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第一章:幼馴染たち
『渡辺美也③』
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電車の車窓を流れていく景色を、ただ物憂げに見つめていた。すっかり日が落ちた空の色は、深海のごとく濃紺だ。私の心の奥底に沈んでいる、澱んだ気持ちと同じ色。
いつ頃から私は、こんな風に世界を暗い色で見通すようになったのか。世界が、過ぎ去っていく時間そのものが、もっと色鮮やかに見えていた時期が確かにあった。
そして気がつく。それは小学生の頃の記憶なんだということに。何故? あの頃とは、見える景色の高さが変わってしまったから? 以前より高い場所から見下ろすことで、余計な物まで見えるようになってしまったから?
私がまだ小学生だった当時、斗哉と慎吾の背中ばかりを追いかけていた。彼らのしていることを真似して、同じ遊びに興じて、二人が野球を始めれば、私もやりたいとダダを捏ねて。私の世界は、ずっと二人を中心にして回っていた。そんな日々が、永遠に続くものだとばかり思っていたんだ。
三人で過ごしていた頃、全開だったはずの私の心の扉は、成長するにつれて少しずつ閉じられていき、今では僅かに開いた隙間から二人の様子を覗き見ているだけだ。
どうして――こんなに卑屈な女の子に成長してしまったんだろう。
そんな自分を変えたくて、女の子らしくなりたいと願って、手塚君とも交際を始めた。
私が冷めた態度ばかりを取っているから、手塚君はきっと傷ついているだろうな。彼が肩を落とし、俯いたまま自宅を目指している姿を想像してみたが、あまり上手くイメージできなかった。いつもそう。私は手塚君の姿を、想像するのが苦手だ。彼のことを見ているようで、本当はちゃんと見ていない。閉ざされた私の心の扉からは、彼の姿がよく見えていないんだ。
実際、手塚君は良い人だ。一緒にいて息苦しさは微塵もないし、むしろ楽しいとすら感じる。でも……なんて言うんだろう、心が弾まない。例えるならば、すっかりと空気の抜けたバレーボールと同じ。地面に落ちてひしゃげてそのまんま。どんなに待っても弾まないし、私の手のひらに戻ってこない。
だから、二人の関係もキスから先に進まないし、一緒に歩いていても、手を繋ぐことすらできない。
学校から出るときは最近いつも一緒だ。
寄り道だって、何度かした。
デートらしいデートはしていないが、隙間を埋めるみたいにキスだってした。
でも、それだけなんだよな。楽しいだけで、私の心はときめいていない。半月ほど頑張って付き合ってみたが、これじゃただの友達でしかない。
そのくせ、彼といるとき私は意識的に女の子らしい口調にしている。それは、どうしてなんだろう……?
……ああ、そうか。私は手塚君の為に女の子らしい口調にしているんじゃない。あくまでも、自分のためなんだ。
手塚君のことを頑張って好きになって、素敵な女の子になりたいと願っているだけ。恋に恋している状態。だから自分が、思いの外手塚君を見ていないと気が付き、勝手に傷ついて勝手に塞ぎこんでいる。
悲劇のヒロインにでも、なった気分で。
最低だな……私。
「隣、座ってもいいか?」
黄昏れ色が切なくて車窓から目を逸らしたそのとき、突然響いた声に驚き私は顔を上げる。そこに立っていたのは慎吾だった。
「慎吾……まあ、別にいいけど」
なんだよ。久しぶりに話しかけてきたと思ったら隣に座るとか。マジわけわかんない……
「最近、何で話しかけてくれなくなったの?」
彼の質問に心臓が飛び跳ねる。自分が後ろめたく感じていたことと、同じ内容だったから。
「そんなの、そっちだって同じじゃない……」
「ああ、そうかもな。ごめん」
「なんで謝るの? 別に私たち喧嘩したわけじゃないし、ただ何となく、会話しなくなっちゃっただけのことじゃん」
「ホントそうだよな。どうしてなんだろう」
そう言って、慎吾は首を傾げた。
私はともかくとして、慎吾が私と距離を置いている理由なら明白じゃん。
私に……女の子としての魅力が無くなったからでしょ? 慎吾は、桐原悠里みたいな、可愛らしい女の子がタイプだから。そういうことでしょ?
