彼のことが気になり始めたのは、高二の夏。通学路での出来事が切っ掛けだった。
この当時、ママのパートの仕事が忙しくなったことが起因して、朝晩車で送迎してもらっていたのを止む無く徒歩通学にきりかえた。聴覚障害を持つ私にとって、一人で歩く通学路というのは思いの外危険がいっぱいだ。
そんなある朝のことだった。私は背後から接近してくるバイクを察知できていなかった。突然腕を引かれて驚くと、広瀬君が睨むような顔でこっちを見てた。第一印象は最悪。なんか怖い人だなって思った。けれど直後、私が立っていた場所を猛スピードでバイクが通過していったことで理解した。ああ、彼は助けてくれたんだって。
更に数日後。日直の仕事で職員室まで向かう途中のこと。私はプリントの束を床にばら撒いていまう。相変わらずどんくさい自分に辟易しながら集めていたその時も、広瀬君はすっと傍らにやって来て、黙って手伝ってくれた。
そんなことが何度か繰り返されているうちに、自然と広瀬君の背中を目で追いかけている自分に気が付いた。
彼のことを考えるだけできゅっと痛む胸。でも、告白なんてとんでもない。
それでもある日、私はちょっとだけ勇気を出してみる。
ママが帰ってくる時間まで学校に居残ることが多い私は、暗い夜道を歩くのが凄く怖い。そこで彼に相談してみたら、自宅まで送り届けてくれるようになった。もう、それだけで凄く幸せ。これは去年の秋ごろの話。広瀬君のことが気になっているんだ、と告白したら、『だったら、勇気をだしてアプローチしてみなよ』と背中を押してくれた律のお陰かもしれない。
(……あ、左の頬に痣ができてる)
鏡の中の自分に微細な違和感を見つけると、普段より濃い目にファンデーションを塗りこんだ。
これで上手く隠れたかな?
ちょっとメイクに時間をかけ過ぎたかもしれない。足早に階段を駆け下りて、キッチンに顔を出す。私の姿を認めると、ママが『おはよう』と手話で伝えてくる。直ぐに『おはよう』と返してから、少し考えこう付け加えた。
『ママ。いつも、ありがとうね』
するとママは、『突然どうしたの?』と返しながら、照れたように背中を向けた。子供の時より、やつれたように見える背中。私の障害のせいかな、そんなことをぼんやり考え、テーブルの上に準備されていたトーストを齧る。
私の家は、現在ママと私の二人暮らし。両親の離婚が成立したのは、私が中学校一年生の頃だった。
総合商社で部長をしている私のパパは、いわゆる転勤族という人だ。単身赴任や出張をしていることが多く、正月やお盆休暇など、長い休みが取れるとき以外、殆ど家にいなかった。
それでも私は、パパのことが大好き。家に帰ってくるとき、必ずお土産を買ってきてくれたし、出張で訪れた旅先の思い出話も、たくさん私に語ってくれたものだった。
けど、パパが帰ってくると、ママはどことなく苛々してた。
夜。寝静まった後トイレに起き出すと、両親は時々リビングで話をしていた。耳が聞こえない私は、もちろん会話の内容なんてわからない。それでも、二人の神妙な面持ちと、パパが時々怒鳴る様子を見ていれば何となくわかる。
私のせいで、二人は喧嘩しているんだって。
学校生活における諸々の問題点。勉強の遅れ。クラスでの苛め。養育費。思い当たる節は、それこそ幾つでもあった。私は、パパとママにも仲良くして欲しいと願ってた。
一方で、私のママはとても厳しい人。
私のことを気遣い、心配し、いつも眉間にシワを寄せている。だから私はママに心配事を増やしたくなくて、必死で勉強をした。友達とコミュニケーションを取って仲良くするのは難しいけれど、一人でできる勉強だったら、どうにかなると思ったから。
こうして私は、あらゆる厄介ごとを一人で解決する習慣がついた。思えばこの頃から、様々な事柄を諦める癖がついたのかもしれない。
学校で辛いことがあっても心の底に溜め込むようになり、学校の成績が上がっていく反面、ママとの交流が次第に減っていった。
淋しい。でも、きっとそれでいい。私の通信簿を見せると、ママは喜んでくれるから。これ以上、ママに辛い顔をして欲しくないから。
でも、両親の夫婦関係は、結局、修復できなかった。
パパの仕事は、以前にも増して忙しくなり、私と顔を合わせる機会がどんどん減っていく。多感な年ごろだとでも思ったのか、それとなくパパは私に気遣いをするようになり、私も上手に甘えられなくなっていく。
なんとなく一つになれない家族の姿。時折吹き込む、他人行儀な風。私とパパの関係がぎくしゃくし始めてから約一年後、両親の離婚が成立してしまう。障害を抱えた娘の存在が、二人の夫婦関係に修復不可能な亀裂を与えてしまったんだとそう思う。
それでもパパは、離婚した後も、学校で運動会や文化祭などの行事があるときとか、中学校の卒業式や高校の入学式があった時など、わざわざ遠方から足を運び私に会いにきてくれた。
私が派手なメイクを施し、髪の毛を明るい色に染め始めたのも両親が離婚した後だ。理由はただ一つ。クラスメイトが居並ぶ中でも、パパが私の姿を見つけられるよう目印にしたかったから。
ところが……パパは高校の入学式を最後に、来てくれなくなった。運動会も、文化祭も、授業参観の日も、ずっとパパの姿を探し求めてからもう三年が過ぎようとしている。
そのことを私は寂しいと感じながらも、心のどこかで諦め始めている。
もう私たちは家族じゃないんだから、しょうがないことなんだと。
ただ一つ。離婚をした後でも、障害のある娘のことが重荷になってなければ良いな……と、それだけを常日頃願う。
それなのに、未だに私は化粧を止められない。髪の色を、黒く戻す勇気がない。本音を言うと、もう全然わからない。私は誰のために髪を染めて、濃い化粧をし、チャラチャラとアクセサリーを提げているのか。既に誰の為にもなっていないのに。それでも、パパがいつかは来てくれるって心の片隅で思っているから、今日もメイクをしないと外出する勇気がでない。そんな不器用な自分が物悲しい。
だから私は、毎日時間を掛けてばっちりとメイクを決める。パパの為なのか、彼の為なのか。答えは今も見つからないけれど、この暖かい日常を壊したくないから。
「ふう……」
言葉は出せない。
でも、溜め息は出る。
なんなんだろ、私。
『今日の帰りは何時?』とママに尋ねる。『たぶん、八時かな』と彼女は答える。
遅いな。学校で時間潰すの大変だな。
それでも、と私は思う。
このなんでもない日常が永遠に続けば良いのになって。それが叶わない夢だと直ぐに気がつき、視界が僅かに滲んだ。
『じゃあ。行って来ます』
普段通りの挨拶を告げて、家を出ようとしたときのこと。玄関先で三十代後半くらいの男性と入れ違いになる。私は彼のことを知っていた。ママの新しい恋人で、そのうちに結婚も考えていると紹介をされた人。でも、私は彼のことが大分苦手。今も擦れ違い様に『おはようございます』の意味をこめて会釈を送ってみたけれど、返事の代わりに向けられたのは、睨むような眼差しだけ。
彼はいつもそう。私に送ってくる視線はどこか突き放すようで寒々しい。
けど、この悩み事はママに打ち明けてはいけない。これ以上彼女に苦労をさせたくないし、心配事も抱えて欲しくないから。
私の心の中に、ずっと秘めておく”隠し事”。
玄関の扉を閉めて空を見上げる。ちょっと曇っているかな、と判断した私は、一度家の中に戻ると傘立てから赤い傘を手に取り学校を目指した。
嫌な人との遭遇。鉛色の空。
それでも私の歩調は、いつもよりちょっとだけ弾んでいた。
大通りを抜け、学校へ至る交差点までたどり着くと、駅から向かってくる同じ製服姿の人波の中に、広瀬君の姿を見つける。
『おはよう』私は手をあげなから、手話でメッセージを送る。
『おはよう、桐原さん。髪型変えたんだ』
『うん、ちょっとした出来心。おかしいかな……?』
『似合ってると思う。凄く可愛いよ』
……ヤバいな、頬が熱くなる。口元、変に歪んでないかな? 照れ隠しで手のひらで口元を覆い隠した。
加速していく鼓動を宥めるように胸元に手を当て、私はそっと言葉を返す。
『ありがとう』
神様、多くを望むつもりなんてありません。どうかこの暖かい日常が、いつまでも、いつまでも、続きますように――
こみ上げてくる切ない気持ちを飲み干して、今日も広瀬君の背中を追いかける。
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