そんな感じの嫌な台詞が喉元までせり上がってきて、慌てて呑み込む。ダメだ。もっと遠回しに訊ねなくちゃ。
「彼女――桐原さんって、可愛いよね」
「ああ、可愛いな」
否定しないのかよバカ慎吾。「だって彼女、ちっちゃいもんね」言ってしまってから、ちょっとだけ罪悪感。別に桐原さんが悪いわけじゃないのに。
すると彼、驚いたように目を見開いて、こちらに顔を向けた。
「ちっちゃいのと可愛いのって、関係ないでしょ?」
「え? 何で? だって背が低い方が、見た目可愛らしいし、その……守ってあげたいって気持ちになるでしょ?」
「ああ~……」と慎吾は考え込んだ。「まあ、守ってあげたいってのはあるかな。ついでに言うと、彼女は障害のある女の子だしね。でも、それと可愛いのとは関係ないよ。背が高くたって美人は美人だし、可愛い人は可愛いよ」
「あれ? そういうもんなの?」
「当たり前でしょ。美也って、そういうの案外気にしてたんだ?」
呆れたように笑って、それからゆっくりと慎吾は笑みを引き取った。
「……まあ僕も、似たようなもんか」
「なにそれ? どういう意味?」
「なんでもないよ」
「なんかズルい。自分だけ隠して」
「でも、桐原さんって、小動物みたいってのは思うかな」
「わかる。リスみたいな感じするよね」
彼が即座に首を振って否定した。「いやいや絶対にネコでしょ」
「え~? 違うだろ。桐原さん、そんなしたたかなイメージじゃないって!」
「それは、美也が彼女のことをちゃんと見ていないからだよ。ああ見えて頑張り屋だしマジメだし、ちゃんと要領いいんだから」
なんだよ桐原さんのことばっかり褒めてムカつくな、と思いながらも、なんだか可笑しくなってきた。
「なんだ……。私たちって、普通に会話できんじゃん」
すると慎吾も、笑いながら言った。
「だな……。なんか今までムキになっていたのがバカみたいだ」
本当にそうだね。私は誰のことも、自分のことすらも、ちゃんと見ていなかった。勝手に悟ったつもりになって、勝手に傷ついていただけだ。
慎吾も斗哉も、私に手を差し伸べなくなったんじゃなくて、差し伸べる必要がなくなっただけ。
振り向いてくれなくなったんじゃなくて、私が二人との間に壁を作って、ちゃんと見ようとしなかっただけ。
背が伸びたことで異性として見られなくなったんじゃなくて、私が勝手に心を閉ざしていただけなんだ。
『でもタイプとかって関係あるの? その女の子に魅力的だと感じる部分があったら、それで良いじゃん?』
そっか、手塚君の言うとおりだったんだ。なんかゴメンね。
そう思っているときLineに着信があった。スマホの画面を確認すると、タイミングよく、手塚君からだった。
『今度の休み、みんなで海にでも行かね? 広瀬とか阿久津も誘って』
私はこのメッセージを慎吾にも見せた。「だってさ」
「ふ~ん、悪くないね。美也の水着、楽しみにしてるわ」
「ばーか、スケベ」照れ隠しに慎吾を小突きながら、手塚君に返信した。『是非、行こう』って。
いつ頃から私は、こんな風に世界を暗い色で見通すようになったのか。世界が、過ぎ去っていく時間そのものが、もっと色鮮やかに見えていた時期が確かにあった。
そして気がつく。それは小学生の頃の記憶なんだということに。何故? あの頃とは、見える景色の高さが変わってしまったから? 以前より高い場所から見下ろすことで、余計な物まで見えるようになってしまったから?
私がまだ小学生だった当時、斗哉と慎吾の背中ばかりを追いかけていた。彼らのしていることを真似して、同じ遊びに興じて、二人が野球を始めれば、私もやりたいとダダを捏ねて。私の世界は、ずっと二人を中心にして回っていた。そんな日々が、永遠に続くものだとばかり思っていたんだ。
三人で過ごしていた頃、全開だったはずの私の心の扉は、成長するにつれて少しずつ閉じられていき、今では僅かに開いた隙間から二人の様子を覗き見ているだけだ。
どうして――こんなに卑屈な女の子に成長してしまったんだろう。
そんな自分を変えたくて、女の子らしくなりたいと願って、手塚君とも交際を始めた。
私が冷めた態度ばかりを取っているから、手塚君はきっと傷ついているだろうな。彼が肩を落とし、俯いたまま自宅を目指している姿を想像してみたが、あまり上手くイメージできなかった。いつもそう。私は手塚君の姿を、想像するのが苦手だ。彼のことを見ているようで、本当はちゃんと見ていない。閉ざされた私の心の扉からは、彼の姿がよく見えていないんだ。
実際、手塚君は良い人だ。一緒にいて息苦しさは微塵もないし、むしろ楽しいとすら感じる。でも……なんて言うんだろう、心が弾まない。例えるならば、すっかりと空気の抜けたバレーボールと同じ。地面に落ちてひしゃげてそのまんま。どんなに待っても弾まないし、私の手のひらに戻ってこない。
だから、二人の関係もキスから先に進まないし、一緒に歩いていても、手を繋ぐことすらできない。
学校から出るときは最近いつも一緒だ。
寄り道だって、何度かした。
デートらしいデートはしていないが、隙間を埋めるみたいにキスだってした。
でも、それだけなんだよな。楽しいだけで、私の心はときめいていない。半月ほど頑張って付き合ってみたが、これじゃただの友達でしかない。
そのくせ、彼といるとき私は意識的に女の子らしい口調にしている。それは、どうしてなんだろう……?
……ああ、そうか。私は手塚君の為に女の子らしい口調にしているんじゃない。あくまでも、自分のためなんだ。
手塚君のことを頑張って好きになって、素敵な女の子になりたいと願っているだけ。恋に恋している状態。だから自分が、思いの外手塚君を見ていないと気が付き、勝手に傷ついて勝手に塞ぎこんでいる。
悲劇のヒロインにでも、なった気分で。
最低だな……私。
「隣、座ってもいいか?」
黄昏れ色が切なくて車窓から目を逸らしたそのとき、突然響いた声に驚き私は顔を上げる。そこに立っていたのは慎吾だった。
「慎吾……まあ、別にいいけど」
なんだよ。久しぶりに話しかけてきたと思ったら隣に座るとか。マジわけわかんない……
「最近、何で話しかけてくれなくなったの?」
彼の質問に心臓が飛び跳ねる。自分が後ろめたく感じていたことと、同じ内容だったから。
「そんなの、そっちだって同じじゃない……」
「ああ、そうかもな。ごめん」
「なんで謝るの? 別に私たち喧嘩したわけじゃないし、ただ何となく、会話しなくなっちゃっただけのことじゃん」
「ホントそうだよな。どうしてなんだろう」
そう言って、慎吾は首を傾げた。
私はともかくとして、慎吾が私と距離を置いている理由なら明白じゃん。
私に……女の子としての魅力が無くなったからでしょ? 慎吾は、桐原悠里みたいな、可愛らしい女の子がタイプだから。そういうことでしょ?
そんな感じの嫌な台詞が喉元までせり上がってきて、慌てて呑み込む。ダメだ。もっと遠回しに訊ねなくちゃ。
「彼女――桐原さんって、可愛いよね」
「ああ、可愛いな」
否定しないのかよバカ慎吾。「だって彼女、ちっちゃいもんね」言ってしまってから、ちょっとだけ罪悪感。別に桐原さんが悪いわけじゃないのに。
すると彼、驚いたように目を見開いて、こちらに顔を向けた。
「ちっちゃいのと可愛いのって、関係ないでしょ?」
「え? 何で? だって背が低い方が、見た目可愛らしいし、その……守ってあげたいって気持ちになるでしょ?」
「ああ~……」と慎吾は考え込んだ。「まあ、守ってあげたいってのはあるかな。ついでに言うと、彼女は障害のある女の子だしね。でも、それと可愛いのとは関係ないよ。背が高くたって美人は美人だし、可愛い人は可愛いよ」
「あれ? そういうもんなの?」
「当たり前でしょ。美也って、そういうの案外気にしてたんだ?」
呆れたように笑って、それからゆっくりと慎吾は笑みを引き取った。
「……まあ僕も、似たようなもんか」
「なにそれ? どういう意味?」
「なんでもないよ」
「なんかズルい。自分だけ隠して」
「でも、桐原さんって、小動物みたいってのは思うかな」
「わかる。リスみたいな感じするよね」
彼が即座に首を振って否定した。「いやいや絶対にネコでしょ」
「え~? 違うだろ。桐原さん、そんなしたたかなイメージじゃないって!」
「それは、美也が彼女のことをちゃんと見ていないからだよ。ああ見えて頑張り屋だしマジメだし、ちゃんと要領いいんだから」
なんだよ桐原さんのことばっかり褒めてムカつくな、と思いながらも、なんだか可笑しくなってきた。
「なんだ……。私たちって、普通に会話できんじゃん」
すると慎吾も、笑いながら言った。
「だな……。なんか今までムキになっていたのがバカみたいだ」
本当にそうだね。私は誰のことも、自分のことすらも、ちゃんと見ていなかった。勝手に悟ったつもりになって、勝手に傷ついていただけだ。
慎吾も斗哉も、私に手を差し伸べなくなったんじゃなくて、差し伸べる必要がなくなっただけ。
振り向いてくれなくなったんじゃなくて、私が二人との間に壁を作って、ちゃんと見ようとしなかっただけ。
背が伸びたことで異性として見られなくなったんじゃなくて、私が勝手に心を閉ざしていただけなんだ。
『でもタイプとかって関係あるの? その女の子に魅力的だと感じる部分があったら、それで良いじゃん?』
そっか、手塚君の言うとおりだったんだ。なんかゴメンね。
そう思っているときLineに着信があった。スマホの画面を確認すると、タイミングよく、手塚君からだった。
『今度の休み、みんなで海にでも行かね? 広瀬とか阿久津も誘って』
私はこのメッセージを慎吾にも見せた。「だってさ」
「ふ~ん、悪くないね。美也の水着、楽しみにしてるわ」
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